憂鬱な町Ⅲ

 僕たちは再び外を歩いていた。 


 通りはすっかり静かになってしまい、街灯の明かりを頼りに人気の無い道をひたすら歩く。


 だが、今度は闇雲に行く当てを探しているわけではなかった。シエナから教えてもらったお勧めの店を目指しているのだ。


「ここがシエナの言ってたパン屋さんだと思うから、ここを左だね」


 方向音痴の僕をナナが率先して導いてくれる。

 年下の女の子に頼るのは何とも情けないのだが、こういう時は正直助かっている。


 とうに店を閉めて明かりの無いパン屋らしき店の脇道を進むと、程なくして目の前に一人の女性が現れた。


 いや、現れたと言うと語弊がある。

 脇道を抜けた先にちょうど居た女性に出くわしたのだ。女性は街灯を背に座り込んでいた為、「現れた」という言い分は、どちらかというと彼女の目線からの方が正しい。


 女性らしいフリルの施された白いワンピース姿の大人の女性であった。長い黒髪は俯いてしまっている為、顔を覆い隠してしまっているが、そのシルエットだけで楚々とした可憐な風情が窺えた。


「どうかした?」


 女性の方はこちらに気付いているか怪しいが、思い切り目の前に登場してしまった手前、形だけでも話しかけないわけにはいかない。


「いえ、大丈夫です。お気遣いどうも……」


 そう言って女性は面を上げた。


 想像通りの美人であったが、予想よりも少し幼い印象だ。


 それは彼女が泣いているからであろうか。大丈夫という彼女の目からはたった今も涙が止めどなく流れている。


「大丈夫そうには見えないよ? こんな時間に一人で」

「ちょっと……わたし……大好きな彼にフラれてしまって……、わたし……どうしていいかわからなくなって……すみません、でも本当に好きで……。すみません、何言ってるんだろわたし、全然関係ない人にこんなこと……」


 早い話、失恋であった。


 ナナの方を向くと、ナナは僕の目を見据えていた。これは合図だ。表情でわかる。


「どうする? 彼女、食べる?」

 ナナの合図に僕が判断を仰ぐ。


「うん、こういう場合はすぐ食べちゃった方が良い。このくらいならそこまで時間も掛からないと思う」


 そうと決まれば、交渉は僕の仕事だ。ナナのサポート、金の管理が主な内容として国から受けた仕事だが、実際やってみるとこの交渉が一番難儀であった。

 難儀どころか、仕事を始める前は、こんなことをしなければならないというところまで思考が及んでいなかったのが事実だ。

 だが、幸い今回の女性のようなケースは比較的安易であった。ナナだけなく、僕も少なからず空腹だ。手間が掛からないのは至極ありがたい。


「お姉さん?」

 僕は極力優しくを心掛け、声を掛ける。


「その憂鬱、僕たちに買い取らせてもらえないか?」


「憂鬱を買い取る?」


 女性は頬に涙を伝わせたまま、怪訝そうにこちらを見上げた。正常な反応だ。僕だって逆の立場であったなら同じ反応を返すに違いない。


「そうだよ。ツラいのはわかる。でも僕たちがその憂鬱を買い取ればあなたはきっと楽になる。銀貨一枚でどう?」

「ごめんなさい。良くわからないです……」


 まあそうだろうな。

 突然見せられた大金に女性は戸惑いを隠せない。


 僕はさらに、念の為懐に忍ばせておいた承諾書を取り出した。突然の不可思議にあからさまな拒絶を見せない場合、あとは勢いが大事だ。


「じゃあ簡単に言うよ。この紙にサインをして、それからこの娘と少しの間話をして。それだけで良い。それでこの銀貨はあなたのものだ。気持ちもスッキリするよ」

「本当にそれだけ? それだけでこの気持ちが和らいでくれるの? それに銀貨まで貰って」

「本当だよ」


 女性は銀貨と承諾書と僕の顔を交互に数度見て、それからナナの顔を見た。ここまでくれば交渉はほぼ成功だ。


 失恋直後の人間には捻った会話術を駆使しなくとも、このように素直に言ってやるのが良い。

 恋焦がれる相手以外のことは割とどうでも良くなっている場合が多いので、深く考えたり怪しんだりせずに承諾してくれる場合が多い。


「まあいいわ。ちょうど一人でいるのが辛かったの。話し相手になって」


 そう言うと女性は僕から承諾書とペンを受け取り、街灯の明かりを頼りに名前を記入した。受け取ったそれを確認して、僕は再び懐に仕舞った。


 ここまでくれば僕の仕事はほとんど終わりだ。あとはこの小さな相棒の役目。


「ナナ、食べ終わるのにどのくらい掛かる?」

「うーん……。一時間くらいかな?」

「一時間か……。どう? ご飯我慢できる?」

「うん。仕事だから」


 ナナはそう言うと、徐に女性の隣りに腰掛けた。


 そして話し出す。僕は邪魔にならないように、彼女たちからは見えない位置に移動した。こう薄暗くては本も読めやしない。夜に限ってはこの時間の過ごし方も難儀だ。


「お姉さん、名前は?」

「フィリーネよ」

「よろしくね、フィリーネ。わたしはナナ」

「よろしく、ナナちゃん」

 二人は互いに自己紹介するとたどたどしく会話を始めた。

「相手の男の人はどんな人だったの?」

「カッコ良くて、力持ちで、いつもわたしのこと守ってくれるって言ってくれたの」

「何で別れちゃったの?」

「なんか……他に好きな人ができたんだって」

 別れを告げられた時のことを思い出してしまったのか、一度は落ち着きかけたフィリーネの話し声に再び涙と嗚咽が混じった。

「何で好きだったの?」

 ナナの語調は変わらず、淡々と会話を進めていく。


「何でって……。好きだったから好きだったのよ。彼の全部が好きだった……。ずっと一緒にいようって言ってくれた」

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