021 実地訓練はお散歩気分!?

「うへー、それじゃ英雄さんは訓練場まで剛魔獣ヴィストを連れてきたんだ? わたしには絶対真似出来ないなぁ」

「普通はあんな真似しようとせぬがな。あの男は非常識すぎる」

「そういう破天荒なところもなんか格好いいなぁ。や、色眼鏡だってのは分かってるんだけど、こればっかりはどうにも……ねぇ?」

「そこで同意を求められても頷けぬぞ」


 疲れた声で返したリアが、ちらりとこちらを振り返り『助けよ』と唇を動かす。しかしミレイが出来るのは、両手を合わせて『ごめんね』と苦笑するだけだ。

 ――現役騎士エストの巡回に同行するという実地訓練は、今のところ担当の女性騎士エストがお喋り好きで受け答えに困るということ以外、順調に進んでいた。

 朝の二つ目の鐘が鳴らされたのをスタートの合図に始まった巡回は、まず拠点の町から街道をぐるりと森を迂回する形で歩いて馬車の休息地まで行き、そこで少し休憩を挟んでから、踵を返して今度は森の中を進んでいった。

 それ程視界は悪くないものの、森の中の道は整備されているとはとても言い難いもので、木々や茂みの向こうに何が潜んでいるか分かったものじゃない。カサカサ、という草木の擦れる音がして緊張を高めて創撃武装リヴストラの切っ先を向けると、ただのリスや小鳥といった小動物がいるだけで、その度にため息を吐き疲れる羽目になった。

 そんな中で先頭を歩く騎士エストのナンスリーは、肩に掛かる程度に切り揃えた栗色の髪を揺らしながら、創撃武装リヴストラも出さず楽しげな様子だ。荒れた道を進む時も足取りは軽く、特に警戒しているようには見えないのに

「あっちは蜂の巣があるから遠回りしよっか」

と目敏く進路を変えていた。

 年齢は二十代後半――姉のジーナより少し年上だが騎士エストの中ではまだ若いはずなのに経験値の高さが窺えて、ミレイは感心しっぱなしのまま午前の巡回が終わった。

 昼休憩は森の中を流れる川の近くにある集落で取った。用意しておいた昼食を食べていると、集落に住んでいる家族が果物をくれて、とても嬉しかった。集落には数人の子供もいて、遠巻きにじっと見てくる彼等の視線は少しこそばゆく感じた。

 小一時間の休憩の後で出発し、今は森のほぼ中央にあるという村へ向かっている訳だが……ここまでで一番の問題が同行する騎士エストのお喋りというのは、果たしてこれはどうなのかとミレイは思ってしまう。その程度の問題で済んで有り難い、と思うべきなのか。

 幸いにも剛魔獣ヴィストは勿論、普通の獣にも出会さないまま、順調に森の中を進んでいる。先頭のナンスリーのすぐ後ろに控える形でリア、その次にミレイ、セーラ、最後尾にシーリスという縦一列の並びだ。

 なので必然的にリアとミレイがナンスリーの話し相手を務めることになるのだが、彼女の興味は自分達より教えているレグに向いているみたいだった。


「うーん、やっぱり英雄さんに会ってみたかったな。わたしが最後に英雄さんを見たのって五年前だから、きっとカッコ良く成長してるんだろうなー」

「えっと、村に行くって言ってましたから会えるとは思いますけど……体の成長って意味では、たぶんあんまり……あっ、でもレグ兄は前より強くなってるって言ってました!」

「ありゃ、そうなんだ? 会えるのは楽しみだけど……それは残念だなー。うん、色んな意味で残念」

「どのような意味なのか、良ければ聞かせて貰えぬか?」


 訊ねたのはリアだが、他の騎士エストから自分達の教導員コーチがどう見られているか、そこはミレイも気になる。ここまでの会話でナンスリーがレグを好意的に思ってくれていそうだから、尚更だ。

 こちらからの問いに、ナンスリーは手で進行方向を示しながら、


「わたし達の世代は英雄さんと同じタイミングで虹星練武祭アーヴェスト・サークルに挑戦していたから、やっぱり色んな思いがあるのよ。一緒にチーム組みたかったなー、とか、実際どれくらいのものなのか対戦してみたかったなー、とか」

「あれ、ナンスリーさんはレグ兄と戦ったことないんですか?」

「わたしは一つ前の年に本戦出ちゃってたから、予選にも参加出来なくてね。しかも英雄さん騎士エスト団には来てくれないから戦う機会がないのよ。見たことはあっても話したことはないから、教えを請うのも憚られちゃってねー。頭くらいならいくらでも下げるしキスまでなら余裕でオッケーなんだけど、まずそこまでの関係性がないと」

「……そうまでする価値があるとは思えぬがな」

「まー、実際に教導員コーチとしてどうなのかは知らないけど、やっぱり他の男性騎士エストを知っている身としては比較して凄く思えるし、錬晄氣レアオーラの繰氣技術と練技の多彩さは六年前ですら圧巻だったから。知ってる? 男で覇星騎士エストになったのは彼が初めてなのは有名だけど、他にも一回の虹星練武祭アーヴェスト・サークルでの連勝記録と、影属性メインの騎士エストって意味でも快挙なんだよ?」

「……それは知っておる。先日調べたのでな」

「だから現役騎士エストでまだまだ強くなりたい身としては、目の前で戦う姿を見るだけでも価値は凄くあるよ。戦い以外でも訊きたいことはたくさんあるし。当時の騎士エスト団長と揉めて特例での所属の話を蹴ったって聞くし、他にも女王代行の密命で単独任務をこなしているとか実は力の大半を使えなくなっているとか、噂は色々とあるんだから!」


 途中までは騎士エストとして高みを目指す人物らしい言葉だったのに、段々とゴシップ好きなお姉さんみたいになってきた。

 どう応じれば分からず愛想笑いを浮かべることしか出来ないミレイだが、それに気付いたのかナンスリーはコホンと分かり易く咳払いをし、


「でもね、やり方はとんでもないと思ったけど、剛魔獣ヴィストと戦う経験をしておくのは有りだよ。というか、同じことが出来るならわたしも新人さんにはやらせるかな」

「む……そうなのか?」

「こうやって巡回や討伐しに行っているから、普通に暮らしてて魔獣を見る機会なんてあんまりないでしょ? で、騎士エストになって初めて遭遇するんだけど……実際に見るとさ、動けなくなっちゃうよねー。わたしなんて創撃武装リヴストラを出すことも出来ずに、先輩騎士エストが戦っているのを見ているだけだったよ」


 あれは参ったなー、と頭を掻くナンスリーだが、明るく振る舞う彼女にミレイは何も言えない。前にいるリアの横顔も難しいものになっていて、恐らくはこれを聞いている後ろの二人も同じだろう。

 先日、レグが剛魔獣ヴィストを出した時に感じたのは今まで体験したことのない恐怖で、影で動きが制限されている状態で少し間を置いてくれなければ……たぶんろくに動けないまま、蹂躙されて終わっていた。


「初陣で怪我する騎士エストは凄く多くて、死んじゃうケースも少なくないの。特に巡回で遭遇する時って、大体が向こうから不意打ちしてくるしね。野生の獣と一緒で気配消すの上手いんだよ、剛魔獣ヴィストって」

わたし等が見えた剛魔獣ヴィストはかなり大きかったが、小さいものの方が多いのか?」

「サイズはまちまちかな? でも、大きければ強いとか小さいから弱いとかはないし、同じタイプに見えても属性が違ってて、別物ってくらい攻撃方法が変わってくることもあるし。だからこそ等級が青の相手でも油断は出来ないんだよ」

「……虹星練武祭アーヴェスト・サークルの本戦に出場する程の力量があっても、なんですか?」

「うん、そりゃあねー。ハッキリ言って、騎士エスト相手に戦うのとは全然違うから。わたしもそこそこ強いつもりなんだけど、やっぱり『怪物』と戦うのは怖いよ。人間相手なら降参すれば止めて貰えるけど、こっちが折れたら死ぬしかないもん」

「………………」


 トーンはあくまでも軽いが、その内容はとても重い。実際に仲間が傷付き、或いは亡くなっているのだと容易く想像出来る。

 虹星練武祭アーヴェスト・サークルの予選は勝てなければ本戦に出られない……が、剛魔獣ヴィスト相手に負ければ、そこで終わりだ。本当の意味で次はない。

 ここ数日で現実を思い知らされて気落ちするミレイに、ナンスリーは明るく話を続けた。


「まっ、巡回では滅多に剛魔獣ヴィストとは遭遇しないけどね! この森だって、最後に目撃されたのは三年前で、その時は通報を受けてやって来た討伐隊がさくっと倒したらしいよ。鹿タイプの青だったって」

「……いるとしてもさして強くない剛魔獣ヴィストの可能性が高い……が、出会さぬに越したことはない、か。少なくとも、無様を晒した直後では大口など叩けぬな」


 普段は自信に満ちた言動の多いリアも、流石に堪えているらしい。それはシーリスやセーラも同じだろう。

 そしてミレイも他人事ではなく、自信喪失中だ。この巡回中も、何度か木の根に足を取られて転びそうになったり隊列を崩しそうになったりして、集中力が散漫になってしまっている。


「まー、お姉さんからのアドバイスとしては、虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出る為に無理をしすぎないことかな。大怪我したり死んじゃったりしたら、次のチャンスはもうないんだから……ん?」


 迷える後輩に優しい言葉をかけてくれていたナンスリーだが、不意に足を止めて左斜め前方を見つめる。

 女性騎士エストの行動に、ミレイは思わずぎくりとしてすぐに彼女の視線を追うと、向こうから数人の男達が歩いて来るのが見えた。何やら籠や棒状の道具を持っていて、あちらも自分達に気付いたらしく手を上げて

「おーい」

と声を掛けてくる。


「あー、ヤズモ村の人達だ。何かの作業帰りかな?」

「ほう? しかしヤズモ村はこれから向かう予定の村のはずだが……」

「そうだよ。ここからだと歩いて十分くらいかな」


 帰りなら方向がおかしいのでは、というリアの質問に対する答えは、すぐ近くまで来た先頭を歩く笑顔の中年男性がすることになった。


「やあ、奇遇だねナンスリーさん。これからうちの村に?」

「うん、通り過ぎるだけだけど、この子達の訓練も兼ねて巡回だよ。おじさん達は今から集落に行くの?」

「ああ。山の方に植えてある果物がそろそろ収穫時期だから様子を見に行ったら、気の早い果実が多くてね。集落にお裾分けしに行くんだが、ナンスリーさん達もいくつかどうだい?」


 そう言いながら男は背負っていた籠を降ろし、中から片手で持つにはちょっと大きい紫色の果実を取り出す。


「わっ、クーパの実だ。おっきくて美味しそう!」

「ほう、そういう名の果物なのか。硬そうだが、どう調理して食べるのだ?」

「表面に少し切れ込みを入れて、晴れた日に半日くらい置いておくんだよ。そうしたら皮が手で剥けるようになるから、そのままかぶりつくの。真ん中におっきな種があるから、切って食べるより丸ごといく人が多いかな」

「む……それは少し勇気が要る食べ方だな……」


 難しそうな顔でクーパの実を見つめるリアを、村人達は珍しそうに眺める。特に高価でもない、この季節になると普通に市場に並ぶ果物だから、知らない方が稀少だ。

 この美少女騎士エスト候補生が王族だと知ったら驚くだろうなと思うミレイだが、わざわざ言って場を混乱させてもいけないので黙っていると、ナンスリーが申し訳なさそうな笑顔で申し出を断っていた。


「おじさんごめんねー。出来れば貰って行きたいんだけど、巡回の続きがあるの。また来週村に寄るから、その時にくれると嬉しいな。あっ、ジャムにしてくれたらすっごく嬉しい!」

「そうかい? ならうちの娘に言っておくよ」


 割と我が儘なナンスリーの頼みに笑顔で返すと、男達は荷を持ち直し、ミレイ達にもわざわざ会釈をしてから集落の方へと歩いて行く。

 木々の向こうに彼等の姿が消えていくのを見送ってから、ナンスリーは

「あーあ」

と残念そうに呟き、


「あれ好きなんだけどなー。でもまあ、おじさんちのジャムは甘すぎなくて美味しいし、次回の楽しみが増えたと思っておこう」

「ふむ……随分と村の人間と親しげなのだな? 先程の集落でも歓迎されていたようだし」

「巡回って基本的には面倒だし汚れるし疲れるしでやりたくないけど、少なくとも一年は担当地域が変わらないから地域の人達と顔見知りになるし、結構感謝もされるんだよ。剛魔獣ヴィストは殆ど出ないけど、害獣退治をしてあげたらもうすっごい喜んでくれてね。騎士エストになって良かったなー、って思える瞬間だよ」

「……それは、命を懸けるに値する仕事、という意味か?」

「そうだよ。まー、正直わたしは虹星練武祭アーヴェスト・サークルには騎士エストで、強さで言えばチームで四番手か五番手だったからね。本戦には一回だけしか出られなかったし、それも一回戦で惨敗だった……けど、強さを競い合うことより、それで誰かの役に立つ方が大事なんだって早めに気付けたから良かったよ」


 晴れ晴れとした笑顔で語るナンスリーを見て、ミレイの脳裏に未だ消息の分からない姉の笑顔が過ぎった。

 騎士エストの役割は剛魔獣ヴィストを倒し人々を守ることだ。虹星練武祭アーヴェスト・サークルはあくまでも競うことで高め合う場で、騎士エスト候補生の多くはそこを目標にしているが、本来の役割から少し外れている。

 特にミレイは虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出るというよりも、制限の厳しい他国に入る為という目的が強かった。他の候補生より動機が純粋じゃないと心のどこかで引け目に感じていたが、ナンスリーの話を聞いていてそれがより強くのし掛かってくる。

 同時に、騎士エスト候補生が巡回を実地体験する理由も分かった気がした。実際に地域を回り、底に住む人達と接して彼等の反応を見ることで、自分達がなろうとしている騎士エストというものがただの職業でも名称でもなく、護り手という存在であることが実感出来た。

 まだ会ってから数時間しか経っていないが、レグや姉より年上の現役騎士エストであるナンスリーから学べるものは多い。この実地体験で強くなることはないだろうけど、成長に繋がるのは間違いないはずだ。

 ……と、ミレイが改めてこの巡回に意義を感じていた、その時。

 ナンスリーの後方――さっき村人達がやって来た方にある茂みが、風も無いのに揺れたように見えた。ガサリと小動物が触れただけにしては大きな葉音が聞こえるも、原因らしきものの姿はまだ見当たらない。

 森の中なのでこの手のことは良く起こるし、狸や犬は何度か見かけたのでそこまで気にすることでもない……が、何故か目が離せない。頭の片隅で警戒音が微かに、しかし決して無視出来ないレベルで鳴り続けている。


「あの、ナンスリーさん。さっきあそこで何か……」

「んー?」


 ミレイが茂みの方を指差しながら報告すると、ナンスリーは振り向きながら軽く腕を振り上げて、


「――おいで、《ゼスライザー》」


 下から上へと腕を振るう間に右手の中に両刃の剣が現れ、そこから不可視の衝撃波が飛んでいった。微かな空気の揺らぎと錬技スキルの気配を感じなければ何をしたのか分からなかったかもしれない。

 引率してくれている騎士エストの突然の行動にミレイは驚くが、疑問の声をあげることはしなかった。というより、出来なかった、という方が正しいが。

 何故なら衝撃波が茂みを切り裂く寸前に、その奥から飛び出した影があったからだ。

 現れた灰色の影は、大きな犬か狼かという姿をしていた。赤黒い目と逆立つ毛並みのせいもあって荒々しい印象が強いが、何より目を引くのは――首を横に貫くように生えた、青く輝く細長い水晶の存在。


「なっ……まさか……?!」

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