案内人
佐賀瀬 智
第1話
「すみませんねえ。靴脱いでもらって。古いですけどこのあたりは畳ですから。畳。あとは、ほとんど木の床ですけど」
「いいですよ。テンション上がります。わあ、広い廊下ですね。天井も高い」
「いやー、こじんまりしてる方ですよ、他に比べたら」
「これは?」
私は畳の上に置かれている、梅や水鳥をモチーフにした木の彫刻を指をさして訊いた。
「これですか?
「ふーん。欄間って言うんですね」
「そうですよ。本当はね、天井と鴨居の間にはめ込まれていたのですけど、もうはめる所がなくて、こうして畳の上に置いてね、みなさんに見てもらってるわけです。では、本丸御殿をご案内しましょう」
私はガイドのおじさんにつれられて廊下を歩いた。
「書院造りの正殿。ここ見所、ほら、あそこ金泊の扉があるでしょう、あれ、実は隠し部屋。ふふふ。ぜんぶこれ昔のまま。センスいいですね、あの欄間の波のデザイン。ほかにも重要文化財の建物が何個かあるんですよ。ふふふ」
「へえー、昔のままですか」
「では、天守のほうへ。覚悟はいいですか」
「はあ、覚悟?」
「階段も復元ではありませんよ。昔のままです。ですからかなり急です。きついですよ。外観は四重ですが、六階まであるんです。木造なのにねえ。今じゃあ無理無理無理。建築基準法とかあるからねえ。今は」
「階段、すっごい急ですね」
「でしょ。そこお足もとに気を付けてくださいね。それと、ここ天井も低いですので、頭気を付けて。ここで、よく頭打つ人がいらっしゃるんですよ。最近の人は大きいですからね。我々と食べている物が違う。ほんとに大きいです。最近ではメリケンさんやヘゲレスのお人も来ますからねえ」
「そうですねえ。国際的ですね」
「だんだん上に上っていきますよ。何回も言いますけど、お足もとお気を付けて下さいね。昔、急いで降りて落ちた人をよく見ましたから。登りは行けても、急すぎて怖くて、降りれなくなる人もいるんですよ。たまに」
分かる気がした。かなり急だし、木製の階段の角が年月を経て丸くすり減っている。
「はいはい、来ました。ここ、英語で言うとトップフロアですね。そしてバルコニー。バルコニー。日本語でいうとまあ、天守閣。ここで昼寝をしないようお願いしますね。まあ、夏は風がそよそよ吹いて気持ちがよろしい。殿様にでもなった気分なんですかねえ。よく昼寝をされる御仁がいらっしゃる。まっ、わたしもたまにしたことありますけどね。昼寝」
「へえ、でも、それも特権ですよね。ハハハ」
「ま、まあ、そうですね。本当はいけないのだけどね」
「そうですよ。お仕事中なんですから」
「お仕事ね。そうそう。天守閣が残っているのは国内十二箇所。江戸時代からの天守閣と本丸が残っているのはうちだけですよ。うちだけ。すごいでしょ」
「へえー、そうなんですか。貴重ですね」
「ぐるりと見てください。廻縁高欄からこのお城下を!」
私は、東西南北と天守閣の廻縁を何回も回ってスマホで動画と写真を撮った。ふと北側の詰門、二ノ丸へ続く石段を見たときだった。
「あら、あの人」
「おや、どうされました?」
「ほら、あの人、なんか、すっごい勢いで石段を走り降りてる。えっ、着物、袴姿じゃない? あの人、ほら、あそこ」
「ああ、あの方」
「あらあら、疾走していった。どこに行ったのかなあ」
「あの方はねえ、この辺でも有名な人。ここのお城の名主よりも有名です。多分」
「へえー、有名な人なんだ」
「サカモトさんって言う人」
「えっ、もしかしてサカモトって坂本龍馬?? なんちゃって」
「そんな名前やったかなー、下の名前。ちょっとそこまでは私もわかりません。ちょっと時代が違うんで」
―――いや、いまのジョークだったけど。ボケでかえされたかな。なんかビミョー。とりあえず笑っておこう。
「ハハハハ」
「そうそう、よく聞かれるんです。ここからサカモトさんの家は見えますかとか。あの辺りサカモトさんのおうちだって聞いたような。まあ、あの辺り。饅頭屋さんが確か、あの辺り」
南の方角をさし、ざっくりとアバウトに語った。
「いろいろと案内ありがとうございました。閉館間際に来てこんなに細かくガイドしてもらってすみません。私、一人旅なのでお話し相手ができてとても楽しかったです」
ニコニコしている小柄なガイドのおじさんの胸元のネームバッチにはローマ字で『KAZU』と書いてあった。
私は、もう一度天守閣からの景色に目を戻した。この美しい廻縁高欄から見渡す風景。江戸時代から残っているというこの建築物。いにしえの人たちもここにいたのだと思うと身震いさえした。
「喜んでもらえて光栄です。こんどはここを元に復元された大元の掛川にもどうぞ」
と景色を見ている私の後ろでガイドのおじさんは言った。
私は、城下を見ながらジョークを思い付いて
「ヘー、じゃあガイドさん、もしかして名字は......」
と振り返った時、ガイドのおじさんは、その場から煙のように消えた。
おわり
案内人 佐賀瀬 智 @tomo-s
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