十五話 サン・ルミナスへ
翌日、二人は昼頃を待って王城へ向かう。
すると橋を渡った正門前で、門番達が何やら一人の女性を見とがめ、言い争っているようだった。
「待て、我々の目の前をこれみよがしにうろつきやがって、どこの何者だ!」
「わ、私は最高神サンティーネですよ! それに待ち人を待っていただけです……!」
サンティーネだった。思わず脱力しそうになる二人である。
「嘘をつけ! どこの世界に腕を三角巾で吊って頬にガーゼを張った最高神がいる!」
言われてみればサンティーネは昨日の傷を処置したのか、俗っぽく包帯やガーゼをあちこちに貼っていた。なるほどこれでは疑われても仕方ない。
「ったく。この前も陛下に似たガキを叱ってやったばかりなのに……最近は仮装が流行ってるのか?」
見かねてジャスティ達が近づいていくが、そこに門の後ろから衛兵達を引き連れて散歩中だったリンネが通りかかってくれた。
「おお、ジャスティではないか! 夕べは大変だったようじゃの、ほれ、入れ入れ!」
自分の家に招き入れるような気安さで三人は宮殿内へ招待され、
調度品や家具の一つ一つがアリアドラの私室を
「宮殿の一室だけあって中々の豪勢さですが、私の神々しさには及びませんね……えいっ」
サンティーネも負けじと薄目になるや、腕をゆったりと開くとどこからともなく聖歌隊のような歌声を響かせつつ後光を発した。なぜ対抗しているのか。
「サンティーネ様、お怪我の方は……大丈夫そうですね」
先ほどの兵士達との一幕や今の様子を見る限り、特に辛そうな気配はない。リンネはリンネでごろごろしているので放置し、三人は机を囲んで椅子に座り、作戦会議を始めた。
「まずお聞きしたいんですけど……デイライズとは何なんですか?」
砕けた調子で口火を切ったのはジャスティだが、サンティーネは気にするでもなく。
「デイライズは……かつては正義の名の下に、ジャスティ、あなたと同じく正剣を振るっていたものなのです」
「そ――それって、もしかして……っ!」
いきなりの青天の
「はい、デイライズは……正剣の勇者でした。今は、元、という
「元……正剣の勇者、だって……!?」
信じられない、という風に顔を手首でこするジャスティ。
だが、それを連想させるものは確かに存在したのだ。サンティーネとの親しげですらあるやりとり。そしてあの――正剣と部分的な類似が見られた黒い剣。それに伴うとてつもない剣技と体技。
「じゃあ……サンティーネ様はあいつと、正魔法の誓約を……?」
「かつては、交わしていました。今は破棄されています……かの者が勇者でなくなった、その瞬間を境に」
「勇者で、なくなった……?」
サンティーネは一つ息をつき、それから言葉を選ぶようにして話を続ける。
「在りし日の昔……デイライズには家族がいました。何よりも守りたい、大切な者達が」
「家族……デイライズに……」
「しかし勇者として戦いを続ける内に、その家族もまた危険にさらされたのです。相手は途方もない巨悪であり、デイライズは全てを賭して立ち向かったのですが、それでもなお力が足りなかったのです」
「負けた、んですか……? 正義が、悪に?」
いえ、とサンティーネは断固とした口調で否定する。
「そんな事はあってはいけません。負けた正義は正義でなくなるのですから。ここで
「それってひょっとして、
「そんな魔法があるのですか、ジャスティ?」
ユーシュリカが驚いて聞き返すと、答えたのは神妙な表情のサンティーネだった。
「曙光とは……対象の潜在的にあるセーフティを一時的に引き出し、生命力や魔法力を強化する事ができるのです。ですが一定の時間が過ぎるとセーフティは枯渇した状態に陥り、その者の精神面には半永久的に何らかの後遺症を残してしまう……」
「そんな危険な、魔法が……」
思えばジャスティはこれまで、魔法らしい力は正光しか使って来なかった。
頼らずとも勝てる程の実力があったからかも知れないが、正光とて強制発動という制限があり、ならば曙光を始め他の魔法に至っては――恐ろしい想像に、ユーシュリカは思考を止める。
「果たして、デイライズは敵を撃退せしめます。しかしその時に負った後遺症がいけませんでした。それは信念の破綻、そして正義の反転――悪へ目覚めるきっかけだったのです」
「だから……勇者でありながら、勇者でなくなってしまった……?」
神との誓約を解除するには、
宣誓とは魂の契約。ゆえに神官達が誓約を解除するには大抵、生涯かかる――それほどに重い意味を持つのである。
「デイライズは正式に誓約を解除したわけではありませんでした。なので魔法自体はまだ使えたのです……本来のものとはかけ離れた形で」
「それこそが……悪魔法、なのですか?」
ユーシュリカがためらいがちに自分の考えを述べると、サンティーネは静かに頷いた。
「デイライズは正魔法と対を成す、悪魔法を作り出しました――アンクトゥワという存在とともに」
「それなら悪魔法はまさか、正魔法と体系を同じくするものなのですか……!?」
「つがいであり、姉妹兄弟のようなもの、と言って差し支えないでしょう。あの者にとっては悪魔法は
「それなら本当に……デイライズは世界を変革しようと……?」
「デイライズは正魔法と相反する属性を備え、なおかつ悪魔法は理の外にある外法ゆえに、神々は手出しできません――干渉できるのはセーフティとエゴを持つ
そう、すなわち――ユーシュリカとサンティーネの視線が一人の少年へ向く。
「真っ向から太刀打ちできるのは俺……正剣の勇者だけって事か……」
「デイライズは何世代前の勇者なのでしょうか。最後に現れた勇者は、確か二十年ほど前だったと思うのですが」
「デイライズの記録はほとんど残っていないでしょう……当時とは姿形を変えていますし、名前さえ別のものを使っていました。それにかの者はわずかな例外のみを残し、勇者である身分を誰にも明かさず、影に忍んで正義を果たそうとしていたのですから……」
いえ、とサンティーネは唇を指で押さえてかぶりを振る。
「これ以上はデイライズ自身の口から直接聞くのがいいでしょう……それが誠実というものです」
たとえ堕ちた勇者に対しても、サンティーネは誠意を貫こうとしていた。変節され、刃をも向けられた心境は計り知れぬほど複雑なものだろうに。
「ジャスティ――あの者が元勇者であり、道を違えたもう一人のあなた自身だったとしても……剣を交える覚悟はおありですか」
「もちろんです! 自分の正義に負けた相手に俺は決して負けません、次は勝ちます!」
食い気味に即答するジャスティ。心配になるくらい迷いがないその様子に、サンティーネは何かをこらえるように息を吐いて、気を取り直すみたいに目を上げた。
「デイライズは世界最強といって過言ではない黎明の軍の首領であり、人をアンクトゥワへ変え、また己が自身も計り知れない力を備えています。まさに破竹の勢い。この大陸……いえ世界そのものが存亡の瀬戸際に立たされているのは間違いなく、早急に手を打つ必要があるでしょう」
「でも、サンティーネ様や神々の直接のお力は借りられない……」
「昨日みたいなのは例外中の例外だったんですね……なんか済みません、俺だけ暴走してたみたいで」
「いえ、一分たりとも悪を生かしておけないという気持ちは私も同じです。なので準備が整えば自ら剣を振るって戦う事もある……のですが」
しゅんとうつむいてしまう。昨日の結果を鑑みる限り、さして芳しい成果を出せていない風である。
強くはあるのだが駆け引きが下手なのか、正義に対して愚直すぎるために、敵にも公平さを無意識に求めてしまうのかも知れない。
「足下をすくわれたり、足手まといになったり……神なのに情けない姿ばかりお見せして」
「そうですね……デイライズにもずっと言い負かされてましたし」
「口下手なのはジャスティもじゃないですか……」
ユーシュリカは苦笑した。戦いの得手不得手はともかくとして、ジャスティもサンティーネも弱点というか気質がよく似ている。
今までは目の前にいるこのおっとりとした女性が正魔法を生み出したのだとはどうしてもイメージが結びつかなかったが、そんな一長一短が激しい不器用な人だから、魔法もまた性格を体現したような両極端な特質を持つに至ったのだろうか。
「だけど疑問があるな。アンクトゥワ化を促進できる力があるならデイライズ一人で充分なのに、わざわざ何年もかけてじっくり各地を侵略しているのはどうしてだろう。今回に限っては一人きりだったし……」
「デイライズは
「どのみち、デイライズに関しては分からない事が多すぎますね……どこかに謎を解くための手がかりは……」
そうだ、とジャスティが何かをひらめいたように叫んだ。
「サン・ルミナスへ行こう!」
「サン・ルミナス……教会に、ですか?」
「そう! そこで神官達の力を借りよう! アルソラルの軍だけじゃきっと黎明の軍は打倒できない……でも神魔法の支援があれば、まったく話は違ってくるはずだ!」
それに、とジャスティは中腰になり、きらきらと光る目で二人を見比べる。
「教会なら歴代の勇者達の資料だって残ってるはず。それを見せてもらえば、もしかするとデイライズの正体や悪魔法、アンクトゥワについても何か分かるかも知れない。そうすればおのずと攻略法も見えてくると思う……!」
サンティーネとて勇者の全てを知る訳ではない。誓約する前の事ならなおさらだ。ならば彼らの素性や半生を客観的に記された記録を入手し読み解けば。
「戦力と知識がいっぺんに揃っちゃうわけですね……でも」
水を差すようですが、と後ろ向きな意見を口にするのは、意外にもユーシュリカだった。
「ジャスティは正式に教会に認められた勇者ではありません……これまでの慣例では、試練の山に挑む者は必ず教会の許諾を得て、ないしは教会そのものから挑戦者を選出するかのどちらかだったのです。でも、あなたは教会とは何の交渉も、面識すらないはず……」
「だったらユーシュリカが取り次いでくれれば」
「い、いえ、あの、わ、私は、その……っ」
なぜかあたふたと要領を得ず狼狽するユーシュリカに、ジャスティはぽかんとする。
「ふっふっふ……どうやら余の出番のようじゃな!」
その時、三人が話し合っている間平和な寝息を立ててぐっすり眠っていたリンネが唐突にまぶたを開き、くるりとジャスティの隣の椅子に腰を下ろしながら腕組みをした。
「おじいちゃん――じゃない、大司教ローデルタに会いたいのか? 奴とはかれこれ長い付き合いじゃ。ここは余が直々に手紙を書いて、教会との間を取り持ってくれようぞ」
「いっ、いいんですかリンネ陛下! そんな事までしてくれるなんて……」
「……のうジャスティ。臣下がいない時は余の事をリンネ、と呼び捨てにするようにと言ったはずじゃがの」
言われていない。だが記憶があやふやなジャスティはごめん、と素直に謝った。
「これもお国の一大事じゃ。たまには王らしい仕事をせんといかんしの……まあ難しい事はおぬしらに任せる。明日には手紙を用意できるゆえ、その後はよきにはからうがいい」
おお、と三人は――最高神まで含めて――感心したような声を上げる。ともあれ、これで教会へ赴くための布石は揃ったのだ。
「そういえば陛下……じゃなくてリンネ、昨日助け出した奴隷達の事なんだけど……」
「む? あの者達は仕事や家が見つかるまで城に
「……! ありがとうリンネ……っ!」
心の底から嬉しそうに、ジャスティは破顔する。
「奴隷制の是否についてもふんきゅーしておるそうじゃ。余には難しくてついていけん」
「奴隷制は正義じゃないよ」
「うむ、ジャスティが言うならそうなのじゃろうな。余も正義のために家臣どもにはそのように申し伝えておくとしよう!」
政がこれでいいのかとユーシュリカは頭を抱えそうになったが、徳が高い中堅どころの家臣団は生き残っているらしいので恐らくまだ王国は首の皮一枚つながるだろう。
するとリンネはもじもじと身をくねらせ、人差し指同士を胸の前でとんとんとさせながら、頬を赤らめて上目遣いにジャスティを見上げて。
「それで……のう、ジャスティ」
「え? なにかな、リンネ」
「父上も兄上も姉上も……頼れる者はもうみんないないのじゃ。だからジャスティよ。勇者としての務めが何もかも終わった後で構わぬ、余の側に……いつまでもいてはくれんか」
「えっ……そ、それってつまり……!」
どきり、とジャスティも意識したのかぼっと頭から湯気が出たが、その刹那にユーシュリカが身体を割り込ませ、にこやかにリンネへ言った。
「陛下、差し出がましいようですが、純朴なジャスティをあまり迷わせる事を仰るのは、どうかおやめいただけませんでしょうか……?」
「む……なんじゃおぬしは」
ユーシュリカとリンネ、二人の間で一瞬火花が散り、ジャスティは心ここにあらず。
サンティーネだけがくすりと穏やかに、その光景を眺めていた。
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