十四話 悪魔法デイライズ 後編

 大剣を何度か空振りさせて手になじませ、肩へ担ぐように慣れた動作で構えるサンティーネと、その傍らで正剣を握り直すジャスティ、そして後衛にはユーシュリカと、三対一の形勢となっているのだが、デイライズはこれといって怖じ気づいた風もない。


「ふ、面白い。命と創造を司るアンクトゥワ――その悪魔法セイフティ・ゼロへ抗ってみせるがいい!」

「その言葉――後悔させて差し上げます!」

「いくぞ、デイライズ……ッ!」


 ジャスティとサンティーネが同時に踏み出す。

 先んじて間合いへ入ったのは意外にも、大剣の重さをまったく感じさせぬ身軽さを備えるサンティーネだ。彼女は大剣を大上段へ持ち上げ、一気に振り下ろす。


「はあああああぁぁぁっ……!」


 その一撃はデイライズもろとも地を裂き天を割り、王都全体を鳴動させるかのような威力を伴っていた――のだが。

 放たれた大剣は地面を深々と断裂させはしたもののデイライズを断ち切る事はかなわず、なんとサンティーネ自身も後方へ通り抜けてしまっていたのである。


「く……やはり、通りませんか」

「無意味だと初めから分かっていた事だろう、当たらないならものの数ではない――死ね」


 デイライズが半身を振り向けて手のひらをかざすと、そこから底冷えのするような闇の波動が放出され――サンティーネはすんでのところで大剣を杖代わりに側転して躱す。


「サンティーネ様、今のはっ、どうして……!?」

「デイライズに対しては――私や神々の攻撃は、一切通用しないのです」


 苦り切った険しい目でサンティーネが答え、ジャスティは驚愕とともに瞠目どうもくする。


「そ、そんな……!」

「ジャスティ、私も慈愛の神に問いかけたところ、あの者の力はあまりに絶大――我々では指一本すら触れられないと仰せです……っ」


 ユーシュリカの言葉はその絶望をさらに後押しするものだった。まだ広場に残り、身を潜めながらも戦況を見守っていた群衆もまた、総毛立つように震えている。


「か、神ですらかなわないなんて……俺達、一体どうなっちまうんだ……!」

「希望を捨ててはいけません! 絶望はアンクトゥワ化の引き金となってしまいます……いついかなる時も、正義を胸に前を向き続けるのです!」

「無駄だ、サンティーネ。世界を牽引して来たはずのお前達神の無力は今や歴然。だというのにこの期に及んで正義を説くなど、もはやむなしいとは思わないか……?」


 圧倒的なデイライズの力。誰もが怯み、サンティーネでさえ歯がみするしかない、どうしようもない状況。

 ――けれども。


「だったら……俺が相手だ!」


 正剣の切っ先をかざしたジャスティが、サンティーネとユーシュリカを背に守るようにして、デイライズへ立ちはだかっていた。


「話を聞いていなかったのか……? 無駄だと言っている。抵抗も、逃走も、いずれは我がイド・マテリアルに等しく呑まれゆく定めというのに」

「サンティーネ様が戦えなくても、まだ俺がいる! どれだけ敵が強大でも、誰もが諦めてしまうような局面でも……俺だけは背を向けない、勇者として戦い抜く!」

「ならば余興もよかろう……神をも超えし我が力――味わうがいい!」


 デイライズが両手を指揮者のように振った瞬間、黒雲から大小無数の竜巻が出でて、上からすり潰さんが如く城下町を好き放題に打ち壊し、食い荒らし始めるではないか。


「くっ……人々を守らねば!」


 すぐさまサンティーネが大剣を地面へ突き立てると、白い花を模した魔法陣が展開され――王都をぐるりと囲むように、あかね色のオーロラを空中へ張り巡らせたのである。


「私が食い止めている内に、どうかデイライズを……!」


 オーロラのカーテンは防壁として竜巻を跳ね返してはいるものの、サンティーネのセーフティをじりじりと消耗させているようだ。

 長くは保たないと踏んだジャスティは、雄叫びを上げて斬りかかる。


「ふっ……」


 するとデイライズは愉しむような笑みを張り付け、右手に高濃度のイド・マテリアルを集束させると、一振りの黒い長剣を精製する。

 どうしてか――その意匠はジャスティの握る正剣トワイライトと酷似していた。


「うおおぉぉぉぉっ!」


 全力で打ち込むジャスティ。斬り下ろし、払い、薙ぎ、と染みついた技の数々を繰り出し攻め立てていく。高まる正義のエネルギーもあいまって、剣の力は最大のそれに近い。

 しかしデイライズは優雅なステップを踏みながら変幻自在の足裁きで押しては引き、さながらダンスのような身のこなしで翻弄し、黒い剣を合わせてさばいていくのである。


「いい攻撃だ……鋭く速く、何より魂が乗っている……私の血もいつぶりか、たぎってくるぞ!」


 熱を迸らせる双方のせめぎ合いに反し、鳴り響く金属音はかえって少ない。二人の剣戟けんげきに音の方がついて来れていないのだ。

 幾十本もの残像を残し、互いに踏み込みないしはしのぎ、烈風のような剣の嵐が壮絶な音色を奏で、弾かれた刃に石畳が斬り裂かれていく。


「そらそら、ぼうっとしているなよサンティーネ!」


 と、一旦互いの距離が離れたと見るやデイライズが空いたままの左手から黒い槍を作り出し、魔法防壁の維持に努めているサンティーネへと射出していた。

 今しも貫かれようとしたサンティーネだが、寸前で自らの眼前に大剣を掲げると円形状の光輪を生み出し、オレンジの光を四方へ放ちつつ紙一重で黒い槍を押しとどめていた。


「くっ……!」


 だが力のほとんどを王都を守るために費やしてしまっているためか、槍が周囲の粒子を吸い込んで刻一刻と巨大化していくのに対し、サンティーネは次第にヒビの入っていく光輪とともに耐え忍ぶ事しかできない。

 無情にも亀裂の入った部分から刃のような粒子が飛び出し、それが女神の肩や頬、首筋を傷つけ、人と同じように赤い血を流させていた。


「慈愛の神サラ・ド・ホライゾンよ……母なる最高神サンティーネを、今こそその功徳くどくにおいて助けよ、神魔法ハーモニー・ザ・リアクト!」


 ユーシュリカが動いた。杖を携えて集中し、必要な文言を唱え終わると同時に白い花びらが舞い上がり――サンティーネの張り続ける光輪を修復していくではないか。


「さすがにそうたやすくは殺らせてくれんか。まあよかろう、次は――」

「させるか、デイライズ!」


 追撃をかけようとするデイライズへ、ジャスティが食らいついていく。その勢いは先程よりも数段増し、間断なく振るわれる打ち込みにデイライズは防戦を余儀なくされる。


「これほどとは驚かせてくれる――ならばこれはどうか!」


 デイライズは中距離を保ちつつ左手から闇の波動を放出した。たとえて言うならそれは水平の竜巻。螺旋を描いて迫り来る漆黒の闇に、ジャスティは直撃を覚悟するが。


「詰めが甘いですね、デイライズ……!」


 懸命に防壁を補強し続けるユーシュリカのおかげで多少の余力を得たサンティーネは、今度は離れた位置に立つジャスティの正面に光輪を呼び出す。

 光輪一つに強烈なイドの波動を跳ね返す程の強度はないが――打ち砕かれるのと引き替えに、勇者の身を守る程度の用は成せる。何せ、神の魔法なのだから。


 デイライズの表情に初めて焦燥がよぎった。


「サンティーネ、貴様……!」

「ジャスティ、今です!」

「はああああぁぁぁぁぁぁッ!」


 攻撃動作、その終わりの隙ができる瞬間。

 ジャスティは思い切り突っ込んでいた。デイライズも驚異的な反射神経でもって防ごうとするが、ろくに力の入らない剣では、正剣の猛撃を受け流す事などどだい不可能であり。

 ガラスの四散するような音を残して黒い剣が根本から砕け、空気中に溶けて消える。

 間髪入れず、ジャスティの腕から伸びた白き剣が――身動きを止めたデイライズの喉元へ突きつけられていた。


「や、やった……やりました、ジャスティ!」


 支援を続けていたユーシュリカも、思わず安堵に胸をなで下ろしかけ――なのに、その直後の出来事に心臓が凍り付いてしまう。


「やれやれ……ここまでできるとはな。どこまでも想像を上回ってくれる」


 どこか楽しそうに呟いたデイライズの右手は、まだ持ち上げられたままで――一呼吸後には、再生成された黒い剣が、ジャスティの胸元へ添えられていた。

 くしくも、互いの急所を狙い合う形。どちらも動けず、膠着こうちゃく状態である。


「う……ああっ!」


 その均衡を破ったのは、サンティーネの悲鳴だった。


「サンティーネ様!?」

「油断したな……お前達は、私に気を取られすぎたのだ――再生成できるのは何も剣にとどまらん」


 とっさに飛び退いたジャスティが振り返り、そして目にしたのは、サンティーネの光輪を貫くようにして穿うがたれ、彼女のたおやかな手に突き刺さっている、黒いナイフ。


「……すでに投げていた。黒の槍より剥がれ落ちたその欠片を、波動へ混ぜ込んで、な」

「そん……な! サンティーネ様!」


 ユーシュリカが駆け寄り、具合を見て――背筋が粟立あわだつような感覚に襲われる。

 サンティーネの手からはとうにナイフは抜き取られていたものの、手の甲を中心として黒いあざのような傷が広がり、しかも血管のように腕まで伸びて根を張っていたのである。


「こ、これは……そうです、治癒魔法を!」


 ただちにユーシュリカが神魔法を唱え、優しい光が触れていくが――まるきり効果がない。汚濁おだくを思わせる黒い傷は脈打ち、少しずつ皮膚を侵食しているかのようだ。


「サンティーネ様! ……デイライズ、お前――ッ!」

「そう激昂するな。私の仕事は終わった。今回は剣を引かせてもらおう」


 ジャスティがあらん限りの怒りとともに睨み据えるが、デイライズは拍子抜けするほどあっさりと黒い剣を消し、両手を上げてみせる。


「な、なんのつもりだ……逃げる気か!?」

「そう取ってもらっても構わない。彼我ひがの実力は測れたからな……これ以上は私も続ける気はなくなった」

「何を言う……まだ本気を出してもいないくせに!」

「そこまで見抜くとは、やはりお前は今までの勇者とはものが違うな……ご褒美だ、一つ忠告しておこう。――その女は自らに忠実な人間を何より愛する。せいぜいその諸刃の刃を鍛え上げ、愛想を尽かされないよう正義の味方でいる事だ……なあ?」


 汗一つなく、それでいて艶やかに口角を吊り上げるデイライズ。


「ふざけるな、正義は絶対に屈さない! どんな苦境に陥ろうとも、何度でも立ち上がって――」


 その瞬間。肉薄したデイライズがジャスティの顎に細い指を添え、持ち上げていた。


「内なる悲鳴が聞こえるぞ。八年前のあの日から……お前の悲しげな慟哭どうこくは今も止まっていないようだ」

「な……ぁ……お、お前……ッ!」

「そのまっすぐな歪み方は嫌いじゃない……目を背け続ける限り、いずれ真の意味で羽化うかするだろう。ゆえに正義などという欺瞞ぎまんに隠された言葉ではなく、次はお前自身の『本音』が聞きたいものだ――」

「ゆ、揺さぶりをかける気か、そんな言葉で俺は……」


 デイライズは構わず、これまでにない熱を帯びた金の双眸を間近へ寄せ、ささやくように冷たい息を耳元へ吐きかけて。


「……お前が堕ちるその時を、手ぐすね引いて待っているぞ……また会おう」


 黒雲が急速に縮み始め、王都を覆っていた竜巻がデイライズの元へと引き寄せられていき――寸時、身体を引きちぎられるようなかまいたちめいた強風が吹き付けて来たかと思うと黒い粒子がまとめて薙ぎ払われる。

 そうして見えた空はすっかり星々の煌めく夜の晴れ間を取り戻し、その場にはデイライズも、ギャンボリックの姿も忽然こつぜんと消え失せていた。


「あいつは……去ったのか。そ、そうだ、サンティーネ様!」


 ジャスティが駆け寄ると、サンティーネは腕を庇うようにして立ち上がる。


「私ならこの程度……平気です。ぜんぜん痛くありません……か、神ですので」


 ジャスティ、とユーシュリカが何かに怯えるような目で声をかけた。


「まさか……デイライズの本当の狙い、とは……」


 二人して息を呑み、サンティーネを見やると、女神は金の頭を振って毅然と見返す。


「とにかく、事ここに至った以上、至急デイライズへの対策を講じねばなりません……ですが私達も疲弊ひへいしきっています。一度時間を空け、英気を整えてからとしましょう」

「それなら明日の正午はどうでしょうか? そのくらいなら私のセーフティも回復していますし――」


 ちらりとユーシュリカがジャスティへ視線を流すと、こちらも問題ないと頷き返す。


「ならば……合流場所はどこにしましょうか。私はこの街の地理に明るくはないですし、できれば人目に付かないところで話し合いたいものですが」

「では、王城の正門前はいかがでしょうか。目立つ場所ですので、そちらで落ち合ってから適当な宿へ移動するというのは」

「分かりました。それでは二人とも、今日はお疲れ様でした……失礼します」


 サンティーネがおもむろに光に包まれて消えたが、その輝きも儚げだ。

 ジャスティはユーシュリカはどことない不安を抱えつつ、駆けつけて来た城からの兵士達に事情を説明し、デイライズの再襲来に備えて厳戒態勢が敷かれる中、宿で休んだのだった。

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