鬼としての食事、人としての食事Ⅳ

 どのくらい経ったであろうか。


 ふと、瞼の裏の揺らめきが暗く陰った。


 僕はハッとなって両目を開き、咄嗟に起き上がろうとする。


「おや起こしてしまったか。すまないねぇ」


 目の前にいたのは、先程遠くで葉巻をふかしていた老人であった。いつの間に来たのであろうか。しわの刻まれた顔をばつが悪そうに歪めている。


「じいさん、驚かせないでくれ」

「いやぁ、見慣れぬ顔じゃったからな。好奇心というものじゃよ」


 安堵し、体中から力が抜けるのがわかった。


「じいさんはこんなところで何してるんだ?」

「お前さんたちと一緒じゃよ。綺麗な景色を見てぼーっとしに来ただけじゃ」

「そっか、次からはそっと忍び寄るのだけはやめてくれよ。心臓に悪い」

「心得た」

 そう言うと、老人は徐に僕の隣に腰掛けた。


 話し相手にでもなってほしいのであろうか。別に僕は年寄りのようにおしゃべりが好きなわけではないが、特にすることも無いので黙認する。

 

 ナナは隣でくぅくぅと、静かな寝息を立てていた。


「ところでお前さん、軍人さんか?」

 突然の老人の問いかけに一瞬体が固まり、せっかく落ち着きかけた心臓の鼓動が早まる。


「なぜそう思う」


 正しくは〝元〟であるが、確かに僕は国の為に戦場に立っていた時期がある。一般的な「軍」とはまた少し異なる特殊な組織に配属されていたのだが、傍から見れば同じようなものであろう。国家の犬である。


「わしも軍人だったからじゃよ。お前さん、咄嗟に起き上がろうとした時、思わず腰の剣を探そうとしたじゃろ。わしも敵陣近くてうたた寝してしもうた時はそんな感じじゃったわ」


 自身の無意識の所作に関してはたった今言われるまで気が付かなかったが、この老人は見かけによらず目ざとい。

 そのしわの刻まれた目元の奥には以外にもはっきりと物を捉える両眼が潜んでいるようだ。もしかすると、途中で逃げ出した僕なんかとは比べものにならないほどの命のやり取りをしてきたのかもしれない。


「気のせいだ」

 だが僕は間違っても敵陣近くでうたた寝などしない。

 本当のことを言ってやる義理もないので僕はそう答えた。


 すると老人はなぜか満足そうに微笑み、

「そうか、そういうことにしておこう」

 と潔く納得した素振りを見せる。


 僕はこういった年配者の、達観したような物言いがあまり好きになれなかった。今も昔も。そういった相手には言い返せば返すだけ、後々さらに腹を立てることが多いのが前職の経験上わかっていたので黙っていることにする。


「そっちで気持ち良さそうに寝ているお嬢ちゃんは……娘にしてはお前さんは若すぎるな、妹御かい?」

 老人は僕を挟んで反対側にいるナナを、少し身を倒して眺めた。

「まあそんなところだ」


 ナナとの関係も真面目に答えるつもりもないので、そういうことにしておく。言ったところでこの老人には理解できないだろう。


「そうかそうか、わしの年老いた白髪しらがと違って目もあやな白髪はくはつをしておるな、わしの初恋の相手にそっくりじゃ」

「はっ、老人にはやれないなぁ。欲しければ一旦人生終えて生まれ変わってからにしてくれ」


 僕は愛おしそうにナナを見つめる老人の目線の位置に合わせて身を倒し、ナナへ向けられている老人の視界を遮った。

 すると老人は少し甲高い声を上げて悪戯っぽく笑った。


「お前さん中々冗談がきついのぉ」

「そう? じいさんほどじゃないよ」

 何が可笑しいのか、老人はしわだらけの顔を一層深くしわくちゃにする。


「うーん……」

 その声に反応してナナが目を開ける。


「おや、お嬢ちゃん。すまなかった」

「おじいさん。どちら様?」

 瞼を擦りながらナナが尋ねる。


「ナナ、それはこのじいさん言い分だ。この町じゃあ僕たちの方が余所者なんだから」

「あ、そっか」

「よいよい、それにわしもこの町からしたら元々余所者じゃしな」

「余所者?」

「故郷はもうよくわからんがな。昔は色んな場所を転々としていたから、どこで生まれたかなんてもう思い出せんわ」

「そんなわけあるか」


 僕は呆れて一度は起こした体を再び地面に預ける。


「そう言うお前さんはどこからじゃ?」

「じいさんには関係無いだろ」

「そりゃそうじゃ」

 楽しそうに笑う老人をナナは黙って見上げていた。


「おじいさん、何がそんなに憂鬱なの?」


 ナナが突然発したその言葉に僕は目を開く。

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