二十六話 人と神

「そこまで反動が進行していたとは……いや、あの少年のむこうみずともいうべき危うい戦い方からして、推して知るべきだったか」


 はい、とユーシュリカは沈痛な面持ちで、ローデルタに頷きを返す。

 あれから十数日が経過した。ユーシュリカはジャスティの看護につきっきりで回復を待っていたが、それより早くローデルタは立って歩けるようになっていた。

 二人は今、寝付いたジャスティのいる部屋のドア前で会話を交わしている。


「正義を示すためのみならず、アンクトゥワと対峙する度に正魔法を使用しておっては、かくも早い段階で発作が激しくなるのもむべなるかな……」

「ジャスティは目前の事柄に対して真っ正直に過ぎます。常に全力で当たろうとする……」

天罰ネメシス・ジャッジ……正魔法の中でもあれはとりわけ、行使に際して高い技量が要求される。並の勇者ではそれだけの力量には至らん。にも関わらず、甲乙のつきし後にもまだあの者には余力があった。なるほど勇者としての資質には、歴代でも一、二を争う程恵まれているのだろうが」


 評価するような内容に反し、ローデルタの口ぶりは淡々としたものだ。


「しかし、今後も頻繁に正魔法を使い続けていくならば、もはや限界は近いと見るべきであろうな。果たしてデイライズを倒した後――否、倒すまでに身体が保つかどうか」


 そんな、とショックを受けて目を見張るユーシュリカに、ローデルタは重い口調で語る。


「ジャスティス・システム……それはサンティーネ様を主導とし、教会や諸国の全面協力の下組み上げられた世界浄化機構だ。太古より維持され続けたこれはしかし、多くの犠牲が出る事を前提としたものでもある」

「はい……」

「試練の山へは誰が挑んでも良い――それは所詮単なる建前であり、内情は教会の管理下にある。挑戦する勇士は神官の中より決められるのが通例で、ただの民間人が勇者となるのはここ数百年ありえなかった異例の事態なのだ。なれど結果を出せなければそれはとどのつまり、教会の威信や存在意義までもが疑われてしまう……よって、勇者の選定だけは失敗を許されぬのだ」


 それゆえ、ジャスティが勇者であるという報を聞いた時は耳を疑ったものだ。そして激怒した。どこの馬の骨とも分からぬ輩が世を乱し、悪の跳梁ちょうりょうを助長しようとしている、とまで。その時点からジャスティの存在は教会の目の上のたんこぶも同然となっていた。


「何をしでかすか分からぬ青二才の監視に労力を割くよりも、速やかに処分した後代替わりをさせるのが最善――そうでなくとも、儂の目で現勇者を見極める必要はあったのだ」


 ローデルタはそもそも、勇者を大々的な英雄として世界に売り出す気はさらさらない。

 勇者とは正義で設えられた理想郷を作るための教会の武器であり、替えのきく道具であり、隠密に動く特殊部隊のようなものとしたかった。

 勇者を独占したいという欲にかられたわけではなく、それこそがデイライズの脅威にさらされる現状に対して最も有効な策であると読み切っていたのである。


「正義にすがってはならない……時代は変わろうと、この言葉だけは心に刻んでおけ。であれば、儂も貴様も、本質を見誤る事は恐らくあるまい」


 はい、と首肯しゅこうしながらも、ユーシュリカの面持ちは晴れず、胸の内にあるのは数日前に目の当たりにした苛烈に過ぎるジャスティの反動と、彼が上げる痛みに満ちた悲鳴。


「サンティーネ様はどうおぼし召しなのでしょう。正義とは、犠牲の上にようやく成り立つものでしかないのでしょうか」

「神の思惑はえてして人の思い及ぶところではない。世界の仕組みについて是否を問い、一石を投ずる者も過去にはいた。しかし最高神が意見を変えない限り――それこそ、悪の存在しない不変の正義がもたらされない限り、また連綿と続いていくのであろうな」

「そんなの……そんなの正義、なのでしょうか……っ。私には、サンティーネ様の望まれる世界が、どうしても――い、いえ、忘れて下さい、今の発言は」


 こみ上げるもののままに危うく神に背きかねない言葉を口にしかけ、信徒としてあるまじき事と慌ててかぶりを振るが、ローデルタは面白そうに口角を曲げて。


「人々に自立を促したい――神に仕える身でありながら、そう思ってしまう事は儂にもある。人である以上、正義であろうと悪であろうと、罪深さは等しいのやもしれんな」


 その理屈であれば、罪なきサンティーネの心底にあるのは罪悪そのものである人への期待か、あるいは。


「……貴様はどうする気だ。貴様のぬかす絶対なる正義とやらに対し、どう向き合う」

「その答えは……きっとジャスティが出してくれると信じています。神をもうならせる、完全無欠な答えを。だから私は、最後までジャスティとともにあります……!」

「ならば良い。――残り少ない命だ、貴様の思うように悔いなく余生を過ごすがいい」

「……今まで、お世話になりました。ありがとうございました。……父上」


 深々と頭を下げ、ユーシュリカは養父に対し、そう礼を述べた。

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