024 奇跡の聖錬衣

目の眩むような光が弾けると共に、世界が元の速度を取り戻すのが分かった。紅い光が周囲を埋め尽くしていたのは一秒にも満たない程度で、すぐに森は変わらない姿を見せる。

 ただ、閃光の前後で変わっているものが二つある。

 一つは、ミレイの眼前にいたはずの剛魔獣ヴィストが吹き飛ばされて宙を舞っていること。

 そしてもう一つは――自分が、紅に輝く聖錬衣エルクロスを纏っていることだ。


「今のは、何が…………どうやって防御をした、です……?」


 信じられないと言わんばかりに新たに槍を作り出したシーリスが訊ねてくるが、ミレイは上手く答えられない。信じられない気持ちなのは、自分も同じだからだ。


「…………出来、た…………やった、出来た! あれ、でも違う、なんかちょっとしか出来てない?!」


 奇跡の成功に興奮しながらも、改めて見ると鎧と呼ぶには程遠いモノを纏っていた。レグの導きで発現した聖錬衣エルクロスはプレートアーマーのようなものだったが、ミレイの発現した聖錬衣エルクロスは胸や腹部を薄く覆っているだけで、どちらかというとビスチェに近い。覆われていないところは剥き出しのままだ。

 しかも剛魔獣ヴィストの一撃で胸のところに罅が入ってしまっている。それに興奮が少し冷めると、胸にかなりの痛みがあった。レグが放った渾身の一撃を受けても傷一つなくダメージもなかったあの聖錬衣エルクロスとは、やはり別物に近いらしい。

 それに……土壇場で聖錬衣エルクロスが発現したおかげで生き延びることが出来たが、根本的な問題はまるで片付いていない。最悪は免れたというだけだ。

 危機が続いている証拠に、視界の中では大きく吹き飛ばされた剛魔獣ヴィストが不機嫌そうに唸り、徐に左の前足を上げて大きく振るう。

 遠く離れた位置での行為に威嚇かと思いかけるが、ミレイはすぐに違うと気付く。かなり距離はあるが、足を振るった先にいるのは倒れているリアだ。そして敵と同じ風属性の先輩騎士エストは、遠距離から錬技スキルで攻撃していた。


「っ……でも!」


 咄嗟に創撃武装リヴストラを握る手に力を込めたミレイは、しかしそれを使って錬技スキルで迎撃するのではなく、走ってリアの前に出る。そして横にした剣で顔を庇いつつ、ぐっと力を入れて体を硬くした直後、不可視の衝撃が腹部を襲った。


「ぅぐっ…………いったぁ……!」


 小さな子供が上から飛び乗って来たのよりもずっと重くて痛かったが、それだけで済んだ。鎧も破損していない。

 この結果に剛魔獣ヴィストは戸惑ったようで、身を低くしてじっとこちらを窺っている。

 慌てて駆け寄って来たシーリスも戸惑った様子で、顔に焦りと疑問を浮かべていた。


「無茶するな、です! だが……平気なのか、です?」

「痛いけど大丈夫! それよりリアちゃんは!?」

「戦えないだろうがすぐには死なないはずだ、です。咄嗟に背中を氷で覆ったみたいだからな、です」


 その言葉を裏付けるように、リアは苦しげに喘ぎながら体を起こして座り込み、綺麗な顔に脂汗を浮かべつつも強い意志の籠もった目でミレイを見つめる。


「……ッ、わたしは平気だ。そんなことより、それは……鎧、なのか……?」

「ごめんっ、その話は後で! 二人共聞いて、時間が無いの!」

「どういう意味だ、です? 仕組みは分からないが、その防御力があるのなら助けが来るまで持たせられる可能性は、」

「この鎧、長く持たないの! これがある内にどうにかしないと、時間切れになったらもう打つ手がなくなっちゃう……!」

「なっ……無鉄砲にも程が有るだろ、です……!」


 予期せぬ展開に慌てるシーリスだが、ミレイは剛魔獣ヴィストに視線を戻して言い切る。


「だからごめん、作戦変更させて。あの剛魔獣ヴィストは――ここで倒す。それも、一撃で」

「それ、は…………本気で出来ると思ってやがるのか、です?」

「出来なくてもやる、絶対に倒すの! 皆で揃って虹星練武祭アーヴェスト・サークルに行く為には、もうそうするしかないんだから……!」


 もうこうなると、可能性がどれだけあるかなんて関係無い。やらなければ、自分を含めて誰かを失う。そんなの絶対に嫌だし、その先だって諦めていない。


「……具体的な手段はあるのか、です」

「弱点にあたしが全力で攻撃する。だからシーちゃん、フォローして。難しい役回りだけど、お願い」


 聖錬衣エルクロスは不完全だが、幸いにも創撃武装リヴストラはある。一撃に全てを懸ければ、錬技スキルだって放てるはずだ。

 前に聖錬衣エルクロスを纏った時は分からなかったが、不思議なくらいの全能感がある。先程リアを庇った時も、いつもよりずっと素早く動くことが出来た。恐らく、これがレグの言っていた『身体能力が底上げされる』という状態なのだろう。

 今なら普段以上に破壊力のある攻撃が出来るはずだ。それに、あの夜にレグから聖錬衣エルクロスを含めた錬晄氣レアオーラの可能性を教えられてから、必殺の一撃についてもずっと考えてきた。数日前の剛魔獣ヴィスト相手には出来る自信がなくて使わなかったが……この期に及んで、自信がどうこう言っていられない。

 出来なければ、死ぬ――だからやってみせる。それだけだ。

 そうこう話している間にも、聖錬衣エルクロスのタイムリミットは迫っている。実際にどれくらいもつのか、全然分からない。前より不完全だから消耗が少ない可能性もあるし、繰氣が未熟なだけで消耗は変わらない可能性もある。それに今日はこれまでに何度も錬技スキルを使っているから、魔力がどれだけ残っているかも不安だ。

 たぶん甘く見積もっても前回より長くはもたない。もしかしたらあと数十秒ももたないかもしれない。

 だから一撃で。全ての力を注ぎ込んだ攻撃を、剛魔獣ヴィストの弱点である魔晶核フォーンの付近――狼の首元に叩き込む。


「でも、一人じゃ届かないかもしれない……だから、」

「もういい、です。逃げるならあのまま逃げている、倒せるならやるだけだ、です」

「っ……ありがとシーちゃん! それからリアちゃん、悪いけど……」

「己のことは……ッ、気にしなくていい。足手纏いにはならん」


 喋るだけでも傷に障るのか眉間に深く皺を刻みながら、それでもリアは毅然と返す。

 その強さをありがたく思い……ミレイは剣を持つ両手に力を込め、改めて剛魔獣ヴィストに向き合う。凌ぐのでも耐えるのでもなく、倒す――ここで、次の一撃で勝負を決める。


「……お姉ちゃん、待ってて。絶対に探してみせるから」


 誰にも聞こえないくらいの小声で呟き、一気に集中を高める。在りし日の姉の姿を、創撃武装リヴストラを振るう勇姿を思い浮かべながら。

 まだミレイが十歳になったばかりの頃、一度だけ姉が錬技スキルを使う場面を見たことがある。道を塞ぐ大木を『試し斬り』と言って、一撃で破砕した光景を。

 あの時の姉と同じ、大剣の創撃武装リヴストラ。年齢も当時の姉と同じ。

 なら、出来るはずだ。ずっと憧れて追い続けている自分なら、絶対に出来る。

 ――そう一心に信じて、ミレイは剣に炎を纏わせる。だがそれは一瞬だけで、炎はすぐに剣へと吸い込まれ、刃が赤々と輝く。

 尋常じゃない気配を察してか低い唸り声を上げた剛魔獣ヴィストに向かって、ミレイは真っ直ぐに駆けだした。それを見た剛魔獣ヴィストは四つん這いのまま後ろに飛び退こうとさらに体勢を低くするが、距離を取られてまた隠れられたら終わりだ。


「シーちゃん、あいつの退路を断って!」

「簡単に言ってくれるな、です……!」


 後ろから文句が聞こえるが、ミレイは振り返らない。仲間を信じて、剛魔獣ヴィストとの距離を詰めながらさらに創撃武装リヴストラへ力を注ぎ込んでいく。灼熱の塊と化した刃は空気を焼くようにジリジリと音を立て、それに反応した剛魔獣ヴィストは素早く後ろへと、


「させるかよ、です――《散雷陣さんらいじん》!」


 剛魔獣ヴィストが回避行動を取ろうとするよりも一瞬早く、地面から天を目掛けて稲妻が迸る。それも一つだけではなく、剛魔獣ヴィストのいる一帯を十数も同時にだ。

 その内の一つが剛魔獣ヴィストを直撃するが、怯んだだけで悲鳴すら漏れない。その代わり触れていない雷は地面と空中を行き来し、檻のように剛魔獣ヴィストを囲む。


「足止めだ、威力は期待するな、です!」

「十分だよ! これならっ……!」


 雷に触れずに剛魔獣ヴィストが行けるのは正面のみ。ダメージはさほどではなくとも雷の檻を破って逃げるのは抵抗があるらしく、どこか行動に迷うように頭をもたげた。

 いける、と確信したミレイは走りながら創撃武装リヴストラを肩に担ぐようにして振り被る。自分の錬技スキルで負傷することは普通ないが、それでも刃の溜め込んだ熱量に肌が焼けそうになる。

 痛みに顔を顰めながらも足は止めず、ミレイは狙う一点に視線を注ぐ。剛魔獣ヴィスト共通の弱点である魔晶核フォーン付近――狼の首元に。

 だが、逃げ場のなくなった剛魔獣ヴィストは牙を剥き出しにして唸り声をあげると、勢い良くミレイへと襲いかかって来た。

 大きく前足を振り上げた敵は、恐ろしいが――もう関係無い。爪でも風属性の攻撃でも、避けることは考えずに攻撃するのみ。罅の入った聖錬衣エルクロスで受けきれるのかは分からないが、信じる以外に方法は無い。

 向かって来る敵に対してミレイはさらに踏み込み、姉のジーナが放ったのと同じ必殺の一撃を放つ為の体勢を固める。

 剛魔獣ヴィストはミレイの予測よりほんの少し早いタイミングで前足を豪快に振り下ろすが、そこからだと爪は直接当たらない。だったらこの不完全な聖錬衣エルクロスでも十分に受けきれるはずだ。


「やああぁぁあぁぁ……っ!?」


 来るはずの衝撃に耐えて一撃必殺の攻撃を放つべく気合いの声をあげたミレイは、そこで驚愕した。

 不可視の攻撃による衝撃が、こない。

 それどころか――目の前に迫っていた剛魔獣ヴィストの姿が、消えた。


「なんっ……上に?!」


 驚きながらも微かに見えた残像を追って顔を跳ね上げると、剛魔獣ヴィストが宙を蹴って昇っていく姿があった。

 シーリスの攻撃を避けた時のように、風属性の技を攻撃ではなく空中での足場代わりに使い、本来なら有り得ない移動を可能にしている。

 しかも剛魔獣ヴィストはただ上へと逃れただけでなく、そこからさらに上昇していく。ミレイの大剣でも届かない高さで、弱点の首元を狙うだなんてまず出来ない。


「くっ……このままじゃ……!」


 行き場をなくした創撃武装リヴストラを構えて見上げるミレイと、宙を跳ぶ狼の視線が絡み合う。

 濁ったその目は明らかにこちらを嘲笑っていた。『お前達のやりたいことくらいお見通しだ』と言わんばかりに。

 だが――突然地面が隆起して急速に迫るミレイの姿に、剛魔獣ヴィストの目が露骨に強張った。


「っ……リアちゃん……!」


 視線は剛魔獣ヴィストに向けたままだが、何が起こったのかは見るまでもなく分かる。倒れているリアが力を振り絞って錬技スキルを使い、ミレイの足下に氷の柱を生み出してくれたことを。

 剛魔獣ヴィストが逃げる速度よりも圧倒的に早くミレイの体は上昇し、一気に肉薄する。あっという間に大剣の射程圏内までくると、剛魔獣ヴィストは愉悦に歪んでいた裂けた口から咆哮を放ち、身を捩って怒りの形相で右の前足を振るってきた。

 今度は間違いなく攻撃するつもりで――自分を殺すつもりだと、即座に分かる。

 殺意の乗った鋭利な爪撃がミレイを襲う。このままでは直撃は免れないが、ギリギリ剣で防ぐことも出来る。

 ――が、ミレイはそうはせずに、狼の爪を胸の聖錬衣エルクロスで受けた。


「ぐ、ぅ……!」


 聖錬衣エルクロス越しに胸部の骨が粉々になったんじゃないかと思うくらいの衝撃がきて、喉奥から呻き声が漏れた。口の中に血の味が広がり、不安定な氷の足場から滑り落ちそうにもなる。

 しかしミレイは歯を食い縛って全てに耐えて、氷柱から跳び上がった。

 そして見下ろす形になった剛魔獣ヴィストの、碧色の魔晶核フォーンが貫いている首元へと狙いを定め、


「咲き乱れて――《爆煉華ヘヴィローズ》!」


 叫ぶと共に、ありったけの力を込めて大剣を振り下ろした。

 そして狙い違わず狼の首元に大剣の刃が食い込んだ瞬間、剣の中へ溜めに溜めた膨大な熱を解き放つ。

 刹那――叩きつけた剣から生まれた爆炎が、剛魔獣ヴィストの大きな体を丸ごと呑み込んだ。

 その光景と確かな手応えを最後に、ミレイの意識は急速に遠のいていった。


 ――気が付いた時、ミレイは誰かに抱き抱えられているみたいだった。

 その誰かは槍を使う年下のチームメイトで、視界の殆どが彼女の顔で埋まっている。


「…………あ、れ……? シーちゃん、どうして……?」

「『どうして』じゃないだろ、です。あんな空中で意識を失うだなんて、自爆もいいところだ、です」

「あ……そっか、ありがとね」


 どうやら意識を失った自分を受け止めてくれたらしかった。まだ周囲の熱が急速に引いているところからすると、あれから数十秒と経っていないはずだ。

 だとすれば一番気になるのは、


「っ、剛魔獣ヴィストは!? あの狼はどうなったの?!」

「見ての通りだ、です」


 素っ気ないシーリスだが、ミレイは素直に急いで周囲を見回す。森の様子には大きな変化は無く、自分とシーリス、倒れているリア以外には誰も見当たらない。

 ただ……地面に、碧色の魔晶核フォーンが転がっていた。

 その事実が結果を教えてくれているものの、ミレイは理解しきれずに呆然としてしまい……ゆっくりと遅れてから喜びが溢れてきた。


「……やっ、た? やったんだよね?」

「驚いたことにな、です」

「そっか……やったよシーちゃん! リアちゃんも! 良かった、これで皆で虹星練武祭アーヴェスト・サークルを目指せるね!」

「あの修羅場を抜けて言うセリフがそれかよ、です。だが、あの変な防具……あんなものが使えるのなら……」


 ぶつぶつと何やら呟くシーリスだが、真剣な表情には疲労の色も見える。怪我こそないものの彼女も限界が近かったようだ。

 尤も、ミレイは限界を通り越しそうな状態だった。体に全く力が入らなくて、自力で立つのがやっとだ。一度座ったらもうしばらく立てなくなりそうで、創撃武装リヴストラどころか錬晄氣レアオーラも出せる気がしない。半壊していた聖錬衣エルクロスも消えていて、あちこちが破れたり焦げたりした服だけが残っている。

 それでも、リアよりはずっとマシな状態だ。


「リアちゃん、大丈夫? 助けが来るまでここで待てそう?」

「……ぅ、む……平気、ではない、が…………大事には至らぬ、はずだ」


 辛そうな声音だが、見れば傷口付近を凍り付かせていた。あれなら出血は防げるし、感染症も平気かもしれない。

 となると心配なのはセーラが運んだナンスリーだが、村に着けば手当てを受けられる。少なくとも最悪の事態は免れるはずだ。


「じゃ、助けが来るまで少し休憩しよっか。あたしもちょっと歩けそうに……?」

「どうした、で……す……?」

「………………これ、は……」


 ――最初にに気付いたのは、ミレイだった。少し遅れてシーリス、リアと続けてに気付く。

 茂みの向こうを見つめたまま硬直したミレイは、唐突に理解してしまった。


「……そっか……あの剛魔獣ヴィスト達がわざわざ村人さん達を追って来たの、そういうことだったんだ……」

「……お前も気付いたか、です」


 同意するようなシーリスの言葉に、ミレイは無言で頷く。

 あの二体の剛魔獣ヴィストがわざわざ村人達を追ってきた理由として、ナンスリーは『住み処を突き止めようとした』と言っていた。そんなことをする知恵があるのにもミレイは驚いたが、今になってようやく腑に落ちた。

 つまり、三人の村人だけでは足りなかったのだろう。

 ――剛魔獣ヴィスト

 のっそりと姿を現した剛魔獣ヴィスト達は、どれもミレイ達が倒したのよりもサイズが大きい。しかも四体の内三体は首の魔晶核フォーンが濃い碧色で、どことなく禍々しさも感じてしまう。

 そして問題は……一番後ろに控える、牛よりも大きいのではと思えるサイズの巨狼だ。黒に近いダークグレーの毛並みの中で一際目立って輝く魔晶核フォーンの色は――黄色。

 普通の騎士エストが五人がかりでも苦戦し、全員が無事のまま倒せる可能性は殆ど無いと言われている強敵だ。


「……なるほど、な……彼奴等は、斥候役か……」

「…………手負いを一体倒すだけでもこの様だったのに、格上に数でも負けているとは流石に笑えないな、です」


 リアとシーリスの乾いた声には、絶望の色が滲み出ている。

 それはそうだろう。今のこちらの状態では、青の剛魔獣ヴィスト一体でも手に余るのは確実だ。勝敗なんて最初から決まっている。いつそうなってしまうか、という話でしかない。

 こうして四体もの剛魔獣ヴィストが様子を窺ってくれているのが、ある意味奇跡だ。もしくは、こちらが弱っているのを見越して、焦らず誰がどれを仕留めるのか決めようとしているか。

 どうにせよ、剛魔獣ヴィスト達が動いた瞬間、ミレイ達の命の灯火は消えるだろう。

 ――だが、それでも。


「……シーちゃん、リアちゃんを背負って走れる?」

「…………何を、」

「あたしが最後の力を振り絞って火を点けるから、それを合図に逃げるよ。一人で背負えないなら、二人がかりで引っ張っていく。リアちゃん、痛いだろうけど我慢してね」

「………………逃げられると、思っているのか……?」

「思えなくても、やるよ。あたしは皆と虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出るの。そして、お姉ちゃんを探す。絶対に見つけてみせる」


 一つ一つ目標を口に出しながら、砕け落ちてしまいそうな気持ちを奮い立たせる。走るどころか歩けるかどうかも分からない体で、錬晄氣レアオーラだってもう出す余力はない。

 それでも――


「……死ぬまで全部諦めないの。だから、二人も付き合って。絶対にこんなところで終わらないんだから……!」


 思いを振り絞ってそう言った瞬間、一番手前の剛魔獣ヴィストが動いた。

 ぐっと頭を下げて今にも跳びかかろうという体勢になる大きな狼に、ミレイはすぐ隣の二人を庇うように立ち、シーリスはリアの腕を掴み上げる。

 あんな啖呵を切っておきながら、足は殆ど動かない。恐怖よりも体が限界に近いせいだ。

 気持ちだけしかない自分の情けなさに、ミレイの目に涙が滲む。

 逃げることも出来なさそうな獲物を前に、剛魔獣ヴィストは大きく裂けた口から涎を垂らしながら唸りを上げて……


 ――その四肢を、地中から生えた黒い錐に貫かれた。


 突如起こった異変に、剛魔獣ヴィスト達は色を失って吼える。周囲を警戒し、攻撃された剛魔獣ヴィストもどうにか逃れようと藻掻くが、四肢は縫い止められたまま動かない。

 そんな光景に呆然とするミレイの耳に、ぶっきらぼうな声が届く。


「――うちの未熟なガキ共相手に張り切るのはそこまでにして貰うぞ」


 背後からの言葉に、ミレイはすぐさま振り返り……我慢していた涙が、零れる。


「っ、ぁ…………レグ兄ぃ……!」


 まだ少し離れてはいるが、森の中に紛れるような黒い貫頭衣を着て黒い直剣を持った人物が、確かにそこにいた。


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