三十四話 セーフティ・ゼロ
「殺せ殺せぇ! 殺しまくれぇ!」
「にっ、逃げろおぉぉ! れ、黎明の軍の襲撃だぁぁぁぁ!」
同時刻。アーネスト市は狂乱のるつぼへと落とし込まれていた。
明けの明星が昇ったのを境に黎明の軍が一斉に反撃を開始し、王国軍の防衛線をやすやすと引きちぎり、大陸全土に侵攻していたのである。
そして始まったのは無法、無情、無差別なる虐殺、破壊。
アンクトゥワ達をつなぎ止めるものは何もなく、また襲われる側も恐怖と絶望を呼び水にアンクトゥワ化し、惨劇は連鎖し加速していく。
「……罪滅ぼし、ってわけじゃないんだけどね」
その惨状を前に、ファミリアは刀の柄へ手をかけた。この街の連中を助けてやる義理はないが、ただの人へ戻ったせいだろうか、今は無性に腹立たしくて仕方がない。
その時、大通りで狂気のままに踊り狂っていたアンクトゥワ達の元へ、空中からだしぬけに極太の糸が何本も突っ込んで行った。
「あ、あれ? 糸?」
「な、なんだこりゃ、身体が捕まって……と、取れねぇっ!」
もがくアンクトゥワ達は上へ引っ張られ――いつの間にかびっしりと上空へ張り巡らされていた巨大な蜘蛛の巣へと張り付けられる。
よく見てみれば他にも大量のアンクトゥワ達が囚われ、しかも巣はアーネスト市全体を覆うように形作られているようだった。
「なんだい、これは……」
唖然としてファミリアが呟くと、聞き飽きた程のきんきんした高笑いが降ってくる。
「おーほっほっほ! 思い知ったかしら薄汚いアンクトゥワども! ここは私の庭で、住民どもは私のペット! 私の所有物に勝手に手を出す事は許さないわ!」
見上げれば、そこにはかつての雇い主、アリアドラが街の周辺一帯へ得意げな笑い声をやまびこのように響かせている。
しかもその身体は人のものではなく、下半身が女郎蜘蛛のものへと変化した、アンクトゥワそのものだった。
「見てるファミリア!? これが私の真の力なのよ! さあどいつもこいつもひざまづきなさい! ――いえ土下座しなさい、土下座土下座土下座ァァァァッ!」
糸を四方八方にぶちまけ、一人でアンクトゥワ達を相手に逆襲しまくるアリアドラ。
「やれやれ……見に来てやる必要はあまりなかったみたいだね。転んでもただで起きないその根性は、あたしも見習いたいところだよ……」
ちん、とファミリアが鞘走らせていたはずの刀身を逆に納刀すると――その背後に迫っていたアンクトゥワ達が寸時に
「ま――かくいうあたしも、今の雇い主は勇者様なんでね。この刃が折れないうちは、いくらでも相手してやるよ」
黎明の軍の襲撃を受けているのは、王都アメン・アマテラス、そして王城も同様だった。
城壁の数々は陥落し、迫るアンクトゥワ達を待ち受けるのは女王リンネの座す宮殿のみ。
宮殿そのものにはほとんど防御機能がない。まかり間違ってもここまで敵は来られないという威光を示しているのだがこれが裏目に出て、なだれを打って攻め込んでいくアンクトゥワ達を防ぎ止めるものはもはや何もないと思われた。
しかし。
「うおおおぉぉぉぉ! リンネ陛下を守れえぇぇぇぇ!」
正殿の扉が中から開かれ、打って出てきた近衛兵達が宮殿前の広場でアンクトゥワ達と激突する。その戦闘力は瞬く間に形勢を押し返すほど折り紙付きであり、その上彼らには。
「な、なんだお前ら、アンクトゥワのくせに王を守るつもりか!」
「ええい黙れ! 肉体は変容しようとこの魂、肉片に至るまで陛下に捧げておるわ!」
「不浄の輩が宮殿へ踏み込むなど、天が許そうと我らが承知せぬ!」
「うおおおお陛下ばんざーいっ! ロリ――陛下ばんざーい!」
ほぼ全員がアンクトゥワと化しながらも、一糸乱れぬ統率、隊形で
「うむうむ、みな頑張っているようじゃのう」
玉座の間の、何重にもかけられた御簾の暗闇の中で一人、リンネは近衛兵達の奮戦に満足げな鼻息をついていた。
「これでジャスティも喜んでくれるかのう……どう思う、ラセツ将軍?」
リンネは傍らで護衛についているはずのラセツ将軍へ問いかけると、妙に上の方から間を置かず答えが返ってくる。
「きっと感謝しているはずでしょう。今頃は泣いて喜んでいるに違いありますまい」
「そうかそうか! それは良かったのじゃ……ところでラセツ将軍よ、おぬしの声……そこまで野太かったかの?」
「実は変声期なんです。アー、アー」
「それにしてもこの御簾はいくらなんでもやりすぎじゃ。まったく外が見えんではないか。……余はまだ、この中におらぬといかんのか?」
「は。全ては陛下の御為なれば、今少しだけ辛抱を。……何も心配なされますな。開かれた時には、恐ろしい事は全て終わっていますので」
ラセツ将軍の声は、娘に対するかのように穏やかで、リンネはすぐに安心した。
「うむ、余はこの国の王じゃからの! 臣下の進言には耳を貸すのじゃ!」
「ありがたき幸せにございます。……陛下が勇者様と再びお会いできるよう、必ずや我らが、この命に代えても成し遂げてご覧に入れましょう」
サン・ルミナスの大聖堂もまた、アンクトゥワと化した神官達でひしめき合っていた。
サン・ルミナスこそは、デイライズがジャスティの旅を締めくくる終着点であり保険として、軍をけしかけずあえてキープしていたのである。
強力なセーフティを持つ者がアンクトゥワとなれば、正剣に溜まるエネルギーも比例して増えていく。その気になれば神官達全員をアンクトゥワ化させるだけで、本体の召喚に必要なエネルギーを充填させてしまえるのだ。
とどのつまり、今のこの場所は世界でもっとも危険な地帯と言えた。
「くっ……これでは多勢に無勢。一体どうしたら……!」
その中でフエスラビアは、かつての朋友達と刃を交える事に心を痛めつつもきつくまぶたを下ろし、逃げ場を探して右往左往していた。
どこに行ってもアンクトゥワ。聖堂街からもひっきりなしに悲鳴が響き渡り、助けに行こうにもここから出る事すらかなわない。
「目を開けば、光を見て私までアンクトゥワに……しかし周りが見えなければ、身を守る事すら――!」
背後からの足音にとっさに振り向きつつ、薙刀を浴びせてアンクトゥワを打ち倒す。
反応自体は完全なまぐれであり、フエスラビアは冷や汗で全身を濡らしながら、背中を回廊の壁へつけた。
「ここまで、だというのですの……?」
いちいち目を開けなくても、すでに周囲を敵に囲まれている事は、
「せっかくユーシュリカと再会できたのに、こんなところで……!」
フエスラビアの脳裏を駆け巡る走馬燈。しかしそれは生きるのを諦めたからではない。
かつて研鑽して来た血のにじむ稽古、そして積み重ねた試合の中から、細部に至るまで経験を思い返し――一瞬にも満たない時間で、活路とも呼ぶべきある少年の姿を思い出す。
「……そうですわ。私とて昔とは違う……今日まで無心に武を磨いて来ましたもの。そして先日、境地であり極地とも言えるあの勇者と、対戦したではありませんか……!」
結果は連敗に終わり、自信をも喪失しそうになったが、そこでくじけるフエスラビアではなかった。
目の奥に刻まれたあの身のこなし、先読み、そして技の冴え。
彼にできて――フエスラビアにできないはずはない。
側方からアンクトゥワが迫って来る。フエスラビアはそれを軽く前のめりに踏み出しただけで、あっさりといなしてのけた。直後に辺りから、驚愕したような声が上がる。
偶然ではない。追い込まれた本能が打ち出した直感でもない。これは極み。技の極意。
極限にまで研ぎ澄まされたフエスラビアが己の壁を突破し、そして編み出した、視覚に頼らず残る四感でのみ敵の気配を探り取る、並々ならぬ高等技術。
敵の位置が分かる。音で、匂いで、空気の味で、触れぬはずの圧力で。――敵の殺気が、その方向が、思考が……手に取るように把握できる!
フエスラビアは続けざまに向かって来た二体のアンクトゥワを身を屈めてかわし、互いの同士討ちを誘ってから――そのまま足払いで一方を引っかけて倒し、反対の敵を薙刀の石突で突いて吹き飛ばし、倒したもう一方を思い切り踏みつける。
「さあ、次! 今の私は強いですわよ……簡単に倒せるとは思わない事ですわね」
薙刀をくるくるとバトンのように身体の周りで回転させ、両手でしっかりと握り直す。
総身からはオーラが浮き出、発される覇気は強力なアンクトゥワ達をもたじろがせ――その矢先、フエスラビアの側面の壁が急激に爆砕し、何体ものアンクトゥワ達を巻き込んで吹っ飛ばしていた。
「……奥義を呼び覚ましたか、フエスラビア」
「その声は……父上!?」
中庭からゆっくりと歩み寄って来たのは、まだ怪我も完治していないはずのローデルタその人である。しかも手負いの身とは思われぬ程の超絶的な闘気を纏い、背後には倒れたアンクトゥワ達が点々と残っている。
そして何より――光などものともせぬように、その瞳は何気なくも開いたままだった。
「目を閉ざす必要すらないとは、さすがは父上ですわ」
「この双眼を閉じれば、偉大なる神のお姿を拝見できまい?」
ローデルタは皮肉げに言って、フエスラビアと背中合わせに立ち、轟、とさらにオーラを激しく燃え上がらせる。
「……今や私達こそが世界の敵、悪そのものという事ですか……」
「ならば示そう。悪にも正義があるという事を」
「ええ、見せてやりましょう――私達の
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