ツルギとナナ~melancholy search of a youth and a tiny devil~

所為堂 篝火

憂鬱な町Ⅰ

「ナナ、見てごらん。あれじゃないかな?」


 乱暴に揺れる列車の中で読みかけの本を閉じ、僕は隣りに座る少女に声を掛ける。


 真っ白な髪とそれ以上に真っ白な肌、地味な黒いワンピース姿の少女は、延々と続く灰色の砂と灰色の岩、たまに見える色あせた草の単調な景色にすっかり辟易してしまっており、うとうとと瞼を重くしている最中であった。


 無理もない。

 いいかげん僕もこの列車が本当に目的地に辿り着くのか、一抹の不安を感じ始めていた頃だ。


 昔から我慢強い方だと自負していたが、安全な場所で長時間単調な景色を眺めることがこんなにも辛く、得もいえぬ不安を掻き立てるものだとは知らなかった。


 前の仕事は毎日が目まぐるしかった。単調な景色を眺める時だって、無いわけではなかったが、それでも今みたいな背もたれのある椅子に腰かけながら本を開いている状況とは程遠い。だから余計にそう感じるのかもしれない。それに景色と言ってもこの古びた車窓から眺めるものとはまるっきり違った。


 雨と泥と、どす黒い血の付いたような景色が多かった気がする。そう考えるとたった今の心境が、甚だしく贅沢な悩みであったことがわかる。


 人は何かと比べることで物事をより正確に評価できる。

 大事なのは過酷な状況下で、なおもそう思える器量だ。そんな偉そうなことを考えられるのも、終わりが見えたことに対する安堵感によるところが大きいのは否めないが、とりあえず、凝り固まった肩を延ばすように大きく伸びをした。 


「ホントだ! ツルギ! 町が見えるな!」


 掃除の行き届いていない薄く曇った汽車の窓を爪先立ちで覗き込むと、ナナはようやくその目を見開いて満面の笑みを咲かせた。それに僕は口元だけの笑みを返す。


 キシキシと嫌な音を立てながらナナが錆びついた窓を開くと、車内に吹き込む風にナナの細い髪がなびき、夕日に照らされて絹糸のようにきらきらと輝いている。


 背こそ低いが、その様子が妙に艶やかで、幼い顔立ちがその瞬間だけは少し大人びて見えた。


「ナナ、わかったから顔を引っ込めて。危ないよ?」

「うん」


 今にも窓から飛び出して行きそうなナナをそう制してやると、ナナは大人しく座席に戻った。数か月一緒に過ごしてわかったが、ナナは一見我が強そうだが意外と聞き分けが良い。


 背が小さく、見た目が幼い為、時々忘れてしまうが、本人の主張が本当であるならば、十六。よくよく考えれば僕と四つしか変わらないのである。


「どんなところなのかなぁ。次の町」

 ナナは窓に顔を付け、徐々に近くなる町を眺める。


「イサリースって名前の町らしいけど、あまり期待はしない方が良いんじゃないかなぁ。だって局長のお墨付きだよ?」


 局長とは国政府の機関、国家犯罪対策局の長のことである。僕たちの直属の上司だ。

 僕たちはその人から指令を受けてこの町に派遣された。つまりは観光ではなくれっきとした任務、仕事だ。


「でも、良いところだと良いね」

「そうだけど、良いところ過ぎても仕事にならないよ。ある程度には殺伐としていてくれてないと」

「それもそうだね」

「そうだよ、せっかく国の仕事で来てるんだから」


 僕たちの国には名前が無い。


 名前が無いというよりも、僕たちの国では「国」という言葉がイコール僕たちいるこの「国」を指す。言うなれば「国」こそが僕たちの国の名前なのだ。


 僕たちの国の外には他にもたくさんの国があるらしいが、国王はそれを決して認めない。それは歴史上のどの王も同じであった。それはずっと先代の王から続く習わしだ。そういう決まりになっている。

 そういうわけで国と言えば僕たちのいるこの地のみを指す言葉としての意味しか持たない。


 だが、ほとんどの人間にとって会話の中での「国」という言葉は、「政府の人間たち」という意味で使われる。まるで自分たちが「国」を成す一部ではないかのように。


 それは正しいのかもしれない。


 いつの日だって大部分の人間は一部の人間が決めたことに従わなければならないのだから。


 国が認めたものは認められ、国が認めないものは徹底的に排除される。


 それは当然のように一部の人間たちの間だけで決められ、僕たちの気持ちなんて微塵も考慮されない。そうなれば仕方のないことだ。


 ナナは列車から降りる時に段差で躓きそうになっていた。僕が転ばないようにと、手で支えてやると、ナナはお礼代わりに笑顔を返した。


 僕の仕事内容は主にこの少女ナナの役割のサポートと、国から支給された活動資金、つまりお金の管理。


 そしてナナの仕事は人を食べることだ。


 僕の仕事に関してはナナが人を食べる為のサポートと言い換えても良かった。


「ここからでも感じるよ。確かに美味しそうな町だね」


 町への入り口に差し掛かった時にナナはそう言った。


 だが、先程までのはしゃぎようとは打って変わって、その表情は間違っても美味しそうな料理を前にしたものとは違った。無理に言わされているような抑揚の無い声であった。

「そうだね」


 勿論、僕には何も感じられなかったが、意見に同意してやる。ナナの言うことなので間違いはないのであろうが。それ以上にこのことに対して僕が何か意見を述べた所で、何の意味も無いからだという理由が大きかった。


「まずは宿を探そうか。それからご飯だ。何でもナナの好きなもので良いよ。何時間も列車だったからね、今日は特別」


 国から受け取った活動資金はすべて金貨と銀貨に変えた。


 この町イサリースでも政府が発行する紙幣が使えないわけではなかったが、ここに住む人々の中には、物々交換で生活を成り立たせている者も多いと聞く。高価な買い物をする時は場所を取らない便利さを求め、それ相応の価値のある金貨や銀貨も使われるのだという。


 これからしばらくはこの町に住まなければならないことを考えると、不必要なところで軋轢を生まないように、合わせる努力というものが必要である。


 それに金貨や銀貨であればこの先どんな所へ行っても都合が悪いということはないであろう。少し荷物が重たくなるのは難儀だが、それも宿に落ち着くまでの辛抱だ。大した問題ではない。


 そしてその金貨、銀貨は贅沢をしなければ一生働かなくても困らない程あった。だが、それは普通の場合だ。今回僕たちのやっている仕事はお金が掛かるので、ある程度の節約は大事であった。


「ホントに良いのか? わたしが決めて。ツルギは?」

「良いよ。僕は食べられれば何でも」

「ホントに? じゃあわたしはオムライスとハンバーグとオニオンスープが食べたい! あとイチゴが乗ったケーキ!」

「食べきれるの? どれか一つにして残りの候補はまた別の日にしたら?」

「うーん……」


 立ち止まって真剣に悩み始めてしまったナナを置いて、僕は歩調を緩めることなく、先へ進む。ナナは一瞬遅れて気が付き、トコトコと小走りで付いてきた。


 町の中へ進むとまばらに人通りがあった。立ち並ぶ家々はクリーム色やグレーの外壁に、屋根はどれも鮮やかなオレンジ色をしており、花屋やお洒落な雑貨屋らしき店先も見えた。

 道に沿ってやや遠くに意識を向けると、まるで積み木を並べたかのように規則正しかった。


 花屋の前を通る時は花の香りが、果物屋の前を通る時は果物の香りが優しく漂ってくる。お世辞にも活気があるとは言えなかったが、のどかで良い雰囲気だ。季節的にはもう夏だが、町を吹き抜ける風が心地良かった。


 一つ、遠くの方に古びた時計塔が立っていて、その建物だけがひどく色褪せて見えた。

 通りすがった人の良さそうなお婆さんがにっこり笑って会釈をしたので、僕とナナも会釈で返す。


「何か良い町じゃないのか? ツルギは期待するなって言ったけど」

 背の低いナナはこちらを見上げるように訪ねてくる。

「そうだね。でもまだわからないよ? だってナナはさっき〝美味しそう〟って感じたんだろう?」

「そうなんだけど……自信なくなってきた」

「なんだそれ」

「お腹が空き過ぎて変になってるのかも」

「それは大変だな。早いとこ宿に荷物を置きに行って店を探さないと。もう一つの食事は明日でも良い?」

「うん、そっちは大丈夫」


 「もう一つの食事」とはナナの仕事の方の食事、つまり人間を食べることである。


 それは、何も僕たちが冷酷な殺人鬼というわけではなく、正式な法的手続きを踏んだ政府公認の仕事内容だ。そしてこの仕事はナナにしかできない。


 何故か。それは彼女が鬼の末裔だからである。その昔、鬼は人間を糧として生きていた。今においてはその大部分が敵対する人間に退治されてしまっている。


 ナナにおいては人間の父親と鬼である母親との間に生まれた子である為、外見的にもその白髪以外は僕たち普通の人間と大差無い。鬼特有の白髪ではあるが、その白髪においても、人間の中でもそこまで稀有というわけではないので、生活に支障は無かった。


 恐らくナナの親である鬼も純血ではないのであろう。ナナの記憶では母親はしっかりと頭に鬼の特徴である角を残していたらしいが、ナナの代ですっかりその外見的特徴は途絶えてしまったようだ。純血の鬼は今の時代では珍しい。

 しかし、中には鬼の血の混じった現代の若い鬼でも、頭に角を受け継ぐ者がいるという。 


 僕はナナの頭に角が無くて心底良かったと思う。もし、分かりやすく角など生やしていたら先程のお婆さんも、あんな風に笑って挨拶をしてくれていなかったであろう。


 ナナの了承も取れたところで、鬼としての食事はそう簡単ではないので、今日の目的は宿探しと、美味しい(人としての)食事のできる店を探すことに決定した。


「ツルギ、ツルギは今日泊まる宿にベッドが一つしかなかったらどうする?」

「僕が床で寝るよ、その時は」

「ダメだよ。その時は一緒にベッドで寝ないと風邪ひくよ。そしてさらに言うなら経費削減の為に仮にベッドが二台ある部屋があっても一人用の部屋を借りるべきじゃないか?」

「必要経費だよ」

 真面目な声で僕が答える。


「お金の管理をする人間がそんなじゃあ先が心配だなぁ」

「そんなことを心配する人はオムライスとハンバーグとオニオンスープとイチゴが乗ったケーキを一度に所望しないよ」

「必要経費だよ」

 真面目な声でナナが言った。


 そうこう話しながらナナと一緒に町を歩いていると、一件の宿屋が目に入る。

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