二十五話 反動

 近くの客室へ運び込まれ、ベッドに寝かされたジャスティは悪夢にうなされているかのように意識が混濁し、全身を蝕む苦痛に苦しんでいるようだった。


「ジャスティ……しっかりして下さい……っ」

「うぅ……あぁ……あ……!」


 治癒魔法で外傷は癒えている。しかしジャスティは変わらず苦悶し、身体を抱きすくめてかきむしるようにしながら痙攣けいれんして、整えられたシーツは見る間に乱れていった。


「これはきっと、反動……でも、前よりずっとひどい……!」


 こうなった原因は、言うまでもなくローデルタとの戦いで正魔法を使いすぎたせいだろう。

 サンティーネはしばらく休めば回復する、とは言っていたがそれはあくまで体力的なものであり、こうして彼の身を食い荒らす反動そのものは抑え込む事ができないのだ。

 その時、さらなる異変がジャスティを襲った。突如として横たわった背中が跳ね上がり、海老反るような体勢で両目は見開かれ、歪められた口から引きつれた叫びが上がる。


「あ――が――がああぁぁぁぁぁッ!」

「ジャスティ……っ?」


 どう見てもただならぬ何事かが起きたのだとユーシュリカが硬直した直後、ジャスティは無我夢中で自身の衣服を握りしめ、引きはがすように破り取る。

 すると上の裸体があらわになり――ユーシュリカは心臓に鉄でも差し込まれたような感覚とともに息を呑む。


「こ、これは……!」


 腰から首元までヒビに似た裂け目が蛇めいた曲線を描いて現れ、断層が起きたかのような亀裂が走っていた。

 比喩でもなんでもなく、斬り裂かれてできた裂傷。しかし、先ほど傷はユーシュリカが治したはず。

 なら、どうして――動転するユーシュリカの鼓膜を、この世のものとも思えない悲鳴と、がちがちという異音が打つ。

 ジャスティの身体中に開いた傷口から、光るものが見えた。

 剣のような――刃。刃物。切っ先。

 それがより合わさるようにして何本も顔を出し、亀裂の内部を泳ぐように走り、身体の内側を切り刻み続けているのだった。ひっきりなしに出血が沸き起こり、何をどうする間もなくジャスティが血染めになっていく。


「い、いけない……これではジャスティが……!」


 文字通りの、八つ裂き。二の腕から手のひら、首から顔に至るまで解剖され切り開かれていくジャスティの様相に、ユーシュリカは迷わず杖を握り直す。


「幽かなる鎮めの星……宵の明星よ。荒れ狂う刃に安らぎを与えたまえ――」


 清浄な歌の音色とともに、青白い光の球体がユーシュリカより出でて、それがジャスティを包み込むと――途端に刃達はぴたりと動きを止めて、ゆるゆると力なく体内へと戻っていき、出血も和らいでいく。

 いつか、王都の宿でも使用した魔法は、今度もうまくいったのだ。


「サンティーネ様……ここまでしなければ正義とは成しえないものなのですか……?」


 反動の症状が消えたと見たユーシュリカは続けて治癒の魔法を用い、改めてジャスティの怪我を治していく。


「う……ん。ユーシュリカ……?」


 やがて、ぱちりとジャスティは目を開けた。さすがに疲れの色は濃いのか息は浅く、ベッドから身を起こすのがやっとのようである。


「また助けてくれたんだね……ありがとう。命拾いしたよ」

「いえ……それより無理をしてはいけませんよ。まだ反動が終わったとも限りませんから」


 うん、とジャスティは素直に頷き、ユーシュリカもひとまずは杖を置く。


「でも、先ほどは驚きました……あんな大がかりな魔法まで使うのですから」

「威力と範囲、効果時間は最小限にしたけど、あれくらいしないと、ローデルタは倒せなかったんだ」

「あ、あれが全開ではなかったのですか……恐ろしいですね」

「自分でも生きてるのが不思議なくらいだよ、反動も含めて」


 冗談めかしてジャスティは笑ったが、ユーシュリカは笑わなかった。


「……ジャスティ、私はあなたに謝らなければいけないんです」

「どうして?」

「私は……本当は教会に破門されていて、出入りも禁じられていました。けれどその事をあなたには明かさず、嘘をついて騙すような事を……してしまいました」


 うつむきがちにぽつぽつと話すユーシュリカに、ジャスティは神妙に耳を傾けている。


「それだけでなく、あなたを……あなたの命を、狙うような事まで……したんです」

「うん……」

「あなたの苦しむ姿を……これ以上見ていられなくて。心のどこかで、正義なんてもういいから、無事でいて欲しい。そう思ってしまって……でも、それは決してかなわないから――ほんの、ほんの一瞬だけ、魔が差したんです。こんな辛い旅は、いっそここで終わらせよう、と」

「そっか……」

「私は罪を犯しました。ジャスティとともに正義を成すと約束した矢先に、こんな……」

「でも、やらなかったでしょ。それどころか、俺を助けてくれてるし」

「……ジャスティがそう言ってくれるのは嬉しいですし、きっと許してくれる、とは思っていました。ですが、これでは私が私を許せなくて……! このままあなたについていっていいものか、どうしようもなく迷いが生じてしまうんです……」


 ジャスティは何も言えず、困ったように眉を八の字にしてユーシュリカを見ている。


「……ごめんなさい。私の問題なのに、こんな弱音ばかり吐いて……」

「いいよ……俺だって時には弱気になる事もあるし」

「ですから……一つだけ約束をさせて下さい。新しい、約束です」


 ユーシュリカは祈りを捧げるように両手を組み合わせ、ひたとジャスティを見つめる。


「私はもう、決してあなたを裏切るような事はしません。嘘もつきませんし、離れろって言ったって離れません。神に、そして正義に誓って真実であると、信じて下さいますか」

「ていうか、ずっと信じてるよ。ユーシュリカは悪じゃないし、悪にはなれない、って」


 ジャスティがピュアな笑みを浮かべると、ユーシュリカも何だか脱力したように腕を下ろし、くすりとはにかむ。


「私……ずっとジャスティに憧れていたんです。そうやって人を信じられて、正義に向かって邁進できるところが」

「そうなの……?」


 はい、とユーシュリカは頷いて、少しの間まぶたを閉じる。


「私もいつか、ジャスティのような強い信念を持ち得る事が、できるでしょうか……」

「できるよ」


 ジャスティの事だから特段深く考えもせず言った言葉だろうが、それが今のユーシュリカにとっては何より救われる一言だった。


「あの……ところで聞かないのですか、私が破門された理由を……?」

「うん。だって嫌な事なんでしょ」

「本当に、いいのですか……?」

「俺だって言いたくない事はいっぱいあるから。無理強いはしたくない。それに」

「それに……?」

「今のユーシュリカ、とても辛そうだから」


 私が、と衝撃を受けたように呆けるユーシュリカへ、ジャスティは小さく笑いかける。


「いつだって俺は一緒にいるから、ユーシュリカが話したくなったら話してよ。一人で悩んで苦しむより、そっちの方がきっと楽になるからさ。ね?」

「ジャスティ……ありがとう、ございます……」


 ユーシュリカは思わず潤みそうになった目元を隠すように、頭を下げた。

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