021 実地訓練はお散歩気分!?
「うへー、それじゃ英雄さんは訓練場まで
「普通はあんな真似しようとせぬがな。あの男は非常識すぎる」
「そういう破天荒なところもなんか格好いいなぁ。や、色眼鏡だってのは分かってるんだけど、こればっかりはどうにも……ねぇ?」
「そこで同意を求められても頷けぬぞ」
疲れた声で返したリアが、ちらりとこちらを振り返り『助けよ』と唇を動かす。しかしミレイが出来るのは、両手を合わせて『ごめんね』と苦笑するだけだ。
――現役
朝の二つ目の鐘が鳴らされたのをスタートの合図に始まった巡回は、まず拠点の町から街道をぐるりと森を迂回する形で歩いて馬車の休息地まで行き、そこで少し休憩を挟んでから、踵を返して今度は森の中を進んでいった。
それ程視界は悪くないものの、森の中の道は整備されているとはとても言い難いもので、木々や茂みの向こうに何が潜んでいるか分かったものじゃない。カサカサ、という草木の擦れる音がして緊張を高めて
そんな中で先頭を歩く
「あっちは蜂の巣があるから遠回りしよっか」
と目敏く進路を変えていた。
年齢は二十代後半――姉のジーナより少し年上だが
昼休憩は森の中を流れる川の近くにある集落で取った。用意しておいた昼食を食べていると、集落に住んでいる家族が果物をくれて、とても嬉しかった。集落には数人の子供もいて、遠巻きにじっと見てくる彼等の視線は少しこそばゆく感じた。
小一時間の休憩の後で出発し、今は森のほぼ中央にあるという村へ向かっている訳だが……ここまでで一番の問題が同行する
幸いにも
なので必然的にリアとミレイがナンスリーの話し相手を務めることになるのだが、彼女の興味は自分達より教えているレグに向いているみたいだった。
「うーん、やっぱり英雄さんに会ってみたかったな。わたしが最後に英雄さんを見たのって五年前だから、きっとカッコ良く成長してるんだろうなー」
「えっと、村に行くって言ってましたから会えるとは思いますけど……体の成長って意味では、たぶんあんまり……あっ、でもレグ兄は前より強くなってるって言ってました!」
「ありゃ、そうなんだ? 会えるのは楽しみだけど……それは残念だなー。うん、色んな意味で残念」
「どのような意味なのか、良ければ聞かせて貰えぬか?」
訊ねたのはリアだが、他の
こちらからの問いに、ナンスリーは手で進行方向を示しながら、
「わたし達の世代は英雄さんと同じタイミングで
「あれ、ナンスリーさんはレグ兄と戦ったことないんですか?」
「わたしは一つ前の年に本戦出ちゃってたから、予選にも参加出来なくてね。しかも英雄さん
「……そうまでする価値があるとは思えぬがな」
「まー、実際に
「……それは知っておる。先日調べたのでな」
「だから現役
途中までは
どう応じれば分からず愛想笑いを浮かべることしか出来ないミレイだが、それに気付いたのかナンスリーはコホンと分かり易く咳払いをし、
「でもね、やり方はとんでもないと思ったけど、
「む……そうなのか?」
「こうやって巡回や討伐しに行っているから、普通に暮らしてて魔獣を見る機会なんてあんまりないでしょ? で、
あれは参ったなー、と頭を掻くナンスリーだが、明るく振る舞う彼女にミレイは何も言えない。前にいるリアの横顔も難しいものになっていて、恐らくはこれを聞いている後ろの二人も同じだろう。
先日、レグが
「初陣で怪我する
「
「サイズはまちまちかな? でも、大きければ強いとか小さいから弱いとかはないし、同じタイプに見えても属性が違ってて、別物ってくらい攻撃方法が変わってくることもあるし。だからこそ等級が青の相手でも油断は出来ないんだよ」
「……
「うん、そりゃあねー。ハッキリ言って、
「………………」
トーンはあくまでも軽いが、その内容はとても重い。実際に仲間が傷付き、或いは亡くなっているのだと容易く想像出来る。
ここ数日で現実を思い知らされて気落ちするミレイに、ナンスリーは明るく話を続けた。
「まっ、巡回では滅多に
「……いるとしてもさして強くない
普段は自信に満ちた言動の多いリアも、流石に堪えているらしい。それはシーリスやセーラも同じだろう。
そしてミレイも他人事ではなく、自信喪失中だ。この巡回中も、何度か木の根に足を取られて転びそうになったり隊列を崩しそうになったりして、集中力が散漫になってしまっている。
「まー、お姉さんからのアドバイスとしては、
迷える後輩に優しい言葉をかけてくれていたナンスリーだが、不意に足を止めて左斜め前方を見つめる。
女性
「おーい」
と声を掛けてくる。
「あー、ヤズモ村の人達だ。何かの作業帰りかな?」
「ほう? しかしヤズモ村はこれから向かう予定の村のはずだが……」
「そうだよ。ここからだと歩いて十分くらいかな」
帰りなら方向がおかしいのでは、というリアの質問に対する答えは、すぐ近くまで来た先頭を歩く笑顔の中年男性がすることになった。
「やあ、奇遇だねナンスリーさん。これからうちの村に?」
「うん、通り過ぎるだけだけど、この子達の訓練も兼ねて巡回だよ。おじさん達は今から集落に行くの?」
「ああ。山の方に植えてある果物がそろそろ収穫時期だから様子を見に行ったら、気の早い果実が多くてね。集落にお裾分けしに行くんだが、ナンスリーさん達もいくつかどうだい?」
そう言いながら男は背負っていた籠を降ろし、中から片手で持つにはちょっと大きい紫色の果実を取り出す。
「わっ、クーパの実だ。おっきくて美味しそう!」
「ほう、そういう名の果物なのか。硬そうだが、どう調理して食べるのだ?」
「表面に少し切れ込みを入れて、晴れた日に半日くらい置いておくんだよ。そうしたら皮が手で剥けるようになるから、そのままかぶりつくの。真ん中におっきな種があるから、切って食べるより丸ごといく人が多いかな」
「む……それは少し勇気が要る食べ方だな……」
難しそうな顔でクーパの実を見つめるリアを、村人達は珍しそうに眺める。特に高価でもない、この季節になると普通に市場に並ぶ果物だから、知らない方が稀少だ。
この美少女
「おじさんごめんねー。出来れば貰って行きたいんだけど、巡回の続きがあるの。また来週村に寄るから、その時にくれると嬉しいな。あっ、ジャムにしてくれたらすっごく嬉しい!」
「そうかい? ならうちの娘に言っておくよ」
割と我が儘なナンスリーの頼みに笑顔で返すと、男達は荷を持ち直し、ミレイ達にもわざわざ会釈をしてから集落の方へと歩いて行く。
木々の向こうに彼等の姿が消えていくのを見送ってから、ナンスリーは
「あーあ」
と残念そうに呟き、
「あれ好きなんだけどなー。でもまあ、おじさんちのジャムは甘すぎなくて美味しいし、次回の楽しみが増えたと思っておこう」
「ふむ……随分と村の人間と親しげなのだな? 先程の集落でも歓迎されていたようだし」
「巡回って基本的には面倒だし汚れるし疲れるしでやりたくないけど、少なくとも一年は担当地域が変わらないから地域の人達と顔見知りになるし、結構感謝もされるんだよ。
「……それは、命を懸けるに値する仕事、という意味か?」
「そうだよ。まー、正直わたしは
晴れ晴れとした笑顔で語るナンスリーを見て、ミレイの脳裏に未だ消息の分からない姉の笑顔が過ぎった。
特にミレイは
同時に、
まだ会ってから数時間しか経っていないが、レグや姉より年上の現役
……と、ミレイが改めてこの巡回に意義を感じていた、その時。
ナンスリーの後方――さっき村人達がやって来た方にある茂みが、風も無いのに揺れたように見えた。ガサリと小動物が触れただけにしては大きな葉音が聞こえるも、原因らしきものの姿はまだ見当たらない。
森の中なのでこの手のことは良く起こるし、狸や犬は何度か見かけたのでそこまで気にすることでもない……が、何故か目が離せない。頭の片隅で警戒音が微かに、しかし決して無視出来ないレベルで鳴り続けている。
「あの、ナンスリーさん。さっきあそこで何か……」
「んー?」
ミレイが茂みの方を指差しながら報告すると、ナンスリーは振り向きながら軽く腕を振り上げて、
「――おいで、《ゼスライザー》」
下から上へと腕を振るう間に右手の中に両刃の剣が現れ、そこから不可視の衝撃波が飛んでいった。微かな空気の揺らぎと
引率してくれている
何故なら衝撃波が茂みを切り裂く寸前に、その奥から飛び出した影があったからだ。
現れた灰色の影は、大きな犬か狼かという姿をしていた。赤黒い目と逆立つ毛並みのせいもあって荒々しい印象が強いが、何より目を引くのは――首を横に貫くように生えた、青く輝く細長い水晶の存在。
「なっ……まさか……?!」
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