018 お前等、死ぬなよ

「っ……皆、油断したらダメだよっ?! 気を抜いたら――」


 注意を呼びかけるミレイだが、最後まで言う前に剛魔獣ヴィストの足下から影が消え失せるのを見てしまう。

 そして濁った巨猪の目がこちらを捉えたのもだ。


「グボヴォォォォォォォォォォォオオッ!」


 鼓膜どころか内臓まで震わせる咆哮をあげ、猪は頭を低くした瞬間、躊躇なくミレイ目掛けて突っ込んできた。力強く地面を蹴り上げ盛大に土を撒き散らしながら、二十メートルはあった距離があっという間になくなっていく。


「いかんっ……ミレイ避けよ! 錬晄氣レアオーラでその突進は受けきれぬ!」


 切羽詰まったリアの声が響くが、もう遅い。こう言っては情けないが、ミレイは瞬発力や軽やかさには自信が無い。一呼吸の位置まで迫られた今、避けきれるとは思えなかった。

 だから咄嗟に足を開いて腰を落とした状態のまま、大きく引いた剣を持つ手に力を込め、その刃に炎を迸らせる。

 避けられない高速の突進だが、幸いにも距離があった。しかもあの巨体だ、迎え撃つくらいなら出来る。

 必要なのは、勇気と覚悟だけ。恐怖に負けて剣を振ることを躊躇わなければ、確実に一撃入れられるはずだ。


「倒せないかもしれない……けどっ!」


 傷を負わせれば動きは鈍るだろうし、そもそもミレイは倒すつもりなんて殆ど無い。

 レグが出した条件が『百秒持たせろ』というのであれば、そこが最善を尽くした結果のはずだ。倒すことも決して不可能ではないと思うが、欲を出せばそれだけ危険になる。

 迫る巨体は怖いけど、それでも踏み止まって前に出るだけの覚悟はあった。


「こっ……のぉ!」


 一直線に向かって来る剛魔獣ヴィストに、ミレイは渾身の力を込めて横薙ぎの一撃を振るう。

 凄まじい突進をしてくる猪の大きすぎる牙に、炎を吹く大剣が抜群のタイミングで打ち込まれ――

 ガギ、という初めて聞く硬質な音がした次の瞬間、ミレイの体は剣と共に横へと弾き飛ばされていた。


「いっ、たぁ……!?」


 ミレイの一撃は剛魔獣ヴィストの牙を叩き折るどころか、逆に弾き返されてしまった。剣に体が持って行かれる形で左に飛ばされるが、どうにか着地して立て直す。

 その衝撃に思わず声が出た直後、体の横を大きな塊が通り過ぎて行く。巻き起こる突風がその勢いと、まともにぶち当たっていたらどうなっていたかを想像させて、ぶわりと嫌な汗が噴き出る。


「っ……聖錬衣エルクロスが出せれば……!」


 レグの一撃でも無傷だったあれならば恐らく耐えられる。だが、昨日こっそり試してみた時はまるで出せる手応えがなかった。この急場で集中出来るとはとても思えない。

 それに、危機が迫っているのはミレイだけじゃなかった。

 駆け抜けて行った剛魔獣ヴィストはそのまま突進し、次の標的にリアを選んだのか突っ込んでいく。

 エストックの創撃武装リヴストラを構えていたリアだが、ミレイのように迎え撃つのではなく素早いフットワークで横へ回避しようとする……が、すぐに剛魔獣ヴィストも逃げた先に牙を向けて進路を修正した。


「くっ……巨体の割に…………だがっ!」


 リアは迷わずエストックで地面を突き、そこを中心に氷柱が次々と出現していく。氷は猪の突進を妨げるように鋭く尖った先端を前へと向け、盾というより罠に近い攻撃だ。

 甲冑を着けた馬くらいなら貫いてしまいそうな攻防一体の技に、勢いのついた剛魔獣ヴィストは避けることが出来ずに突進していき――巨大な牙であっさりと氷柱を粉砕した。


「嘘っ?! ダメっ、リアちゃん逃げ――」


 速度を落とさずそのまま突っ込んでいく剛魔獣ヴィストに、ミレイの悲鳴混じりの声が飛ぶ……が、警告には遅すぎる。

 猪の牙はとっくに氷柱の向こうを蹂躙し、先程までリアがいた場所を叩き潰すように巨体を滑らせていた。

 あれではいくら錬晄氣レアオーラで防御していても、ただの重傷では済むはずもない。

 最悪の結末を想像してミレイは絶望感に包まれ――しかしすぐに、宙を舞う人影に気が付いて顔を上げ、歓喜の声をあげた。


「リアちゃんっ! 良かった、無事で……!」

「ッ、間一髪か?! どういう強度の牙なのだ、あれはっ!」


 空中で身を捻って自分の居た場所を見たリアは、驚嘆し苦い表情を見せる。

 高々と跳ぶ姿を見れば、どうやったのかミレイでも理解出来た。氷柱は迎撃と同時に目眩ましで、氷で足場を作り、横ではなく縦の回避をするつもりだったのだと。


「少しでも効いていれば追い打ちをかけるつもりであったが……厄介な……!」


 リアが言っているのは剛魔獣ヴィストの牙のことだ。大剣の一撃を弾き氷柱を粉砕した牙は、ただ大きいだけでなく高速で回転していた。あれが強靭な牙に更なる破壊力をもたらしている。普通の猪には有り得ない機能だ。


「あの牙を避けて攻撃するしかない……が、ろくに近寄ることも出来ぬ……!」

「か、囲んで後ろから攻撃すれば……!?」

「尤もな意見だが、矢面に立つ者は死にかねんな……!」


 ミレイは半ば偶然で、リアはかなり際どい回避だった。同じ事をシーリスは出来るかもしれないが、あまり運動が得意ではないセーラにはまず無理だろう。

 となると、剛魔獣ヴィストがセーラをターゲットにしないように注意を引く必要がある……のは分かるが、その役回りを引き受けるには、ミレイでは技量が足りない。

 ――聖錬衣エルクロスが使えれば、と歯痒さが押し寄せる。対抗策はあるのに、未熟さが原因でそれを選べない。

 悔しさに表情を歪めるミレイだが、そうしている間にも状況は変わっていく。潰したはずの敵がいないことに気付いた剛魔獣ヴィストがのそりと体を持ち上げて首を振り、鼻息荒く周囲を見回して標的を探していた。

 ……と、そこに。

 ゆらりと、自ら猪の正面に身を晒す人影が現れた。


「表面的な強さに惑わされるな、です」

「シーリス?! 止せ、其方の槍では――」

「確かに硬いが、こいつはだ、です。そこさえ理解していれば、手傷を負わせるくらい出来るはずだろ、です……!」


 鋭い目つきで巨猪を見据えるシーリスの言葉に、ミレイはハッとする。剛魔獣ヴィストは必ず一つの属性に染まっていて、当然そこに相性が存在する。

 シーリスの言う通りで土属性なら、あの硬さも納得だ。全身硬化は土属性の剛魔獣ヴィストの特徴で、体毛の黒さも被った土でコーティングを施した、一種の鎧だろう。

 だが、だとしたら余計にまずい。土属性に最も効果的なのは風属性で、得意な使い手はこの場にいない。特に水属性の一種である氷属性のリアは相性最悪で、ああも簡単に氷柱が破壊されたのも納得だ。

 ならばこの場で有効なのは、


「ッ……ミレイ、わたし達はサポートに回るぞ! あの怪物の足を少しでも止める!」

「あっ……うん、分かったよ!」


 早くも剛魔獣ヴィストの後ろ側面に回り込もうとするリアを見て、ミレイも返事をしながら反対方向へと走る。常に先頭に立ち主役を張るタイプのリアが率先してフォロー役に回ろうとしているその意味を理解していれば、戸惑ってなんかいられない。

 剛魔獣ヴィストは後ろ足で地面を蹴り、大きく首を振りながらも視線はシーリスを捉えているように見えた。そして、ああも悠々と正面に立たれていることが気に食わない、と言わんばかりに強い殺意の籠もった唸り声をあげる。


「ブボゥ…………グボブゥゥォォォオッ!」


 一際大きく吼えた直後、剛魔獣ヴィストはシーリスへと突進していく。ミレイからは遠ざかっていく形になるが、素直に行かせる訳にはいかない。


「行くよっ――《撃火砲バーストフラム》!」


 踏み込むと同時に炎を纏った大剣を振るい、剛魔獣ヴィスト目掛けて火球を飛ばす。子供くらいなら丸々呑み込むサイズの火炎は、加速を始めたばかりの猪の頭部に見事に当たり、何かが焼ける嫌な音がした……が、突進は止まらない。

 そこに、


「まだだっ、《氷蛇双舞ブリリアント・バイト》!」


 続いてリアが大地にエストックを刺し、そこから蛇の形をした氷が高速で伸びていく。地面スレスレを這うように伸びた氷の蛇は、剛魔獣ヴィストの後ろ足二本に同時に巻き付き、行き足が止まって前のめりになる。

 どちらもダメージは殆どないだろうが、チャンスだ。そしてそれを、抜け目のない少女は見逃さなかった。

 右手に持った雷槍をぐっと後ろに引いたシーリスは、その鋭い穂先を剛魔獣ヴィストに向け、


「……《穿雷一閃せんらいいっせん》……!」


 低い姿勢から、右手の槍を投げつけた。

 光の矢と化した槍は投擲から一秒とかからず、見事に猪の額辺りに命中し――その瞬間、創撃武装リヴストラが一層強く光って弾け、目が眩む程の雷撃が炸裂した。

 バリバリと空気が鳴り、普通の獣なら一撃で黒焦げになるか、最悪でも感電して失神状態になるだろうと容易に想像出来るだけの威力が見て取れる。

 雷属性は光属性の一種だ。つまり剛魔獣ヴィストにはとても有効で、加えてシーリスの実力は他のチームに誘われる程に高い。

 流石にこれは効いたらしく、剛魔獣ヴィストは全身から感電による煙を放ちながら何度も大きく頭を振り、それから怒りの目をシーリスに向ける……が、もうそこにシーリスはいない。

 代わりに、その向こうにいたセーラが姿を現す。正面には光り輝く砲型の創撃武装リヴストラを構えた状態で、だ。

 離れた位置で気配を殺しながら準備をしていた少女は、宙に浮く大筒の横に立ち、小さな掌を剛魔獣ヴィストへと向ける。


「――《燐光砲シャインブラスト》」


 透き通るような声と共に、大砲の口から溢れんばかりだった光が一瞬だけ薄まり――その直後、凄まじい光量が奔流となって渦巻きながら一直線に敵へと放たれた。

 攻撃には気付いていてもまだ剛魔獣ヴィストは動き出せていないし、猪型の短い足ではその場で咄嗟に横へと避けることも出来ない。

 セーラが放った渾身の一撃は剛魔獣ヴィストの巨体を丸ごと呑み込み、そのまま数秒に亘って光線を打ち続けた。


「……ここまでは完璧のはずだが……!」


 油断せずじっと見つめるリアの言葉に、ミレイも頷く。前に似たような流れでレグを攻撃したが、あの時は凌がれてしまった。それを思い出しているに違いない。

 大きく違う点は一つ、騎士エストのレグと同じ手段は剛魔獣ヴィストには使えないこと。つまり弱点を直撃させている状態だ。

 これで駄目なら、四人がかりでも火力が足りないということになる。だが、別に倒せなくてもいい。手傷を負わせて動きを鈍らせることに成功すれば十分だ。後は指定された時間を持たせればいい。

 あと何十秒で合格ラインなのか分からないが、ここから百秒でも耐えてみせるつもりで、ミレイは自分達が連携した結果を見つめる。

 五秒近く放出されていた光線が消えると、そこには……何も、いなかった。

 先程まで剛魔獣ヴィストがいたはずの地面は黒ずみ、それ以外には何もない。


「これって……勝った、の……?」

「……剛魔獣ヴィストは倒せば消えてしまうと聞くが……セーラの攻撃が強力とはいえ、剛魔獣ヴィストに対してはここまで効果的なのか……?」

「…………」


 想定していなかった幕切れに、ミレイだけでなくリアもやや戸惑い気味だった。殊勲のセーラは流石に疲れたのか大筒に手をついて寄り掛かり、シーリスはその手に新たな槍を作り出して剛魔獣ヴィストがいた場所へと近付いて行く。

 連携が上手く嵌まったとはいえ、あれだけ防御の硬かった敵をこうもあっさり倒せるのは意外すぎる。

 だが、逃げ場のないあの状況で、逃げる姿も目撃されていないのだから――と、半信半疑で近付いたミレイは、そこで信じられないものを見つけて足を止め、


「っ、まだだよ! まだ倒せてない!」

「ぬっ、どうしたミレイ? 確かに呆気なかったが、現にあの剛魔獣ヴィストは、」

「地面に穴が開いてるの! 潜って逃げたんだと思う!」


 ミレイが凝視する先の地面は黒ずんでいて分かりづらいが、大きな穴が開いていた。

 あの一瞬で、しかもあれだけの巨体が穴を掘って潜るなどまず有り得ない……が、それは普通の動物ならだ。土属性、そしてあの回転する牙を持っているのなら、可能性はある。

 そしてミレイの想像を裏付けるかのように、微かに地面が動いているのが見えた。

 ――セーラの、すぐ足下で。


「セーちゃん、逃げてっ?!」

「ぇ……?」


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