第3話 Blowin' in the Wind

実感、とは不思議なものだ。

今までわかっていたものや知っていたものに対して、唐突に、腹底での納得を強いる。それは、心が無防備な時に訪れることが多い気がする。ちょっとした散歩中、恋人とよく訪れた店先を通りかかって「あの店のベーグル美味しいよな」とか言いたくなったけれどその相手はもうおらず、そうか、君はもういないのか。なんて風に。


季節の移り変わりにも実感が宿る。顕著なのは夏から秋にかけて。涼しくなったなと思うとすぐに暑さがひょっこり再訪してくるんだけど、また涼しくなる。それは上手に別れられなかった恋人たちのようでもあり、「元気?」「新しい恋人できた?」なんて連絡し合うんだけど、その間隔は次第に空いてゆき、やがて途絶える。そして、秋の到来を実感する。その秋の到来を感じるものは、きっと多くの人が秋風のはずだ。乾燥していて、ちょっと心をひやりとさせて、葉音のさざめきを多分に含む。


前置きが長くなったけど、今回は外気浴のお話です。



村上春樹に『風の歌を聴け』という著作がある。ところで、村上氏落選のニュースが毎年流れるノーベル文学賞、その受賞者であるボブ・ディランには、「Blowin' in the Wind(風に吹かれて)」という曲があった。もちろん、ここで謳われている「風」が、ともに外気風であることは言うまでもなく、外気浴にとって最も気持ち良いものはこの「風」である。


水風呂上がりの濡れた身体を撫でる風。この文章を読んでくれている方の中に非サウナ―のお兄様お姉さま方がいたとして(そんな奇特な方はまさかいないと思うが)、あなた方はこう思うに違いない。「まあ、夏なら気持ちよさそうだけれど冬はきつそうだよね」。


それは全くの正反対。外気風が真に心地良いのは冬、寒風吹き荒れる中でリクライニングチェアに座って浴びる外気風こそが、我々にとっての至極のご褒美になる。

「寒くないのか」と訊ねられれば首を横に振る。サウナ室の後に水風呂で引き締めた身体はバカになってしまっているのかわからないが、とにかく寒さを感じない。

そうして私たちはリクライニングチェアに座って外気風に身をゆだねる。寒風が心を洗う、私たちは宇宙の高みまで達して「整い」の境地にたどり着く。思うに、外気浴を愛するサウナ―は自由を愛し束縛を嫌う性質があるのだろう。心身ともに身軽になった状態にて、世界をありのままで感じたいという欲望が、そこにはある。


私のサウナ仲間であるH氏は学生時代、全裸でコンビニにてリプトンを購入しようとして通報された経験を持つ。その際には全力で逃げて逮捕を免れたそうだが、そのH氏は、外気浴をこよなく愛する。こういったことからも、外気浴愛好者が自由を愛するという裏づけになるというものだ。単なる露出狂である可能性も捨てきれないが。


サウナ室にて蒸される金たまが目に入った際に、警察から逃れようと全力疾走するH氏の両足の間、ぺちんぺちんと両太ももにあたる金たまのことを想像してしまうことが、私にはある。(もしH氏がこの文章を読んでいたらすまない、それほどに衝撃的なエピソードだったのだ。だって、20歳前後の男子が全裸で警察に追われることなど、そうそうある話ではない)

そんな金たまは熱に弱い。そのため、放熱のために体内ではなく股下に彼はぶら下がっているのだけれども、ぶら下がりがサウナ室では仇になってしまい、80~120℃の熱で細胞たちはどんどん死滅してゆく。

しかし、そんな金たまも外気浴には大喜びだろう。何しろ、いつも何枚もの布で覆われた不自由な彼が外気で自由になれる瞬間こそ、外気浴であるのだから。


秋とは冬への橋渡しの季節であり、外気浴を愛するサウナ―にとっては昼の12時を告げるチャイムである。秋風に吹かれる私たちはパブロフの犬。「これから"冬"がやってくるのだ」という実感を含んだ秋風に、私たちは条件反射的に整ってしまう。そして、その足は都内随一の外気風を吹かせる上野のサウナ「北欧」に運ばせて、秋風にそっと身体をゆだねさせる。


毎年、夏の終わりはどこか寂しかった。祭りが終わった後の後ろ髪を引かれる気分、何かやり残したことがあるのではないかという、よくわからない焦燥感。けれどもサウナ―となった今、眼前に待つのは冬という名の希望。寒風吹き荒れる外気浴というご褒美である。

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