二十八話 決戦前夜

 ファミリアを見送り、二人は宵の口となる時刻には食事を済ませ、村の広場にある酒場へと足を伸ばしてみた。

 そろそろ一ヶ月前ほどとなるが、半壊した酒場はまだ大して修理が行われておらず、二階はともかく一階はいまだに外気へさらされたままだった。


「ユーシュリカの治癒魔法って、確か建物を修繕できたよね?」

「はい。ですがその場合残骸が少しでも残っている事が前提なので……この酒場の壁や床はジャスティの正剣にもろとも消滅させられてしまったので……」


 言いにくそうにユーシュリカが苦笑する。それを横で聞いている、以前より痩せた酒場の店主はがくりと肩を落とすが、せっかくなので二人を部屋に泊まらせてくれるそうだ。

 風通しの良い一階の丸テーブルを囲み、ジャスティはしみじみとユーシュリカへ言った。


「ここでユーシュリカと出会ったんだよね……なんだかすごく昔の事のように感じるよ」

「そうですね……あれから色々ありました。アーネスト市、王都、教会……巡り巡って、最後にここに戻って来たんですね」


 ジャスティとの旅は奇想天外だった。毎度驚かない日はなく、供としてついていかなければ決して味わえない新鮮で斬新な経験の連続だったろう。


「そういえば、どうしてジャスティは、私がついていく事を許してくれたのですか……? 私はその、破門されていた身ですし、ジャスティも今までは一人旅だったのでしょう?」

「ユーシュリカが破門されていた事は知らなかったけど、仮に知っていたとしてもそれは別に関係ないよ。……ああ、でも、どっちみち少しは迷ったかな。だって俺の正魔法の多くは、周りの人に大きな影響を与えてしまうから……」


 それは、とユーシュリカは口ごもる。正魔法とはサンティーネが正義を示すために作り出した魔法。その具現に人々の事情や意志は爪の先ほども忖度されない。

 人類の精神的な成熟や倫理観の発達度合いに応じて神々が神魔法に細かな調整を重ね、細分化していくのとは異なり、原初の魔法は神の降り立つ混沌とした時代からその形を一切変えず、純潔のままの効力を遺憾なく発揮している。

 それだけにどんな魔法とも似つかぬ比類なき強さだ。とはいえ、正魔法が振るうのは正義とはかくあるべしという情なき理念のみであり、ジャスティの望む理想とは相反しているように思える。むしろよくもこんな魔法をひっさげ、正義を成そうと思い立ったものだ。


「使命を果たせば……ジャスティは誓約から解放されるのですよね?」

「うん……だと思う」


 そこだけは、最高神も含めて全ての神々が果たすべき鉄則なのだ。約定をたがえぬのもまた正義。

 だが、誓約が終わったとして――ジャスティの目減りした寿命までは。


「ユーシュリカ……急に黙り込んで、どうしたの?」


 悄然と目線でテーブルを撫でるユーシュリカに、ジャスティは首を傾げる。


「――ジャスティ……聞いて下さい」

「う、うん……」

「もう……やめませんか?」


 え、とジャスティは良く理解できなかったという風に、まぶたを開閉させた。


「やめるって……何を?」

「この旅……です。ここで終わりに、しましょう……それがきっと、あなたのためです」


 唇を噛み、組み合わせた両の指で手の甲を掻くようにし、そう絞り出すユーシュリカ。


「うん……デイライズを倒したら、一度ゆっくりするつもりだよ……? もちろん悪がはびこらないように、各地を巡ってはみるつもりだけど」

「それを……しないで欲しい、と言っているんです……!」

「え……?」


 ユーシュリカは顔を上げ、当惑するジャスティを思い詰めたように見つめた。


「もし……もし、次に反動が起きたら、今度こそあなたは……その命が……っ。だから、もう――」

「だけど、それはユーシュリカがまた、癒してくれれば……」

「もう次はない、とジャスティだって気づいているでしょう? 身体の中を食い破ってくる反動なんて、どう考えても普通じゃないです! 今回は運良くなんとかなりました――で、でも……私には、もう……っ」


 明日に決着を控えたこの土壇場でジャスティを困らせているのは分かっている。けれどもユーシュリカは一人抱え込み、押し殺していたものを吐き出さずにいられなかった。


「ゆ、ユーシュリカ……落ち着いて。らしくないよ、大丈夫……?」

「私は落ち着いてます。ジャスティこそ、考え直して下さい。ね……二人で逃げましょう?」


 ユーシュリカは上目遣いにジャスティを見て、優しく諭すように語りかける。


「王国を出て、どこか誰もいない、静かな場所に行って……そこで全部忘れて、二人で暮らしましょう。ジャスティは心も体も、あまりにも傷つき過ぎています……それも自覚できないくらい。あなたに必要なのは、安静で平穏な暮らしなんです……」


 半分、嘘だった。本当はユーシュリカが傷つき行くジャスティを見たくない一心の、口実に過ぎなかった。

 そこにジャスティが一緒に連れて行ってくれれば、どれだけいいだろう。そんな思いで、懇願こんがんするようにジャスティを説得する。


「正義なんてやらなくても、いいじゃないですか。それですぐに世界が変わるわけじゃないんです。正義があろうとなかろうと、世界なんてどうせどんな形でも存続していくんですから……ジャスティが己の身を削って、その果てに倒れて、誰も見向きもしなくて、忘れ去られて……そんな終わり方、私は嫌です……っ」

「……ユーシュリカの気持ちは嬉しいよ。でも」


 ジャスティは眉根を寄せ、眼差しに逡巡を乗せながらも、一度だけかぶりを振る。


「俺、勇者になった時に決めたんだ。この命は正義のために捧げるって。楽な道でないのも、大変な事ばかりなのも承知してる。けど……それでもやらなきゃいけないんだ」

「ジャスティはもう、充分に見せてくれました――私にも、人々にも! みんなの心には尽きぬ正義の火が宿り、その灯火は燃え移るようにして大陸を一つにつないでいます! デイライズだって、いずれは世界の出した答えの前に屈するでしょう……だったら!」

「だとしても、最後の締めは俺がしないと、格好がつかないよ。それにサンティーネ様直々の言葉なんだ。デイライズを倒せって……元々はそれが最大の目標なんだよ」


 なぜ。

 一向に諦める気のないジャスティに、ユーシュリカは疑問が尽き果てなかった。

 なぜこの少年は折れない。何がそうまで駆り立てる。

 まるで呪いか、静かな狂気にでも取り憑かれているかのようだ。自分はまだ彼に関して何かを見落としているのか。

 じわり、とほぞを噛むようなくらい情念が湧き上がる。


「それにユーシュリカは、俺と約束してくれたでしょ……? 二人で正義になるって」

「は、はい……! 約束を破る気なんて全然ないです、ただ、私は……っ」

「じゃあ、俺からも約束する。デイライズを倒したら、ユーシュリカの言う通りどこか平和な場所で、何もせずゆっくり休むよ」

「ジャスティ……」

「このマガト村を出たところで寄り道した、一本だけ高い木がある、あの草原でさ……のんびりした景色を見ながら、二人で旅をしよう。なんにもしない、旅をしようよ」


 ユーシュリカはもう何も言えず、うつむき……唇と肩を震わせて、それから見返した。


「……はい。ジャスティがそう言ってくれるなら……ぜひともお供したいです。私も最後まで共にいますから、ですから、よろしくお願いしますね……?」

「うん――よろしく」


 柔らかな微笑みを浮かべるユーシュリカに、ジャスティもやっと安心したみたいに、朗らかな笑みを作った。

 歓談もそこそこに切り上げて、二人はそれぞれの部屋へ休んだ。マガト村へ来た初日と同じ配置である。

 明日は早く、激戦が待ち構えているというのに――ジャスティはこのところ反動が長引かせる痛みのあまりなかった安眠ができていた。

 熟睡していたから、夢は見なかった。



「うう……っ、ぐすっ……、ぅああ……あああ……っ」



 ――明朝。ユーシュリカが姿を消していた。

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