憂鬱な町Ⅱ

 本来ならばもう少し早く見つかっても良かったところだが、事あるごとにナナが古書店やらアクセサリー屋やらを覗きに行くものだから、余計に時間が掛かってしまった。売っているもの自体にはそこまで興味なんて無いクセに。


 早くしなければ夜になってしまう。


 宿屋の扉を開くとカランカランと、取り付けられたベルが小気味良い音を立てた。


「いらっしゃーい」


 奥の方から店主らしき女性の透き通った声が聞こえてくる。


 現れた店主は若く綺麗な女性であった。年齢が左程僕と変わらない見た目だ。ふわりとした柔らかそうな栗色の長い髪を緩く二つに結んでいる。


「あらあら、お若いのに旅の方ですか?」

 僕たちの荷物を見て店主はそう尋ねる。


 自分と年が変わらないくらいの風貌の男を見て「若い」と評するのが少し可笑しかったが、一瞬考えて、僕が年齢より見た目が幼く見えたのかと思うと、その真意をこの店主に確かめるわけにもいかず、どこかやりきれない気持ちになった。


 普段僕がナナに対して感じていたことが、多分に失礼な内容を含んでいたのだと実感し、心の中で少し反省した。


「しばらく泊めてもらいたいんだけど、これでどのくらい居させてもらえるかな?」


 僕は金貨を一枚取り出し、店主に渡す。


 先程経費削減についてナナとのやり取りがあったわけだが、一つの町にはそれなりの期間滞在するのである程度まとまった額を支払っておいた方が煩わしさが無い。


 それに仮に釣りが出たとしても、それはチップとして店に収めておけばこちらの心証も良いだろう。長期の付き合いになる以上、大切なこと。そういった意味でも必要経費だ。


「まぁ! 金貨!? こんなボロ宿で良かったら何日でも泊まっていって!」

「それだと困るな、ちゃんと決めてもらわないと。僕たちは国の仕事で来たんだ。しっかりと経費の内訳を国に報告する義務がある」


 嘘であった。勿論国の仕事であることは真実に変わりないが、経費のその内訳まで事細かに報告せよという指令は受けていない。ただ単に曖昧な取り決めが僕の性分に合わなかっただけだ。


「お役所の方でしたか。それは仕方がありませんね…………。では一カ月でいかがでしょう?」


 こういった田舎町の人間ほど政府の人間を毛嫌いする傾向にあるのだが、店主の語調に変化が無かったところを見て僕は少し安堵する。

 

 まあ、僕に至っては政府の人間というか、今はただ一時的に国に雇われているだけの身なのだが、仕事の内容を詳しく話せるわけもないので、「役所の方」という店主の言葉にはいちいち反論しないでおく。


「十分だよ。ありがとう」

 店主が恐る恐る出した条件に僕は即答した。

「こちらこそ、あまり良い宿じゃないけどゆっくりして下さいね」


 先程からこの店主は、機会さえあれば自身の宿のことを悪く言うが、入り口から眺めただけでもそこまで悪いようには思えなかった。


 暖かい色のランプが灯る室内は洒落た木製の調度品が並び、床は掃除が隅々まで行き届いているのであろう、埃一つ落ちていなかった。奥の方でアロマでも焚いているのであろうか、嫌味のない花の香りが微かにする。


「オーナーのシエナと言います」

 若い女店主は丁寧にお辞儀をしながら、そう名乗った。


「よろしくシエナ。僕はツルギ。こっちの娘はナナ」

 僕は簡単にそう返した。


「ツルギさんにナナちゃんね、よろしくお願いします。ナナちゃんもお仕事ですか?」

「そう。仕事だ」

 ナナはどこか得意顔でそう答えた。


 仕事の上ではむしろナナの方が主要な役割を担うのであるが、それをシエナが知るわけもなかった。指摘こそされなかったが、シエナから見て、ナナと僕の関係はどのように映っているのであろうか。

 普通の人間ならば気になるのが自然である筈だが、あえて指摘しないのは、恐らく客商売をする上での距離感を心得ているがゆえの対応であろうと思う。


「一つ、申し訳ないんですが……、食事は先程終わってしまいまして……簡単なものでよければ用意しますが……」

 シエナはこちらの反応を伺うように言った。


 どうやらこの宿は食事が出るようだ。


「いいよ。どの道今夜は別に食べられる場所を探すつもりだったから。部屋に荷物だけ置かせてもらえるかな? それとお勧めのお店を教えてもらえると助かる」

「は、はい! ではまずお部屋から、こちらへどうぞ!」


 僕たちはシエナに導かれて階段を上がり、二階の奥にある部屋の前に来た。そこで鍵を手渡される。


「ここ205号室がツルギさんたちのお部屋になります。ちょうど二人部屋が空いていて良かったです」


 ドアを開けると、これまた小奇麗な部屋であった。ベッドが二台入っているのにもかかわらず、申し分ない広さを残している。ロビーとは違い、木の落ち着いた香りがした。


 とりあえず僕はベッドがきちんと二台あることに安堵した。


「ツルギ! ベッドだぞ!」


 荷物を下ろすとすぐにナナがベッドに飛び込む。軽い筈のナナの体重を受けてゆったりと沈み込む様子から、十分な柔らかさが見て取れた。


 シエナはそれを部屋の外から眺めると微笑み、ロビーへ戻って行った。


 飛び込んだ勢いで危うくワンピースの裾が捲れそうになっているのに気付き、

「ほら、もう出るよ」

 と慌ててベッドから降りるよう促してやる。


「うん」


 お腹を空かせたナナは素直にそう返事をした。

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