花言葉は恋の訪れ?

「あ、お帰りなさい。ツルギさん、ナナちゃん」

「ただいま、シエナ」


 宿に戻るとロビーで掃除をしていたシエナが笑顔で出迎えた。


 控えめな色のスカートを揺らしながらロビーの調度品を手際よく拭いていく。相変わらず働きものだ。


 それに比べて僕らときたら、町をふらふらして、お菓子を買って、草の上で昼寝して、やりたい放題だ。

 

 そういえばナナは一応仕事をしたのだから「僕ら」と括るのは些か失礼だ。


「シエナ、ちょっと」

 ちょうど良かった、とシエナに声を掛け、早速僕は手に持っていた花を渡した。


「これ、シエナに」

「え……? ツルギさん……これ……」


 シエナは僕の手から薄紫の花束をおずおずとした手つきで受け取った。

 戸惑いを隠せない様子だ。

 

 そんな反応をされるとこちらも恥ずかしさが湧き上がってしまう。不要な物の処分とはいえ、僕だって女性に花を手渡した経験はないのだから。


「迷惑だった?」

「い! いえ! 迷惑だなんて……、そんなことないですけど……」


 僕の問いにシエナは必死に否定したが、最後の方はどこか言いにくそうに口ごもってしまった。

 

 花は好きだと思ったのだが、予想外の反応だ。


「わたし、お客さんからプレゼントは受け取らないことにしているんです。そうじゃないと皆さん次々に色んなものをくださるので」


 なるほど。

 

 恐らく食堂で食事そっちのけでシエナに視線を送っていたような人種であろう。シエナが喜んでそれを受け取ることが本人たちの本望であろうが、シエナからすると、もてなす筈の客からお代以外のものを受け取ることが我慢ならないのかもしれない。


 シエナの困った顔を見て、僕は申し訳ない気持ちになる。


「そうか困ったな」

 ナナもいらないって言うし。

「そうですか……」


 困っている相手、それもシエナのような人に「困った」という言葉を使うだなんて意地悪な返しだと自覚したが、僕のそういうところは今に始まったわけではない。


「……では、頂戴します」

 少し間があって、無事シエナは了承してくれたようだ。


「よかった」

「ありがとうございます」


 シエナは顔を赤らめて静かにお礼を言った。ご丁寧に深々と頭まで下げる。


「指輪とかネックレスとか、今まで色々なプレゼントがありましたけど、お花を頂いたのは初めてです」


 店から押し付けられた廃棄品をさらに押し付けておきながらお礼を返されるだなんて、また少し申し訳ない気持ちになったが、喜んでくれている様子なので良しとする。


「アガパンサスですね」

 恐らく、その花の名前だろう。


「愛を意味するアガペと、花を意味するアントスからきている名前です。夏に咲く花でわたしが好きな花の一つです」


 さすが、花にまつわる専門書を何冊も持っているだけある。


 年の近い人間の口から僕の全く知らない世界の話を聞くというのは、正直素直に感心してしまう。


 僕がよく本を読むのは、そうしていること自体に意味があるだけであって、別段本の内容に興味があるわけではない。

 自分でも嫌になるくらいに無趣味だ。だから、そうやって何かに興味を示せるのは少し羨ましくもあった。


「シエナは花に詳しいね。本当に好きなんだ」

「はい」


 そう言って、手にある花を愛おしそうに見つめる。


 花に顔を寄せ、目を細めるその様子が妙に似合っていた。売れ残りの花もこんな女性の手に渡ったのだから本望だろう。

 少なくとも価値のわからない僕ら二人が適当に部屋に飾ってそのまま枯らせてしまうよりは何倍もマシであろう。


 それを確認すると僕はナナと共に部屋へ向う。


 少し距離が空いてからシエナが何かを口にしたような気がしたが、声の大きさからいって僕たちに向けられたものではないのだろう。構わずそのまま階段を上った。


「ツルギさん。このお花の花言葉知ってますか? 恋の訪れ……らしいですよ」

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