第3話:エンディング03

◆ Ending03/Scene Player――アンゲリーナ ◆



 気もそぞろな様子で、ひとりの少女が時計を眺めていた。

 その少女――ベロニカ・セーロヴァは、時計の針の進みをこれほど遅々と感じたことはなかった。

 高級感ある来客用ソファーは、やや腰を浮かして座っているせいでその感触を楽しめないし、良い茶葉を使っていると思われる紅茶の味もまるでわからない。

 部屋の主たるレーラが、仕事にかまけてこちらを歯牙にもかけないのが救いと言えば救い。

 そんな彼女が凝り固まった表情筋を解したのは、顔見知りのふたり――アンゲリーナと美裂が、重厚なオーク材の扉の向こうから顔を覗かせたときだった。


ベロニカ:「武蔵さん、それにアンゲリーナ!」

美裂:「あらベラちゃん!元気そうでよかった!」

アンゲリーナ:「ベラ! もう起き上がって大丈夫なの?」


 元気そうなベロニカの様子に、ふたりの表情も緩む。


ベロニカ:「ええ、お陰さまですっかり元気です。今ならハヌマーンだし音速も出せますよ! 多分!」

アンゲリーナ:「ベラ、ステイ。あまり調子に乗っちゃダメ。まずは、レネゲイドコントロールの訓練からよ」


 腕まくりして意気込みを見せるベロニカを諫めるアンゲリーナ。

 オーヴァードになりたての頃というのは、加減が効かないものだ。


ベロニカ:「うう……わかりました」

美裂:「落ち込まないで。これから勉強していけばいいの」

ベロニカ:「勉強……苦手ですけど、せっかく皆さんに助けられた命ですからね。がんばります!」


 そう言った直後、ベロニカははっと思い出したように言い足す。


ベロニカ:「……そうだ。皆さん」

美裂:「どうしたの?」

ベロニカ:「ちゃんとお礼、言ってなかったと思って。ええと……ありがとうございました」 


 神妙な顔つきになり、丁寧に頭を下げる。


ベロニカ:「……オーヴァードになって、最初は驚いたけど……でも、今は嬉しいって思う。アンゲリーナや、支部の人たちは、私を救うために頑張ってくれたって聞いたから」

アンゲリーナ:「ベラ……私の方こそ、ありがとう。生きていてくれて、本当によかった……よかったよ……」


 うんうんと、そう言うアンゲリーナの声は、震えていた。


美裂:「私たちは当たり前のことをしただけよ」

ベロニカ:「当たり前と言えば、助けられたら感謝するのも当たり前のことでしょう!」

美裂:「それができるベラちゃんはきっといい大人になれるわ。私が保証します。その心、ずっと忘れずにね」

アンゲリーナ:「ふふ、支部長のお墨付きなら安心だわ」


 三人で顔を合わせて笑い合い、それからしばらく他愛のない話を続けた。

 そして、今後の展望に関する話題に差し掛かり、わずかに口が重くなった様子を見計らって、レーラが助け船を出す。


レーラ:「じゃ、本題に入りましょうか。今日、皆に集まってもらったのは、今後について話し合うためだからね」

アンゲリーナ:「…………」


 神妙な面持ちになったアンゲリーナを横目に、レーラは美裂に向き直る。


レーラ:「例えば武蔵。ノビンスクが安定化した今、仕事と言えば書類の決裁ばかりで、向いていなくて大変じゃない?」

美裂:「あはは……おっしゃる通りで……」

レーラ:「武蔵にはその能力を十全に生かせる立場になって欲しいのよ。そこで相談なんだけど……あなたの地元、F市で新設される支部の支部長にならない?」


 もはや、ノビンスクに”英雄”が必要な時期は過ぎ去った。

 あとは地道にゆっくりと、大多数の人間たちの手によって積み上げていかなければならない。

 そのことは、美裂も実感していた。


美裂:「私としてはありがたい話ですが……いいんでしょうか?」

レーラ:「戦いが終わったら、兵隊は故郷に帰るもの。親族に断りも入れずに日本を飛び出してきたんでしょ。しっかり、話してきなさい」

美裂:「……ありがとうございます。レーラ評議員。私、ここに来て、本当に良かったです」

レーラ:「……たまには、うちの国に遊びに来て。武蔵なら顔パスだから」

美裂:「もちろんですよ! なんだったら定期的にお漬物とかも送っちゃいますよ」


 わいわいと話が弾む横で、アンゲリーナは少し寂しそうな相貌を浮かべて、遠くを見つめる。


アンゲリーナ:「……故郷、か」


 彼女は、天涯孤独の身だ。親の名前も、出身地の名前もわからない。

 拾ってくれた軍のために献身してきたが、その想いもノビンスクの一件で揺らぎ始めている。


レーラ:「さて、次はリーナの番……と言いたいけど、その前にベロニカ・セーロヴァ、あなたの進路希望について話しなさい」

ベロニカ:「は、はい! ええと、私はアンゲリーナと同じ組織への所属を希望します」


 指名されたベロニカが、上ずった声で答える。


ベロニカ:「……迷惑かもしれませんけど、私は両親が他界していて、親戚もいなくて……他に、頼れる相手がいないんです」

レーラ:「つまり、このまま軍に残るなら、ベロニカも軍人になるってことね。でも」


 一度言葉を切って、レーラはアンゲリーナに向き直る。


レーラ:「リーナの心境の変化は私も感じている。モスクワ支部長からUGNに勧誘されたことも聞いてる。その上で、あなたはどうしたい?」

アンゲリーナ:「私は……」

レーラ:「正直に言いなさい。力になるから」

アンゲリーナ:「私は、故郷というものを知りません。物心ついた時から、軍にいましたから。それしかないと思ってました。でも……」


 アンゲリーナの脳裏にフラッシュバックする記憶。

 ――”軍人には向いていない”と、様々な人間に告げられてきた。

 事実、一連の戦い中で、彼女は軍人としての自分を見失いそうになることが何度かあった。

 そして悩みぬいた彼女は、”ゾーン”の戦いを経て、自分が本当に何をしたいのかを見つけられた気がした。それはきっと、今まで通り軍人を続けることではなく――。

 

アンゲリーナ:「今回の一件で思ったんです。軍とか、UGNとか、そういう組織のしがらみに縛られるのは、もう充分だって。私、軍を辞めようかと思います。でも、そこから先のことは、正直まだ想像できてなくて……ベラのこともあるし、どこかに腰を落ち着けたいとは思っているんですが」

美裂:「もし……良ければなんだけど……私のとこ来る?」

アンゲリーナ:「……え、支部長……?」

美裂:「行く当てなくて困ってるなら、まとめてうちに来ちゃえばいいじゃない、って思ったんだけど……」

アンゲリーナ:「で、でも私、UGNには……」

美裂:「あーそこはほら、イリーガルって手もあるしさ。腕前もよくわかってるし、そういう人がいると心強いかなぁって思ったり」


 変わらない人懐こい笑顔で誘われて、アンゲリーナの心は揺れた。

 彼女なら、きっと何とかしてくれる――そんな期待を集め、そして応える人物だということをよく知っている。


レーラ:「……それに、一応イリーガルってことにしておけば、UGNから働きかけてベロニカを日本の学校に転入させたりもできるわ」

アンゲリーナ:「……じゃあ、あの……お世話になっても、いい……ですか?」 


 不安げに問うアンゲリーナに、美裂は微笑み返す。


美裂:「もちろん! 私はいつでも大歓迎!」

アンゲリーナ:「ありがとうございます、支部長。あとは、ベラ。私と一緒に、日本に行く気はある……?」

ベロニカ:「アンゲリーナと一緒ならどこへでも!」


 全く逡巡のない、即答であった。アンゲリーナは、美裂に向き直る。


アンゲリーナ:「それじゃあ……アンゲリーナ・ラストヴォロフ。お世話になります!」

ベロニカ:「お、お世話になります武蔵支部長!」

美裂:「はい! これからもよろしくね!」


 そうして三人が顔を向かい合わせているところに、レーラが書類を差し出す。


レーラ:「話は纏まったわね。……ちなみに武蔵。支部の事務所はあんたの実家だから。家主の許可も取ってあるわ」

美裂:「はぁ?! ちょ、そこまでは聞いてないですよ?!」


 素っ頓狂な声をあげて、目の前に放り出された書類を慌てて改める。


レーラ:「周辺の人口が少ないから万一の襲撃に際して被害を減らせるし、大きな家だから支部の設備を入れるのにも都合がいいのよ。そういうことでよろしく~」

武蔵 美裂:「じいちゃんなにやってるの……もう……」

アンゲリーナ:「最初から決まってたのね……支部長、腹をくくりましょう」

美裂:「実家がUGN支部とか彼氏できたらどう説明すればいいのよー!!?」


 この場にいる美裂以外の全員の脳中に「できるのか?」という疑念が同時に浮かんだことは――秘密だ。


レーラ:「ふふっ。さて、話はこれでお仕舞い。みんな、日本に行っても……元気……で……」


 最後まで台詞を紡ぐことができず、言葉尻が弱まるレーラ。

 美裂が書類から顔を上げて見ると、彼女の目には、光るものがあった。


レーラ:「……ごめん。今生の別れってわけでもないのに、私ったら」

アンゲリーナ:「……リトヴァク評議員。今まで、お世話になりました……っ」


 静かに肩を震わせ、頭を下げるアンゲリーナ。

 そこに美裂がそっと優しく寄り添い、顔を見せられない彼女に代わってレーラに微笑みかけた。


美裂:「……ここは私の第二の故郷です。また必ず帰ってきますよ」

レーラ:「うん。いつでも待ってるわ。だから……”またね”」



 出会いがあれば、別れがある。でも、別れはまた出会うために。

 あのノビンスクで体験した楽しいことも、哀しいことも……自分たちを繋ぐ縁となって、また引き合わせてくれる。

 そう信じて、美裂たちはロシアを後にするのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る