流転

 少年の意識が現実へと引き戻される。

 そう、少年だ。魔法少女について語られ、ほんの数秒前まで少女たちの半生を俯瞰し、追体験させられていた少年だ。少年は自身の体を見下ろし、それから視線を上げる。先ほどまでと同じ場所に、同じ姿で立っていることを確認し、密かに安堵する。僕はここにいる、と再認識する。

「感じたな? 貴様が目にしたものすべて、彼女たちの身に降りかかった、現実の出来事だ」

 そして変わらず、目の前には語った者、つまり人語を操る獣がいる。獣が少年を見上げ、問う。少年は答えず、手首の腕時計に視線を落とす。獣が目の前に現れてから、数分の時間しか経過していない。俯瞰していた時間は何週間、何か月分とも感じたにもかかわらず、だ。不思議な体験だった、と少年は思う。少年の視点だけが空中に漂い、少女たちを見下ろしていた。少女たちの感情が揺れ動くたび、まるで己のことのようにその機微を感じた。変化を知った。自らの心までざわめいた。文字通り、理解した。これもすべて、魔法の為せることなのかもしれない。現実的とは言い難い体験の連続に、少年は小さく溜め息をこぼす。

「どうした? 腰が抜けて、言葉もないか」

「ちょっと訊きたいんだけどさ」

「なんだ」

「無理やりあんなおかしい体験させることができるなら、わざわざ僕の同意なんか得ることないんじゃないの? つまり、彼女たちをどうやって救うのかは知らないけど、僕がそうしなくちゃいけない状況に追い込むことは簡単なんじゃないのって話」

「貴様の言う通りだ」

「じゃあ、どうして」

「貴様の意志によってすべてが動き出すからだ」

「よくわかんないけど、僕がやる気を出さなきゃ始まらないってことね」

「如何にも、そうだ。それで、どうだ? 覚悟は決まったか」

「うん、やるよ。僕が彼女たちを救ってみせる」

「ほう、ずいぶんと軽く決心したものだな」

「よく考えたら、ここで逃げたら寝覚めが悪いから。それに、ほら、知ってる?」

「なにを、だ」

「男の子っていうのはね、女の子のために命を懸けて闘うとか、そういうのに憧れるものなんだよ」

「ふん……オレにはよくわからん価値観だ。まあ、いい。では貴様と魔法少女たちの、物語を始める」

「わかった。それで、具体的に、なにをすればいいの?」

「それを突き止めることこそ、貴様の使命だ」

「えっと……僕がなにをやればいいのか僕自身で見つけて、そうすれば彼女たちが救われるってこと?」

「概ね、その通りだ」

「概ね?」

「答えはすべて、気づけばわかる」

 獣が呟いた瞬間――少年の意識は、再び、途絶える。


 同時刻。遠く離れた場所にいる神堵イノリと、幽ミコトと、鬼鯉サクラは、それぞれ、絶望している。

 イノリは、己が神になったなどとは到底思えず、それどころか、人の視線が恐ろしくて仕方ないと感じる。被害妄想に捉われる。忌まわしい男の瞳が記憶にこびりつき、自室で膝を抱え、丸くなる。イノリの肌は荒れ、髪はボサボサだ。それを自覚しているからこそ、美しくない己を忌み、イノリは一層、絶望する。

 ミコトは正気を取り戻し、そして今まで以上に死を恐れている。魔法獣たちの断末魔の咆哮を、冷静になった頭で思い返してしまったから。生き物は些細なことで死ぬ。ゆえにミコトは部屋に閉じこもる。外には危険が溢れているから、少しでも死から遠ざかるために、息を潜める。恐れるあまり、ミコトはあらゆる行動を拒否する。無意識のうちに食事さえ疎かにし、彼女の肉体は緩やかに死へと近づいている。ミコト本人は、それに気づいていない。

 サクラは弟を抱きしめ、横になっている。正気を取り戻した弟は、サクラの不安が的中した通り、己の過ちを悔やむ。悔やみ、家から一歩たりとも出なくなる。弟を優しく抱きしめながら、サクラは自らを責める。罪深いあたしは消えてしまえばいい、というか、どうして闘いの中で死ねなかったのだろうかと、何度も自らを責める。罵る。そして、願う。消えたい、と。

 彼女たちは三者三様の絶望を抱えている。魔法少女になることによって、彼女たちは救われるどころか、より失望した。己に。そして世界に。些細なほんの一押しがあれば完全に崩壊してしまうほど、彼女たちの心は追い込まれている。サクラだけでなくイノリの、そればかりかミコトの心にまでも、死にたい、という感情が蠢き始めている。しかし彼女たちは同時に、救われたいと、そう願ってもいる。救われたい、あるいは救いたいと、三人は祈っている。

 そして――少年の意識が途絶えたのと同じ瞬間、彼女たちの意識も同様に、吸い込まれる。


 物語は流転する。

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