九話 潜入! 王宮地下

 ファミリアはアリアドラのところで荒稼ぎしていたからか蓄えはあるらしく、隠れ家はなんとも豪華な高級宿だった。二階建てで提灯がつき、庭もある。窓際の一室からは外まで馥郁ふくいくたる香りが届いて来て、高値の付くだろうお香が焚かれているのが見て取れた。


「この宿の主人は金さえ握らせれば色々融通が利くからね……元雇い主様の悪評のほとぼりが冷めるまでは、あたしも身を隠しているつもりさ」


 そう言ったファミリアは四十代がらみの恰幅かっぷくの良い宿の主人と何事か会話を交わし、それから二人の元へ戻って来る。


「潜入用のボロ――奴隷の着る服を用意してもらってる。それまでは適当に暇を潰してて構わないよ」

「えっ、それじゃあ中の様子とか見てきていい?」

「いいけど、あまり騒ぎ過ぎちゃダメだよ。物とか壊さないようにね。迷子になるんじゃないよ。遠くにも行かないように」


 はずんだ足取りで宿へ駆け込んでいくジャスティを見送り、ファミリアは肩をすくめて苦笑いしてから、ユーシュリカへ視線を流す。


「悪いけどあんたの杖は預からせてもらうよ。奴隷商人に没収されたくないだろう?」

「そ、そうですね……お願いします」


 とは言いつつも、よそよそしく距離を取っているユーシュリカへ、ファミリアは面白そうに笑いかけた。


「安心しなよ、勝手に持ち去ったり質に入れたりはしない――あんたらが逃げ出したりしない限りはね」

「しませんよっ」

「その意気だ……ところで前々から疑問なんだけどさ」


 ファミリアが笑みを引っ込め、その場には静かな空気が漂う。


「あんた……どうしてあの子にくっついてるんだい」

「え……?」

「あのぼうやに比べたらまだものの道理が分かったまともな女に見える。なのにわざわざ命を捨てるような事ばかり一緒に繰り返してるときた。……要するに浮いてるんだよ。その道化っぷりがどうにも気に掛かってね」


 ユーシュリカは口元を引き結び、毅然とした声音で答える。


「私には、使命があるのです。勇者様が世界に『絶対なる正義』を知らしめ、そして救うまでをこの目で見届ける使命が」

「絶対なる正義……ねぇ? ふーん、なるほど……あんたもわけありってわけか」


 何かを見透かしたようにファミリアはユーシュリカの顔を覗き込むようにする。


「それは……その」

「いいよ。秘密にしといてあげる――だからお互い詮索はなしにしよう。ギブアンドテイクだ」

「……はい」

「それでも老婆心ながら言わせてもらえば」

 ファミリアはジャスティが駆け込んでいった宿の玄関口を眺めて。

「あんたが何を目的としているにしても……あたしにはあの子が死に急いでるようにしか見えないけどね」



 それまでの衣類はファミリアに預かってもらい、ごわごわと通気性も悪く大した温暖効果も得られないボロ布に着替えたジャスティとユーシュリカは、ファミリアが口利きをする事で他の奴隷達に混じり奴隷商会の拠点へ送られる事になった。次の売り場へ出される前に、そこへたどり着いてから行動を起こす手はずとなっている。

 しかしここで計算外の事態が起きた。なんでも大臣の急用とかで奴隷の入った檻が急遽きゅうきょ城へ向かう羽目になり、その中にはジャスティ達も運悪く含まれていたのである。

 馬に引かれた檻は裏門へつけられ、そこから奴隷達は地下まで歩きで降りる事となった。


「暗い」

「そうですね……」


 ジャスティとユーシュリカは王宮のずっと下、城の地下牢へ閉じ込められていた。

 横側に広くスペースを取り鉄格子で隔てられ、その中には同じように無数の奴隷達が囚われている。明かりは数える程度しかない松明だけで、ゴミや汚物が散らばって不潔――という程でもないが、それでもすえたような悪臭が鼻についた。


「これでは、ファミリアさんの救援も期待できませんね……まさかいきなり城に送られてしまうとは思ってもみませんでしたし」

「でも、それなら好都合だよ。ここから上に行って、王様を仕留められる」

「……勇者様、お身体の方は」


 ジャスティは露骨に目を逸らした。口調だけは威勢がいいが、まだ回復しきっていないらしい。


「国王を仕留める? ……はっ、何言ってるんだよ、お前達」


 と、牢の後ろの方でボロにくるまり、膝を抱えていた囚人の一人が吐き捨てた。声は甲高く、ジャスティとまだ同年代くらいの子供だと分かる。


「……あ、きみは」


 しかも見覚えがあった。つい先ほど、大通りの売り場で騒いでいた狼の耳と尻尾を持つ異種族の少年である。

 すると相手の方もちらりと視線を寄越して来て。


「……そういうそっちも、さっきこっちに突っ込もうとしてたよな。それで捕まってたりして奴隷商人の機嫌を損ねてたら、迷惑を被るのはこっちなんだけど」

「う……それは、でも。正義――」

「ま、同じ事か。結局どこぞでポカやらかして、あんたらここにいるんだもんな」


 一応計画の内ではあるのだが、あっさりそう思われてしまうあたり返す言葉がない。


「きみ、だれ? 正義? 俺ジャスティ」


 二人で側に近づいていくと、少年は小さく、ジェネス、と答えた。


「ジェネスは異種族だよね。でも、どうして奴隷商人なんかに捕まってたりしたの?」

「俺だけじゃない……ただこの大陸の人間とは違う姿だからって、アンクトゥワに似ているからって、それだけの理由で他の同胞達まで追い回されて、弾圧されて、どこからも排斥されて……落ちて来たのがここだっただけだ」


 ほら、とジェネスが顎で示すと、その先には異種族の子供達が身体を寄せ合うようにして眠りこけていた。

 ボロのせいで見えないが、外気にさらされている首もとや手足は赤くみみず腫れや打撲の跡が窺える。ひどい、とユーシュリカは胸を突かれたように息を呑む。


「そりゃあ、この大陸にとってのよそ者だってのは分かってるよ。だけど荒廃しきった俺達の故郷よりはマシなんだ……だから奴隷にされようが、叩かれようが、捨てられようが――どんな形ででも生きていられるだけで良い。……そう思ってたんだけど」


 ジェネスは膝に顔を埋めて、低くうめくような声を漏らした。


「やっぱ悔しいな……人間扱いされないで、地を這って生きていくのはさ。せめて勉強して神職につこうにも、俺達は神魔法が使えないし……」

「そうなの、ユーシュリカ?」


 問われて、神官の少女は神妙に頷く。ジェネスの言葉は真実だ。彼らの運動神経や動物としての能力では人を上回るものの、代償のように神魔法が使えないのである。

 同様にアンクトゥワも神魔法を使用できない。ただしこちらは要因不明の異種族と違い、セーフティを持たないがゆえの帰結という答えは出ている。


「なんとかならないのかな。可哀想だよ」

「そうですね……教会も異種族の皆さんにはできるだけ便宜べんぎを図っているのですが、それでもこのように、裏の世界では非情な取引がなされているんです……」

「そうさ。この王都の市場を牛耳ぎゅうじってる、奴隷商会がいる限りは」


 ジェネスは顔を上げて、憎々しげに歯をむき出す。


「奴ら、変な薬を流して住民を薬漬けにさせてさ。それからさらって、こんな風に城の地下へ押し込んでるんだ。――見なよ」


 ジェネスが今度は少し離れた隣の檻を指すと、そこには何をしているわけでも、さりとて眠っているわけでもないのに、死んだように虚空を見つめて口を半開きにしている男達。彼らの目には光がなく、ただ時折垂れた舌が何かを求めるようにうごめいているのである。


「俺達だけじゃなく、ああやって人を騙してこの地下に連れてきてる。何のためかは分からないけどさ……きっとろくな理由じゃない。奴隷商会だって、多分城の偉い奴らとパイプが通じてるんだ」

「そういう事だったのですか……城下町で尋ね歩いた情報と照らし合わせても合点がいきます」


 それこそ、ここまで奴隷達がスムーズに来られた証左でもある。一見華やかな王都の裏では、このように底のない悪意が底なし沼のように淀んでいるのだ――。


「こんなの到底正義じゃないっ。なんとしても王様を倒して、やめさせないと――」


 義憤にかられて立ち上がりかけたジャスティを遮るように、三人のいる同じ檻の横合いで突如叫び声が上がった。


「もう嫌なのじゃ~! 暗いのじゃ~! 狭いのじゃ~!」


 はちきれんばかりの金切り声になんだなんだと他の奴隷達から視線が集まるものの、声の主は注目も構わず鉄格子へ駆け寄り、向こう側の机の前にいる看守へ訴えかけていた。


「出せ、今すぐ余をここから出すのじゃあ~っ!」

「ええい黙らねぇか騒々しい、このガッキャァ!」


 看守が鉄格子を蹴りつけて脅すも、その奴隷はびくりと身をすくめただけで下がろうとはしない。

 舌っ足らずな声を上げていたのは、よく見ればまだ年端としはもいかない少女であった。

 巧緻こうちな宝石細工のような翠色の瞳と、絹のような雪のような、この暗所まっただ中においても不思議と高貴に色づく白の髪。顔立ちも整い、とても着ているボロとはそぐわない。


「い、いきなり暴力を振るうのはいけないのじゃ! 余を誰と心得ておる!」

「はあ? 知るかよ、お前みたいなガキ」

「余はこの国の女王、リンネ・テンガイであるぞ! それなのによもやキックをかまそうとするとは、おぬし極刑も良いところじゃぞ!」


 看守はもちろん、ジェネス達からも失笑やため息が漏れる。ユーシュリカでさえ憐憫れんびんの籠もった目線を注ぐだけで、なっ、と声を上げたジャスティを除いて誰一人真に受けた様子はない。


「どこの国に自分の城の牢屋に閉じ込められる王がいるってんだ! バカか!?」

「ここにいるのじゃ! 語るも涙、聞くも涙の悲しい物語の末に余はこんな場所に……」


 およよ、と妙に気品のある仕草で目元を華奢な手で覆うが、看守はちりとも心を動かされた風もない。


「あれは今朝の事、政務のあまりの退屈さに辟易へきえきした余は、大臣の目を盗みこっそり城下町へ遊びに出たところ――怪しい連中に騙され、身ぐるみはがされて命からがら逃げおおせ……仕方なくそこらに落ちていたボロを着て帰ろうとしたら番兵に止められて疑われて投獄という顛末てんまつなのじゃあっ!」

「そんな与太話信じられるか、確かに外見はリンネ陛下に似ているが……どうせ扮装か演技だろう! どうせこの髪だって染めたりかつらに決まってる! えいえいっ」

「痛い、引っ張るな痛いのじゃっ」

「見た目は女王陛下の子供を痛めつける俺の心も痛いんだぞ!」

「おいやめろ、女の子をいじめるな!」


 ジャスティは鉄格子越しに少女の髪を引っ張る看守の手をはたき落とし、かばうように割って入る。

 おお、と少女はその背中を見て口を開け、次に頬を赤らめた。


「は、初めて男の子に助けてもらったのじゃ……」

「お前もなんなんだ、さっきから騒ぎすぎだぞ!」

「俺はジャスティだ!」

「だから誰だよ!?」


 そんな不毛なやりとりを続けていると、不意にこつ、こつ、と牢獄まで近づいて来る足音があった。そして横合いの通路から、一人の官吏が姿を見せる。


「……おい、ここに陛下とよく似た子供が捕らえられていると聞いたアルが……む!?」


 地面にまで届くような裾の長い紫檀色の着物を着て、長い黒髪を頭の両側で団子にし、そしてうりざね顔に糸目という、あからさまに人から疑いをかけられるようなうさんくさい風貌の男だ。

 そいつは少女を認めるなり、糸目をぱかっと見開いて。


「り……リンネ陛下!?」

「おおっ、ギャンボリック、我がアルソラルの誇る名大臣ギャンボリックではないか!」

「お、おい看守、すぐに檻を開けるアルよ! この方は恐れ多くもリンネ女王陛下ご本人にあらせられるのだぞ!?」


 仰天して色を失ったのは看守だけではなく、成り行きを見守っていた一同全員でもあった。ただ一人少女だけが得意げな笑みを浮かべ、ギャンボリックにせっつかれて看守が開いた檻のドアから外へ出て行く。

 その後にジャスティ、そしてユーシュリカも続いた。


「って何お前達何食わぬ顔でついて来てるアルか!? 奴隷は大人しくこの中で沙汰さたを待つアル!」

「俺はジャスティなんだぞ!」

「誰アルか!?」


 またしても時間の無駄に過ぎる掛け合いが始まりかけた直後、すたすたと歩き出していたリンネが肩越しに声を掛けて来る。


「その男の子はさっき余を助けてくれたのじゃ。お友達なのじゃ……同行者らしきそこの女ともどもついて来る事を許そう」

「やった! ありがとう!」

「う、うむ……喜んでくれて何よりじゃ」


 ぽっと赤面するリンネをよそに、ギャンボリックはぐぬぬと歯がみする。


「じょ、女王陛下の命令とあらば従うしかないアル……とにかくご命令通り、謁見えっけんの間まで来るアル! 看守、お前も上まで陛下を見送りに来るアル!」


 意外に過ぎる展開ではあったが、どうにか牢は出られた。

 と、ジャスティは看守と大臣の後ろへ回り、机の上から鍵束をやおら手に取ると――それをひょいっと鉄格子の狭間へと投げ入れる。


「……あいつ」


 自分めがけて的確に飛んできたその鍵束を受け取り、ジェネスは立ち去る四人の背中をじっと見つめていた。

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