三十話 星の光

「さて、刮目するがいい――」


 光が、満ちていく。現世の終わりと、新世代の始まりを告げる、祝福の光が。


「あの星こそが、お前の用意してくれた絶大なエネルギーを取り込み、そうして依り代から召喚された私の真の姿にして、恐れ忌んだ希望そのもの。その名を」



 ――明けの明星。



 瞬間、世界そのものを染め上げるような極光が二度、三度と光度を増し、耳をつんざくような歌声が唱和する中で、空にある星に――明けの明星に、あの花のような紋様が浮かび上がる。


 否。あれは花ではない。


 どこか違和感があったけれど、こうして大写しで見る事で、ジャスティにも理解が及ぶ。

 その紋様はかつて、ジャスティの身を食い破らんとした刃達が花咲くように浮き出たもの。

 そして美しく聞こえていた歌声はその実、重なり合った刃同士がこすれ合いかき鳴らす――刃鳴はなりだった。


「明けの……明星……」

「さあ――この汚れた地上を純粋なる黄金の光輝で染め上げよう! 黄昏トワイライトを得た太陽が地平へ没する事はもはやない!」


 星そのものが敵だなんて――どうすればいいのだ。

 だが、とジャスティは歯を食いしばって立ち上がる。

 剣は再生成できない。よって正魔法も使えない。

 それでも諦めるわけにはいかない。今目の前に巨悪がいて、まだ戦える力があるなら――立ち向かうべきだ。それが、正義のあるべき姿だから。


「させる、ものか……まだ俺がいる。お前の好きになんて、絶対させない……!」

「ほう……トラウマを掘り起こされ、意識の深層からして恐れを成しているだろうに、向かって来るか。ふふ……まったく、これだから愚かな子ほど愛おしいのだ」

「うるさい――うおおぉぉぉぉぉ!」


 拳を握り、雄叫びを上げて駆け出すジャスティ。

 思い切り腕を引き、右ストレートを打ち込もうとするが、その矢先にデイライズが軽く腕を振ると――空気中のイド・マテリアルが障壁として牙を剥き、その余波だけでジャスティを吹き飛ばしてしまう。


「うああっ……がは……ごほっ……おぉぉお……!」


 地面に叩きつけられたジャスティは胸の穴からさらに多量の白い粒子をこぼし――それは吹き付けられた黒い粒子に反応するかのようにどろりと粘り気を帯び、一拍の後にはべったりとした自身の鮮血へと変じていた。喉奥からも粘度の高い血痰がこみ上げてくる。

 正剣を持たないからだけではない。デイライズの力自体が、次元の違うレベルにまで跳ね上がっていた。


「あっはははは! いいざまだぞ、ジャスティ……! その正義ぶった顔が歪むところが見たかった! サンティーネの姿で近くにいた時も、いつお前のセーフティをぐちゃぐちゃにしてやろうか、自分を抑えるので必死だったからな!」

「う……うああ……嘘だ……。こんなの、何かの、間違いだ……!」


 いっそ夢であったらいい。

 今頃なら本当はユーシュリカと、王国の軍勢とともに、トーレス山でデイライズを追い詰めているはずだったのに――どうしてこんな事に。悪夢なら今すぐ覚めて欲しかった。

 しかし追い打ちをかけるかの如く、周囲からは人々の泣き叫ぶ声が続いている。

 勇者に助けを求める声、逃げ惑う声、家族を呼ぶ声――それに合わせて怪物達のうなり声が覆い被さり、そこかしこで火の手が上がり、建物が打ち崩されていた。


「私の星は特別製だ……黒き太陽などという前座とは違い、光を見るだけでアンクトゥワ化が進行するようになる。幾人か抗う者も残っているようだが運命は変わらん。残り一日足らずで全人類は進歩を遂げるだろう――浅ましくも美しい、あるべき姿へ」


 空の彼方からは無数のアンクトゥワの群れが襲い来ている。あれは恐らく、黎明の軍だろう。明けの明星を呼び出す頃合いを見計らい、襲撃の合図がかかったに違いない。

 いかに王国の軍勢があろうとも、アンクトゥワ化する味方がいる中でまともな防戦ができるはずもなく――最初から最後まで、全てがデイライズの掌の上だったのだ。


「うぅ……げほっ、ごぼっ……っ。でも、それでも、俺は……っ!」


 人々が助けを呼んでいる。底切れた身をおしてジャスティは立ち上がろうとするが、先の一撃だけで体力を奪われ、出血も止まらず、がくりと膝を突いてしまう。


「正義……正義は負けちゃ、ダメなんだ……! 悪に勝たないと、正義は……っ」

「――なあ、ジャスティ」


 地面に目を落とすジャスティの視野を、黒い影が覆った。とっさに顎を上げると、さながら明けの明星から影を作り出すように、すぐ側まで来たデイライズが片膝を突いて見下ろしている。

 その表情は逆光だが、金の双眸だけは炯々けいけいと輝いていた。


「お前はなぜ戦う……? 何のためにそうまで立ち上がる……?」


 先ほどまでとは打って変わり優しく、言って聞かせるような声色。ジャスティは答えた。


「決まってる……! 俺はただ、みんなに正義を――!」



 ――……え……?



 視界が、暗転と明滅を繰り返した。脳が、デイライズの言葉を拒否するかのようにその声へノイズを走らせ、削除しようとしている。


畢竟ひっきょう、概念や観念に過ぎない、ただの言葉遊びよ。お前達人間はいつだって意味もなく意味を求める――だから欲しいものを与えてやった。そこに良いも悪いもない、人の本質を定義しただけに過ぎん。たとえばイド・マテリアルなどという名も、私の力を理解しやすいように定義し呼称しただけのものなのだ」

「何を……言ってる。そんな……わけが」

「サンティーネにしてみれば神々や正剣の勇者でさえも、人類の発展を円滑に促すためだけの装置だというのに。お前が鬼の首でもったように振り回しているそれは、中身のない単なる言葉。特別な力も、奇蹟も、何一つもたらすわけがない、虚像そのものなのだよ」


 ぐるぐると、目の前が回り、歪み、鈍り、暗くなり――ジャスティはまとまらない頭のまま、浮かんできた言葉を虚ろに繰り返す。


「正義……は、神様が決めて……だから正しい……んだ。だから……良いもの……なんだ」

「その神が、こうして親切に教えてやっている。正義だの悪だの、くだらん。私の目的は思想の実験、及び統御、統制。正義と悪の発露はその副産物に過ぎず、集団心理の証明という偉業に比べれば、お前達が勝手に付け加える細かな定義などあまりに些事だ」


 神の視点。それに比べればジャスティの掲げている、優しい、争いもない、笑い合える平和な世界などというミクロな理想は寸分の価値もない。


 それを突きつけられ、ジャスティは声もなく硬直していた。


「――正義は……ない……? ……どこにも、なかった、の……?」


 そうしてようやくこぼれた声音はか細く、今にも途切れてしまいそうで、なのにデイライズの目から視線を外す事はできなかった。


「だが――心の底では望んでいた事ではないか」


 ふっとデイライズが目元を緩め、そんなジャスティへ笑いかける。


「人は弱い。弱さは悪と定義され、お前はそれを忌避きひし――その弱さのよりどころをサンティーネ、つまり私に求めた。自ら進んで神の人形となったのだ。本当によく踊ってくれたよ……それは可愛らしい人形だった。――いつまでも愛でていたいほどに」


 八年前、ジャスティは何もかも失って、ひとりぼっちになった。だけど、新たな目標を見いだした。

 それこそが正義――そして正剣の勇者。

 ちょっと抜けてるけどどんな苦境にも負けない、とっても強くて優しくて、いつも笑顔でみんなの中心。そんなお話の中の勇者になりたかった。


「だがそれは、お前の理想のためじゃない……違うか?」


 勇者になりたかったのは、それが正義だから。正義であるという事は、悪に負けないから。

 ――ジャスティは悪が、何よりも恐ろしかった。勇者を志したのも、正義を唱えるのも、悪を遠ざけるため。全てはそれだけのためだった。


「私は不思議だった……なぜ八年前のあの時、お前だけがアンクトゥワ化せずにいられたのか。――正義に固執し、自我を固定する事でアンクトゥワ化を抑え込んでいた……何の事はない、単純一途なそれが理由だ。哀れで、か弱き少年よ」


 正義だけが、悪から自分を守ってくれる。ジャスティの原動力の正体は、まさに正義セーフティだった。


「お前のセーフティは未熟だ、この世の誰よりも。もっとも多感で伸びる時期に心を閉ざして肉体の強化だけに努めてしまい、精神を育めなかったからな。平均の人間のセーフティが100なら、お前のそれは10程度もない――その10を正義一本で必死にコーティングして塗り直して、守って来ていた。だから一度ひび割れが入れば、こんなにも脆い」


 ひどい事を言われている。培ってきたものを丹念に一つずつ崩されている。なのにジャスティにはもう、抗おうという意志力すら湧いては来なかった。


「セーフティを完全に捨て去った勇者というのも、斬新を通り越して前代未聞だが――その内実は誰よりも正義など信じていないがゆえ。その証拠にお前の語る理想に実体はなく、その場その場で地に足が着かず、確固たる主義主張も存在しえない。ただただかくあろうとするための言い分を振り回しているに過ぎず、到達点のビジョンはなく考えようともしない。……無理もないか、正義であるこそがお前の存在理由なのだからな」


 その通りだ。これで正義にすがっていないなどと、口が裂けても言えないだろう。

 正義にすがってはならないのに、何よりも一番、すがっていたのは。


「お前の生き方、戦い方そのものが語られる理念一つ一つからあまりにかけ離れている。あまりにむなしい――若者らしい青臭さすらも、悪への恐怖と絶望から生み出したかりそめの姿だったとはな」


 やっと思い出した。心の底の底にある、ちっぽけなエゴを。

 いつの頃からか、ジャスティはやめたかったのだ。捨てたかったのだ。人を。

 正義――正義しかない。だから人間性を捨て去り、そのものとなりたかった。正魔法の反動がもっと致命的なものだったとしても、選択の余地がないほどに。


「でも、俺はなりきれなかった……何者にも……何一つも」


 欲望やエゴからではなく、苦痛から逃れたいという反射の集合体。それがジャスティという人間の本質だった。なるほど純粋なのだろう。

 そしてどこまでも空疎くうそだった。

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