王様あなたへお仕えいたしますⅡ

「来た! 俺の時代!」


 三回目。

 ついにレナードが王様を引いたようだ。それにしても凄い喜びようである。


 危機感を感じさせる間もなく、まるで予め決めていたかのような早さで命令を口にした。


「では命令する。クローバーがスペードに熱い接吻!」

「「えぇっ!」」

 わたしとシエナは声を揃えて一驚した。


「そんな、女性同士だからと言ってキスだなんて……」

「シエナ、『あ・つ・い』が抜けてるよ。ちゃんと正確に命令を聞いてもらわないと」


 確かにルールに反していない。反してはいないのだが……。


「そうだぞ、レナード、変だ」

「そう? こんなことは大人なら普通だけど、あぁー……ナナちゃんみたいなお子様には少し早かったかなぁ」

「ぐ……」


 その言葉に二の句が継げなくなる。


「シエナも一度決めたルールを破ろうだなんて、これじゃあ今まで君たちの召使として働いてきた俺はどうなるのかなぁ。不公平じゃないかい?」

「それは…………」


 わたしもシエナのことをそこまでよく知っているわけではないが、さすがわたしたちよりも付き合いが長いだけある。シエナの扱いをわかっている。こう言われればシエナのような性格の人間は断れないであろう。


 シエナは顔を赤らめたまましばし真剣な面持ちで考え込み、そして意を決したように口を開いた。


「仕方ありませんね……。ではナナちゃん……その、いきますよ?」

「え!? お、おう……」

 

 本気か?


 だが、ここで物怖じしたらわたしはますます子供に見られる。困却を見せてはいけない。

 ここはあくまでも冷静かつ余裕を持って構えよう。わたしはわたしでそう心に決めた。


「…………」


 シエナの唇が徐々に近づく。


「ナナちゃん、わたし……初めて……なんです……」


 十分に近づいたであろうところでシエナは囁くように言った。


 息が顔に掛かり、思わず悲鳴がでそうになるのをぐっと堪えた。


「わっ! わたしだって初めてだ!」


 わたしは混乱からわけのわからない対抗心を口にする。


 唇が触れるか触れないかのところまで来ると、シエナの吐息がわたしの唇にかかる。思わず少し顔を引いてしまう。心臓が忙しなく鼓動し、油断すればその振動だけで触れてしまいそうであった。


「ナナちゃん……」


 唐突にシエナに名を呼ばれ、心臓の鼓動に拍車が掛かる。


 何だこの感情。何だこの感覚。


 初めての感じることにまったく頭が追い付かない。


「シエナ……」


 もうどうでも良い。どうにでもなれ。わたしはわけも知れず、呼応するようにシエナの名を口にしていた。


 命令ではシエナがわたしにキスをする筈、にもかからわず、わたしの方からも無意識にシエナに近づいて行く。気がした。


 あたかも自分が感じる正体不明なものを確かめに行くかのように。その先に答えが待っていると無意識にでもわかっているかのように。


「ナナちゃん……」

「シエナ……」





「何をしている」


 急に視界が暗く陰る。


 驚いて顔を引くとわたしとシエナの顔の間に一冊の本が差し込まれていた。見上げれば半目で軽蔑するような眼差しを向けるツルギの姿。


「おい、変なことするなと言ったよなぁ」

 そしてその軽蔑の眼差しをそのままレナードの方へ向ける。


「いやいや、してないさ! してたのはむしろシエナの方で……」

「わ! わたしですかぁ!?」

「いいやお前が悪いに決まっている」

「そんな決めつけは良くないなぁ。それに実際のところお前も見てみたいだろう、うら若き乙女たちが頬を羞恥に染めながらも強いられる、その甘美な振る舞いを。惜しいとは思わないかい?」

「…………」

「わ! わかった! 悪かった悪かった! だからその顔をやめてくれ! 洒落にならない!」

「シエナもシエナだ。こんな遊びに馬鹿正直に付き合ってやる必要は無い。嫌なら嫌とはっきり言ったらどうだ」

「わたしは別に…………良いかなぁ……なんて」


 シエナは恥ずかしそうに指でツっと、自分の唇を確かめるように触れた。


 それを見たツルギは何か諦めたように大げさに溜息を吐いた。


 わたしはというと、すっかり我に返ってしまい赤面しているシエナの唇をしきりに目で追っていた。理由はよくわからない。ツルギが仲裁に入ってくれて正直に助かったとは思っている。思っているのだが、それと同時に、シエナのあの柔らかそうな唇に触れそうになった瞬間の、羞恥心と背徳感の狭間で揺れる得も言えぬ感情の正体を知ることを、快感とも少し違った未だかつてない新鮮な感覚を知ることを、もう少しでわたしはできたのかもしれないと、そう少し惜しいと思う気持ちが込み上げるのであった。それはまるで冒険家が未開の地を行き、苦労の果てにようやく辿り着いた危険と財宝が渦巻く洞窟の入口で、厚意の元に連れ戻されてしまうような、身を案じてくれたそれを感謝することはあっても咎めることは許されないような状況で、なおもあの洞窟の先が愛おしく、切なく感じてしまうような……。そんな黄昏時の家路にわたしはついているのかもしれない。ツルギの間一髪の抑止に対して、感謝と、そんなよくわからない複雑な感情しか持てないことに後ろめたい気持ちが混ざる。わたしはどうすればいい。風など吹いている筈もないのに、何かがふわっとわたしの髪をかすめるような感覚がする。何だろう、とても清々しい気持ちなのに、先程までの夢のように靄の掛かった感覚から思考が現実に近づき、明瞭になっていくにつれ寂しさと切なさが募っていく。もう一度シエナの顔を眺める。

 この複雑難解な化学反応にも似た感情を、言葉として一言で表することができるのであれば、語彙力に乏しいわたしに是非とも教えてほしい。


「ナナ?」

「はい!!」


 急に現実に戻されたようで変に声が上ずってしまった。


「…………? どうした?」



  *  *  *



 レナードは店の準備で帰ってしまい、ようやく静かになったロビーでツルギは読書を再開した。

 シエナも夕食の準備で厨房に入ってしまう。


 こうなってしまうとわたしは暇なので、一人部屋に戻り、存分に怠けることにする。


「ふふっ」


 ドアを開ける瞬間、思わず先程のことを思い出し、笑ってしまう。

 

 楽しかった。途中から色々と変なこともあったが、ああして他人と遊んだのは久しぶりだ。


「あう!?」


 薄暗い部屋のごみ箱に足を引っかけ、転んでしまう。


 ツルギがいたら存分に馬鹿にされたであろうが、幸い今はわたし一人、恥ずかしい思いで赤面しながらも誰に見られているわけでもないので平静を装いつつ立ち上がり、澄まし顔でぶちまけられてしまったごみを片付ける。


「ん?」


 ごみくずに混じり、気になるものが目に入る。

 

 封筒だ。

 

 くしゃくしゃに丸められていたが、差出人は明白であった。わたしは広げた封筒の中が空とわかると、中身を探した。だが、いくら探しても見つからなかった。


 いつもなら国からの通達はツルギがわたしにも内容を教えてくれた。面倒ごとや厄介ごとに対する悪態と一緒に。

 だからこんなことは初めてだ。


 嫌な予感がする。


 わたしの口元から一瞬で笑みが消え失せた。


 封筒にはツルギ宛とだけある。わたしは含まれていない。


 正直今までツルギが受け取る封筒の宛名の表記など気にしたこともなかったし、どんなふうになっていたかなんて覚えてはいない。

 

 ツルギ宛とだけあったところでなんら不思議はないのかもしれない。だが、今手にあるシワだらけの文字は何か特別な意味を含ませたものに思えてならなかった。


 ぎりりと奥歯を噛んだ。


 誰に聞かせるでもなく、わたしは思わず口に出していた。それは怒りか、わけも知れぬ焦燥か。


「ツルギに何の用だ」

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