後悔とそれからⅥ
ナナが戻るであろう時間までまだ多少の余裕があったので、僕はとある店に足を運んだ。
店の名前はエデンの園。
「いらっしゃい!」
カウンターには相変わらず気に食わない笑みの店主がせっせと働いていた。
僕はあえてその男の正面にならないよう、隅の方の席に腰掛ける。すると店主はわざわざ移動して僕の目の前にやって来た。
「おや? 相棒のナナちゃんはどうした?」
そう言ってカウンターから身を乗り出し、僕の陰に隠れていないか確認しようとする。
「時計塔の方角へ行くと広い草原に出るだろ? そこにいるよ。会いたきゃ会いにいけば?」
仕事中と伝えるのは、まるで僕だけサボっているように思われるのでやめておいた。実際そうなのだが。
「さすがに今は仕事中だからな……っておいおい! 一人で行かせてんのか? 言っただろ? 吸血鬼の噂、夜じゃないからって油断していると攫われちまうぞ? あんな可愛い娘は」
「その点は軍人さんが一緒だから大丈夫だ」
まあ、元だけど。
「は? 軍人さん?」
「とにかく一人じゃないから安心しろ」
「まったく、俺を安心させてどうする。言っただろ? 女性は皆お姫様だって、お前の連れならお前が守ってやらなくちゃ」
そう言って僕に淹れたての紅茶を差し出す。怪しげな笑みと一緒に。
シエナに対しても思ったことだが、レナードの目には僕とナナの関係がどう映っているのだろうか。
「アールグレイはお好きかい?」
澄んだ黄金色の水面からは微かに湯気が立ち上り、茶葉独特の香ばしさの中に柑橘系のさっぱりとした香りが混ざり合う。それを一口含み、ゆっくりと喉を通してやると鼻を抜ける芳醇な香りが一層高まり、体の力が一気に抜けていく感覚を覚えた。
「嫌いじゃない」
「素直じゃないねぇ」
レナードは呆れたように笑った。
目線はこちらのまま、器用に手元のグラスと乾拭き用の布を躍らせている。
「お前、後悔したことあるか?」
そのいつだってご機嫌な様子を眺めて、僕は尋ねる。別に深い意味は無い。ただ聞いてみただけだ。
「なになに? 辛気臭い話? やめてくれよ店の酒たちが不味くなるだろ。この店に来たら嫌なことは忘れてもらうのが決まりなんだ」
今度は大げさに、これ見よがしに呆れて見せる。
「そんなに簡単に忘れられないから後悔なんだろ」
「それもそうか。あるよ、俺にだって。数えきれないくらいな」
そう言ったレナードの口元は依然として笑みを形作っている。
「そうか? 見えないな」
「こいつがあればある程度は脳天気でいられるさ」
皮肉を込めた僕の言葉を気にする様子もなく、レナードは栓の抜かれていないワインボトルをドンと、僕の目の前に置いた。
「紅茶も良いけど、どうだい?」
レナードはそう言いながら片目を閉じた。そのポーズが妙に様になっていて腹立たしい。
だが僕はそれに対して軽く首を振って返す。
「やめとくよ。まだ酒を飲むには早い時間だし、それに好きじゃないんだ」
「酒の席で嫌な思い出でも?」
「前の仕事で上司に連れられて行った店で何度も」
「行った店が酷かったとか?」
すると、ナナに話しかける時にそうするようにカウンターに前のめりになり、僕に顔を近付ける。
「他人の不幸は蜜の味」とでも言いたげな何とも意地の悪い表情だ。僕はあからさまに体を反って遠ざかるようにした。
「確かに酷い思い出だった。酒の味はよくわからないけど、出てくる食べ物は間違いなく最低だった。それ以上に酔った上司様が何ていうか、最低だった」
「そりゃご愁傷様。でもそれも仕事なんだから仕方なかったんじゃない?」
「まあね」
僕は溜息混じりにティーカップを傾けた。
上司のそういったところが好きにはなれなかったが、人間として嫌いというわけでもなかった。僕の気持ちや性格は差し置いて、少なからず親切にしてくれようとはしていたと思う。
ただ、やはり僕から見れば言動に理解が及ばない部分もあり、反りが合うか合わないかでいうと、合わなかったのであろう。
同じく隊の中には、捻くれている者や性格に少々難ありという者がいないわけではなかったが、それでも酷く人としての常識を逸脱している者がいたかと思えば、やはりそういうわけでもなかった。彼らからすれば変わっているのはむしろ僕の方だったのかもしれない。
そんな隊の連中は御多分に漏れず仕事として鬼を殺めた経験のある者ばかりであったが、高いところから手を汚さず命令ばかりしている上官に比べれば、人としてはまだマシな方だ。
「今の仕事には満足してる?」
「満足してるかって言われると違う気がするけど、僕がやらなくちゃいけないことだっていうのは確かだ」
「何か羨ましいねぇ。そういうの」
「そういうお前は?」
「満足かはわからないけど、やりたいことやってるよ。一応はね」
「羨ましいよ」
やりたいことと使命は必ずしも一致しない。そして人は他人のものを羨ましく思うものだ。だから僕とこいつの立場が逆だった時は同じように羨ましがるのかもしれない。
「そう? じゃあ羨ましいついでに教えてよ。どんな仕事か」
どんなついでだ。
僕は歯牙にもかけず当然のようにあしらい、その後もレナードのくだらない話にいくつか付き合ってから店を後にした。
夕刻になっても依然日は明るく地面を照らしており、先走って灯っている街灯の光が薄くその色を滲ませていた。
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