第2話:マリアンナの回想 前編
◆ Reminiscence/Scene Player――マリアンナ ◆
緩やかな丘をのぼっていくと、目的の建物が見えた。
辿り着いたのは、古寂れた小さな教会――その正体はFHセル「ラヨンヴォロス」の拠点であると、聞き及んでいた。
しかし、妙なことにFHセル特有のぴりぴりとした物々しさはなく、敷地内に開墾された畑があったり、近場を子供たちが遊びまわっている始末。
幼き日のマリアンナは、緊張半分、疑問半分に、呟きを漏らす。
「ここが…………?」
思わずそんな言葉が出てくるのも、無理はなかった。
だが、すぐに自分で疑念を打ち消す。これはただの偽装であると。
マリアンナ・アレクサンド=ライトは、天涯孤独の身で、物心ついた頃にはFHの研究セルにいて、実験対象として扱われていた。
”ジェムストーン計画”――人工的に賢者の石を作り出そうとしたこの試みは、しかし、何の成果も残せず頓挫する。
そして彼女は、何も知らぬまま、何の庇護もないまま、外に放り出される寸前――「ラヨンヴォロス」の招きを受けたのだ。
「……」
教会の扉を叩く。年季の入ったオーク材が重い音を返すが、しかし反応はない。
鍵がかかっていた様子はなかったので、少し悩んでマリアンナは扉を押した。
「……失礼、します」
ためらいがちに、おどおどと告げて教会に入り込む。
二列に整然と並んだ長椅子のひとつから、誰かが起き上がって、マリアンナを見る。
十代半ばぐらいだろうか。少しくすんだ茶色の髪と目を持った、勝気な雰囲気の少女だ。
「なに、あんた? うちになんか用?」
値踏みするようにマリアンナを見て、少女が問う。
「あの……私を……ここで拾ってくれませんか……」
「……拾って、って……孤児院に入りに来たってわけ?」
「行くところが……ないんです。掃除、雑用、実験動物……何でも……やりますから……」
「なっ――」
実験動物――と言われて、少女は驚いたように絶句する。
「あんた、オーヴァードだね?」
マリアンナは、こくりと頷く。
「……はぁ。わざわざうちに来るなんて、よっぽど行く当てがなかったのね。さてさて、どうしたもんか」
うーんと唸って悩む素振りを見せる少女の返答を、マリアンナはびくびくと不安げに待つ。
だが、そのとき、教会の奥の一室が開いて、大柄な男性が姿を現す。
「やめろ、ニーナ。……うちのチルドレンが失礼した」
マリアンナ:「……ッ。えっと…あの…」 しどろもどろ。
ボリス(GM):「俺はボリス。ここのセルリーダーだ。事情は聞いている。マリアンナ・アレクサンド=ライト」
もみあげから顎の下まで繋がる、黒々とした髭を蓄えた男性は、そう名乗った。
マリアンナ:「はじめまして……あの、私を、拾って……くれませんか」
壊れた機械のように、同じ懇願を繰り返す。
FHの実験動物以外の生き方を知らない彼女にとって、このセルは唯一の希望だ。
ボリス:「……余程、辛い目にあって来たのだな」
マリアンナ:「……」
ボリスは、目を細めてマリアンナを見たあと、傍らの少女に声をかけた。
ボリス:「……部屋は空室を好きに使え。ニーナ、暖かいスープとパンを」
ニーナ(GM):「はいはいっと。了解ですリーダー」
そうして通された教会の一室で、マリアンナはあたたかなスープとパンを供された。
錠剤とカプセル、あとはよくわからない固形物で構成された食事を日常的に摂取していた彼女にとっては、驚きであったが――
同時に、何をされるのかだろう、という不安が渦巻く。
ボリス:「……何か聞きたいことはあるか? 生活のことや、セルのことで」
マリアンナ:「あの……私は……何をすればいいですか? 何でもします……」
ボリス:「……そうだな。差し当たって……」
マリアンナ:「……(また、痛い事されるのかな。ご飯、何回貰えるだろう)」
ふむ、と悩むボリスの様子を見て、マリアンナの胸中にはそんな考えが燻る。
もとより、新しいセルに希望など抱いていなかった。
FHにおいて、弱者とは、上に立つ強者の糧となるのが常なのだ。幼い彼女は、それを経験則で悟っていた。
ボリス:「当番制で、飯の支度と掃除と子供の様子見ということになるか」
マリアンナ:「……雑用、ですね?」
ボリス:「ああ。なにせ、人手は足りんし、ニーナの飯は……炊事を任されて長いはずなんだがな、あいつも」
やれやれ、といったように溜息を吐くボリス。
マリアンナ:「……わかり、ました。ご厚意に報えるよう……努力します」
ボリス:「頼む。さて、それじゃあ準備せんとな」
そう言って椅子から腰を浮かせたとき、思い出したように彼は言う。
ボリス:「そうそう、ターキーは好きか?」
マリアンナ:「……? ター、キー?」 その単語自体、聞いたことがないという表情。
ボリス:「七面鳥……つまり鶏肉だな。お前の歓迎会を開くから、買って来る」
マリアンナ:「私が戴いても……いいんですか?」
ボリス:「当たり前だろう。お前の歓迎会なんだから」
マリアンナ:「…ありがとうございます。鶏肉は……食べた事がないので、味がわかりません。ごめんなさい……」
しょぼくれるマリアンナに「行ってくる。待ってろよ」と告げて、ボリスは退室する。
久しぶりの暖かい食事で安堵したのか、彼女は少し寝てしまった。
いつもの未来への不安に震えながらの眠りとは違って、寝つきが良かった。
* * *
それから時計の長針がひとつかふたつ分くらい動く時間を置いて――教会の外で、歓迎会が開かれることになった。
ターキーに、ボルシチに、パウンドケーキに……大きなテーブルの上には見たこともないような料理が並んでいる。
マリアンナ:「……すごぃ」
見たこともない料理の数々にあっけに取られる。
ボリス:「改めてようこそ、マリアンナ。我々『ラヨンヴォロス』は、キミを歓迎する」
その言葉に続いて、ニーナをはじめ、歓迎会に集まった全員が拍手して囃す。
ほとんどが、十代の少年少女――中には、オーヴァードではない者も混じっている。
ボリス:「このセル名は、
彼は一度言葉を区切って、次の句を際立たせる。
ボリス:「そして、お前も今日から我々の家族だ」
マリアンナ:「家族……。ボリス様、私が、ですか?」
ボリス:「様付けはやめろ。リーダー……あるいは、別に呼び捨てでも構わん」
マリアンナ:「私なんかが……こんな失敗作で落ちこぼれの私が……ですか?」
繰り返し問い直す。ありえない、と言いたくなる。
ボリス:「信じられんか?」
マリアンナ:「……はい。満足な実験結果も…残せず、モルフェウスとしても異端な私……なんて……」
彼女の能力は、硝子を生み出す、あるいは硝子に変化させるだけ。
”ジェムストーン計画”の被験体として期待された能力はおろか、通常のモルフェウス能力者にも劣る。
それが、マリアンナ・アレクサンド=ライトに張られたレッテル。
ボリス:「実験で結果を残せなかった、か。それがどうした? 我々が拒む理由には、なりはしない」
マリアンナ:「本当に……よろしいんですか? 私なんかで、本当に……」
ボリス:「本当だ。……お前の心配はわかる。だが、我々はFHとしては生温い……いや、甘いセルだ。一般人の子供の面倒まで見ているようなところだからな」
ボリスは、その厳つい顔をほころばせて言う。
他者が、こんなに優しい表情を見せてくれたのは、いつ以来だろうか。
マリアンナ:「……っ」
ボリス:「お前が異端なら、我々も異端だ。異端同士、仲良くやっていこう」
溢れ出しそうになる感情を、堰き止められなくなった。
涙腺が、決壊する。
彼女が今まで溜め込んでいたものが、ぽろぽろと零れ落ちる。
ニーナ:「あー、リーダー泣かせたー!?」
ボリス:「い、いや、俺はそんなつもりは……」
慌てふためくボリスを横目に、ニーナが駆け寄ってよしよしと頭を撫でる。
ニーナ:「あー、もう。しょうがないなー。ほれ、ちびっこ。あたし特製パウンドケーキ」
マリアンナ:「ヒック……」
目の前に差し出されたパウンドケーキにかぶりつく。
明らかに砂糖の分量を間違えており、べたべたで甘すぎるのだが、そもマリアンナは本来のパウンドケーキがどんな味なのか知る由もない。
マリアンナ:「……甘い。甘い……ッ! うぅぅあああぁああ」
始めて感じる味覚、初めての温かさ。
そのすべてが嬉しくて、暖かくて、優しくて、彼女の目から涙が止まらない
マリアンナ:「おいしぃ……です。ありがとうっ、ございます」
ニーナ:「そりゃどーも。でも、あんたの歓迎会なんだし、嬉しいならもっとスマイルスマイルー。あんたは笑ったほうがかわいいわよー」
マリアンナ:「は、はぃ……」
次々に差し出される温かい食べ物を口に入れるたびに彼女は泣き、お礼を言い、笑う。
ニーナ:「いやー、妹が出来たみたいで私も嬉しいわー」
マリアンナ:「……私も」
ニーナ:「うん?」
マリアンナ:「私も……嬉しいです。こんなに優しくしてくれて……こんなに暖かいのは初めてです」
ニーナ:「そっか。あんたも……あたしと同じ、か」
マリアンナ:「……同、じ?」
どこか遠くを見つめるように、ニーナは語る。
ニーナ:「あたしはさ、FHの戦闘員だったの。しかも侵蝕率が高くないと戦えないから、ほぼ使い捨てみたいな」
マリアンナ:「使い、捨ての……」
ニーナ:「親も兄弟もいなくて、物心ついたときからFHで、そういう風になるのが当たり前だと思ってた」
マリアンナ:「……私も、です。私も……そう思ってました」
ニーナ:「でも、ある日――セルにボリスが乗り込んできて、助けてくれたんだ。で、あんたと同じように
頭を撫でながらそう告げるニーナは、慈愛の眼差しで幼きマリアンナを見つめる。
その視線の先に、過去の幼い自分を見ているのだろうか。
ニーナ:「感動的な話だけど来てくれたのがむさいおっさんじゃなくて白馬の王子さまだったらなー」
ボリス:「悪かったな」
マリアンナ:「……ふふっ。リーダーは……凄くかっこいいと……思います」
ボリス:「そ、そうか。感謝、する」
マリアンナ:「少なくとも…私が会ってきた大人の中で…一番……格好いいです。優しくて、暖かくて、強そうで……格好いいです」
ボリス:「俺は……そんなもんじゃない……。強くもない。ただ……――」
視線を落として、言葉を詰まらせるボリス。
ボリス:「……いや、やめよう。ほれ、飯が冷める。食え」
マリアンナ:「……はい。でもその前に改めまして……」
すっと、真っ直ぐに立ち上がって皆を見渡すマリアンナ。
こういう場のでの礼儀作法なんてものは知らない。ならば、真心からこの気持ちを伝えるだけ。
マリアンナ:「……改めまして、私……マリアンナ・アレクサンド=ライトです。えっと、どうか……これからよろしくお願いします。リーダー、そして皆さん」
小さく、ぺこりと頭を下げる。
ボリス:「ああ。ようこそ、マリアンナ」
――こうしてラヨンヴォロスの一員に迎えられたマリアンナは、暮らしに馴染むうちにこのセルの特異性を理解していった。
例えば、このセルは偽装ではなく、本当に孤児院を経営して一般人の子供を受け入れている。最初に訪れたとき、走り回っていた子供も、普通の孤児院のメンバーだった。
ロシアの家族法には養育放棄を事実上認める条文が存在し、親の無い子の面倒は国が見ることになっているが、その受け皿の整備は十分ではない。
そうしてあぶれた子供たちを、ラヨンヴォロスはオーヴァードの力を使ってでも庇護しているのだ。
また、このセルのオーヴァードは、ニーナ以外もほとんどが天涯孤独のFHチルドレン出身者と知った。
セルメンバーは家族――その言葉が、マリアンナの心中に深く染み込んだ。
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