022 生き残るための決断

「どうして剛魔獣ヴィストが、です……!?」


 リアとシーリスが動揺しながらも創撃武装リヴストラを出して構えるのを見て、ミレイも慌てて自分の創撃武装リヴストラを出す。セーラもいつの間にか創撃武装リヴストラの大砲を出し、その上に座って剛魔獣ヴィストを警戒していた。

 ミレイ達が色めき立つ中、ナンスリーは笑顔を崩さないまま先程までより真剣なトーンで指示を出してくる。


「各自迎撃態勢ね! 自分から仕掛けようとは思わない、接近してこなくても攻撃が飛んで来る可能性があるから錬晄氣レアオーラは絶やさずに!」

「ッ、了解した……!」

「は、はいっ!」

「おっけ、良い子ね! それにしても、こんなところで遭遇するかぁ……!」


 唸り声をあげてこちらを睨み付ける狼型の剛魔獣ヴィストに剣の切っ先を向け、ナンスリーは予想外の展開にぼやく。

 皆が疑問に思うこの事態を解き明かしたのは、セーラの一言だった。


「……たぶん、追って来た」

「あ……! さっきの村人さん達を……!?」

「有り得る、かな。見つけてその場で襲うんじゃなくて、住み処を突き止めようと距離を置いて尾行してきたか……厄介だね」

「そのような知恵が剛魔獣ヴィストにもあるのかっ?!」

「そこは様々かな。知性を完全に放棄して凶暴化する場合もあるし、野生の獣とは思えない知能がある場合もあるから」


 話しながらも油断無く構えていたナンスリーは、


「匂いを辿って付いて来たら新たな獲物を見つけて、窺っていた……ってところかな。今日が巡回の日で良かったよ。下手をしたら集落も村も消えてなくなるところだった」

「……満腹になればそこで止めるんじゃないのか、です?」

「そこが普通の獣との違いでもあるかな。剛魔獣ヴィストから。そもそも生きる為に食べるんじゃなくて、美味しいから食べるって感覚みたいだって研究結果が……っと、講義はまた後で。あれはここで確実に倒すから待っててね」

「…………っ……」


 ここで『手伝って』と言われなかった以上、ミレイ達は動けない。下手に動けば邪魔になるだけで、自分の身を守るだけでも精一杯になる可能性も高いと身を以て知ってしまった。

 その証拠にこういう場面で真っ先に飛び出していきそうなリアとシーリスも、緊迫した面持ちで動かずにいる。セーラはミレイと同じで表情に恐怖を滲ませているが、取り乱さずにしっかりと剛魔獣ヴィストを見据えていた。

 そういう意味で、数日前にレグの行った『試験』は得難い経験だったとつくづく思う。これが初めての遭遇だったとしたらどれだけ動揺したのか、考えるとぞっとする。

 だからミレイが出来るのは、しっかりと創撃武装リヴストラを構え防御を固めて、ナンスリーの行動を見守るだけだ。

 片刃が波打つ形の剣を創撃武装リヴストラとして使うナンスリーは、距離にして数十歩は離れた相手に対してその場に立ったまま、


「いい? 剛魔獣ヴィストは等級が最弱の青でも決して弱くはない。特に接近されると、下手をすれば力負けする。だから――貫け、《グラススピアー》!」


 気合いを込めて叫ぶと共に、ナンスリーは持っていた剣を下から上へと力強く振り上げる。

 先程とは違い衝撃波が飛んでいく様子もなく、剛魔獣ヴィストも反応して身を低くしたものの、変化のなさに訝しむように首をもたげ、

 ――上空から降り注いだ無数の不可視の刃に打ち抜かれ、悲鳴と共に地面に磔になった。

 何が起きたのか分からなかったミレイだが、すぐに理解する。恐らく先程の一振りで風属性の錬技スキルを放ち、矢を降らせるようにして風の槍をいくつも打ち出したからだろう。


「……こんな風に、近付かずにダメージを負わすのがベストかな。仕留めきれなくてもいいから、確実に手傷を負わせて倒せるまで気を抜かないこと」


 話しながらも視線は倒れ藻掻く剛魔獣ヴィストに向けたまま。油断無く対峙するナンスリーは、距離を詰めることもせず剣を下げて、もう一撃放つ準備にかかる。

 倒れたまま青黒い血を流す剛魔獣ヴィストは立つことも難しそうで、弱々しい唸り声をあげるだけだ。家の手伝いで家畜の世話もするミレイは少しだけ心にちくりとくる。

 だが、相手は剛魔獣ヴィストだ。普通の害獣と違い、共存は絶対に不可能と言われる人類の天敵に属する存在で、ここで退治する以外の選択肢はない。

 攻撃される気配に必死になって逃げようとする剛魔獣ヴィストを可哀想に思う気持ちを抑え、ミレイは最後の抵抗に備えて大剣を構え直し……ふと、微かな違和感を覚える。

 死に瀕した剛魔獣ヴィストは這いずって逃げようとしているはずなのに、むしろこちらに向かって来るようだった。あの様子では一矢報いる気があるようには見えないし、身を隠せる障害物があるわけでもない。

 か細く唸る声も、まるで助けを求めるみたいで――


「っ、ナンスリーさん! 他にも、」


 勘違いであって欲しいと思いながらもミレイが警戒の声を飛ばした、次の瞬間。

 すぐ近くの茂みから飛び出して来た灰色の狼が、ナンスリーへと襲いかかった。


「くぅっ……?!」

「なっ、新手だと……!?」


 横から不意に現れた新たな剛魔獣ヴィストに、ナンスリーは慌ててその場から飛び退く。狼型の剛魔獣ヴィストは大口を開け鋭い牙で噛みつこうとしていたが、回避され届かないと悟ったのか、右の前足を薙いで鋭い爪を振るってくる。

 突然の連続攻撃に、ナンスリーは表情を引き攣らせながらも剣を振り上げて迎撃しようとする……が、切っ先は僅かに剛魔獣ヴィストに届かない。しかし反撃に出たおかげか、剛魔獣ヴィストの爪もナンスリーの腹部にはギリギリで届かず空振りに終わる。

 ミレイがホッとする間もなく剛魔獣ヴィストはそこで止まらずさらに距離を詰め、今度こそと左前足を振り上げて――突然顔から前足にかけて血を吹き出し、弾かれたようにその場から大きく後ろへと跳んで逃げた。


「剣先は触れていないように見えたが……風属性の錬技スキルか……!」

「なっ、ナンスリーさん! 大丈夫ですかっ?!」


 よもやの新手に混乱した場で、ミレイは慌てて先輩騎士エストの元へと駆け寄る。勿論剛魔獣ヴィストからは目を離さないが、あちらはダメージが大きいのか喚くような声をあげて地面を転げ回って暴れていた。

 その様子を真剣な眼差しで見つめていたナンスリーは、口元に強張った笑みを浮かべ、


「……や、参ったね。最初から片方は囮に使って挟撃するつもりだったのかな……これだから剛魔獣ヴィストって嫌いだよ、ホント」


 独りごちるように言うと、ナンスリーは寄って来たミレイ達四人に視線を向ける。瞳は真剣そのもので、一切の余裕を感じさせないものだ。


「――いい? 実地体験はここまで、あなた達は今すぐ村まで逃げるように。村の人に危険だからここから離れるように伝えて」

「逃げよ、だと? それは悪手としか…………ッ!?」


 剛魔獣ヴィストが二体とはいえ、一体はもう動くことも難しい。そして後から出て来た方も、浅くは無い手傷を負わせている。

 ならば変わらずミレイ達は防御に専念して、ナンスリーが倒すのを見守っている方が分かり易い。逃げたところを剛魔獣ヴィストに襲われたら危険だし、そうするくらいならリスクを承知で加勢し全員で倒した方がいいだろう。

 だがナンスリーがそう指示しなかった理由に、ミレイはすぐに気付いた。

 ……彼女の着ていた革の防具が胸から腹部にかけて切り裂かれ、そこから血が流れ出ていることに。


「そんなっ?! で、でもっ、ちゃんと避けてたのに……」

「あは、は……まさか剛魔獣ヴィストがこっちと同じ攻撃してくるなんて、ね…………嫌な偶然。あー、ドジっちゃった」

「流れ出ている血の量が多い、です! 早く手当てをしないと、」

「うん、だからわたしは気にせず逃げて。責任取れなくて悪い、けど…………ごめん、限界みた、い……」


 そう言うとナンスリーの手から創撃武装リヴストラが溶けるように消え、ぐらりと体が傾き倒れそうになる。


「やっ、ナンスリーさんっ!?」


 慌てて駆け寄ったミレイが際どいところで支えるが、やや細身の彼女の体がやたらと重く感じる。だらりと垂れた腕には力がまるで入って無くて、足も自立を放棄し地面に膝が付きそうになっていた。

 目も閉じ、完全に意識を失っている。傷口からは血が流れ続け、ぽたぽたと地面を赤黒く染めていく。

 剛魔獣ヴィストの攻撃はナンスリーには触れていなかった……が、届いていたのだろう。それも彼女と同じ風属性の攻撃が。


「ッ……爪だけでなく風の刃で切り裂くというのか……!」

「……向こうもダメージは大きいだろうが、こっちの方が戦力ダウンは大きいな、です」


 シーリスの言う通り、剛魔獣ヴィストも深手を負ってはいるみたいだが、先に倒した一体とは違って後から出て来た方はまだまだ動けそうだった。

 それに同じ狼型の剛魔獣ヴィストだが、首を貫くようにして生えている魔晶核フォーンの色は――薄い碧。


「……格上が残って、こちらは大将札が欠けたか……セーラ、騎士エスト殿の容態は?」


 リアが問い掛けたのは、宙に浮く大筒から降りてきてナンスリーの傷口に両手を寄せる少女にだ。淡く両手を光らせたセーラは、普段は人形のように感情を読み取れない顔を険しくし、小さく首を横に振る。


「…………傷は深いけど、血は止められる……でも、このままだと……」

「この中で最も治癒に向いているセーラでも、か……」

「どうする、です? 賢明なのは彼女の命令通りにすることだろうが、です」

「ダメだよっ! こんな状態のナンスリーさんを置いていったら……それに集落に向かった人達だって……!」


 ミレイの言葉に、他の三人は押し黙って剛魔獣ヴィストに視線を移す。まだ起き上がれずにいるが、時折鋭い眼光でこちらを睨め付けている。

 剛魔獣ヴィストは彼等を追ってここまで来た。匂いを辿って来たのなら、少し距離があっても捕捉して追えるだろう。集落に向かっているはずの村人達は勿論、集落の人達だって危険だ。

 ……と、その時。ようやく剛魔獣ヴィストが片足を引きずりながらも起き上がるのが見え、ミレイ達は一気に緊張感を高めて創撃武装リヴストラを構える。

 だが、剛魔獣ヴィストは襲いかかっては来ず、こちらを一瞥してからもう一体の剛魔獣ヴィストの方へと歩いていく。怪我の影響で歩き難そうだが、いざとなれば俊敏に動けそうにも感じられる。


「……逃げる、のか? だとすれば……」

「もしかして、仲間を心配して……?」


 リアに続いてミレイも予想を口にする。どちらにしろ、退いてくれるならそれが一番良い。脅威は残ってしまうが、報告すれば夜には騎士エスト団が討伐隊を出し狩ってくれるはずだ。

 ミレイ達が固唾を呑んで見守る中、碧の剛魔獣ヴィストは倒れたままの青の剛魔獣ヴィストに顔を寄せて――躊躇いなく首元に噛みつき、悲痛な鳴き声が響いた。


「な、ん……?!」

「仲、間を……食べて……!?」

「………………ぅ……」


 噛みつかれて暴れる剛魔獣ヴィストを、もう一体の剛魔獣ヴィストが前足で押さえつけながら貪っていく。共食いなんて習性は聞いたことがないが、実際にグロテスクな光景が目の前で繰り広げられていて、ミレイは言葉もない。

 まさかの行為に、口を開いたのはシーリスだった。


「……恐らく、食らうことで回復を図っているんだろう、です……」

「…………わたし達を前にして、か?」

「一番の障害が脱落した今、脅威とは思っていないんだろうな、です。少しでも回復をして、後からゆっくり薙ぎ散らせばいい……そんなところだろ、です」

「業腹な上に虫酸が走るが……逃げるのならば追っては来ないかもしれんな」


 リアの推測に、セーラが小さく頷いて同意を示す。今は回復を優先しているし、攻撃手段を持っていそうな自分達よりは無防備そうな村人達を追うだろう。

 あの剛魔獣ヴィストはミレイ達が攻撃してくることを恐れていない。攻撃してくれば返り討ちにする自信があるからこそ、ああして悠々と共食いをしていられる。

 仲間に食われる剛魔獣ヴィストの悲鳴のような叫び声が森に響く。

 残酷なシーンを目の当たりにし、ミレイは膝から力が抜けてしまいそうになる……が、支えているナンスリーの重さに、踏み止まった。

 今やるべきなのは恐れて竦むことじゃない。

 そして逃げろというナンスリーからの最後の指示は……残念ながら、聞けない。


「――セーちゃん、お願い。ナンスリーさんを村まで運んで。リアちゃんはその援護、シーちゃんはさっきの村人さん達に避難するように伝えて」


 言いながら、ナンスリーの体をセーラの創撃武装リヴストラに乗せる。大筒に俯せに乗せ、彼女が持っていた騎士エスト団装備の腰に付けた鞄からロープを取り出し、ぐるりと回して固定した。少し不安だが、飛ぶのなら振動は少ないだろうから落ちないとは思う。


「……ミレイ? 其方、何を……」

「逃げるだけじゃなく救護もしろって意図は分かるが、あんたはどうするんだ、です?」


 勝手に指示して進めていくミレイに疑問の声がかけられる。

 共食いを続ける剛魔獣ヴィストを監視しながら、ミレイはキッパリと答えた。


「時間稼ぎと足止めをする。だから、急いで」

「なっ……馬鹿を言うな、其方一人で敵うと思っているのか!?」

「思ってないけど、あたしが一番向いてるはずだもん。風属性には火属性が相性良いってレグ兄も言ってたし、ナンスリーさんを運んで走れるのはセーちゃんしかいないし」

「だからといって頷けるか! ここに一人残るなど自殺行為だぞ?!」

「死ぬ気はないよ。村にはレグ兄がいるから、このことを伝えて連れて来てくれればいい。あたしはそれまで耐えればいいだけだもん」

「……出来ると思っているのか、です。青クラスに四人がかりで手も足も出なかったのに、手負いとはいえ碧を相手にして、です?」


 シーリスの言うことは尤もだ。誰がどう考えも、ここは逃げの一手が最善手だろう。そんなことはミレイも分かっている。

 でも、これは最善がどうとか可能性がどうとか、そういう話じゃない。


「……やる。ナンスリーさんを置いて逃げるだなんて絶対出来ないし、さっきの人達や集落の人達を見捨てるのも出来ない。だからやるの」

「気持ちは分かるけどな、です。その思いだけで出来るのなら苦労は、」

「出来るよ! だって出来ないと、誰かが犠牲になっちゃうもん! そんなの絶対にさせないんだから……!」

「だが、それで其方が犠牲になるようでは元も子もないぞ!」

「あたしも死なない。ちょっとケガしちゃうかもしれないけど、でも死なないよ。虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出るのだって諦めてないんだから」


 言って、ミレイは笑う。たぶん上手く笑えていないけれど、それでもほんの少しの勇気は湧いてきた。

 無茶を言っているのは自分でも分かっている。でも、やると決めた。だから出来ないなんて考えない。

 ……と、その時。一際甲高く、それでいてか細い悲鳴が聞こえてきた。

 剛魔獣ヴィスト達から視線を外していなかったミレイは、それが搾取される側が出した最期の声だと分かる。殆ど痙攣しているだけになっていた剛魔獣ヴィストが薄れ、解けるようにして消えていく。


「時間切れ、か。セーラ、悪いが一人で村まで行けるか?」

「えっ!? リアちゃん、どうしてそんな――」

「……ん、行けます。休みの日も走ってましたから」

「ならば騎士エスト殿を頼む。そしてあの男を呼んできてくれ。シーリスも、村人達に伝言と素早い帰還を頼むぞ」

「……役割を交代してもいいんだぞ、です」

「この中で一番足が速いのは其方だ。二人だけではどれだけ持ち堪えられるか分からん、一秒でも疾く帰れ」


 創撃武装リヴストラのエストックを構え直して呟くリアの声も、緊張でやや硬くなっている。

 そして一体だけになった狼型の剛魔獣ヴィストが、ゆっくりと顔をこちらへと向け……


「言い方は気に食わないが……了解だ、です!」


 気合いの籠もった声と共にシーリスが槍を大きく振るうと、槍の穂先から雷光が迸る。渾身の一撃は鋭く剛魔獣ヴィストを襲う……が、負傷しているとは思えない素早さで後ろへ跳んでかわされてしまい、着地と同時に低い姿勢からこちらへと跳びかかろうと、


「させぬっ――《氷壁の檻クリスタルドーム》!」


 間髪容れずに地中から生えた氷の壁が剛魔獣ヴィストの行く手を塞ぐ。それも一枚の壁ではなく、剛魔獣ヴィストを覆って閉じ込めるように複数の壁が周りを囲んでいく。

 それを行ったリアは地面にエストックを刺したまま、叫ぶ。


「行けっ! 誰一人欠かず切り抜ける為に!」

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