時計塔の吸血鬼

 わたしとツルギは迷うことなく無事配達所に辿り着き仕事を終えた。まあ、わたしがいたから当然だ。


 配達所のまるで昔絵本で見た魔法使いのように髭を蓄えた受付のおじいさんは、「あんたらの宿を探すのが手間だった」としゃがれた声で何やらぼやいていたが、何のことかわからなかった。


 配達所に封筒を出してからは今日もツルギと別行動だ。


 ここ数日は別行動が続いている。


 わたしの単独行動が許される理由としては、ツルギがあのおじいさんと会いたくないとか、この町が思っていた程危なくないのがわかったからとか、色々考えられたが、わたしが少しでも大人として認められてきたところが大きいのであろうと、勝手に結論付ける。


 時計塔を目印にしばらく歩くとやがて広々とした緑の絨毯が目に入る。


 だが、あのおじいさんがいる草原はいつもとは様子が違った。


 おじいさんがいなかったわけではない。今もわたしの横で変な香りのするパイプを吹かしている。


 様子が違ったのは人の多さだ。


 確かに何度か訪れた時にはおじいさんの他にも駆け回って遊ぶ子供であったり、口数少なく寄り添うカップルであったり、まばらに人を見かけてはいたが、こんなに大勢見たのは初めてだ。


 町の店が並ぶ通りにだってここまで一か所に固まってはいない。


 草原を時計塔のある方角、眺めると辛うじて人々の表情がわかるくらいの距離に人だかりができている。


 つい先程まで仕事をしていたかのような土に汚れた農夫の恰好をした者や、夏にもかかわらず色褪せた茶色い背広に身を包む者、いで立ち様々であったが、その全員が男ということだけは共通していた。


 農夫らしき者たちは各々鎌や大きなフォークのような農機具を手にしているままだ。

 そして何やら皆一様に神妙な面持ちであった。


「おじいさん、あれ何かな?」

 わたしは目を細めながら隣に尋ねる。


「何じゃろうな。騒々しい。静かじゃからこの場所が気に入っておったのに」

「何か事件でもあったのかな?」

「事件? んな物騒な。ナナちゃん、この町はなわしの知る限りでは争い事やそれこそ事件なんて一度も起こっとりゃせん。安心しなさい」


 それはおかしいと思った。


 だって女性や子供が吸血鬼に攫われているなら、それは事件と呼べるではないか。


 それともおじいさんは「人間」が起こした事件という意味で言っているのであろうか。例えば熊のような、人ではなく猛獣に襲われた時は「事件」だなんて言葉は使わない。それは「事故」と言った方が正しい。今わたしの発した言葉が「事故」であったらば、その返答は変わったであろうか。


 その真意を確かめたかったが、言えなかった。それは勿論、私自身が鬼だからだ。おじいさんが鬼のことを人ならざるものとして見ているのかもしれない。そう思うと怖くて言えなかった。


 そうこうしているうちに人だかりに動きがあった。

 人々の低い唸りのようなざわめきがこちらまで届いている。


 その人だかりを掻き分けるように現れたのは、二台の担架だ。前後を農夫らしき大人の男に抱えられ、運ばれていく。

 それぞれ担架の上に乗せられた男は体こそ白い布で覆われていたが、その顔は苦悶に歪んでいた。


 徐々にこちらへ近づいて来ると、運ばれる動きに合わせひくひくとその額を動かしている。どうやら二人とも生きているようだ。


「何事じゃ」


 おじいさんはその様子を見て驚きを隠せないようであった。その反応からこの町では滅多に起こらないことだということがわかる。何らかの事件でないとすれば、少なくとも事故か何かが起こったに違いない。


 二台の担架がわたしたちの目の前を通り過ぎようとした時、片方の男の腕が担架から落ち、力なくだらりと垂れ下がった。


 その腕を伝うようにして血が一筋流れては地面の草に滴った。


「おい、何かあったのか」

 おじいさんは担架を運ぶ男の一人に声を掛ける。


「俺たちも詳しいことはわからねぇんだ、じいさん。まあ、時計塔には近づかないように気を付けな。後で役場から報告があるだろうから」

 担架を持つ男は足を止めることなく、それだけ言った。


 担架の男をはじめ、その他の表情を見るに、本人たちも何が起こっているのかわからないのは本当のようであった。


「ナナちゃん、今日のところは帰りなさい。役場から正式な通達があるまでは部屋の中にいるんだ。何だか良くないことが起こっているみたいだからね」

「うん」


 もし吸血鬼の、わたしと同じ鬼の仕業であるなら、この町で唯一安全なのはわたしだけということになるのでろうが、大人しくおじいさんの言葉に従うこととする。

 ツルギのことも気に掛かった。





 宿に戻ると、ツルギはロビーのソファーにいた。シエナも一緒だ。


「ナナ? 早かったね」

「うん、何か騒ぎがあっておじいさんにもう帰りなさいって」

「そうなんだ。僕も丁度今シエナから話を聞いていたところだよ」

「はい、役場からの通達はまだですが、もう噂にはなっています。今朝調査の話しましたよね? その調査に行った方たちが何者かに襲われたそうです。あの時計塔の中で」


 恐らくツルギは詳細を既に聞いているのであろう、シエナは律儀にもわたしに同じ説明をしてくれているようだ。


 しかし、噂というのはこのような小さい町では広がるのにあまり時間を要しないようだ。わたしの遅い足では帰り道に普通の人よりも幾分か時間が掛かるとはいえ、町の中心へ近づくにつれて人々のざわめきが目立っていた。

 この町の人たちにとって大事件であったことは明白だ。


「例の吸血鬼の仕業か?」

「わかりません。襲われた本人たちの話によると、犯人は全身を黒いマントのようなもので覆っていて正体がわからなかったそうです」

「襲われた人たちは無事なのか?」

「何とか大丈夫みたいです。刃物のようなもので切られていて傷は深いらしいのですが、怪我の場所が腕とかだけだったらしいので命には関わらないようです」

「いよいよ面白くないな」

 ツルギは吐き捨てるように言った。


「ツルギさん。まさかこんなことが起こるなんて、わたし正直怖いです……」

 シエナは今にも泣き出しそうな表情であった。


「大丈夫だよシエナ。ここまで騒ぎになっているんだ、国だって何か策を講じないわけにはいかない筈だ」

「そうだと良いのですが……」


「おやおや! 皆さんロビーにお揃いで!」


 不安げなシエナの声を遮ったのはレナードであった。


 扉を勢いよく開け放ってこちらに手を振りながら向かって来る。それを見たツルギはわかりやすく嫌そうな顔をして目を逸らした。


「レナード、珍しいですね。宿まで来るなんて」

「シエナ、御機嫌よう。今日も相変わらず綺麗だね」


 レナードに「綺麗だ」と褒められたシエナは意外にも照れる様子は無かった。


 ツルギから花を渡された時はあんなに顔を赤くしていた筈なのに。レナードは女性であるならば誰彼構わずそんな接し方をするので、付き合いの長いシエナはもうすっかり慣れてしまったのであろう。


「お前、女はどうした?」


 ツルギが目を合わせないまま尋ねた。声色が普段よりも低く、怖い。どうもツルギはレナードのことがあまり好きではないようだ。それは以前からの接し方でわかる。


 かく言うわたしも嫌いとまでは言わないまでも、正直苦手だ。


「ああ、今日はお休みさ。あまり一人に熱心になり過ぎると他のお姫様たちに嫉妬されていけないからねぇ………ナナちゃん?」

「ひゃっ!」


 話しながらレナードは急にわたしの顔を覗き込むようにした。近い。思わず喉の奥から変な声が出てしまう。恥ずかしい……。こういうところが苦手だ。


「おい」

「わかったわかった! 相変わらず怖いねぇ」


 ツルギのお陰でレナードは私から離れ、余っている椅子に腰かけた。


「レナードもコーヒーで良いですか?」

「悪いねぇシエナ、お願いしようかな」

「いえいえ、レナードの淹れるものに比べるとあまり美味しくないかもしれませんが」

「そんなことないさ。シエナが心を込めて淹れてくれたってだけで俺なんかのものより何倍も価値があるんだよ」

「ふふっ、そうですか。少々お待ちを」


 シエナは軽く微笑んでコーヒーを淹れに行った。


「いやぁ大変なことになったねぇ。ナナちゃん、怖くないかい?」

「大丈夫」

 怖くないのは本当のことなのでそう答える。


「そっかナナちゃんは強いねぇ。俺なんて怖くて怖くて皆に会いに来ちゃったよ」

「なら女の元に帰ったらどうだ? きっと怖がってるんじゃないか?」

 ツルギがすかさず口を挟む。


「なんだよ、俺にいてもらっちゃ迷惑か?」

「自覚はあったのか」

「冗談で言ったのに酷いなぁ」


 あいだに入れず、そんなやり取りをただ眺めているとシエナが戻って来た。手には三人分のコーヒーとわたし用にココアミルクがあった。


 シエナまでわたしを子供扱いする気だ。まあ、コーヒー、飲めないのだけれど。


 渡されたココアを一口含むと口いっぱいに甘さが広がった。

 美味しいが少し悔しい。


「まあまあ暗い話しててもしょうがないしさあ、何か楽しいことでもしない? せっかく四人いるんだし」

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