023 そんなの、絶対に嫌だ
言葉を受けたシーリスとセーラは、同時に別々の方向へと走り出す。セーラのすぐ後ろを浮いて付いていく大筒からナンスリーが落ちずにいるのを確認し、ミレイも一つ大きく息を吸って……
「リアちゃん、フォローお願い!」
「ぬっ……分かった!」
返事が来る前に動き出していたミレイは、走りながら
そして氷壁の前で止まり、集中する。向こう側からギギャギャという氷を削る激しい音がして恐怖を煽るが、怯みそうになる気持ちを抑え込んで、大剣を持つ手に力を込めた。
白く濁った氷の壁は、すぐに内側から壊されてしまい、開いた穴から勢い良く
敵がこちらを発見する前に、ミレイは自分から距離を詰め、
「やあぁっ――!」
炎を吹く大剣を振るい、
「ダメージはちゃんと残ってる……ならっ」
体勢が整っていない敵に対して積極的に追撃に出たミレイは、今度は横薙ぎで剣を振るう。狙いは大雑把だが、肝心なのは左からの攻撃ということ。
ナンスリーの攻撃で
その推測はどうやら外れていなかったようで、
「これなら…………ぅあっ?!」
時間稼ぎだけならいける、と思った矢先、
一瞬でピンチに陥って焦るミレイだが、狼の牙が届く前に、地中から氷の槍が複数生えて行く手を阻む。忌々しげな唸り声と共に氷の障害物を爪の一撃で破壊するが、その間にミレイは体勢を整え、逆に大剣を振るって迎撃する。その一撃は退かれて敢えなく回避されるが、これで十分だ。
「リアちゃんありがとっ!」
「礼はいい、気を抜くな! それにあまり頻繁だと
年下の少女からの叱咤に、ミレイは返事はせず剣を握り直す。最初の大技といい、リアには
喉を鳴らしてすぐに跳びかかった
ガルォ、と煩わしげな唸り声と共に、
「ミレイっ!」
「分かってる! やあぁっ――!」
呼び掛けに応え気合いを入れて叫んだミレイは、踏み込むのではなく、逆に一歩下がりつつ剣を縦に振るう。同時に刃から火炎を噴き出し、塊にして
火球はすぐに何かを燃やしたような音を立ててから
「やっぱり……あたしの炎なら、あの見えない攻撃も防げる……!」
ナンスリーを負傷させた風属性の見えない爪撃は、相性差もあって炎で掻き消すことが出来る。下手をしたら炎を貫いて届いてしまうんじゃないかとも危惧したが、流石にそこまでの威力はなかったらしい。
だが、未熟な
だからどうにか距離を取りつつ相手の攻撃をいなし続ける……これしかない。一か八かの攻撃をするには、優位な要素が少なすぎだ。
「この調子で耐えるよ! リアちゃん、あいつが逃げようとしたら……」
「分かっておる! 己の氷で足止めするから、怒る程度に攻撃してやれ!」
後ろに控えるリアも、理解していた。あの試験の時と同じようで、中身はまるで別物だ。
勝利条件は同じだが、敗北すれば間違いなく死ぬ。そして百秒耐えれば良かった試験とは違い、助けが来るまで何分持たせればいいのか分からない。
それでも持ち堪えると決めた以上、ミレイは剣を両手で構えて
「我慢比べなら、負けない……絶対に負けないんだから……!」
「いい気迫だ。己も
後ろにいるからリアの顔は見えないが、声で決意と覚悟は十分に伝わって来る。
年下の少女が抱く野望と諦めない心を頼もしく思いながら、ミレイは
グルルォ、と狼らしく低い唸り声をあげた
――そこから先は、凶悪な爪牙と風の凶器を駆使して襲って来る敵に対し、最善手で防御と牽制を続ける悪夢の時間が続いた。当たれば致命傷になる攻撃をミレイは防ぎ続けるが、一手間違えばそこで終わりだ。体力や魔力よりも先に頭が悲鳴を上げてしまいそうになる。
そういう意味ではフォローに回っているリアはもっと厳しいはずだ。常に敵の攻撃とミレイの行動を正確に読み取り、立ち位置を変えながら
一人で戦っていたら今頃は間違いなく無惨な結果に終わっていたはずだ。危険を承知で残ってくれたリアへの感謝の気持ちが湧くと同時に、絶対生き延びてやろうと改めて強く思う。
……だが、
「く、のぉっ! しつこいんだからぁ……!」
「焦るなミレイ! 少し前に出すぎだぞ?!」
「へ…………わわっ……!?」
回り込んで攻撃しようとしてきた
「油断はするな気も抜くなっ! 其方が大怪我を負ったら二人共死ぬぞ?!」
「ごめんっ、頑張る!」
叱咤の声に謝るが、ミレイは気を抜いたつもりなんてない。たぶんリアもそれは分かっている。ただ単純に、集中力がのたなくなってきたのだと。
気を張り直したから少しだけマシになったが、まだ頭の奥がぼんやりしている。さっきは咄嗟に動けたが、このままだと思った瞬間に動き出せず固まるのも時間の問題だ。
戦い始めて何分経ったのか、全然分からない。もう十分以上経っている気がするけれど、恐らくそれはない。だとしたら体力も魔力も尽きていておかしくないはずだ。
頭は疲れていても他はまだ大丈夫……ということはつまり、長く見積もっても五分程度だろう。もっと短い可能性もある。
セーラが頑張ってくれたとして、ヤズモ村に着いてから応援を呼んで戻るには早すぎる。下手をすればまだ村に着いてすらいないかもしれない。
そう思うと気持ちが折れそうに――
「っ、やだ! あたしは、絶対……!」
――萎えて折れそうになる気持ちより、奮い立たせる気持ちの方が強い。
諦めてたまるかという思いが、思考と視界をクリアにする。すぐに効果が切れるのは感覚的に分かるが、一秒でも長くもたせたい今はそれでも有り難い。
と、その時。木や茂みに隠れながら移動して機を窺っていた
「……隠れる? 何の為にだ?」
「諦めて逃げた……ってことはないよね。怖い感じが続いてるもん……」
殺気を読む、なんて大層なことは出来ないが、それでもこの場から
相手は狼型ではあるが、噛みつきより爪と属性攻撃を多用している辺り、獣の習性をそのまま当て嵌めて考えるのは危険だ。敵は野生の獣より知恵が回り、狡猾な存在だから。
「…………」
「…………」
姿が見えなくなってから数十秒、何の物音もしない。それが逆に緊張感を高まらせて、徒に消耗していくのが分かる。
こちらから仕掛けようにも居場所が分からないし、このまま時間が経ってくれるのなら好都合なのではという気持ちもあった。けど、このまま終わるはずがないという確信もある。
焦れてしまいそうになるのも、逆に緊張の糸がぷつりと切れてしまいそうになるのも堪えて、ミレイは固唾を呑んで視線を走らせ……
「……っ!?」
研ぎ澄ませた聴覚が、微かな足音を捉える。ただしそれは向こうの方からこちらへと近付いて来る、
リアも気付いたのか、二人はほぼ同時に音のする方へと視線を向け、
「ぁ……シーちゃん!」
「戻ったか! これで……」
槍を持つチームメイトが駆けてくる姿が見えて、思わずほっと安堵の声が出てしまう。気の緩みに慌てて周囲を再警戒するが、襲撃の気配はなく、また息が漏れそうになる。
出発から何分経ったのかは分からないものの想定外の早さで戻って来てくれたシーリスは、鋭く辺りを見回しながらミレイ達の近くにまでくると、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「しぶとく生きていたんだな、です。無駄走りになるかと思っていたが、です」
「ハッ、ほざけ。しかし存外早かったな」
「連中、呑気に茸を採っていたからな、です。途中で見つけられなかったら危うく集落まで行くところだったぜ、です」
「じゃあ村人さん達に伝えられたんだね。良かった……!」
「集落の連中への避難指示も頼んでおいた、です。だが、肝心の敵はどこに――」
まだ戦闘継続中だと察していたらしいシーリスが槍を手に周辺を鋭く視線を走らせる……が、いち早くそれに気付いたのはミレイの方だった。
ほんの僅かな、葉の擦れる音。
聞こえて来たのは、思いもしない所から。
反応して顔を上げたミレイが見たのは、一分以上姿を消していた
「っ、上から?!」
「なっ……どうやって、です……!?」
「あの体で木を上ったとでもいうのかっ?!」
驚愕に声を上げつつ、ミレイ達は瞬時にその場から散る。早く発見出来たおかげで知らぬ間に危険域まで入られるという最悪の事態からは脱し、シーリスに至っては跳び退きながらも槍の穂先を
「……《
まだ落下途中の敵へ、気合いの声と共に
避けようのない空中での一撃に、必殺とはいかないまでもダメージを確信したミレイだったが、そこで信じられない光景を見た。
迫る槍に対し
「なんっ……?!」
「宙を蹴った、だと……!?」
普通なら有り得ない動作で槍と雷の挟撃を回避した
狼の鋭い目が捉えているのは――リア。
咄嗟に移動した先にあった木の根に運悪く引っ掛かり、片膝を突いていた王女へと鼻先を向けていた。
「しまっ……?!」
「リアちゃんっ……このぉ!」
避けられる体勢じゃないリアを救う為に、ミレイは集中を切らさずいつでも出せるようにと準備していた火炎を、剣を振るって
勢い良く飛んだ火球は狙い通り空中の
――そんなミレイの期待を裏切るように、
驚愕に剣を振り下ろした体勢のまま固まるミレイが見たのは、炎の中から勢いを殺さず飛び出す
「くっ……?!」
迫る鋭利な牙を前に、リアは体を横に投げ出してかわそうとする。だが、顎からどうにか逃れられそうだったそこに
そして無理な回避の後で地面に倒れたリアは、それでも何とか転がって爪先をかわし――見えない攻撃までは防ぎきれず、背中を切り裂かれて血が噴き出した。
「ぃやっ!? リアちゃ――」
「馬鹿っ、敵から目を離すなです!」
突き刺すようなシーリスの声に、ミレイはハッとして
リアに一撃を食らわせた敵は狼らしい俊敏な動きで着地と同時に体を捻り、地面を蹴って跳びかかろうとするところだった。
残された片目が捉えていたのは――ミレイだ。
「っ……このぉっ!」
一瞬、心臓を掴まれたような感覚に陥ったミレイはほんの一歩で距離を半分以上詰めた
だが、咄嗟のことで火を纏わせることも出来なかった剣は、
そしてがら空きになったミレイの体に、
「…………ぁ……」
このままでは狼の爪に切り裂かれる。しかし下がるか横に回避しようにも、剣を弾かれた衝撃で体は動かない。
迫り来る
嗤った、と理解した瞬間――ミレイは全てがゆっくりと動いて見えた。
最初は時間が止まったのかと錯覚したが、宙を跳ぶ
迎撃不能、回避不能、間に合いそうなのは
「…………ぁ」
無惨に首元から胸にかけてを切り裂かれるイメージが湧いて、ミレイはやっとで悟る。
自分に今、絶対の死が迫っているのだと。
ゆっくりと迫る
脳裏に浮かぶのは倒れて血に染まるナンスリーの姿と、目の前で無惨に背中を切り裂かれたリアの姿と……笑っている、姉の姿。
「――――ぃ、」
この絶望的な状況に陥って、ミレイの中に強く湧き上がったのは――それでも諦めたくないという思いだった。
ここで倒れたら、死ぬ。一撃で死ななかったとしても、手負いの自分とリアは時間の問題だ。こちらを庇えばシーリスも同じ結果になる。
三人共死ぬだけじゃない。もし
クーパの実を分けてくれようとしたおじさん達も、立ち寄って休憩していた自分達に優しく接してくれた集落の人達も、抵抗なんて殆ど出来ないだろう。
――そんなの、絶対に嫌だ。
見知らぬ異国で姉が命懸けで戦ったのも、きっと同じ気持ちだったんだと思う。
家族じゃなくても、親しい人達じゃなくても、ただ挨拶を交わしただけでも……知り合った人達が傷付き、死んでしまうのが、単純に嫌だったんだろう。豪快だけれど優しい姉は、そんな人だった。
ミレイも、嫌だ。自分達が死ぬのも、あの人達が死ぬのも……そして姉に会えないのも。
この期に及んでもまだ諦められない。
唯一出来る防御手段として
「ぁ――!」
悔しさに歯を食い縛りながら、ミレイは気付く。これに近い感覚を、つい最近体験していたことに。
あの時と殆ど同じだ。指先に至るまで全身に張り巡らされた
――一か八か、なんて決断するまでもなかった。
出力を最大限にしながら、溢れ出しそうな
……あの夜、レグがした繰氣に比べれば全然下手くそだ。それでもここで終わらせない為に、自分だけでなく全員生き延びる為に、全力を注ぎ込み没入する。
そして見えない爪が肉を裂き、血が噴き出そうとした刹那、
「――――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっっっ!」
ミレイは魂から絞り出すようにして絶叫しながら、今にも溢れそうだった胸の小箱を叩き割るイメージで
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