十三話 悪魔法デイライズ 前編

「もっ、もう嫌アル! 口先だけで謝り続けるのもそれはそれで辛いアル!」


 広場に戻ると日は落ちかけ、宵闇が迫り始めている。耐えかねたギャンボリックが騒ぎ出し、そろそろお開きにするか、とジャスティ達が踏み出しかけた、その瞬間だった。

 突如、空が暗くなる。何事かと人々が天を仰ぐと、いつの間にここまで動いて来たのか、なんと王都全体を覆う程の、巨大な暗雲が影を落としていたのである。


「な、なんだ……この空? それに――」


 言いかけたジャスティ達へ、これまた何らの予兆もなく、横殴りの突風が襲いかかる。

 さながら黒雲が呼び寄せたかのようにその風は濃度の高い黒い粒子を含んでおり、二度、三度と断続的な津波の如く建物も人もひとしなみに王都を揺るがしていた。


「この粒子……まさかっ!?」


 ユーシュリカの表情から血の気が引いた直後――やって来たのと同じように、その『波』は唐突に収まった。しかし黒雲と粒子は以前として城下町に垂れ込め、そして。


 ――波のやって来た方向に、一人。何者かが佇んでいる。


 燦然さんぜんと輝き、しかし混沌とした光を渦巻かせる金色こんじきの瞳が、静かに上げられた。

 絵画から抜け出てきたように端麗で、かつ男女どちらともつかない、中性的な顔立ち。

 肩まで伸びた髪は夜闇の漆黒と月明かりの水底を思わせる深い灰青色のグラデーション。体型はスレンダーで、襟元まで覆う長い黒マントを羽織り、首もとには白いスカーフ。

 黒いズボン、そして膝丈まで伸びる黒いブーツと、夜を塗り込めたような黒ずくめでありながら、うっすらと光沢のあるマントより覗く白いスーツがミステリアスな雰囲気を引き立たせており、目を奪われたかのようにその場の一同は生唾を飲む。


「お前……お前は……!」


 一人、ジャスティだけがその者の放つ禍々まがまがしい気配を敏感に感じ取り、身構えていた。


「私は……デイライズ」


 血のような紅を引いたような唇から、竪琴の奏でる音色にも似た美しい声色が漏れた。


「そう――アンクトゥワ・デイライズだ。お初にお目にかかる、勇者様」


 にぃ、とぞっとするような凄艶な笑みを浮かべ、うやうやしくお辞儀をしてみせる。


 仕草一つにも洗練された品位があり、直前に言い放たれた名乗りを耳にしたにも関わらず、その者に見とれている人間は多かった。


「デイ……ライズ……! こいつが……っ」


 アンクトゥワで構成された軍を率いて各国を恐怖のるつぼへ陥れ、また謀略の一環としてギャンボリックを使い王都を生きながらの屍にも等しい傀儡かいらいへと変えようとした、黒幕。

 そして何より、ジャスティの成す使命の最大の障害――。


「あ、あなたはどうしてここに! 何のつもりで……っ」


 激情のせいか動けないジャスティの代わりにユーシュリカが詰問すると、デイライズはそちらへ視線を移し――数拍だけユーシュリカを無言で見つめ、ふっと笑みをこぼした。


「――え……?」

「なに、どうやらお前達には私の下僕が世話になったようでな……」


 デイライズは流し目を広場奥にいるギャンボリックへ向けて、指を一つ鳴らす。

 するとギャンボリックのいる場所を中心に、空気中を霧のように漂っていた黒い粒子が集まり、一つの小規模な竜巻を形成すると――それがデイライズの隣までアーチのように湾曲し、竜巻が静まった後には、なんとそこにギャンボリックが座り込んでいたのである。


「この男は見殺しにするには忍びない……よって回収させてもらった」

「お……おおぉぉ!? デイライズ様、ありがとうございます! このギャンボリック、一つたりとも情報を漏らさずどんな責め苦にも耐え抜いた甲斐があったアルよ!」


 せっかくのデイライズにつながる手がかりが奪われてしまった――しかし、ジャスティ達の前には今まさにその本命が、何の思惑あってかたった一人で乗り込んで来ているのだ。


「お前は……何が目的なんだ!? どうしてアンクトゥワ達を引き連れて、大陸を荒らし回るような真似をする!」

「今さら言うまでもないだろう……悪を成すためだ。お前が正義を遂行する宿願を持つように、私にもすべき事がある――具体例を挙げるなら、そうだな」


 またデイライズが腕を上げ、頬に陰惨いんさんな嘲笑を張り付けながら指を弾くようにした。


「……全人類をアンクトゥワにする、とかか?」

「なっ――ま、まずい、みんな逃げ……」


 ぱちん、と再び指が鳴らされると、頭上の黒雲から黒い粒子を含んだ竜巻群が王都へ降り注ぎ、ジャスティの警告もむなしく建物が破壊され、逃げ遅れた人々を巻き込み、もがき苦しむ悲痛な叫喚きょうかんが上がって――やがてそれは、忌まわしいうなり声へと変化する。


「こ、これは……そんな……!」


 竜巻を浴びた人々は瞬く間におぞましい異形――アンクトゥワへと変貌を遂げていたのだった。


「この粒子の名は黒源物質イド・マテリアル。浴びた者のエゴを増幅させて安全装置セーフティから解き放ち、本来あるべき姿――アンクトゥワへと変容させるのだ。アンクトゥワは悪魔法を使えば使うほどに身内のイド・マテリアルを増大させ、強力になっていく。……これがアンクトゥワ・システムだ」

「なんて事を! お前が……っ、お前が作り出して――世界に散布した大本だったのか!」

「八年前の黒き太陽を覚えているか? あれもつまるところ、イド・マテリアルの塊だ。ただ視認するだけで人間のエゴを刺激し、アンクトゥワ化を促す……実に便利だったよ」

「お――前えぇぇぇぇっ!」


 怒髪天をく。それ以外に形容できない程に怒気で満ちたジャスティは、胸から正剣を引き抜き始める。

 ユーシュリカは周囲の人々を逃がそうとしているが、デイライズは悠々と肩をすくめて。


「ふふ……無力な大衆を守護し導く偉大なる魔法のはずが、わざわざ避難させねばならん手間をかけるとはとんだ本末転倒ではないか……なんとも不便なものだ」

「うるさいっ……! ぐぅ……!」


 ただ剣を抜くだけでもジャスティは歯を食いしばって額に汗をかき、呼気を荒げている。


「ジャスティ、まさかまだ反動が……!」

「だい、じょうぶ……! 今は、今はあいつを……ッ!」

「ほう……正光はまったく機能していないにも関わらず相当の力を得ているようだな。それはお前の正義が輝きをもたらしているのか――」


 デイライズはあくまで余裕を崩さず、見下すような笑みで睥睨へいげいし。


「……それとも単なる、私怨かな?」

「黙れええええぇぇっ!」


 正剣を把持したジャスティが駆け出そうとするも、そこにアンクトゥワとなった人々が阻害するように立ちふさがる。


「邪魔だ!」


 それらを一薙ぎで斬り伏せ、浄化しつつも息を切らして構え直した矢先――突然まばゆい閃光が暗鬱とした黒雲を貫き、地上へと矢のように突き刺さる。


「……ジャスティ、落ち着きなさい。気が乱れていますよ」

「……サンティーネ様!」


 混迷を極める戦場へ神々しくも降り立ったのは、最高神サンティーネその人であった。


「正義は常に理性でもって果たされなければいけません……そうでなければ忌まわしいエゴに付け入る隙を与えます。くれぐれも忘れぬように」

「は、はい……っ」


 なだめ、諭されたジャスティは頭に昇っていた血が急速に引いたのか、平静さを取り戻しているようだ。

 対して、デイライズは慇懃いんぎんな調子で口を開いた。


「これはこれは、お久しゅうございます、黄昏の涙、サンティーネ様」

「……その名で呼ばれるのは久しいですね、デイライズ」


 ジャスティに向けていた暖かな眼差しから転じて、サンティーネは鋭く眼を細める。


「あなたはなにゆえに悪を成そうとするのです……それに何の意味があるというのですか」

「お前と同じ考え――と言ったら?」

「邪悪なあなたなどと同じにされたくはありません。訂正なさい」

「果たしてそうかな……? サンティーネよ、お前こそ正義を錦の旗のように掲げ、勇者を通し正魔法で人々から意志を奪い、正しさのみを至上とする価値観へ統一し都合良く操ろうとしているではないか」

「な、何の事です、私はそのような……正義とは正しいと書いて正義で、良いものなんです。だから人々は唯一無二の正義によって導かれるべきなんです……!」

「その実態はただ人を戒め、自由もなく、成長もない……行き着く先は退廃たいはいにして緩慢なる終焉に過ぎん――だが悪は違う」


 デイライズは腕を振り上げ、王都中へ高らかに演説するかの如く語った。


「人は自らの生きたいように生き、死にたいように死ぬべきだ。そこに何らのかせをつけるべきではない。悪こそ人間の本質である。悪徳、戦い、憎しみ、悲しみ、おおいに結構! ゆえに私は不当にも抑えつけられていたエゴを解放し、アンクトゥワにて地上を埋め尽くそうとしているのだ――それが救世であると信じている」

「いえ、違います! 正しいのは私で、悪いのはあなたです! 復唱なさい!」

「おやおや、相変わらず物事を二極化させるのが好きな女だ。それにどう反論してくれるのかと思いきや、あまりに稚拙ちせつ、あまりに幼稚――感情に任せたその程度では議論にすらならんよ、サンティーネ」

「くっ……べ、別に私は怒ってません!」

「悪こそがこの世の真実にして摂理。尊い生命を守る、法で律する、隣人を愛するだのと愚かな詭弁で民衆を惑わせていたお前の手から人を救い出し、今度は生命を狩るアンクトゥワへと魂より生まれ変わらせ、あるべき姿、あるべき世界へと作り直す――それが私の最終目標だ」

「そんな事をしていたら、世界が滅んでしまいます! 人が人を思いやって、支え合ってこそ、こうして生きて来られたのに!」


 ユーシュリカの叫びに、デイライズは逆に迷いのない微笑みを返して。


「それも一興! 正義に縛られ生きる事への意欲をなくし、神の傀儡も同然となりただ呼吸をしているよりは――無限の本能的欲求イドのままにやりたい事をやり、自分の意志で後悔なくその生に幕を引く……そんな結末の方がよほどマシだと思わんか?」

「そんなの……全然マシじゃないです! 正義は全てを救いますが、悪は力のある限られた人しか救いません!」

「だからといって他者が一方的に管理して良いものではない。幸福とは欲望を持つ一人一人が己で見いだし、そして運命を切り開くものだ――まあいい、どのみちお前達は排除するとしよう……いかな路傍ろぼうの石といえどな」

「あ、あなた一人でかなうと思っているのですか! 私が来た以上、好き勝手にはさせません! くお退きなさい!」


 サンティーネの一喝に、いや、と横やりを入れたのはジャスティだった。


「ここでこいつを逃がすわけにはいきません……俺、こいつを倒します!」

「でも、ジャスティ……今のあなたでは、まだ戦うには早すぎるのです……!」

「どうやら意見が食い違っているようだが、仲良くやるのがお前達の美徳なのだろう――三文芝居に興味はない、私を退屈させるようならこちらから仕掛けさせてもらうが?」


 サンティーネは唇を噛み、戦闘態勢にあるジャスティとデイライズを粛然と見比べ。


「……致し方ありません。それならば私も助太刀しましょう。今この場にて、デイライズを討ち滅ぼします!」


 サンティーネが天へ向かって右手を突き上げると、その掌中が淡く光輝き――勢いよく真横へ振られるや否や白い粒子が星屑のように散って、一寸後には身の丈程もある黄金の片刃の大剣が握られていたのである。

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