019 これが剛魔獣!?

 突然の警告に、疲労から自らの創撃武装リヴストラに寄り掛かっていたセーラは訝しげに眉を顰め……異変に気付いたのか、その人形のように綺麗な顔が引き攣る。

 揺れる地面の意味に、慌ててその場を離れようとし、


 ――地中から土砂と共に飛び出して来た剛魔獣ヴィストに、高々と吹き飛ばされた。



「いやぁっ!? セーちゃん?!」


 大剣を弾き氷柱を粉砕する剛魔獣ヴィストの一撃をもろに食らってしまったセーラに、ミレイは悲鳴を上げて駆け寄ろうとする。しかし一歩目を踏み出す前に、いち早く走り出していたシーリスが宙を舞うセーラの体を受け止め、そのまま止まらず剛魔獣ヴィストから離れる。

 悲惨な光景を見て青褪めるミレイだが、震えそうになる肩をリアの手が力強く掴んで、


「落ち着くがいい! 無事ではないかもしれんが、死にはせぬ!」

「でもっ、あんなのが当たって大丈夫なわけ……!」

「直撃はしておらん! 咄嗟に創撃武装リヴストラを間に入れてクッション代わりにしていたから、見た目よりダメージは軽いはずだ!」

「あっ……」


 言われてみれば、セーラは吹き飛ばされはしたものの、血は出ていないようだった。それに彼女の創撃武装リヴストラが砕けて消滅したのは、ミレイも見た。


「じゃあ……セーちゃん……!」

「………………ぃ……」


 動揺は収まっていないが、それでもさっきよりは幾分か冷静になってセーラの様子を改めて見れば、どうやら意識はあるみたいだった。錬晄氣レアオーラも解けていない。あの一瞬でよくも的確に判断したものだと心の底から思う。

 だが、安堵している暇はない。地中から全身を露わにした剛魔獣ヴィストは、首を振って標的を見つけ出し、唸り声をあげていた。

 濁った目で狙う先にいるのは、シーリス達だ。セーラを抱えている以上、あの突進を避けられるとは思えなかった。何か障害物を盾にしようにも、あの破壊力なら諸共粉砕されてしまうだろう。

 つまり二人を守る為には、自分達が何とかするしかない――


「くっ……ミレイ、わたしは氷柱で目眩ましをする! 其方はセーラ達を庇うか、あの猪を攻撃し続けるかして時間を、」

「っ、もう来るよ! 間に合わない……?!」


 剛魔獣ヴィストは完全にシーリス達に狙いを定め、低い体勢から突進していく。数十メートルは開いていた距離も、見る見る内になくなってしまう。

 咄嗟にリアがエストックを地面に突き立てて進行方向に氷柱を作り出すが、構わず牙に砕かれて足止めにすらならない。

 猛烈な勢いで背後から迫る剛魔獣ヴィストに、険しい表情のシーリスは何とか進路を左右に変えて惑わそうとするものの、巨体に似合わぬ俊敏なフットワークで付いて来られ、殆ど意味を成していなかった。

 このままではあと数秒で二人があの大きな牙の餌食になってしまうという状況に、


「くっ……!」

「なっ、ミレイ!? 止せっ、いくら何でも正面からではっ」


 剛魔獣ヴィストとシーリス達の間に割り込む形で庇いに入ったミレイに、悲痛な忠告の声が飛んでくる。だが、これ以外に出来ることが思いつかない。

 迫り来る自分より大きな剛魔獣ヴィスト――その巨大で、抉るように回転する牙に、ミレイは恐怖で身が竦みそうになる。逃げてしまいたい気持ちを抑え込み、大剣を体の前で横に構えて錬晄氣レアオーラを全開にし、

 ――視界が猪の顔と牙で埋まった瞬間、今まで体験したことのない衝撃がミレイの全身を激しく揺さぶった。


「ぁぐっ……?!」


 痛い、と感じる前に、まず頭が真っ白になる。上も下も分からず、世界から切り離されたような感覚に襲われた。

 次に来たのは、軋むような痛み。どこが、ではなく全身が痛いと訴えて、すぐに体がバラバラになりそうな激しいものに変わっていく。


「……レイ! ミレイ、生きておるかっ!?」

「ぅ、ぐ…………リアちゃ……?」


 名前を呼ばれて、ようやくミレイは意識を飛ばしかけていたと気付く。地面に俯せで倒れているのも、手にしていたはずの創撃武装リヴストラがなくなっているのもやっとで把握する。痛みのあまり体の感覚がないものの、錬晄氣レアオーラだけは何とか保てていた。

 ダメージが大きいミレイは倒れたまま動けないが、視界の端でセーラを庇うようにして横倒れになった状態から身を起こすシーリスを見つける。


「……よかっ…………つ、ぅ……!」


 どうやら大剣を盾代わりにしながら衝突の直前に少しでも軌道がズレるよう角度を付けて当たったのが、少しは功を奏したらしい。

 だが、次はない。起き上がることも困難で、セーラ達を庇うどころか自分の身も危うい状態になってしまった。自由に動けるのはリアだけで、そんな彼女も錬技スキルを使いすぎているから余力はあまりないはずで、しかも土属性相手では相性が悪すぎる。

 遠くで振り返った剛魔獣ヴィストは、仕留め損なったと不満を露わに激しく首を振り、ギロリと濁った目でこちらを睨み付けてきた。後ろ足で地面を掻き、低い唸り声で威嚇する様は、次こそ息の根を止めると言わんばかりだ。

 あの突進が来る前に動かなければならないのに、ミレイの体はまるで言うことを利かない。創撃武装リヴストラを出すどころか立ち上がることさえ出来る気がしなかった。


「う、く………………え、れば……」


 殆ど無意識に呟いた自分の言葉に、ミレイは思わず歯噛みする。この期に及んでまだ『聖錬衣エルクロスが使えれば』などと言ってしまうなんて、現実逃避に等しい。

 どうにもならない不甲斐なさに打ちのめされるミレイに対し、剛魔獣ヴィストが躊躇うことなく突進を始めたのが見えた。

 真っ直ぐに、自分目掛けて死が近付いて来る――何故かそれがゆっくりに見えて、痛みも薄れている。そして剛魔獣ヴィストが迫っているのが分かっているのに、頭では先日の夜にあったレグとのやり取りをぼんやりと思い出していた。

 ……あの夜、聖錬衣エルクロスのことを教えてくれながら、レグはどこか気の進まなそうな表情をしていた。あれはつまり、扱えもしない必殺技の存在を教えてしまった気まずさと、実力を勘違いするのではないかという不安が混ざったものだったのだろう。

 レグの本気の一撃さえ防ぎきった聖錬衣エルクロスという存在を知れば、当然そこに依存する気持ちが出てしまう。今日だってそうだ。出せないと知っていたのに、心のどこかでは常に聖錬衣エルクロスを求めて、手持ちの材料でどうにかすることに集中しきれていなかった。

 その結果が今、巨大な牙という形でこちらを貫き破壊しようと迫っている。


「……レイ! 今すぐ立っ……!」

「……早くし…………間に合わな……!?」


 仲間の声がやけに遠くから聞こえるが、ミレイには顔を上げることすら困難で、それでも死にたくない気持ちが全身を突き動かす。

 ほんの少し身動ぎするだけで激痛が走り、立つどころか転がってその場を離れることも出来ない。

 そしてついに猛烈な勢いで突進してきた剛魔獣ヴィストがすぐ目の前にまで迫ってきた。ご丁寧なことに、倒れているこちらを確実に仕留めようと牙で地面を抉りながらだ。

 弾け飛んできた小石が顔に当たり、ついに巨大な牙がミレイの体を貫く――



「――ここまで、だな」



 ……ほんの十数センチという僅かな距離を残し、剛魔獣ヴィストは止まった。

 それは突然聞こえて来たレグの声に反応した、というのでは当然なくて……ミレイを貫く前に、剛魔獣ヴィストの体が黒い無数の槍で地面に縫い止められている。激しく身を捩り叫ぼうとしているが、それさえも影の槍に殆ど封じられていた。

 少なくとも百本はありそうな槍がただ行動を封じるだけのものではない証拠に、巨猪の剛魔獣ヴィストはすぐに動かなくなり、黒ずんだ体躯が薄れながら空気に溶けるようにして消えていく。

 十数秒という短い時間で剛魔獣ヴィストの体は完全に消えて無くなり、青い角だけが地面に落ちて残っていた。


「見ての通り、剛魔獣ヴィストが死んだかどうかは一発で分かる。体が残っているうちはまだ息があるから、迷わず仕留めろ。大体のヤツは魔晶核フォーンの付け根辺りが弱点だが、こいつみたいに狙い難い場所にあることが多いから焦らず確実に攻撃していけ」


 脅威だったはずの存在を事も無げに倒した張本人は、ふらりと後ろから現れて淡々と解説する。ミレイの方を見ることもなく、ひょいと地面に落ちていた魔晶核フォーンを拾って、


「体は消えるが、これだけは残る。だから剛魔獣ヴィストを倒したらその証拠に魔晶核フォーンを持ち帰るのが規則になっているから、覚えておけ。尤も、騎士エストにならなければ意味のない知識だけどな」

「…………レ、グ……兄……」

「さて……二人は戦闘続行不能、一人はガス欠寸前、と。残った一人はまだやる気だっだろうが、通用しないのは自覚しているみたいだな」

「…………っ……」


 倒れたままのミレイにシーリスの様子は見えないが、悔しげな気配は伝わって来た。なのに反論がないのは、図星だからだろう。

 だが、ミレイにとって大事なのはそんな寸評じゃない。

 姉を探す為に虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出ると、だから予選も勝ち抜けるよう強くなってみせると、恥ずかしげも無く言ったのに、この様だ。レグが一呼吸で倒してみせた敵を、自分は仲間と束になっても敵わなかった。


「ま、こんなもんか。大して期待はしていなかったし、大番狂わせもなく順当な結果に終わった、ってところだな」


 つまらなさそうな声音でそう言ったレグは、盛大にため息を吐いてから、


「……オレが手を出した時点で開始から百と二秒、ギリギリ合格だ。良かったなお前等、実地訓練に行っていいぞ。ただ――次は、都合良く助けてくれるヤツはいないがな」


 それは皮肉ではなく、単なる事実として告げられた言葉だった。

 現実を思い知らされたミレイに喜びは湧かず、ただ悔しさだけが募る。他の仲間達が沈黙しているのも、同じ理由だろう。

 ――まるで不合格と判を押されたような雰囲気の中、その日の訓練は終わりとなった。

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