009 錬晄氣と繰氣

     二・強くなる為に



 ――思えば、初対面の時から彼女はズカズカと人の内側に入り込んで来る女だった。

『へえ、あんたが噂のチビ剣士? うちの妹とそんなに変わらないサイズじゃん』

 喧嘩を売っているのかと睨みたくなることを言っておきながら、カラッとした人懐っこい笑顔を向けてきて。

『うっし、おねーさんが胸を貸してあげよう! かかっておいで、少年! あたしに勝てたらこのおっきな胸を好きなだけ触らせてあげよう!』

 ……いきなりそんな発言と共に、当時はまだ創撃武装リヴストラを出せなかったのでいつも持ち歩いていた木剣を突き付けてきて。

『――はい、またあたしの勝ちねー。これで百戦百勝かぁ……記念にチューでもしてよ、ほっぺでも口でもいーからさぁ』

 勝負の時はいつでも本気なのに、それが終わればすぐにこちらをからかってきて。

『……ほんとに強くなったねぇ、レグ。あたしの全勝記録もそろそろストップかな? あー、やだやだ! やっぱりダメ、まだ負けてやんない!』

 歳を重ね、大人顔負けの戦力と体つきになっても、相変わらず子供っぽさは残ったままで。

『それじゃ……戻って来たら、真剣勝負だよ? もしレグが勝ったら、その時は――』

 ――そんな彼女のことを、今でも鮮明に顔も声も思い出せる。

 ……五年前から全く変わらない、最後に見た彼女の姿を。


         ◇             ◆



「おら走れ、さっさと走れー、とろとろ走んなきびきび走れー。ほらどうした、やる気を見せろー、やる気をー」


 広い訓練場に、ちっともやる気の感じられないレグのだらっとした声が響く。

 それを受ける少女達の反応は様々で、あからさまに反感の視線を向けて来る者もいれば、一杯一杯でそれどころじゃないと目も向けない者もいる。

 中でも瑠璃色の髪を揺らしながら走っていたリアは睨むだけに留まらず、周回して近付いたところでわざわざ足を止め、


「貴様っ…………ハッ、ハァッ……わたし達を、ずっと走らせて、おいてっ…………その態度はどういうことだっ!?」

「あん? どういうことって、何がだ?」

「惚けるなっ……くっ…………だらしなく寝そべって……!」


 リアの言う通り、レグは彼女達が走っている柵の外にわざわざ周囲の木を使って大きめの台を造り、そこに寝て監視をしていた。寝台というにはちょっとアレだが、初日はただの無骨な台だったのを数回に亘って手を加え少しずつグレードアップをし、今では日射し除けや巻き藁の枕まである素敵仕様になってきた。

 そろそろ昼になるので近くの川に行って涼みがてら釣りをして夕飯確保でもするかと思いつつ、レグは怒りに眉を吊り上げたリアに冷めた口調で告げる。


「言ったろ、昼まではひたすら走らせるって。まあ昼休憩が終わった後も走らせるが。その間にオレが出来ることなんて見守りつつ発破掛けるくらいだろ」

「だらだらと寝ながら言われて頑張る者などおるまいっ! それに今日で四回目の訓練だというのに、走る以外に何もしていないではないか?!」

「あんだよ、これまで文句言われなかったから納得済みかと思ってたぞ。……あー、セーラはその辺で止めて休め。倒れるまでやるのは昼休憩の後でいい」

「後でもやらすでないわ! 貴様、本当にどういうつもりで……!」


 レグのいる寝台まで詰め寄ってきたリアは、バンッと強く台を叩く。肩で息をしながらも目には力強い反抗の意思が宿っていた。

 内心で『こいつ元気だからあと十周は走らせよう』とレグは醒めた目でリアを見返し、


「最初に説明しただろうがよ。まずはお前等に圧倒的に足りない部分をどうにかしてからだ、ってな」

「それと走ることの何が関係あるのだっ?!」

「り、リアちゃん? 何がどうしたの?」

「…………っ………………っ……」

「………………」


 あまりの剣幕に、走っていた連中も近くまで来たところでゾロゾロと集まり出す。ミレイは疲れが見えながらもまだ余力がありそうで、逆にセーラは息も絶え絶えで膝に手を突いていた。そしてシーリスは我関せずで走っていたが、会話の内容を聞いてか足を止め、やや離れた位置から挑むような目で見据えてくる。

 本当にバラバラな教え子達に、レグは面倒になりながらも体を起こして寝台の上で胡座を掻いて、


「オレはただ走れって言った覚えはないぜ? 『錬晄氣レアオーラを纏ったままひたすら走れ』って言ったはずだ」

「だからこうしてやっているであろう! だが、週に二日しかない訓練日にこれだけしかしないのならば、わざわざ教わる必要など――」

「そうか? なら言うが……お前の錬晄氣レアオーラ、さっきからずっと乱れてるぜ?」

「なっ……!?…………く……!」


 指摘されて初めて気付いたようで、リアは悔しげに錬晄氣レアオーラの制御を試みる。とはいえ、簡単には戻らない。

 淡く蒼い光を放っている王女様だが、荒れた呼吸と同じく不安定に光量や纏う範囲が変化してしまっている。

 それは他の三人も同じで、特に幼いセーラは錬晄氣レアオーラがほぼ消えかかっている始末だ。


「体力が削られて集中が出来なくなれば、そんなもんだろうな。その状態で創撃武装リヴストラを出してみろよ」

「くっ…………刮目するがいい……!」


 苦しげなのに威勢良く言うと、リアは握った右手を腰に当て、そこに左手を添える。すると手から一際強く蒼い光が放たれ、


「ハァッ――!」


 気合いと共に剣を引き抜く仕草をし、同時にリアの創撃武装リヴストラであるエストックが生まれ……た、のだが。

 すぐにエストックの輪郭がぼやけ、数秒と保たずに消え失せてしまった。


「……ぬ…………こんなっ……?!」

「ご覧の通り、維持すら出来ねぇ。たかだか一時間かそこら走った程度で、だ。こんな状態で他に何を教えろっていうんだよ」

「ほんとだ、上手く出来ない……レグ兄、どうしてなのっ?」


 自分もと試していたミレイが手を挙げて訊いてくるので、レグは教導員コーチらしく、


「考えてみろよ。正解したら午後は走る以外のことにしてやる」

「そ、それはちゃんと考えなきゃだね…………ううん……!」


 腕組みして真剣に悩み出すミレイだが、あんまり期待は出来ない。何しろミレイだ。姉と一緒で考えるより先に突っ走るタイプなので。

 だから――という訳ではないだろうが、助け船は意外な人物から出た。


「……創撃武装リヴストラ錬晄氣レアオーラの一部だ、です」

「へっ? シーちゃん、それって……」

「…………疲れて……たら…………無意識、が…………無理……」

「セーちゃんこそ無理はダメだよ。ほら、休んで休んで」


 年下の少女を優しく招いて寝台の横に座らせると、ミレイは再び腕組みをして首を傾げ、


「えーっと、つまり…………二人の意見を纏めると………………あっ、創撃武装リヴストラも疲れちゃうから……?」

「……無意識に行っていた錬晄氣レアオーラのコントロールが、疲労によって意識的にですら出来なくなったということだな?」

「り、リアちゃんっ!? あたしもうちょっとでそれ分かりそうだったのにぃ!」

「ええい、其方の回答待ちなどしていられるかっ。あと絶対に間違った答えしか出なかったはずだぞ!?」

「そそそそんなことないもんっ! この辺まで出てたもん、出かけてたもんっ!」


 わーぎゃーと騒ぐミレイとリアの二人の様子に、まだまだ元気そうだなとクルトはため息を吐く。

 間抜けで微笑ましい光景だが、実はこれが四人の問題点をそのまま表していた。


「お前等、まだまだ元気じゃねぇか。なのにどうして錬晄氣レアオーラ創撃武装リヴストラは制御出来なくなってるんだと思うよ?」

「……練度の問題だろ、です」

「槍娘は分かっているみたいだな。ま、足りてないのは他のと一緒だが」


 余計な一言を添えてみたところ、鋭い視線が刺さる。それでも言い返さない辺り、悔しいが反論出来ないと自覚があるのだろう。

 この四人の中で明らかに一番マシなのは、このシーリスだ。聞きかじったところに依ると代々騎士エストの家系らしいから、それなりに鍛え方は分かっていて実践していたのだと思う。

 恐らくは他の三人と違って、今の状態でも創撃武装リヴストラを維持出来る……が、出せるだけでそれ以上はやれないとも理解しているから、黙っている。怒りと悔しさが綯い交ぜになった冷たい目がそう訴えている。

 難儀なヤツだなー、とは思うものの、レグは敢えて気付かない振りをして話を続けた。


騎士エスト候補生になるまでの段階は、まず錬晄氣レアオーラを出せるようになって、次はそれをコントロールする繰氣訓練だな。それがある程度上手くいったら、今度は創撃武装リヴストラを生み出す――この段階が一番時間の掛かるポイントで、大抵のヤツはここで脱落する。この国だと二十歳までに創撃武装リヴストラを出せなければ騎士エストにはなれない」

「あたし達は十六歳になって錬晄氣レアオーラ創撃武装リヴストラの訓練許可が出たのに、もっと早くからやっていた人もいるんだよね? セーちゃんもそうだし」

「…………うち、は…………特別、だから……」

「あっ、ごめんね無理して喋らないでいいよっ。休んでて大丈夫だから!」


 慌てて最年少のセーラを気遣うミレイだが、そんな二人を気にしつつもリアが納得のいかない目をレグへと向けて来る。


「己は王族として十三歳の時から訓練を受けているし、創撃武装リヴストラだって十五歳になる前に生み出せていた。それからも驕らず研鑽を積んできたというのに……足りぬ、と?」

「当たり前だ。お前の言うところの研鑽ってのは、つまり創撃武装リヴストラで強い技を使えるようにする訓練だろ?」

「ぬっ……確かに、そうだが」

「アホか。剛魔獣ヴィストにしろ敵の騎士エストにしろ、ぼんやり止まって素直に受けてくれるはずないだろーが。動き回るし、向こうから攻撃もしてくる。戦闘の基本はとにかく動いて、ダメージを受けないよう錬晄氣レアオーラの制御を保ち、んでもってようやく攻撃だ。戦闘スタイルの違いはあっても、最低限これくらいはこなせないと戦いにならねぇよ」


 やれやれだ、と大袈裟にため息を吐いてみせると、リアは咄嗟に何か言おうとし……しかし言葉を呑み込み、目を閉じた。そして気を落ち着かせるように深く呼吸する。

 煽られてキレないのは評価に値するが、余計なクレームで無駄な時間を使ったので、差し引きでゼロだ。説明を求めたくなる気持ちも分かるけど、しっかり考えれば辿り着ける正解に気付かなかったという意味ではマイナスにすらなる。

 何しろ彼女達には時間が無い。五人目もまだ戻って来ないっていうのに、このままだと予選で一勝も出来ない可能性が高くなる。

 だとしても、別にレグは構わない。新人騎士エスト候補生を二ヶ月程度で予選突破させるなんて元から無茶な要望だし、来年以降なら本戦出場レベルには出来る。

 今年の虹星練武祭アーヴェスト・サークルに出たいというのは彼女達なんだから、死ぬ気で頑張る必要があるのは本人だけだ。


「おら、分かったらセーラ以外は走れ。もう無理だと思うが、それでも錬晄氣レアオーラを一定に保つ努力もしろよー」

「待てっ、己の言いたいことはまだ――」

「ほらほらリアちゃん行くよっ。レグ兄の機嫌損ねたら、きっと午後の走る時間が長くなっちゃうんだから!」

「ええいっ、引っ張るでない!? 服が伸びるであろう、ミレイっ」

「…………やれやれ、です」


 バタバタと三人が走り出したのを見届け、レグは大きな欠伸を一つする。


「これだけで金が貰えるんなら楽な仕事なんだがなー……ベルのことだからそんなに甘くないだろうな、ったく……」

「………………あの……わたし、は……」


 おずおずと台の横から顔を覗かせるセーラだが、顔色は悪い。軽い酸欠だろう。

 そんなに無理させた覚えはないが、今日を合わせて四回走らせたので各々の現状は大体把握している。


「ああ、お前はちゃんと日陰で休んでろ。いくら魔力量が凄くても体力はないんだ、のんびりやってけ」

「………………で、も……」

「無理するにも土台が必要なんだよ。お前、ろくに外で遊ばないで引き籠もってた口だろ? 少しずつやってかないと壊れて使い物にならなくなるぞ」


 これは脅しじゃなくて、ただの事実だ。レグ自身は小さい頃から体を動かしてきたから経験はないが、似たようなケースを知っている。

 だから無理はさせるが、それは無理が出来る体になってからだ。

 レグは寝台から身を乗り出して下を覗き込み、顔を上げるのも億劫そうなセーラに淡々と告げる。


「他の連中は先に違う訓練もやるだろうが、お前はしばらく午前の内は走るだけだ。前にも言ったが、焦れるなよ」

「………………はい……」

「おっけ、そんじゃ休め。あと、訓練日以外は疲れるまで走るなよ。息切れしたら歩いて、呼吸が戻ったらまた走るのを繰り返せ。あと、筋肉が痛み出したらその日は終わりにしろ」

「…………」


 こくん、と小さく頷いたセーラは瞼を閉じ、寝台の陰に横になろうとする。小屋か木陰で休めと言っておいたはずだが、どうやらその気力もないらしかった。


「そこで寝るのかよ……仕方ねぇな、ったく」


 不規則に薄い胸を上下させる息も絶え絶えな少女の様子に、レグはやれやれと体を起こして台から軽く飛び降りる。

 そして足下に横たわるセーラをひょいと抱き上げ、自分の代わりに寝台へと乗せた。


「……え…………ひゃっ……?!」

「今日だけここを貸してやるから、午後もそれなりに走り回れよ。あともっと飯も食え、軽すぎだぞ」

「…………………………はい……」


 消え入りそうな返事に、本当に大丈夫なのかこいつと心配になるが、レグは肩を竦めるだけに抑えて、その場に座り込む。

 位置が低くなったので見え難いが、まあそれでも一応は分かる。リアがミレイに何やら文句を言いながら走っているのも、黙々と走るシーリスが懸命に錬晄氣レアオーラを一定に保とうとしているのも。


「……まあまあ、だな」


 ミレイの錬晄氣レアオーラは不安定だが、出力は一定以上をキープしている。リアの錬晄氣レアオーラがさっきより安定しているのは、口を動かしながらも集中出来ている証拠だ。

 この分だと、午後は次のステップを試してみてもいいかもしれない。まあ試すだけで、上手くいく可能性はまずないだろうが。

 それに……これはたぶんではなく、間違いなく、だが。


「絶対に文句ばっかになるんだろうな…………面倒な……」


 見え透いた未来を想像して、レグは小さなため息を吐く。教導員コーチなんて役割、やっぱり自分には向いているとは思えない。

 それでも虹星練武祭アーヴェスト・サークル出場を目指す騎士エスト候補生達の為に――そして支払いがまだまだ終わらない骨董品の数々の為に、やれることはやっておかなければならなかった。

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