後悔とそれからⅠ

 やはりやめておこうか。


 僕は大きな木製の扉の前でみっともなく決めあぐねていた。


 僕は宿一階、ロビーの奥を進んだ先食堂のさらに奥、厨房へと続くであろう扉の前で一人額にしわを寄せる。


 ナナは先日出会ったあの老人に会いに行っている。僕は特に会いたくも、会いに行く必要も無かったのでナナ一人に行かせた。


 この町へ来たばかりの時は、ある程度局長の話を鵜呑みにしているところもあったので、ナナに一人で出歩かせるつもりなどなかったのだが、何日か生活するうちにそんな心配はするだけ無駄だとわかった。

 吸血鬼の噂もあるが、そちらに関しては問題ない。もし噂が本当であったとしてもナナだって鬼だ。間違っても同胞が食べられる心配はないであろう。


 というわけで、暇を持て余した僕はナナが一緒にいるとできないことをしようと思い立ったわけだ。


 そこで思いついたのは少しでも料理の腕を上げようということ。別にナナが一緒でもできそうなことだが、それが何となくばつが悪く感じてしまうのが僕の性格であった。


 こんな様子をナナに知られるくらいなら、今後ナナにはずっと僕の〝料理もどき〟を食べて貰ったほうがマシだ。今の〝料理もどき〟でも、ある程度は喜んでくれているみたいなのだし。知られれば大人気ないと思われるような選択も、心の中でする分には自由だ。 


 だが、ばつが悪いといえば今もまさにそうだ。


 つまり、頼めば何でもしてくれそうなシエナを出しに、少しでもレパートリーを増やしておこうという算段だった。だったのだが、いざ頼もうと思うと少し気が引けた。


 さて、何と声を掛けるべきか。


 いざ目の前にすると、自分がとても変なことをしているのではという疑念が生じてしまう。ある程度大人になってからは同世代の女性と接してこなかったので、それが判断できなかった。


 扉の向こうからはかちゃかちゃと調理器具を扱う音が忙しなく聞こえてくる。

 今夜の夕食の準備をしているのであろう。


「やっぱり迷惑かな」


 そう思い、引き返そうとした時であった。


 急に両開きの扉の片方が開いた。


「きゃっ!」

 短い女性の悲鳴。


 扉のすぐ前にいた僕は咄嗟に後ろに下がることで何とか衝突を免れる。

 目が合った悲鳴の主はシエナであった。


「ツルギさん? どうされたんです? こんなところで」


 開いた扉の奥ではシエナの他にも二人、雇われたであろう女性がせっせと料理をしていた。見る限りではシエナや僕よりも少し年上であろう。小柄な女性と僕と同じくらい背の高い女性だ。作業をしながらも何事かとしきりにこちらを気にしている。


「あ、いや……。ここの料理美味しいから作ってるとこが見てみたくて……」

 咄嗟の言い訳も思い浮かばず、僕は正直に話した。


「あ、そ、そうだったんですか……。でも……」

 シエナは顔を赤らめて俯いてしまう。


「いいじゃないシエナ。あんた入りなよ。シエナ料理上手いんだから」

 会話が聞こえていたのか、奥から女性の一人が声を掛けてきた。


「で、でも、それならレナードの方が……」


 何やらシエナは拒絶気味であった。そうなると僕には後悔しかない。

 でもシエナの言ったあの男に頼むという選択肢は、残念ながら僕の中には微塵もなかった。


「ああいいんだ、邪魔して悪かった」


 僕は慌ててそう言ったが、いつの間にか女性二人が中から出てきており、僕は半ば無理やり厨房の中へ招待された。


 シエナのことが気に掛かったが、ここまで来てしまっては仕方がない、今更出ていくのも憚られ、せっかくなので勉強させてもらうこととする。


 厨房内は意外と広く、客全員分の料理が入っているであろう大きな鍋が三つ、火にかけられクツクツと食欲をそそる香りを発している。

 

 レストランというわけではないのにここまで本格的な調理場があるのは珍しい。少なくとも今まで泊まったところは、出たとしても簡単な食事ばかりであった。それだけでも出るだけありがたいというのに。


 もっと裕福な町へ行けばそれなりに上等な宿があるのかもしれないが、局長含めこの任務に携わる国の人間は僕をそんな町へは派遣したがらないようだ。理由は何となくわかる。    

 裕福な町は少なからず国に対して影響力がある。それは国の財政状況であったり、政治であったり、政策であったり、まあ、ただの犬であった僕にはそこまで真剣に考える機会など無かったのだが。そんな影響力の強い町で未知の実験を行うのにそれなりの躊躇があってのことであろう。


 厨房奥の窓際、日が差し込む場所にはいくつかの鉢が置かれ、植物が育てられていた。僕にはその植物の名前すらわからないが、恐らく数種類のハーブだろう。確かにここの食事は香り付けにハーブがよく使われていた。趣味を仕事に生かすとは、常々感心してしまう。


 勧められるがまま、厨房に足を踏み入れたものの、どうして良いかわからず、取りあえず働く彼女らにぶつからないであろうスペースに立つことにする。

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