鬼としての食事、人としての食事Ⅱ
僕たちは一度部屋に戻って簡単に支度をすると、外へ出た。
昨日この町に着いた時よりも早い時間だからか、人通りが多い気がした。それでもやはり、以前僕がいた町に比べると大分静かなところだ。
争いもなければ、制服だけがご立派で偉そうにふんぞり返っている保安官だっていない。
ナナがあっちこっちへお店を見て回るのを、大人しく付き合ってやることにする。
少し進むたびにナナが左右へ行ったり来たりするので、なかなかシエナの言うお勧めスポットへ辿り着けそうもないが。
「おやお二人さん、デートかい?」
声の方を振り返ると、昨晩の店のレナードが意地の悪そうな笑顔を張り付かせて立っていた。
「仕事だよ」
相手がナナとはいえ、女性と何の目的もなく散策しているのは考えようによってはデートと言えなくもないが、仕事もせずに遊んでいると口にするのは癪だったので、そういうことにした。
「へぇー。どんな仕事?」
その嫌味な笑顔は一向に緩む気配がない。恐らく、これがレナードの元々の調子であるのであろう。まったくもって忌々しい。僕はこういった言葉の裏に何かを潜ませるような話し方をする奴が一番嫌いだ。
「お前には無縁な仕事だ」
仕事について詳しく話してやるつもりは毛頭無いが、レナードを見て正直にそう思ったのでそれだけ言ってやる。
普段からぶっきらぼうな物言いが自然とさらに酷くなってしまうのは仕方のないことだが、レナードは全く意に介していないようだ。いや、会った最初の時から僕がこんな感じであった為、それが僕の性分だとでも思っているのかもしれない。
「なんだよ。教えてくれたっていいじゃないか」
「お前の方こそ、仕事はいいのか?」
「あ? ああ店? お店を開けるのは午後からだよ。午前中はあまり人も来ないから開けるのやめたんだ。こうして空いた時間は女に会いに行ってる」
「女? お前女がいながらナナを誘ったのか」
「まあまあそんなお堅いこと言うなって、俺からしたら世の中の若い女性はみんなお姫様なのさ。ねぇナナちゃーん」
レナードが膝を折り、ナナの顔を覗き込むと、ナナは頬を染めて斜め下へ俯いた。
僕はやはりこの男に関しては、料理以外好きになれそうもなかった。
「ということで、またな! 午後にお茶でもしにきなよ!」
そう言うとレナードは去って行った。かと思ったが、すぐ先にある花屋の女性に声を掛けているようである。対する花屋の女性は慣れた様子であしらっているのが、声が届かなくとも女性のその身振りでわかった。
「ツルギ?」
そう僕の名を呼んだナナは、真っ直ぐにレナードのことを見ている。
さぞ軽蔑するような眼差しなのだろうと確かめると、その表情は驚くほど冷たかった。その表情から僕は察する。
「ナナ、まさか……」
「うん」
この反応はナナが人の中に「憂鬱」を見つけた時のものだ。でも昨晩レナードに会っていながらナナは何も言わなかった。
「実は昨日も少し感じていたんだけど、今見ると少し濃くなってるみたい。どうする?」
「うーん……。あいつはいいよ。交渉も大変そうだし」
昨晩の失恋女性のように目に見えてという人間なら良いが、表面にそれを出さない人間は交渉自体が難しかった。ナナが感じただけでは詳しい内容まではわからないので、まずはそこから探る必要があるからだ。
ナナは人の頭の中をパンに例えたが、そのパンは砂漠のように広大で、ある程度当たりを付けないといくら時間があっても足りないらしい。
ただでさえこんな田舎町は国の政策に対し、少なからず反感を持っているのに、政府公式の証である五芒星と逆五芒星が合わさったシンボル、ダブル・ペンタグラムが印刷された承諾書を見せられて、何の懐疑心もなくペンを走らせてくれる人間は少ないであろう。
バランスが難しかった。政府のシンボルなんか気にならないくらいには心の平常が保てていなくて、なおかつ、ナナが食べるのに時間が掛からないくらいには複雑でない案件。先日のフィリーネのような恋の悩みが一番手っ取り早い。
だが、ナナの言うように恋の悩みは複雑さが無い分、新鮮さとの勝負が問題でもある。恋愛絡みの案件であっても、出会うタイミングを逃すと台無しだ。
また、男女がらみであっても長年にわたる場合は、少なからずその人の人生に深く根付いてしまっているのでそれはそれで厄介だ。ターゲットは比較的若者の方が良いであろう。
僕たちが提示する「憂鬱」の価格は銀貨一枚。
最初のうちから「憂鬱」を買い取るだなんて方式を取っていたわけではない。それこそ最初のうちは「憂鬱」を食べるのに逆に金を取ろうとさえしていた。
あまつさえ、あわよくば、良い稼ぎになるのではないかという、実に単純で打算的な考えだ。
だが、僕の話を信じ、金を出そうとする人間が全くといっていいほどいなかったばかりか、声を掛ければ掛けるほど僕とナナに「詐欺師」という根拠無根のレッテルが張られた。
そしてそれは金銭のやり取りを無くしたところで左程変わらなかった。様々な人との金額交渉を経て、今の相場に落ち着いたところだ。勿論、今でも毎回律儀に交渉をすれば少しくらい費用の削減に繋がるのであろうが、そんな交渉は僕の仕事の管轄外だ。間違っても僕は商人ではない。
かくして僕は政府に対し、「憂鬱」を食べるのには例外なく、銀貨一枚相当の費用が掛かると、半ば八つ当たりにも似た気持ちで報告したのである。だが、その人にとって大切なものを頂くのだ、本人が気づいていないというだけで。そう思えば、銀貨一枚でも実際は釣り合わないのかもしれない。
「ツルギ! あっちの店見てもいいか?」
適当に歩いていると、ナナが輝くような笑顔で一軒の店を指差す。ナナの指の先からは甘い香りが漂っていた。大き目の窓からは綺麗に並べられた焼き菓子が見える。それがわかってから、きっと見るだけじゃ済まないだろうなと僕は勝手に予測し、嘆息した。
「いいよ、行っておいで」
呆れ顔で僕がそう言い切る前に、ナナは店に向かって走り出していた。
一応は判断を問われたものの、こういう時の僕の決定が何の意味もなさないことを知っていたので、簡単に了承してやり、仕方なく僕も店内に入る。
店の中は外から香ったのとは比にならないくらい、甘い香りでいっぱいであった。
「これとこれかな? ツルギはどれにする?」
金の管理をしている僕の承諾を取るよりも早く、ナナは自分の分を選び、確保していた。
「僕はいいよ、甘いものはあまり好きじゃない」
結局、ナナの選んだ分だけの焼き菓子を買って店を出た。支払いは勿論国から支給された金だ。必要経費として計上する。まあ、報告義務は無いのだが。
誰にプレゼントするわけでもないのに、お菓子屋の女店主は少量のクッキーやらマドレーヌやらをわざわざ綺麗な紙製の小袋に入れ、リボンで結んでくれた。ナナはそれを大事そうに両手で抱えている。
「ツルギ、食べていい?」
「歩きながらだと少し行儀が悪いな。シエナの言っていた場所に寄るからそこで食べたら?」
いい加減散策のペースを上げたかった僕はそう条件を付けた。
「うん、そうする」
ナナは出会ったばかりの時と比べると、だいぶ主張が強くなったと思う。僕はそのことに対し、面倒だとは思っていない。むしろ安心していた。
それこそ最初は大人しくてそれはそれで良い子であったのだが、僕が何かをしてあげようとすると、黙って首を横に振るばかりであった。嫌われて当然かと、最初のうちは妙に納得していたのだが、時間が経つにつれて単にナナが気を使っていただけなのだとわかった。
気を使われるのはあまり得意ではないので、僕としては今のナナの方が気が楽でありがたい。
「ツルギ! 何をしている! 早く行くぞ!」
最初のうちは扱いをどうしたものかと、ほんの少し悩んだりもしたが、今のナナを見ているとそれが杞憂であったとわかる。
僕は今にも一人で駆け出してしまいそうなナナの横に並んで、ゆっくりと歩きだした。
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