008 落第か合格か?
「勝た、ないと……行こ、リアちゃん……」
「……やれるのか、とは聞かんぞ。やってみせよ」
コクリと頷いたミレイの前で、リアはエストックを胸の前で縦に構える。細められた目は切れる寸前まで引き絞られた弦のようで、集中力は悪くない。ただし、ミレイ程ではないが、こちらも限界は近いはずだ。
「――行くぞ、ミレイ!」
「うんっ。絶対、勝つんだからっ……!」
気合いと共にリアが、その後ろからミレイが、一直線に向かってくる。
レグはその光景に、小さく息を吐いて……
「……全然駄目だな、こりゃ」
ため息混じりに呟くと、手にしていた黒剣の切っ先をチョンと地面に突き刺した。
その瞬間、あと少しの距離まで迫っていたミレイとリアの足下から無数の鎖状の影が湧き出した。
「やっ?! な、なんか気持ち悪いのが!」
「ぐっ……縛鎖の類か……!」
黒い鎖はあっという間に二人の手足と体を縛り上げ、完全に身動きを封じる。
「注意力が散漫過ぎる。オレの影が伸びていたのに気付いていれば避けられたはずだ」
ギリギリと身を締め上げる縛鎖は、何もない地面から生まれた訳じゃない。レグの足下から伸びた影から発生したもので、トラップとしては初歩の技だ。
なのに二人は見抜けなかった。シーリスを倒す際に似たような技を使っている。初見とはいえない以上、対応出来てもいい。
「やっぱり駄目だな。何もかもが足りねぇ。これを三ヶ月……予選会までは二ヶ月か。そんな短期間で使い物にしろだなんて、冗談にも程があるぜ」
「こ、のっ……言わせておけば……!」
鎖に囚われ
「言われるような様なのが悪い。その程度で
「そんなの嫌だよっ! レグ兄が何て言おうと、あたしは……!」
「どれだけ吠えても、ルーキーチームの洗礼食らって予選落ちするのが関の山だ。ま、その前に――ここで終わりになるかもだが」
呟き、握り直した黒剣を片手で下段に構えると、レグはその場で切り上げた。
すると剣閃をそのまま描いたように黒い影が宙に残る。
レグが一閃、二閃と剣を振るう度に黒い剣閃は増えていき、あっという間に十を超えた。二十を超えた辺りで数えるのを止めて、さらにもう数回剣を振るう。
結果としてそこに残ったのは、何十もの影の刃だ。
「ま、こんなもんか。これ以上は普通に死にかねないし」
「……なあ、ミレイ。其方の昔馴染み、とんでもないことを言ってないか?」
「……あたし、あれ見たことある……大きな岩に打ち込んで、バッカーンって砕いてたの」
完全に引いた声音のミレイだが、覚えていて何よりだ。話が早く済む。
「死にはしないだろうが、ちょっとでも気を抜くと数ヶ月は寝たきりだから……ま、頑張れ?」
「いやぁ!? レグ兄、それちょっと待っ、」
「待たねぇよ――んじゃ、気合い入れろ」
最後の警告をしてから、レグは宙に残っている黒い剣閃全てを巻き込むようにして横一文字に斬撃を放つ。
すると最後の一撃に引き込まれる形で剣閃が重なっていき、大きな一つの塊となる。
「――《残影刃・塊》」
レグの声を引き金に、大きな影の刃はミレイとリアに向けて飛んでいく。
二人まとめて、どころか十人以上巻き込めそうな一撃に、少女達の表情が強張る。速度こそ見てからでも避けられる程度だが、二人の体は黒い鎖に封じられたままだ。
「ぬ、ぐっ……このっ……!」
「や、やっ、ダメぇっ!? 外れないよぉ!」
迫り来る黒い刃にそれまで以上に必死で暴れる二人だが、逃れる術はなく――無情にも影で出来た特大の衝撃波はミレイとリアを直撃し、二人を高々と吹き飛ばした。
「っ――!」
「ひぁぁぁぁぁぁあっ!?」
黒刃が当たると同時に鎖も伸ばしたので、それはもう気持ち良く吹っ飛ぶ。ちょっとした建物なら飛び越すくらいだ。
二人揃って後方の小屋に直撃する軌道で猛烈な速度で飛んでいく……が、あれでぶつかると死にかねないので、
「よっ、と」
レグが軽く黒剣を振り下ろすと、二人に巻き付いたまま伸びていた黒鎖が、逆に地面へ吸い込まれて短くなっていく。
当然、二人の体も引き戻され……激しく地面に打ち付けられ、勢い良くゴロゴロと転がっていった。
「これで四人、と……」
呟いたレグは黒剣を持ったまま一息吐いて、周囲を見渡した。
ほんの数分前まで元気だった四人は、今や死屍累々といった感じで倒れている。見た目のダメージ差はあるが、全員共通して立てない程度には食らわせたつもりだ。
「……ま、こんなもんか」
「………………っ……」
期待外れというよりは、妥当な結果だ。善戦はした……と言っても良いが、まあこの程度だろう。
レグの足下近くまで転がって来たミレイも、反応は出来ても顔を上げるのが精一杯、といった様子だ。
そんな妹分を敢えて無視したレグは、もう一度倒れ伏している四人を順に見回して、
「全員、これで身の程は分かったか? 分かってないならリクエストに応えてもう一回やってもいいぞ。結果は同じだけどな」
わざと挑発するような言い方をしたが、これだけ明確な力の差を見せつけた直後だ。ダメージが抜けた後ならともかく、痛い思いをしてかろうじて意識があるだけの状態で、折れるなという方が酷だろう。
だが――
「…………っ……まだ……!」
倒れていたミレイが膝を立て、どうにか起き上がろうと藻掻いていた。
しかもミレイだけじゃなく、リアも端整な顔を歪ませながら無理に体を起こそうとしている。派手に吹き飛び倒れていたシーリスは槍を支えに立ち上がろうとしているし、セーラも顔を上げて
ぐるりと見渡してまだやる気があるのを確かめたレグは、笑みを深くして黒剣を持つ右手を掲げた。それを軽々と片手で振るうと、今食らったばかりのダメージを思い出したのかミレイは体を震わせる。目を見れば恐怖を押し殺そうとしているのは分かるが、成功するのはどうにも難しそうだった。
「元気で何より……だが、また痛い思いをするだけだぞ?」
「…………っ……!」
レグの忠告に、ミレイは無言で唇を固く噛み締める。瞳からは意志の光が消えていない。
そんな妹分の反応に、レグは一歩、二歩と歩みを進め、剣の間合いからはやや距離を残して足を止めた。
そして黒い長剣の切っ先を、自分を見つめるミレイへと向け、
「上等だ――んじゃ、終わりにするか」
躊躇も遠慮もなく、レグは黒剣を振り下ろし――
次の瞬間、周囲に黒い霧が立ち籠めた。
「みっ……ミレイっ?! おのれ、よくもミレイを……!」
悲痛な叫び声と共に、無理矢理に立ち上がったリアがよろめきながらもレグへ向かって駆けてくる。さっきまでの軽やかな動きが嘘みたいに遅く、怒りに燃える瞳とは裏腹に表情には苦痛が溢れていて、限界を無視した行動なのは一目で分かった。
何より、消えてしまった
それでも向かって来る気概に応え、レグはミレイの方へと黒剣の切っ先を向け……ふっ、と気を抜くように笑うのと同時に、
「そう慌てるなよ。もう終わりだ」
「何を勝手なことをっ…………?」
怒りに任せて猛然と掴みかかって来そうなリアだったが、立ちこめていた黒い霧が散るのを見て、動きを止める。
霧で見えなくなっていたそこには、両腕を上げて防御しようとしたまま座り込んだミレイの姿があった。
驚いた様子で目をぱちくりさせて、
「あ……れ……? どこも痛くない……?」
「今のは単なる虚仮威しだ。姿を隠すのに使う目眩ましの技で、ダメージなんてねぇ」
「どうしてそのようなことを……」
訝しげに訊ねてくるリアに、レグはあっさり答える。
「テストは終わりだからな。ま、落第スレスレの合格ってところか」
「なっ……?!」
「えっ? ほ、ホントにっ? リアちゃんやったね!」
「…………」
「……良かった」
やや過剰な反応をするリアとミレイに、大人しめのシーリスとセーラ。ただしシーリスの目にはまだ戦意というか敵意があるので、穏便とは言いにくいが。
こいつに何かした過去とかないはずだよなぁ、と内心でレグが首を捻っていると、ふらつきながらもリアが詰め寄ってきた。
「……どういうつもりだ?
「言ったろ、円の中から出してみろって。見ての通り、あの場所からは出ているからな」
「でもでもっ、レグ兄が自分から出て来ただけで、あたし達は別に……」
「言わなかったが、最初から決めてたんだよ。戦えない状態まで追い込まれても戦意を失わなかったら合格にしてやってもいいか、ってな」
「そうなんだっ……って、じゃあ最後のは要らなかったんじゃないのっ!? あれすっごく怖かったんだよ!」
「ああ、あれで悲鳴を上げたり他のが逃げたりしたら、やっぱ不合格にしとこうと思ったからな。対策はまるで出来てなかったから、おまけでギリギリ合格だ」
もう少し付け加えるなら、途中から倒すのは諦めてどうにか円の外に動かそうと方針を変えたのも合格にした要因になった。勝利条件はちゃんと提示していたんだから、現実的に勝ちを狙いに行く姿勢は大事だ。
今となっては四人とも身に染みて理解しただろうが……レグとの間には、大人と子供よりも遥かに大きな差がある。
ただ、四人にとってそう悪くないニュースが、一つ。
「こっから予選を勝てるレベルまでいくにはかなり厳しいだろうが……ま、出来なくはないだろうな」
「ホントっ?! レグ兄、それ本気で言ってくれてる!?」
まだへたり込んだままなのに機敏に反応するミレイに、レグは素っ気なく返す。
「ああ。不可能じゃない、程度だが」
「……根拠は、なんだというのだ? 己達は完膚無きまでにやられただけだが」
「そんなの、決まってんだろ? 予選だろうが本戦だろうが、オレより強い奴はまずいない。なら、勝ち目なんていくらでも見出せる」
「……自信過剰もいいところだ、です」
少しは回復したらしく、ふらつきながらもシーリスとセーラが近くまで来ていた。
いちいち突っかかってくる槍使いの少女に、レグはむっとすることもなく淡々と告げる。
「過剰じゃないぜ?
「……絶対優勝とはいわない、の?」
「ここ数年でどんな奴が出て来たか知らないからな。それに……少なくとも一人、オレとほぼ互角の奴が出る。決勝前にあいつと当たったら、勝つことが出来たとしても余力はなくなるだろうから、そこまでだろうよ」
「レグ兄がそこまで言うって……誰なの、その凄い人」
「お前等も知ってるはずだぜ。二年前の
「ッ、『
リアが唸るように挙げた呼び名に、他の三人もはっとした面持ちになる。
ちなみに彼女は四年前も出場しているが、その時は他の仲間が負け越して準優勝に終わり、そして六年前は――
「オレの連勝を引き分けでストップさせた、あの女だ。他国のことだからよくは知らんが、今年も出るんだろうな。つまり本戦に出るだけならどうでもいいが、優勝したいのなら……ま、誰かが捨て石にならないといけないだけの相手だ」
「……れ、レグ兄でも勝てない……?」
「さぁな。六年前は連戦の疲れで引き分けたが、そうでなければ勝っていただろうよ。だが……今のあいつの強さは、見ていないから正直分からん。負けるつもりはないけどな」
レグが絶対に勝てると言い切れない数少ない相手だ。二年前に覇星
少なくとも、今の四人では勝つどころか一分持たせることも出来ないだろう。防御に徹しても十秒持つかどうか、くらいが妥当だ。
そんな化け物が出場する本戦だが……国内予選にそこまでの敵はいない。だからフランベルが頭を抱える事態になってしまっているから、幸運にも、とは言えないが。
「ま、つまりだ。オレとやり合うのに比べりゃ予選なんて大したことねぇよ。這いつくばってでも潰れずに付いて来られれば、それなりには戦える力がつく……かもな」
「……随分と及び腰だな。
「だってやるのはオレじゃないし。お前等次第だってのに、んなもん出来るかよ。適当なこと言うのが
「むぐっ……一々突っ掛かる言い方をする男だな……!」
悔しげに唇を曲げるリアは放って置くとして、レグは改めて全員の顔を見渡す。
「正直、そこまで気は乗らないが……ま、仕事だしな。お前等にやる気があるなら相応の結果で返してやるよ」
「じゃあ……
「絶対、とは言い切れないけどな。オレを疑わず死ぬ気で付いてくるなら、見せてやるよ。ほんの一部の選ばれた
「……っ!」
目を輝かせたミレイが言葉にならない声を喉奥で詰まらせ、ぐっと両手を強く握り締める。
リアはまだ不満たっぷりの表情だが、腕組みして顔を背けはしたものの、それ以上の反発はしなかった。
一方でシーリスは澄ました顔をしているものの、こちらを見る瞳の奥底には明確な拒絶の意思を宿していて、なのに無言を貫くのだからとてもやりにくい。
同じ感情を露わにしないでも、最年少のセーラは本格的に何を考えているか読み取れず、ただその場で佇んでいるだけに見えた。
チームだっていうのに四人バラバラで、これを教えていく身としては嘆きたくもなる。おまけに一人はこの場にすらいないし。
……だが、それでもレグが
全員、負けを良しとせず、最後まで足掻く姿勢を見せた。成長するのに最も必要な要素だ。しかも四人共、魔力の量を考えればレグより遥かに潜在能力は高い。自分が指導してどこまで伸びるか、興味はある。
……まあ、引き受ける一番の理由は、
「お前等が予選を通ればベルから追加の
「……レグ兄、まだ骨董品集めを続けてたの? 古い武器とか家具とかにお金使って……」
「ばっか、オレが買わなきゃ捨てられるかもしれないんだぞ!? やっぱり良さが分かる人間が持つべきでだな……!」
「ふむ……骨董趣味とは意外に粋だな。其方はまだ若いはずだが?」
王族らしく多少は理解を示してくれたリアに、レグは自然と頬を緩めてしまいながらも質問に答える。
「あー、まあ若いんだろうな。今年で十九歳だから、そこのちっこいの以外とはそう変わらないだろうよ」
「……
驚いたようで目をパチパチさせるセーラだが、彼女くらいの歳なら知らなくても当然なのかもだ。一応、この国では歴史的快挙として吟遊詩人に語られていると聞くものの、冷遇されて久しいので。
だからレグはあっさりと
「ああ」
と頷き、
「オレが強すぎたせいで、国内予選の条件だけでなく
「……英雄殿に従えばそれを手に入れられるのかよ、です」
「言ったろ? そんなの、お前等次第だ。これっぽっちしかない可能性だが、ゼロじゃないってだけの話だな」
「少しでもあるならやるよっ! あたし、レグ兄みたいに強くなる!」
両手を膝に当て、ミレイはよろめきそうになりながらも立ち上がる。フラフラだが目には強い意志の光を湛えていて、じっとこちらを見つめていた。
ただ、レグには分かる。ミレイは自分を見ているのではなくて、ここにはいない誰かを重ねているのが。
「あたしも…………お姉ちゃんみたいに、強く……!」
その微かな呟きを聞き取れたのは、恐らくレグだけだろう。
……ここにはいない同じ幻影を追いかけられずにいるレグは、眩しすぎる妹分から視線を外し、奥歯を噛むことしか出来なかった。
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