後悔とそれからⅡ

 厨房内は火を扱う為必然と暑く、早くも立っているのが億劫になってくる。だが、一生懸命働いている彼女らの手前、壁に寄り掛かるわけにもいかずにいると、従業員らしき女性たちが声を掛けてきた。


「あんたね、最近この宿にドンと金貨払った太っ腹の色男は」

 小柄な方の女性が言った。


「シエナってば、ほんっとに料理上手なのよ、しっかり見ていってね!」

 背の高い方の女性が言った。


「…………」

 シエナは俯き気味のまま無言だ。野菜を物凄い速度で切っている。


「ねえねえ仕事は何してるの? 気前の良さから見てもっと都会の仕事でしょう?」

小柄な方の女性が言った。


「フィアンセはいるの? あんた結構男前だからモテるんじゃない?」

 背の高い方の女性が言った。


「…………」

 シエナは鍋をかき混ぜている。


「つまらない町でしょう。でもあんたラッキーよ。この町一番の宿に泊まったんだから」

 小柄な方の女性が言った。


「あんた嫁にするなら料理ができる女にしときな! わたしの旦那もわたしのそういうところに惚れたんだから」

 背の高い方の女性が言った。


「…………」

 シエナは鍋に何かの調味料を振りかけている。


「少し行ったところにもう一軒大きな宿があるけどあそこはダメねぇ。ご立派なのは建物の見た目だけで、出すご飯はわたし達が作るのと比べるとてんで美味しくない!」

 小柄な方の女性が言った。


「ねぇあんた聞いてよ。ちょっと前にわたし結婚記念日だったんだけど、いつもは不愛想な旦那がねぇ……」

 背の高い方の女性が言った。


「…………」

 シエナはスプーンで料理の味見をしている。味見用にすくった汁が予想以上に熱かったのか、一瞬ビクリと体を震わせたが、相変わらず無言のままであった。


 明るく話しかけてくる二人に対し、シエナは無言でもくもくと作業を進める。

 後ろから時折微かに窺い知れる横顔は今だほんのりと赤く染まっていた。もしかして、怒らせてしまったであろうか。


 シエナの料理の腕は確かに良かった。華麗な包丁さばきで大量の野菜が見る見る料理の形を成していくし、鍋に振る調味料の量も恐らく極めているのであろう、目分量で手際良く入れていく。


 その割には何も無いところでつまずきそうになったり、つり下げられたおたまにコツンと頭をぶつけたりと、良くわからない危なっかしさも垣間見えた。


 なるほど、見ているだけでは僕には技術が高度過ぎて学べることが少ない。加えて女性二人がしきりに話しかけてくる。厨房に入れてもらった手前無下にするわけにもいかず、適当に返答しながら眺めてはみたものの、あまりシエナの動きに集中できなかった。


 一通り準備が落ち着いたであろうことを確認し、僕は皆に軽くお礼をすると厨房を後にした。


「ツルギさん!」


 ロビーの階段を上がりかけたところで、追ってきたであろうシエナに呼び止められる。


「あ、あの……よろしかったら次は……わ、わたし一人の時にいらして下さい。そ、その方が…………えっと…………………………ちゃんと教えられますし……」


 息が上がっている上に、妙に囁くような声であった為、最後の方はほとんど聞き取れなかった。


 やはり迷惑であっただろうか、シエナは俯き気味で握りしめた両の拳をわなわなと震わせている。


 恐らく人に何かを指摘することが苦手な性格なのだろう。誰にでも丁寧な言葉遣いで話し、常にどこか申し訳なさそうにしている普段のシエナの様子を見ていれば頷ける。

 今はそれでも言わなければいけないという一心で気力を振り絞ったに違いない。とても悪いことをした。


「なんかごめん、シエナ」

「あ、あの! 今のは厨房に他の人がいなくてわたしと二人きりになれる時に、という意味です!」


 それは僕が最初に受け取った意味から寸分も脱しないのだが、何をそんなに焦っているのだろうか。

 僕がそんなに怖いだろうか。まあ多少なりとも自覚はあるが。


 でも確かに僕もその方が周りに気を使わなくて済む。それにあの厨房の従業員たちは少し苦手だ。


「そうだね、僕もシエナと二人きりの方が都合が良い」

「ぱっ!!」

「ぱ?」


 その音は一体どこから出たのか、何とも不思議な声だ。


「絶対ですよ!」

 一瞬固まっていたシエナはそう叫ぶように言うと、僕に詰め寄った。


「ああ約束するよ。ごめん、本当にごめん」

 念押しまでされて、もう僕はひたすら謝るしかなかった。


 シエナは呼吸を整えるとようやくいつもの笑顔で微笑んでくれた。

 と思ったら今度は目を大きく見開き、

「あ、そうだった!」

 何か思い出したかのようにそう叫ぶと、シエナは僕を呼び止めたままロビーのカウンター裏へ行ってしまう。そして何かを手にすぐに戻ってきた。


「ツルギさんにお届け物です。先程投函されていたのですが、ちょうど良かったです」

「僕に?」


 手渡されたのは一通の封筒。薄いクリーム色をしたそれは、いかにも上等そうな厚手の材質だ。 


 真っ赤な蝋で封がしてあり、その蝋に刻まれているのはダブル・ペンタグラム。政府の証。


 僕は一瞬曇ったであろう表情を悟られないように、俯き気味にその封筒を受け取る。


 向こうから来た予定外の頼りが朗報であった試しが無い。


「はぁ」


 シエナが軽くお辞儀をして厨房に戻ったのを確認し、短く息を吐いた。

 階段を上がる足取りが重い。

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