鬼としての食事、人としての食事Ⅴ
「憂鬱? わしがか?」
「うん」
「そんな風に見えるかのぉ。こんな昼間っからふらふら散歩している呑気な老人が」
それは僕への当て付けだろうか。
「じいさん、悪かったな昼間っから呑気にふらふらしてて」
そう言ってやると、老人は再び笑みを溢す。本当に、何がそんなに面白いのだろう。
「ちょっとナナ」
僕は老人を無視してナナを手招きした。
「どういうつもりだナナ、僕に確認も取らないで勝手にあんなこと聞くなんて」
ナナは鬼としての食事対象を見つけると必ず視線で合図を送ってくれる。だが、今回はそれが無かった。
「我慢できなかったのか?」
近づいたナナの頬と髪に草が付いていたので取ってやりながら尋ねた。
鬼としての〝食欲〟というものが一応あるらしいが、つい昨日フィリーネという女性の「憂鬱」を食べたばかりだ。
ナナ自身が事前に教えてくれた情報が正しければ、一週間に一度程度の食事でその鬼としての〝食欲〟は見たされる筈であった。
「ううん、そうじゃない」
ナナは小さな頭を横に振る。
「なんか、食べてあげたいなって思って」
その気持ちは実際に人の「憂鬱」を感じ取れるナナにしかわからないものだ。仮に僕に感じ取れたとしてもわかるものか怪しいが。
でも少なくともその気持ちは人間としての気持ちだろう。
鬼として「食べたい」のではない。
人間として「食べてあげたい」という。
「賛成できないな。僕たちは何も慈善事業でこの町に来たわけじゃない。大体すぐに食べられるのか?」
「うーん……。全部となると少し時間掛かると思う。でも食べてあげたいんだ…………」
時間が掛かるということ、それは重度な「憂鬱」を意味していた。
「おしゃべりなじいさんとの共同生活なんて御免だ。大体それに、交渉は僕の仕事だろう? 勝手なことをしないでくれる?」
「…………。ごめんなさい……」
ナナはしゅんとして肩を落としてしまった。少々語調が強すぎてしまったことを後悔した。それでなくても、僕の態度はぶっきらぼうで誤解されやすいのだ。
「…………ナナ、わかった」
その後ろめたさから、うっかり了承の言葉が口を衝いて出てしまう。そのことに僕は再び後悔した。だが、ナナはそんな僕の気持ちも知らず、
「ごめんな、ツルギ」
遠慮がちに下げた頭を上げ、言葉とは裏腹に口元に優しい笑みを見せる。
こうなるともう引き返せない。
「ただ、やっぱり共同生活は無理だ。この町にいる間、時間の空いた時にじいさんの相手をしてやるんだ。それで間に合わなければそれまで、いいね?」
「うん! それでいい!」
ナナは早速老人に話しかける。
老人は僕たちが声を潜めて話しているあいだ、様子を訝しげに眺めていた。
そこまで距離的には離れていないので多少なりとも声が届いてしまっている可能性も否めなかったが、どの道断片的に聞かれたところで差し支えない内容であっただろう。
「おじいさん、わたしとお話しして?」
「おお、お嬢ちゃん、わしなんかの話に付き合ってくれるのかのぉ。でも良いのかい? そんな面白い話はできないかもしれんぞ?」
「うん、良い」
ナナと老人が話し始めたのを横目に、僕は再び柔らかい草を背に寝そべった。
「何を話そうかのぉ」
「おじいさんは昔どんな仕事をしていたの?」
「そうじゃなぁ。わしは悪い者を懲らしめる戦士だったのじゃ」
先程自身を「元軍人」と言っていた老人がこんな表現をするのは、恐らくナナのことを配慮してのことであろう。
見た目ほどナナは幼くない、そう言ってやりたかったが、そこはあえて黙っていることにした。
僕だって人のことを言える立場ではないのだから。
それにそんなことを言ってしまっては、言ったからには、今後ナナに対する接し方でこれまで以上に気を兼ねなければならない。我ながら何とも身勝手な考え方だ。
「強かったの?」
「おうさ! 負け無しよ! 強かったからこうして今もここにいる」
「死んじゃった人もいるの?」
「そうだね……。わしの仲間もたくさん死んだよ」
ナナの問いかけに少し、明るかった老人の声色に初めて影が差す。
「おじいさんはそれが悲しいの?」
「悲しくないよ。悲しくなんかないさ。誇りに思っている。今でも。ずっと……」
思うままに尋ねるナナに対し、老人の回答は歯切れの悪いものになっていったが、不思議と老人の声は迷惑がるような心象を滲ませてはいなかった。
目を閉じた僕には表情を伺うことはできなかったが、幾分か言葉に力が入り、真剣さが増しているようだ。だがそれは自信というよりも、自分に何かを言い聞かせているようでもあった。
正直、ナナは会話が上手くない。遠回りしようとせず、ずかずかと聞きたいことを聞く。だが、こういう時はナナの幼い容姿が役に立っているのだと思う。この老人含め、ナナのこういう話し方に対して不快に思う者は少ないであろう。
仮に僕が同じようなことをしようとすれば、そう上手くはいかない。傍から聞いている僕が勝手に感じていることだが、間違っていないことは話し相手の反応でわかる。
「おじいさんが悪者をやっつけた時のことを教えて」
「そうさな……、あれは丁度今日みたいに晴れ渡った日のことじゃった…………」
老人はゆっくりと話し出す。
元々軍にいたという老人の昔話には多少なりとも興味があったが、時折脱線しながらゆっくりと進むナナと老人の会話がやけに眠りを誘った。
すぐそばで相方が仕事に励んでいるにも関わらず目の皮がたるんでしまうのは、何とも身勝手なものではあるが、僕には何もすることができないのだ、仕方がない。そう自分に言い訳をした。
「お嬢ちゃん。先程悪者って言ったが本当のところはわしにもよくわからんのじゃ。こうして老いた今でもな……。それでも信じて戦うしかなかった。あの時は……。悪者なんて本当はいなかったのかもしれん。本当はの……」
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