十話 女王の御前で大乱戦

 まっすぐ宮殿まで上がり、祭祀や行事に使うであろう広場を正殿まで抜け、一枚一枚彫刻が施された回廊を進み、精緻な意匠の細工が彫り込まれた床が出迎える謁見の間まで通されたジャスティとユーシュリカは、リンネの到来を半刻ほど立ったまま待っていた。


「待たせたな。改めて名乗ろう。余こそがアルソラル王国の王、リンネ・テンガイなのじゃ」


 裏手から登場したのは、絢爛けんらんに装いを変えて登場したリンネだった。手入れされた白髪には太陽をモチーフにした額飾りを主とし、星々の星座のように惜しげもなく象嵌ぞうがんされた玉が添えられ、身じろぎするとしゃりん、と鈴の音のような音を立てている。

 そしてさながら地上に舞い降りた蝶の如き雅でゆったりとした柔らかい着物。胸元や腰には世界中から二つと存在しえない価値の物品のみを厳選して集めた装身具の数々が銀河のようにあますところなく飾られ、玉座の天蓋にある竹を模した豪華な御簾みすの脇には色とりどりの玉の枝がぶら下がり、光を方々へ反射して虹のような輝きを放っている。


拝謁はいえつの機会を賜り恐悦至極に存じます。私はサン・ルミナスのユーシュリカと申します」


 ぼけっと突っ立っているジャスティとは対照的に、ユーシュリカがひざまずいてそれは完璧な礼儀作法で挨拶すると、玉座に座りながら御簾を放り上げたリンネは手を振った。


「よい、顔を上げるのじゃ。余とおぬし達は友人同士であろう?」


 いつそうなったのかは不明だが、リンネからはおおらかというか砕けた感じというか、悪く言えば何事にも無頓着むとんちゃくそうな気質が窺える。

 少なくとも周囲を威圧する覇気や目を引いて離さないようなカリスマといった国主らしさはまるで感じられず、尊大ではあるものの見目の良い子供が着飾って偉ぶっている印象だった。


「ワタシの目が行き届いていないばかりに面目次第もございません! この上は陛下に手を上げた番兵は一族郎党死刑にしますのでしばしお待ちあれ!」

「そ、それはちょっと可哀想じゃのう。次から気をつけるようにだけ言っておくのじゃ」

「おおっ、なんと慈悲深きお言葉! 陛下こそ王の中の王でいらっしゃる!」


 側に控えたギャンボリックはしきりに揉み手をし、それから感極まったようにハンカチを顔へ当てている。ところで、とリンネのまん丸な目がジャスティへ向いた。


「おぬしの名を聞いてもよいかの」

「俺は正剣の勇者、ジャスティ!」

「おおっ、正剣の勇者とはまことか! ついに勇者殿が現れたとなると、いよいよこの世は正義によって救済されるのじゃな!?」

「うん」

「せ、正剣の勇者……マジアルか?」


 と、ギャンボリックはなぜかぴくりと眉を動かし、そそくさとリンネへ近づくと、耳打ちするようにささやきかけた。


「恐れながら陛下。この者は勇者と名乗っておりますが、きっと嘘と思われます」

「な、なんと!? 嘘じゃったのか!?」

「それだけではありません! 多分この不届き者は陛下より玉座を簒奪さんだつし、おそらく陛下のお命をもしいし奉らんとしているのです。ワタシは頭が良く、大臣なので分かります」

「そ、そういう事じゃったとは……そのために余に近づき、一芝居打ったというわけか。うぬぬ、許せぬぞ!」

「――え、あの……本当にさっきから何を仰られて……」

「問答無用ぞ! 余の純情を弄んだ罪は重い! 誰か、この反逆者どもを捕らえよ!」


 本気でついていけないユーシュリカが真顔で自失するのもよそに、知らない罪状まで追加したリンネが呼ばわると、すぐさま背後の扉が開き、多数の近衛兵達が駆け込んでくる。


「こ、このままじゃまた地下牢に逆戻りだ……戦うしかない!」

「でも勇者様、まだ薬が抜けていないのでは……」

「だいぶ力は戻った、けどこの人数を素手は辛い……だから正光ジャスティス・ライト――みんな、正義として生き抜くんだ!」


 ジャスティが胸から引き抜いた正剣を掲げると、黄昏色の光が兵士達を押し包み――。


「うおおおおおおおォッ! 曲者くせものどもをぶっ飛ばせ!」

「魂よりあふれだす正義の炎ッ! この力なら陛下を守れるッ!」

「我が総身は盾にして矛……護国の鬼となろうとも、この手で怨敵討ち果たさん……!」

「あ、あれ?」


 正光は彼らを無力化するどころか逆賊であるジャスティらからリンネを守り抜くべく、限界を超えた強烈な力を与えてしまったようだった。

 随伴して来た神官数名には影響は薄いものの厄介な事に変わりはなく、仕方なくジャスティは正剣を振って剣圧で近衛兵達を薙ぎ払い、全員昏倒させておいた。


「おおお……! なんという力、ぴっかぴかで凄いのじゃ!」

「なんて奴アルか……近衛兵百五十人は選び抜かれた精鋭、その一人一人が大陸で名をはせた師範級の実力を有しているというのに、たった一撃で……っ」


 直後、一人の伝令が宮殿に駆け込んで来た。彼はあたりに広がる惨状にぎょっと立ちすくみはしたものの、職務を果たすべく片膝を突いて叫ぶ。


「申し上げます! 城内にて奴隷達が反乱を起こし、次々と脱走しております!」

「なななっ、ありえないアルよ!?」

「そう……こんな風にな!」


 伝令が自分の鎧兜をはぎ取ると、中からなんとジェネスが顔を出した。しかも数秒遅れて、のんびりとした足取りでフードの女――ファミリアまでが歩み出してくるではないか。


「あ、ジェネスさんにファミリアさん……お二人ともどうしてここに!?」

「俺は王様に一言文句言ってやりたいから、みんなを逃がした後やって来たんだ」

「あたしはまぁ……野暮用があってね。――ねぇ、ほんとの雇い主様?」


 ファミリアが前髪越しに射貫くような視線を送ると、そのターゲットであるギャンボリックは蒼白な表情でたじろいだ。


「あんたの指示であたしはわがままお嬢様の護衛お守りをしていた……そこで稼いだ大金と引き替えに同胞達に手は出さないと約束してね。――それが帰ってきてみたらみんな檻の中ときた。これはどういう事だい」

「ぐぬぬ……だって仕方なかったアルよ――様がもっと人手を寄越せと!」

「デイライズ……デイライズだって――!?」


 ジャスティが目を見開くが、二人の問答はなおも続く。


「どっちみち契約違反じゃないか。それならこっちにも考えがあるってもんさね……そのために勇者様や狼ぼうやに手を貸してやったんだ」

「こ、このワタシに刃を向けるつもりアルか!? それにお前とてアンクトゥワになっていたはず……!」

「アンクトゥワも用心棒もとっくに廃業さ。さあ覚悟してもらうよ!」


 陛下、とギャンボリックは血相を変えて泣きつく。


「こ、この者どもがワタシの命を狙っております! ワタシがたとえ悪の手に落ちようと、国を挙げてのご威光にていずれ必ずこの連中に裁きを……!」

「騙されてはいけません、陛下!」


 その時、ユーシュリカが毅然として進み出る。


「ギャンボリックは特殊な麻薬を城下町に流し、罪もない人達を牢獄に閉じ込めていたのです! 奴隷商会とも通じ、そのルートからさらに人をさらい続けているんです!」

「なんと、それはまことかギャンボリック!」

「真っ赤な嘘アル! ありもしない出任せを抜かすなアルよ!」

「嘘なんかじゃないよ。現にあたしはそいつから胸くそ悪い計画をある程度聞かされていたからねぇ。おかげで商会から事情を聞き出せて、スムーズにここまで来れたってわけさ」

「……ギャンボリックよ、もし嘘かまことかいずれかなら、この余の質問に答えてみせい」


 おごそかに宣告したリンネに、ギャンボリックは震えつつもなんなりと、と頷いた。


「ででん! 第一問! ラセツ将軍は今どこで何をしている!?」

「た、確か城下町の視察をしているはずですが……」

「ぶーっ外れじゃ! ラセツ将軍は有休を取って、妻子を交えてバカンスに行っておる!」

「な、ななななななんですとー!?」

「……あれ、ラセツ将軍ってさっき、町中で会いましたよね……?」


 ユーシュリカは思い出す。ジャスティの救出を手伝ってもらったのは記憶に新しく、特に休養を取っていた様子はない。よってギャンボリックの答えは正しいはず。

 つまりこれは――リンネがあえて引っかけたか、そもそも勘違いしているか。

 後者だろうな、とユーシュリカはしてやったりと喜んでいる女王を眺めて冷静に思った。


「配下の動向すら掴めておらんとは、どうやらおぬしに大臣の資格はないようじゃのう!」

「そんな、そんなはずはっ……いえこれはっ……違うのです、彼ら一人一人は何しろアクが強く、新参者のワタシめには存外覚えるのが大変でっ」

「アクはアクでもお前は悪大臣だ!」

「だまらっしゃいこのアホ勇者!」


 ジャスティに話の腰を折られ苛立ったのか、つい語尾も忘れて柄も悪く怒鳴りつけるが。


「策士策に溺れたのう……余にとっては馬脚も見え見えだったのじゃがな!」


 そこについに、リンネから重々しく審判が下った。


「ギャンボリック、おぬしが悪じゃ! 神妙にせい!」

「ぐあああああ奴隷に逃げられた事より何より、こんなバカ女王に引っかけられた事が悔しいアルゥゥゥゥゥッ!」

「王宮の人間ってこんなバカばっかりなの……」


 一部始終を見守っていたファミリアやジェネスは、もう呆れ返って言葉もないようだ。


「ああその通りアル! 何もかもこのギャンボリック様が仕組んだ計画アルよ! 薬をばらまいて愚民どもをヤク漬けにしたのも、奴隷商会に金を出して規模を拡大させたのも! ついでに言えばその小娘の父親を毒殺したのも!」

「なぬーっ、お父様は病死ではなかったというのか!?」

「ちなみにー、あなたの兄君も姉君も従兄弟もはとこも、ワタシが謀殺刺殺圧殺撲殺させていただきましたアルよっ! あなたを生かしておいたのはバカでチビで言う事を聞きやすかったからアル!」

「なぬなぬーっ、ヨミお父様もアノヨ兄様もヨウセツ姉上までもっ! どうりで最近話せていないと思っていたのじゃ! 許せんぞこの薄情者め、誰ぞこやつをとらえい!」


 手となり足となり動くべき衛兵はみんな気絶しているものの、その勅命に積極性を示す者がここに一名残っている。


「分かった、俺がやるッ!」


 ジャスティだ。勇壮に剣を構えるその様子からはすでに毒の効力は窺えない。


「……希望を辿るアンクトゥワよ、我に不滅なる完全な肉体を授けよ――悪魔法セイフティ・ゼロォ!」


 黒い粒子が噴き出し、ギャンボリックの身体を包み込むと――現れたのは深海の軟体生物を思わせる、灰色の体色を持った山のような巨体。

 あちこちにイボのような起伏があり、しかも四肢らしき部位や体表の突起物が発酵した液体の如くぼこぼこと膨張と収縮を続け、時には水滴を飛ばして泡のように弾ける、なんとも底知れぬ不気味な容姿であった。


「我が肉体は無類無敵、何度でも再生するアル! その上体内では薬液を精製可能……体液を原料に超強力な薬へ配合し、民衆に出回らせて意志を奪い尽くしてやったアルよ!」

「だから私の治癒魔法も効果がなかったんですね……!」

「薬を作れるという事は、毒も作り出せるという事アル! お前ら全員、強酸で溶かし尽くしてくれるアル!」


 四肢を中心に灰色の体組織が膨れあがり、そこからうねうねとした数珠つなぎのような黒い泡が無数に枝分かれしながらこぼれだすと――四方八方へ飛び出したのである。

 鞭のようにしなり、そうして不規則にたわむ何十本もの触腕と触肢が襲いかかって来た。ジャスティ達は左右へ分かれて避けたが、ジェネスは犬歯をむき出すようにすると逆に触肢の群れへと突っ込んで行く。


「お前が元凶なんだな――ずったずたに引き裂いてやる!」


 狼の耳と尻尾をぴんと立て、身を屈めてじぐざぐに走りながら床や壁を破壊する触肢を躱し、勢いよく飛び上がって本体らしきばかでかい肉塊へ振りかぶった爪撃を食らわせる。

 かと思えば迎撃に迫り来る触肢をくるりと宙返りしながら回避し、逆にそれらの上を跳躍しながら次々と渡り、右往左往する細い触肢をあたるを幸い爪や牙でむしり取っていく。


「こ、この……鬱陶しいアル!」


 触肢達が雪崩なだれを打って切迫した。ジェネスは即時に転回して玉座の間にある支柱の後ろへ逃げ込むが――追いすがる触肢の威力は頑丈な石柱をゼリーか何かのように砕く。

 のみならず着弾した場所には腐臭を放つ液体が残され、不快な音を立ててあたりを腐食させ、じわじわと範囲を広げていく。ぶち切られた触肢も溶け出し、同様に毒液の沼を作り出していた。


「くっ……」


 二本目、三本目と柱が壊されてぐらぐらと広間が揺れ、今しも天井まで落ちそうだ。ジェネスが逃げ場を失うのにさほど時間はかからず、ついにその一本が彼を捕捉し――。


「慈愛の神サラ・ド・ホライゾンよ、どうか打ち壊された王の間を修復したまえ……神魔法ハーモニー・ザ・リアクト!」


 ファミリアから杖を返してもらったユーシュリカの詠唱が響き渡ると、広間全体に花びらのような白い光と歌声があふれ――次の瞬間には、ギャンボリックによって破砕された柱も天井も床も壁も、全てが元通りの姿を取り戻していたのである。


「な、なんつう馬鹿げたセーフティの持ち主アルか……ならお前から仕留めるアル!」


 当然ジェネスも柱に隠れてしまい、いらいらと狙いを変えたギャンボリックの触肢が今度はユーシュリカへ迫るが、その正面へゆらりと割り込む赤い影がある。


「ふ……あたしの事を忘れてやしないかい」


 瞬時、軽やかな音とともに鞘走らされた刀が縦横に弧を描く。

 するとどうだろう、打ち下ろされる長大な触肢達はぴたりと動きを止めたかと思うと、どれもが中ほどから寸断され、ぱらぱらと力なく落下していったのである。


「ファミリアァァ……!」


 恨めしげなうなりを発するギャンボリックは、執拗に触肢による乱舞をやめない。

 一度は修理された広間が再び傷だらけになっていき、吹き荒れる射程内にはジャスティもまた含まれていた。


「正剣の勇者、死ぬがいいアル!」


 しかしジャスティはちらりと攻撃を一瞥いちべつしただけで、後は正剣を片手に無造作に歩くだけの動作で大量の触肢を躱している。むしろ触肢の方から避けているようにすら見える程だ。


「ぬおおおっ、危なかろうギャンボリック、やめるのじゃっ……」


 すくみ上がるあまりにそれまで一歩も動けずにいたリンネにもまた、標的を選ばぬ触肢が飛んでくる。一つ瞬きした後には潰れたような音と女王だった肉片が玉座に散らばり、血糊で染め上げてしまう事だろう。


 ――だが。


 硬直しながら幾度か瞬きを繰り返したリンネは、その瞬間にワープでもしたみたいに目の前へ陣取っていたジャスティの背中に気がつく。


「あ……ジャ、ジャスティ……!」


 彼が正剣を構え直すと――途端、鼻先にまで殺到していた触肢の大群は、紙吹雪のように残らず消滅していた。


「大丈夫ですか、陛下? すぐに片付けるのでもう少し待ってて下さい」

「う……うむっ……」


 ぽーっと赤くなったリンネを残し、ジャスティは踏み出す。

 その接近に気がついたギャンボリックが悲鳴のような絶叫を上げた。


「このっ、忌々しい……お前さえいなければ! さっさと」


 わずか一歩からトップスピードへ切り替わったジャスティは身をひねり、車輪のように回転しながら一息にギャンボリックへ肉薄すると、下側からの斬り上げを三連続で叩き込んでから、後方へと突き抜けていた。


「始末、して……え?」


 爆音にも似た斬撃音と、一迅の風が数秒遅れて、慌ただしく吹き抜ける。


 何が起きたのか、ジャスティ以外のその場にいた全員は等しく、その人智を超えたスピードと技術が織りなす早業をまともに目視する事も、感じ取る事すらできなかった。


 ただ一点、確かな事があるとすればそれは。


「わ、ワタシが……ワタシの不死身の身体が――!」


 すでにしてギャンボリックからあらゆる戦闘能力が失われている事。そして、その命脈までもが尽き果てている、ただそれだけの。


「そ――そんな、まだ私には百八もの悪魔法が残っているというのにっ、一つもお披露目できないなんて悔し――ぎゃばぁぁぁぁぁぁッ!」


 斬り裂かれた部分からまばゆい光がにじみだし、それらがヒビのように放射状に全身へと広がると――うさんくさい自己申告からの断末魔を残し、ギャンボリックの肉体は粉みじんに砕け散っていた。


「浄化完了……」


 黒い粒子を正剣が掃除するように吸い取ると、ふと柄頭の宝玉が鼓動するように淡く瞬いて、以前にも見かけた花の紋様が浮かぶ。

 しかし生き生きとして集まる愛くるしい花弁のいくつかはまだ欠け、どことなく花全体も寂しそうに感じられた。

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