最終章 宵の明星編

二十七話 マガト村へ

 さらに数日が過ぎ、やっと動けるまでになったジャスティとユーシュリカは、ローデルタとフレスラビアの見送りを受け、サン・ルミナスを発とうとするところだった。


「王都から届いた手紙では、いよいよ王国軍と黎明の軍が正面激突を始める段階にあるようだ。デイライズの潜むトーレス山を前にして王国軍はマガト村へ立ち寄り、そこで最後の編成を整えていると。神官達もさしあたってそちらと合流する予定だ」

「そっか……じゃあ俺達もマガト村に行こう。軍団と足並みを揃えて、みんなの力で今度こそデイライズを討つんだ!」

「決戦、になりますね……緊張して来ました」


 ごくり、と今から生唾を飲んでいるユーシュリカの肩を、フエスラビアが乱暴に叩く。


「いたっ。ふ、フエスラビア……?」

「あなたがそんなざまでどうするというのですの。まったく、こんな情けない子を戦場に送り出して本当に大丈夫なのかしら……」


 当のフエスラビアやローデルタは、万一に備えて教会に残るという。


「だ、大丈夫ですよ……私だって以前とは違って、少しは成長していますし」

「怪しいものですわ……身体だけはいっちょまえに大きくなっておいて、心の方はまだまだ未熟に思えますけれどね、ほらほら」


 あうっ、とフエスラビアに腰のあたりを突かれて身をくねらせるユーシュリカ。


「ふ、フエスラビア、私はあなたにも悪いと思ってます……久しぶりに帰って来たと思ったら、またすぐに出て行かなければいけないので……」

「……もういいのですのよ」


 ユーシュリカをいじる手を止め、フエスラビアは吹っ切れたように嘆息する。


「今朝までならこの私を倒していきなさいと力ずくで諦めさせるつもりでしたが……そこの勇者に免じて特別に見逃してあげますわ」

「あ、あはは……ありがとうございます」


 でも、とフエスラビアはじっとユーシュリカを見据えて。


「ここがあなたの帰る家に違いはありませんからね。用事が片付いたら、またきっと戻って来るのですのよ。そうしたらたっぷりお説教して、ご飯も作って、子守歌で寝かしつけて……」

「そ、そんな、そこまで面倒見てくれなくても……」

「いいえ、最低限それくらいはさせて下さいな。なんといっても、私とあなたは……姉妹のようなものじゃないですか」


 フエスラビア、とユーシュリカは家族同然に育ち、姉と慕う司祭を見返す。


「十年前、連れて来られたあなたを見た時は、父上から寵愛ちょうあいを奪いかねない邪魔者なんて正直思ったりもしましたが……一緒に訪れたシディナ様にともども可愛がられて、すぐどうでも良くなりましたわ。――四人いられたあの頃はそれは……楽しかったですわね」

「そう……ですね」


 その名前を聞いた途端、ユーシュリカの双眸には何とも表しがたい光がよぎった。


「シディナ様もいなくなってしまって、親しい方達もどんどん失って……けれどだからこそ、私達の絆は不可侵のものですわ。何があろうと、私はあなたの味方ですから」

「ありがとうございます……私もフエスラビアを、姉のように思っていますよ」

「え――ええっ、もっと敬愛するべきですのよ! なんといったって私はあなたより二つも年上なのですからねっ、いくらでも頼るべきなのですわ!」


 ぼっとフエスラビアが耳まで赤面し、腕組みをしながらよそ見をする。


「あ、あなたさえよければっ、お姉ちゃんと呼んでくれても構わないのですのよ……?」

「ありがとうございましたフエスラビア。きっとまた戻って来ます」

「――こ……この鈍感! もうユーシュリカなんて知りませんわっ!」


 フエスラビアは不機嫌そうに目を背け、背を曲げてジャスティへぐっと顔を近づける。


「正剣の勇者、ジャスティ!」

「は、はい?」

「あなたを私の永遠のライバルに認定しますわ!」


 当たり散らすように宣言され、ぎょっとしたようにジャスティが身を引く。


「次はあなたには負けません……武芸も信念も、それにユーシュリカ……い、いえ、とにかく色々な意味でですわ!」

「はぁ……」

「だから……無事でいなさい。何かあってユーシュリカを悲しませたら許しませんわよ」

「はぁ……」

「それと――アンクトゥワ化から助け出してもらった事には、一応お礼を言っておきますわ。……そ、その……っ、ありがとう……」

「はぁ……」

「そ、それだけですから! それじゃあさっさと行って来なさい!」


 言うだけ言って、フエスラビアは走り去ってしまった。温度差はあったが、ともあれ。


「それじゃ……行って来ます、ローデルタさん」


 ジャスティがきびすを返しかけた矢先、ローデルタは抑揚よくようのない調子で口を開いた。


「正剣の勇者、ジャスティ」

「は、はい……?」

「……正義を貫きたくば、時には固定観念を捨てる事も必要だ。己を俯瞰ふかんし、本心を見つめ直した時……あるいは、別の道がひらかれるやもしれん」


 その忠告に、ジャスティはぱちぱちと目をしばたたかせてから。


「大丈夫です、正義という道しるべさえあれば、何も迷ったりなんかしませんよ!」


 へらっと笑って身を翻す。逆にローデルタは知らず深々とため息をついていた。

 ユーシュリカもぺこりとローデルタへお辞儀をして、その後についていく。二人は早朝の霧にけむる朝日の中へ消えていき、足音は絶えた。


「……危うい者達よ。いや、だからこそ、ああも強き絆が生まれつつあるのか、あるいは」


 誰にともなく呟いたローデルタはその場にとどまり、じっと瞑目していた。



 マガト村の門をくぐり、ジャスティ達がまず目にしたものは、集まった群衆の笑顔、笑顔、笑顔。

 そして割れんばかり、地平の彼方まで響き渡らん限りの歓喜に満ちた声だった。


「勇者様、勇者様のお帰りだ! ばんざーい!」

「我らの希望の星、勇者様が来てくれたぞ!」

「この国を救い、世界を救う救世主、正剣の勇者様は今ここに!」


 驚き戸惑うジャスティを我先にと人々が取り囲み、もみくちゃにしてしまっている。


「ゆ、ユーシュリカ、たすけて……たすけてっ」

「ちょ、ちょっと無理です、その人の数は……!」


 ユーシュリカは濁流のような人の波に弾き飛ばされ、外側から身を案じる事しかできない。

 ジャスティはそのまま胴上げの要領で村の中央へ連れて行かれる形となり、そこでも歓迎のパレードやパーティが開かれ、村中はお祭り騒ぎではあったのだが――。


「こらお前達、勇者様を離さないか!」


 一時的にマガト村に駐留している王国軍の、その隊長が一団を引き連れて群衆をかき分け、ようやくジャスティを救出できた。

 散々引っ張り回されたジャスティの髪はぼさぼさに乱れて服はよれ、げっそりと疲れ切ってしまっている様子である。


「やれやれ、大変な騒ぎですな。しかし勇者様が間に合って良かった……」

「うん……デイライズのところにはいつ行くの?」

「明日の正午となっております。すでに先鋒隊は前面に展開し、こちらの動きを察知した黎明の軍と平原にて睨み合いを続けており、状況によってはもう少し早まるかと」

「勝てそう?」

「アーネスト市の解放、及びギャンボリック討伐によって広まった勇者様の信望のおかげで、民衆が各地から結集して来ており、義勇兵として続々参陣しています。その数を加え、我が軍は当初の五倍にまで勢力を増していますね」


 おお、とジャスティは目を丸くする。この騒ぎはそのせいなのだろう。


「他にもレジスタンスとして潜伏していた者達が一斉蜂起し、各所のアンクトゥワ軍を撃破してトーレス山の包囲網が完成――そして後一手、我が方は打っておきたいところです」

「どうするの?」

「我が軍がデイライズまでの道を開きます。勇者様は合図を見たら、一気にトーレス山奥地まで突入、デイライズを討ち滅ぼしていただきたい――全ては勇者様のご活躍にかかっております」

「いいよ、やる」


 それが勇者の役目だろう。ジャスティは二つ返事でオーケーし、明日に備えて今日は休息を取っておく事にした。

 きびすを返すと向こうの路地からユーシュリカを伴い、赤毛の女性が歩み寄ってくる。


「ジャスティ、ここにいたんですね……みなさんに連れて行かれてしまったので、ずっと探していましたよ」

「あはは、すごい人気じゃないか。気分はどうだい、小さな勇者様?」

「ユーシュリカ……と、ファミリア!」


 相変わらずフード姿だが、共に来たのは紛れもなくファミリアである。王都で別れて以来だが、ここにきて思わぬ再会を果たす事となった。


「さてさて、あんたの事だから舞い上がって、決戦を前にまたぞろ早とちりかおっちょこちょいの一つでもかましてるかと思ってたけど……」


 ファミリアが人を食ったような笑みを浮かべ、まじまじとジャスティを見下ろし。


「……ふーん。前と比べていい目になったじゃない。ちょっとは大人になったのかしらね」

「俺だって正義を成すために日々強くなってるんだ。背だって少しは伸びてるぞ!」

「そういう事じゃないんだけどね……やっぱり気のせいかな」


 ファミリアは拍子抜けしたように肩をすくめるが、そこにユーシュリカが口を挟む。


「あの……ジャスティを一緒に探してくれた事は嬉しいのですが、ファミリアさんはどうしてここに? やっぱりこの戦いに傭兵として参加しようと……?」

「一応、そう思ってはいるよ。だけどなんだろうね……どうも嫌な予感がぬぐえないのさ」

「嫌な予感……ですか?」

「軍勢の士気はこの上なく高まってるし、アンクトゥワの恐怖にさらされて引っ込んでた大陸中の奴らが手に手を取ってようやっと立ち上がって、デイライズと黎明の軍は今や風前の灯火……となりゃ、稼ぎ時ってのは誰の目にも明らかなんだけどさ」


 ファミリアは大通りの方で勇者の旅路を誇らしく語り、演説する人々の様子を窺う。


「弱い奴らが弱いなりに力を合わせようとしてるのは分かる。けど、ちゃんと言えないけど、薄気味悪い感じがするのさ。何もかもうまくいきすぎてるような……」

「そんな、気にしすぎですよ……」

「……たとえ、これから何が起こるとしても」


 ジャスティは引き締まった目つきで口を挟んだ。


「ここには王国の軍勢や、サン・ルミナスの神官達、それに正義を知り、平和のために奮闘しようとしている人々――そして、ユーシュリカがいてくれる。だから俺は……俺達は、絶対負けないよ。大丈夫」


 その言葉にファミリアも一瞬真顔で口元を引き結び、それからすぐに表情を崩した。


「あはは、だから言ったろ、ただの勘だから本気にしなさんなって。杞憂だろうけどとにかく、あたしは手を引こうと考えてる。別に参戦しなかったところで、趨勢すうせいはとっくに決まってるようなもんだしね」

「そう、ですか……それは残念ですね。ファミリアさんがいてくれれば心強かったのに」


 歴戦の力は頼れるだろうが、本人にその気がないなら無理強いはできまい。ユーシュリカはそこで引こうと思ったが、代わりにジャスティがファミリアを見上げて。


「……じゃあ、俺が雇うよ。それならどう?」

「あ、あんたがかい?」


 なんとも予想外そうに、ファミリアは前髪に隠れた双眸を瞬かせているようだ。


「正剣の勇者がこの戦いには出る。正義である俺が絶対に勝てると言うんだ、それならファミリアも安心じゃないかな。お金ならできるだけ払うから、共に並び立って欲しい」


 ファミリアは黙してジャスティを見据え、その奥から何かを抜き出そうとでもするように視線を突き刺していたが――やおらその気配を緩めて。


「……ま、あんたには借りがあるからね。いいよ、特別に格安で引き受けてあげる」

「ほ、本当にいいの? ありがとう!」

「あーそれ、その弛緩しかんしてるくせに目が輝いてる感じ。その顔見てると、色々悩んでるのがバカらしくなってくるもんだよ。勇者様の傭兵になるってのもはくが付いて悪くない」


 それに、とこれまた前触れもなく氷のような殺気を発し、にやりとする。


「デイライズにはギャンボリックの件も含めて借りがあるしね。利害の一致ってやつさ」

「さすがはファミリア、もう完璧に正義に目覚めてくれたんだね、嬉しいよ!」

「……話聞いてた?」


 まったくこの子は、とファミリアは頭を振って。


「と、その前に悪いけどアーネスト市へ寄った後合流させてもらうよ。野暮用があってね」

「もしかして……アリアドラさんの事が気になっているんですか?」

「なんでそう思うんだい」

「なんとなくですけど……お二人は何だかんだで仲が良さそうでしたし、アンクトゥワでなくなった今のファミリアさんなら、放っておけないんじゃないかと」


 ユーシュリカが笑いかけると、ファミリアは憮然ぶぜんとしたように唇を曲げる。


「あいにく外れさ。なし崩しに払われなかった給金を請求に行くだけ。顔を見るのはあくまでついでよ」

「ふふっ、そういう事にしておきますね」

「言うようになったじゃない、ったく……」

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