憂鬱な町Ⅴ
フィリーネという女性と別れ、程なくしてシエナに教えてもらった店らしき建物が見えてくる。
周りのほとんどの建物が明かりを消している中、その建物だけ扉の隙間や窓を煌々と輝かせていた。
木製の看板にはこう書かれている。「エデンの園」
名前からは果たしてどのような料理が出てくるか、僕には想像もできなかった。
その扉を開くと、中はレストランというよりも、どうやら酒場のような趣であった。テーブルは三つだけで、あとはカウンター席のみとなっている。
カウンターの奥には様々な銘柄の酒瓶が並べられており、もともと酒が好きではない僕にはどれとしてわかるものがなかった。
店の造りこそ酒場であるが、店内は天井に吊るされた灯りのお陰で隅々まで明るく、僕が前の仕事で夜な夜な上司に無理やり連れて行かれた店のような、独特な怪しさというものはなかった。僕はあの雰囲気が苦手なので大いに助かる。それに今はナナも一緒なのだし。
なるほど。シエナがここを勧めた理由がわかった。酒場であれば遅い時間でも営業している。それに空腹を満たせるものくらいなら何かしら出してくれるであろう。
店内には客が少なく、テーブル席に男の二人組、酒を片手に何やら楽しげに話している。カウンター奥の席には壮年の女性が一人、頬杖をついてグラスを傾ける様は妙に色気があったが、店の明るさが幾分かその風情を打ち消してしまっているようであった。
「いらっしゃい!」
活気のある男の声がした。
奥から現れたのは顎に無精髭を蓄えた青年。髭のせいで遠目からはやや年を食っているように見えなくもないが、その声と話し方の感じで見た目より若いのだろうと当たりを付ける。
黒いズボンに白いワイシャツ姿。ワイシャツ袖は手首でキッチリ留めているクセに裾はズボンに仕舞うことなく、だらりと外へ出していた。
「おや? 見ない顔だね! お客さん、この町初めて?」
妙に明るい声色で話す青年は空いているテーブル席を無視して、自分の目の前のカウンター席へ僕たちを座らせた。
「まあね」
「そっか。俺はレナード、この店のオーナーさ。早速だけど何飲む? そっちの御嬢さんはジュースかな」
レナードはカウンターを身を乗り出して、ナナに顔を近づける。近くで見ると余計にその若さが判然とし、顔立ちは男の僕から見てもある程度整っていた。
仕事中以外のナナは基本的に人見知りなので、レナードからの問いに顔を赤らめコクリと頷くだけであった。
「いや、酒はいらない。それより何か食べ物をもらえるかな?」
僕が鬱陶しそうに言うと、レナードは決まりが悪そうに元の位置に引っ込んだ。
「食べ物ね! いいよ、何が食べたい?」
「何でも良いのか?」
食べ物の話になったとたんにナナが口を開く。
「何でもは流石に無理だけど、言ってみな」
選択肢が無いとかえって何を頼んでいいのかわからなくなる。
「わたしはハンバーグかオムライスが食べたい!」
「オッケー。あ、肉が今ハンバーグを作れるだけ残ってないから、必然的にオムライスね! そっちのお兄さんは?」
「僕も同じものを」
あれはできない、これならできる、といったやり取りが面倒であったので、ナナと同じものを貰うことにする。店主のレナードは終始上機嫌なまま、奥の部屋へと戻って行った。
どうやら奥の部屋は厨房らしい。しばらくすると、熱したフライパンで何かを炒めるような音が聞こえてきた。
やがて両手に皿を持ったレナードが笑顔で戻ってくる。
「さあ、召し上がれ」
僕とナナの目の前に綺麗な形をした鮮やかな卵色のオムライスが出された。
早速頂くことにする。スプーンですくってみると卵の中は火が通りきっておらず、トロトロの半熟状態、それがチキンライスと混ざり合い何とも言えない舌触りだ。薄めに味付けされたチキンライスと卵に甘酸っぱいケチャップソースが良く合っている。
僕たちはあまりの美味しさに少し驚いて顔を見合わせてしまった。
「どうだい?」
「うまい」
「うん、すごく美味しい」
僕たちは正直な感想を述べた。
正直僕は食べられれば何でも良かったのだが、ここまでのものを出されると、その選択が図らずとも最良であったのではとさえ錯覚してしまう。
もう他のオムライスを口にして決して満足できなさそうだ。それくらいの感想を述べても大げさではなかった。
「そう、そりゃ良かった」
レナードは満足そうに微笑んだ。
どうやらシエナがこの店を勧めたのは、単に時間帯だけが理由ではなかったようだ。本当に(料理の味だけは)良い店を紹介してくれた。
食後のコーヒーを貰い、僕たちはレナードと簡単な雑談をしていた。
レナードは僕たちの相手をしていたかと思うと時折奥の女性に話しかけに行ったり、テーブル客に酒のおかわりを勧めたりと、忙しない様子であった。一応きちんとすべての客を気にかけているようだ。
「ナナ? そろそろ行こうか」
「うん」
「そうそう、あんたらこの町に来たばかりならこんな時間は気をつけな」
そう言いながら、レナードはワイングラスを磨く。視線はこちらに向きながらも、慣れた手つきで磨き終わったグラスをカウンターのハンガーに吊るしていく。
「何かあるのか?」
「まあね、ここのところ良くない事件が起こってる」
レナードは急に声を潜めた。
「どんな?」
どこか勿体ぶりながら話すレナードに僕はそう促す。
「吸血鬼だよ。女や子供、弱い者ばかり攫われているんだ。古い時計塔が見えただろ? あそこには近寄らない方が良い。塔の中に住みついているっていう噂だよ。この町の人間なら常識だけど、あんたらは知らないだろうから話した」
「わかった、気を付けるよ」
この町には吸血鬼の噂があるようだ。だが別に珍しいことではない。これまでの町でも度々あった。悪い噂の一つや二つくらい。
あの取り取りのワインボトルが並ぶカウンターの壁に、お飾りのように散弾銃がぶら下がっていないだけマシだ。それに、いずれにせよ今の僕たちには関係ないことだ。
「ま、基本は良い町だよ。穏やかで。町民同士のケンカだって滅多に起こらない」
それに関しては心からレナードの話に同意できた。この町に着いてからといものの、会う人会う人皆、人が良さそうな人間ばかりだ。
この場所での任務を命じた局長は、実際にこの町を視察して僕の派遣先に決めたようであったが、局長の主観だけでこの町の住人たちを犯罪者予備軍のように扱ったのは、いささか彼らに失礼だと思った。
だが、それは僕が口を出すことではない。僕は政府の決定に従って仕事をするまでだ。そうしている以上、僕たちは安全なのだから。
「ところでナナちゃん、だっけ? ケーキは好きかい?」
レナードは再びカウンターから身を乗り出す。
「うん好き」
「どんなのがお好み?」
「えっとね、イチゴの乗ったやつ……」
「いいね! 俺と一緒に食べに行かない? 美味しい店知ってんだ」
良い人間ばかり、それでもこの調子の良い男だけはどこか気に食わないと思った。同様に悪いやつではなさそうだが。
「おい、僕の仕事仲間を勝手にナンパしないでくれ」
僕は再びナナに顔を近づけようとするレナードを睨んだ。
「じょ、冗談だよ、そんな顔で睨むなって。仲良くしようぜ」
レナードは憂鬱とは程遠い愛想笑いを見せる。
呆れながらも、町に訪れる前の緊張がほぐれていくのを感じた。
新たな町での仕事は、正直、精神的に楽なものではない。
僕たちの仕事内容の性質上、人との関りが不可欠だからだ。
加えて、隣に座る小さな仕事仲間はどうか知らないが、僕個人的にはあまり良い人間が多すぎるのは考えものだ。
良い人間相手には、意図せずとも、あるいは多かれ少なかれ、こちらも余計なことを考えてしまう。
その余計なことが所謂善意なのか、気遣いなのか、礼儀なのか、社交辞令なのか、上手く明文化しかねるが、ともかくそれが何であれ、仕事上での余計なことならば無い方がスムーズに事は運ぶものである。
僕たちの仕事は、決して綺麗なものではないのだから。
もしかしてここは、憂鬱な町ではなく、僕たちを憂鬱にさせる町なのかもしれない。
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