二十九話 黒き太陽

 正午になるまで酒場で待ったが、ユーシュリカが帰ってくる事はなかった。いよいよ軍勢が出発する段になり、ジャスティは隊長に請われて広場まで呼び出される。

 中央まで連れられてくると、そこには広場を埋め尽くさんばかりの群衆が列を成していた。緊張と興奮がないまぜとなった空気に、ジャスティは萎縮してしまう。


「兵士達はもちろん、義勇兵として集まった民衆もまた、あなたの号令を待っております」

「俺の……?」

「勇者として、何か一言声をかけてやって下さい。それで士気はおおいにふるいましょう」


 と耳打ちされてもいきなりの話だし、台本なんてのも用意されていない。

 ジャスティは人々を見やった。その動作だけでざわめくような声が聞こえてくる。


「……倒すべき悪のために、俺は旅をして来た。簡単な旅じゃ決してなかった。苦しい事も、楽しい事も同じくらいあって……それでも正義を信じて、ここまで来られた。みんなも遠い所から、つどってくれたのは嬉しい……それは俺と同じように、苦しい事もあって、楽しい事もあった長い旅路なのだと思う。――だから」


 ジャスティは恐る恐る腕を上げて、無理矢理に腹から声を引っ張り出した。


「その果てにみんな一人一人が見いだしてくれただろう正義を、俺に託して欲しい! そしてそれを、デイライズに見せつけてやろう!」


 わっ、と呼応するように、群衆も腕や武器を突き上げてこれでもかと歓声を張る。


「あんたはこの村を救ってくれたんだ……忘れるわけがねぇ、どこまでもついていくぜ!」

「アーネスト市の領主を倒してくれたおかげで、妹が帰って来た……その礼をせめて、この命でさせてくれ!」

「王都から駆け付けてきたぜ! 俺達王国軍も力の限り協力する! やってやらぁ!」


 正義! 正義! 正剣の勇者! 我らが希望! 悪を討つもの! その栄光を!


 決起集会のボルテージは最高潮に達していた。

 普段のジャスティなら泣いて喜ぶような光景なのに、今は他の事が気に掛かって半分は上の空。そのせいで居心地悪く、すべき事は終わったと早々に切り上げ、呼び止める声も聞こえないふりをして早足で立ち去る。


「ユーシュリカ……どこに行っちゃったんだろう……っ? もう少しで出発しなきゃいけないのに、昨日は何だか様子が変だったし……!」


 気がかりなのはやはりユーシュリカだ。何かあったのでは、と胃が締め付けられる思いがする。いつも側にいてくれた彼女が不意にいなくなるというのは、正義が輝いている人々の姿すらうつろいでしまう程に不安を呼び起こしていた。

 村という割に交通が多く発展もし、街と呼ばれるのもそう遠くはないだろうマガト村を走り回っていると、だしぬけに少し離れた通りの向こうで、空から一筋の光の柱が差す。


「あの光は……まさかサンティーネ様……っ?」


 今はユーシュリカを探したいのだが無視するわけにもいかず、そちらへ方向転換しながらも走るスピードは緩めない。

 ぽつねんと通りに佇んでいるサンティーネを見つけ、ようやくジャスティは小走りに速さを落とした。


「サンティーネ様!」

「ジャスティ……久しぶりですね」

「はい! あの……ユーシュリカを見ませんでしたか? 朝から姿がなくて」


 最高神に問いかけるような内容ではないだろうに、ジャスティはそんな事にも気が回らず尋ねてしまうが、サンティーネは包帯の巻かれた手を口元へやり、驚くようにする。


「なんと、それは……心配ですね。私もともに探しましょう……それと」


 サンティーネは広場の方で意気を昂揚こうようさせている人々へちらりと視線を投げてから、ジャスティへ慈しむような微笑を覗かせる。


「ジャスティ、ここまでよくやってくれましたね。あなたの戦いが力なき人々に偉大な勇気を与え、揺るがぬ正義を授け、そして一丸となって悪へ立ち向かおうとしています……」

「は、はい……」


 サンティーネの前へ駆け寄り、そこで足を止めたジャスティに、サンティーネはそっと身を寄せていく。


「本当に見込み通りに……よくぞここまで。あなたを誇りに思います。そして――」

「さ、サンティーネ様……?」


 たおやかな微笑みを浮かべて腕を差しのばしてくるサンティーネに、ジャスティは呆けたように身動きを止めたままで、胸元にその指が触れた瞬間。

 ぞくりと背筋が震え、白い光が弾けた。


「え――が、あ――あぁぁぁぁ……ッ!」


 詠唱もしていないのに出現した正剣を、サンティーネはジャスティが苦痛の声を上げるのも意に介さずその手で掴み、力を込めて引き抜こうとする。


「ああ……せ、正剣、がっ……う、ぐうぅぅぅぅぅ……ッ」


 これまでとは違う、他者による正剣の発現と、脊髄ごと引っ張り出されるみたいな衝撃。

 白い粒子が胸からあふれ、手で抑えても堰を切ったように噴きだしてくる。だがそれ以上に、ジャスティは神経を稲妻のように駆け巡る激痛と、脱力にも似た異変を味わっていた。


「……ふふっ、相変わらずあなたは不意打ちに弱いですね」


 なのに当のサンティーネは、脂汗を浮かせてうずくまるジャスティを愉快そうに見下ろし、正剣をいとおしそうに抱え込んでいる。


「さ、サンティーネ、様……どうして……? 一体、何を……?」

「どうして……? そうですね。理由はきちんとあります。それは――」


 くすりと笑ったサンティーネの全身から、見覚えのある黒い粒子が湧き上がり、身を包むマントのように覆い尽くすと――数瞬後、それが晴れた後にいたのは。


「ば……かな……お前は――デイライズ……ッ」

「その通り。これまた久方ぶり、かな」


 おどけたように一礼して見せたのは、闇を流したような黒と青の髪と、混沌として艶めく金の瞳を持つ悪の首魁――デイライズ。

 ジャスティの中で反射的に闘志と、それよりもはるかに大きな疑問が湧き上がる。

 どうして。さっきまでそこには、サンティーネがいたのに。二人で話していたのに。


「お前、まさか……っ、サンティーネ様に、化けて……!」

「化ける? 人聞きが悪いな……」

「とぼけるな! サンティーネ様を、どうした……っ」

「何か勘違いをしているようだ……それとも受け入れたくないか?」


 デイライズが勝ち誇った顔で両腕を広げると、その身体からずれるようにして、サンティーネの半身が――否、幻影が同じ表情とポーズを一瞬取り、声までも二重に響く。


「まだ本当の名を名乗っていなかったな。――私は・アンクトゥワ・デイライズ。改めて、お見知りおきを」


 なんだ。こいつは何を言っている。


 意味不明だ。お前なんかが神の名を口にするな。


「嘘だ……嘘をつくな! サンティーネ様がお前? そんなの、あるわけが……ぅぐっ」


 無我夢中で立ち上がろうとするも、臓腑ぞうふを抉るような鈍痛に膝を突いてしまう。


「無理をしない方がいい。何せ心臓に穴が空いているようなものなのだからな。この話は後回しにしようじゃないか。今は私も、待ちに待った瞬間に心が浮き立っているのだ――」


 デイライズが手元でくるりと正剣を回転させ、柄頭を見る。

 宝玉はぽうっと淡く瞬いており、デイライズが指先をかざすや否や、宝玉を残して剣は跡形もなく砕け散ってしまう。

 そのあっけなさに、ジャスティの頬を絶望がよぎった。


「ああ……! せ、正剣が、そんな……っ」

「気にするな……こんなお飾りはお前にとってはもう無用の長物に過ぎんのだから……」


 くつくつ、とデイライズが笑うその鼻先で宝玉が煌めき、中で完成していたはずの白い花弁が拳大くらいの大きさとなって浮き出てくる。花びらの数は十くらいだろうか。


「綺麗だろう、この花びら達は。これらはお前の命を吸い上げて作り出された力の結晶なのだよ。お前が正剣でアンクトゥワを倒せば倒すほど、宝玉の中にある紋様はその美しさを増していったはずだ……」

「なんだ……何を、言ってる……?」

「イド・マテリアル――それは剣を通して勇者の中で攪拌かくはんされ精錬される。そうして精製された高密度の特殊なエネルギーは、この私でさえ手ずから用意するのに何百年とかかる莫大なものなのだ。作り出せるのは勇者しかおらず、その意味であればなるほど、浄化、と呼んで差し支えないものなのだろう……」


 ――身に覚えがある。とりわけ強力であった幾人かのアンクトゥワを倒した時、宝玉の中ではっきりと花の形は作られていったはずだ。


「あれ……俺……は、でも、アンクトゥワを、浄化、して……」


 あの正剣が、そもそもアンクトゥワの首領であるデイライズから贈られたものなら――ジャスティの思考はそこで、電源が切れたように凝り固まった。わなわなと唇が震える。


「おかしいとは思わなかったか? どうしてイド・マテリアルを剣が取り入れる作用があるのか。なぜサンティーネが今回に限って、そんな機能を正剣に搭載させたのか。アンクトゥワと化した者がなにゆえに、心根から改心するなどという面倒な手間をかけなければ、浄化したところで何度でもアンクトゥワ化する可能性が残ってしまうのか」


(じゃあ……俺は。今まで……何を……してきた……?)


 世界を救うどころか。

 デイライズが利用するためのエネルギーを、自分の寿命を削り続けてまで必死になって集めていた――?


「よくぞここまで見事なエネルギーに育ったものだ……そして私はこれを待っていた」


 ひらひらと舞う花弁はリラックスして立つデイライズの周囲を踊るように回転し、歌声をさえずるような音を奏でた後――その体内へと吸い込まれていく。

 すると空間が爆裂するかのような重圧がデイライズを中心に発せられ、周囲の地面という地面から凄まじい量のイド・マテリアルが爆音とともに洪水のように噴出し始める。


「礼を言うぞ、ジャスティ。お前はどこまでも私――サンティーネに忠実だった。そのマリオネットとしてこれだけのエネルギーを調達し、いよいよもって私は、幾星霜の時を経て、己の肉体を蘇らせる事ができる……!」

「うぅ……っ、こ、これ以上、な、何をする気だ……ッ」

「無論、神としてこの星に恵みをもたらすのだ――生きとし生けるものをアンクトゥワへ変え、次なる進化のステージへ連れていくために!」


 にぃ、とデイライズが笑み、右腕を振り上げて天を指し示すと、周辺から間欠泉のように湧き上がっていたイド・マテリアルが頭上の一点へ集束していく。

 やがてそれはジャスティにとって見覚えのある円形を取っていき――その瞬間は痛みもそぞろに忘れ、血の気が引いていった。


 あれは。あれは、まさか。


「さあ、八年前の再現といこうじゃないか」


 そこに浮いていたものは、午後を回って沈み始めていた太陽を押し隠すように――あるいは呑み込むようにして現れた、黒い太陽。そして赤く、鬱金色に染まった異様な空。


「――見よ。黒き太陽が昇る時、新たな時代の幕が上がる」


「……あ、ああ……ああぁぁ……っ!」


 その大異変によって、村中から――いや、恐らく大陸中がパニックに陥っているのだろう、すでにあちこちから恐れおののく叫び声が鼓膜を打つ。

 でもジャスティは四肢が凍り付いたかのように、指一本動かす事はできなかった。


「た、太陽が……うう、あああ……! ――なんとか、しなきゃ……俺は、勇者なんだから……!」


 ぜえぜえ、と荒く息をつくジャスティを、デイライズは面白そうに見やる。


「念のために否定しておいてやるが……あれは太陽などではない」

「え……?」

「いわば入れ物……私が本来の姿を取り戻すための、土台に過ぎん」

「どういう、事だ……!」


 見ていれば分かる。デイライズは不吉に微笑んだまま、ジャスティの耳では言葉として聞き取れない歌声のような文言を唱える。

 その数秒後、新たに空へと昇る物体が視界に飛び込んできた。あちらの方角は――聖地だろうか。

 そして持ち上がるように浮遊して来たのは、ひし形の、水晶のような――。


「さ、サンティーネ様の……ご神体が……よせ!」

「だから、サンティーネは私だと言っているだろう。まだ事態が飲み込めないのか?」


 肩をすくめながらもデイライズは両手を指揮者のように振って、オレンジ色のクリスタルを黒き太陽の元まで送り込んでいく。


「……昔話をしよう。はるかな宇宙で、星々は飽きもせず相争っていた。殺し合いに奪い合い。星の一つであったサンティーネは彼らをとりまとめて調停しようとしたが、誰も耳を貸さず――続く争いの中で手傷を負い、やがて放逐ほうちくされてしまった」


 クリスタルは黒き太陽と同化するように呑み込まれ、喜びの歌声にも似た音が響き渡る。


「今しばし身を休めなければいけない――しかしこのまま憎悪の闇へ堕ち行く世界を見ていられなかった。だから自らの分身を作り、生命の謳歌するこの青い星へ放ったのだ。争い合う人間達を正しく導き、そして少しずつ自身の力を取り戻すために」


 太陽は次第に、その形を変化させていった。球体から、クリスタルと酷似したひし形へ。


「サンティーネはさらに力を分けて神々を作り、正剣の勇者を生み出した。そのようにして太古より一万年近くもの歳月、人類を守護し、涙ぐましい努力を続けていた」

「一万年……も……?」

「だがいくらサンティーネが力を尽くそうと、彼らはいつまでたっても変わらない。どれだけ正義を訴えてもやがて全てを忘れ、元のように憎み合うばかり。サンティーネはいつ頃からか、おおいに失望感と絶望感を覚えていた。……それが決定的になったのは前任の勇者が、あろう事かただ一人の他人のために命を投げ出した瞬間だった」


 空に浮かぶそれはもはや太陽ではなく、巨大なクリスタル。

 オレンジを超えた神々しき金色の光が、あまねく世界を照らし出す――。


「彼女が命を捨てた理由は、たった一人の娘を守るためだった。サンティーネが人類に見切りをつけたのは、この時点だったな」

「そんなの……当然じゃないか! 大事な家族のためなら、誰だって命を賭けるはずだ!」

「当然ではないのだよ。勇者は絶対なる正義の体現者として人々を導かねばならないのに、その末路は何も成せず灰に還るという、それは無様なもの。この悪しき前例が生まれた事でサンティーネが人間に対して抱いていた希望セーフティ絶望ゼロへと変わり――そしてその娘までもが見るも無様な醜態をさらした事で、サンティーネはデイライズへと至ったのだ」

「なら……俺が出会った時にはサンティーネ様の心はもう……最初からデイライズ……お前に打ち負けてしまっていたのか?」

「人は変わらない。美辞麗句を尽くそうとその可能性には限界がある。ならば人という種そのものを新たな段階へと押し上げるしかなかろう……正義などにこだわるよりもよほどその方がいい、と悟ったのだよ。従って、負けた、という表現は語弊があるな――正しくは生まれ変わった、というべきだろう。奴の記憶も能力も、私は継いでいるのだからな」

「嘘だ……こんなの、やっぱり信じられない――サンティーネ様、悪なんかに負けちゃいけない。どうか、元の正義を取り戻して……!」


 まだサンティーネの心が残っていると信じ、呼びかけるジャスティ。しかしデイライズは指先へ前髪を絡め、肩を揺らして哄笑するばかり。


「なに、取り立てて何か変わったわけじゃない。散々悩んでいたあの頃とは違い、今ではとても前向きだ。光はしっかりと見えている――悪という正義を超える輝きがね」


 人類への教育の方向性を変えるだけだ、とうそぶくデイライズに、ジャスティは悔しさすらない、諦観のような思いに囚われていた。

 サンティーネはもういない。自分は最初から利用されていたのだ、と。

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