002 そして残念なことに、嫌な予感は外れてくれない

「最初の用件は、レグ――貴方に払っている特例報奨金ボーナスの支給が無くなるって話よ」

「はぁっ?! なんだそれ、聞いてねぇぞ!?」


 思ってもみなかった内容に、声を荒らげてフランベルに詰め寄る。

 しかし年上の女王代行は身動ぎせずに視線だけでレグの行動を咎め、


「落ち着きなさいよ。昨日の会議で決まったことだもの、初耳に決まっているでしょう?」

「じゃなくて、どうしてそんなことになるっ!? あれは国から出奔しない限り、死ぬまで貰えるものだったはずだろ?!」

「ええ、そうだったわね。でもね、レグ――貴方もこの国があまり余裕のない状況だって、知っているでしょう?」


 生徒に教えるような口調のフランベルだが、さっきまでの笑みが消えていた。この話題が真剣で深刻なものだという証拠だ。

 それを分かってしまったレグは、驚きに昂ぶっていた気持ちをどうにか抑えて、


「……作物は例年通りの収穫が出来ている、って聞いているぞ。街の商人が話している程度のことだから、国の財政とは繋がらないかもしれないが」

「いいえ、それは正しいわ。確かに今年も備蓄するだけでなく他国に売りに出せるだけの収穫は見込めそうで、農村の人達には感謝するしかないわね。……問題は、鉱山の方よ」

「鉱山って、それこそすぐに枯渇はしないだろうって言われてなかったか?」

「ええ、資源自体わね。無くなったのは、鉱山の権利の方だもの」

「はぁ? 権利って…………ああ、そういうことか」


 国が所持している鉱山の権利が無くなるなんて、普通ならばまず有り得ない。

 なのにレグが納得したのは、そういう事態が起こりえるケースがあるからだ。


「――つまり、前回の『戦争』でぶんどられたのか」

「ええ、そうよ」


 肯定するフランベルの紫紺の瞳が苛立ちを孕んだ剣呑なものに変わるのが見えて、レグは口を噤む。

 民衆からは尊敬と羨望の、役人や騎士エスト団の連中からは畏敬の念を集めている若き女王代行は、クールな見た目と違って実は好戦的で、気を許した相手には割と本性を見せてくれる。

 舌打ちか歯軋りでもしそうな剣呑なオーラを纏ったフランベルは、鋭い視線をレグに突き刺してきて、


「前回の『戦争』――『虹星練武祭アーヴェスト・サークル』で無様に一回戦負けをして、隣国の風河ウィゼンダースに奪われたの。おかげで、今年は去年に比べて税収が一割弱減ったことになるわ」

「そういやそんな話も聞いた気がするな……けど、だからっていきなりオレの報奨金ボーナスが無くなるっておかしいだろ。そこまで大した額じゃないってのに」

「そうね、額としては国民の平均収入より少し高い程度で、止めなければ国庫が傾くという程のものじゃないわ」

「だったら――」


 どうしてそんなことになるんだ、とレグが文句を言う前に、フランベルの唇から冷酷な言葉が放たれる。


「でも、無駄に出来る額でもないわ」

「……無駄って言い方はないだろ。功績に応じた、歴とした報奨だぞ」

「確かに貴方の功績は素晴らしかったわ。でも、それは過去の話でしょう? 今の貴方は何もやっていないもの。今の国に、働けるのに働かない子を食べさせる余裕は無い……ってこと」

「それこそ冗談だろ。オレが働く気がないんじゃなくて、あんた等がオレから働く場を奪ってきただけだろーが」


 濡れ衣だ、と吐き捨てるように訴えるレグの目は、攻撃的な色に染まっている。不遇を己の責任のように言われたのだから、そうもなる。

 ――だが。


「…………誰のせいだって言うつもり?」


 どうしたことだか、フランベルの目はそれ以上に剣呑なものになっていた。

 それでいて顔は笑っている。ただし、絶対零度の微笑みだ。

 一般市民ならその場で平伏して地面から顔を上げられなくなり、兵士や侍従は勿論、大臣クラスの要人ですら口を閉ざして視線を逸らすしかなくなるような、恐怖で凍てつかせる美しい笑みに、流石のレグも気圧されてしまう。


「…………いや……オレは、だな……」

「最初に紹介した仕事は、成果が出る直前に台無しになったわよね?」

「……あー……けど、あれは……」

「その次は、半年も経たない内に随分な外交問題にしてくれて」

「ま、待て! あれは仕方なく……!」

「ええ、分かっているわ仕方なかったのよね。ようやくほとぼりが冷めてから、これくらいならいくらレグでもこなせるでしょうと思って回した仕事をたったの半月で壊滅的な惨状にしてくれたのも仕方なかったのよね?」

「……………………………………い、一部についてはオレも責任を感じている」

「あら、そう? たったの一部? でもそうね、責任を感じているなら、こっちの要求にも応じてくれていいわよね?」


 にこりと微笑むフランベルだが、そこから感じられるのは威圧と恐怖だ。

 たぶんあそこで『オレのせいじゃない』と言っていたら、殺意に溢れたガチ攻撃をされていたはず。騎士エストとしても国でも指折りの実力者の彼女に本気で来られたら、いくらレグでもただじゃ済まない。

 だが、生活が掛かっている以上はレグとしても簡単に退けなかった。


「……特例報奨金ボーナスがなくなる、ってのは分かったが……それはいつからの話だ?」

「来月からよ」

「来月?! 待てっ、今月分はもう貰ってるから、次からないって事か!?」

「ええ、そうよ」


 あっさり肯定されてしまったが、そんな簡単に済まされていい問題じゃない。

 現在仕事がないレグにとって、定期的に入って来る金銭といえるのは特例報奨金ボーナスくらいだ。あとは適当に狩りをしたり釣りをしたりして、余った獲物を売った時の、小遣い程度しか収入が無い。


「いくらなんでもそれは急すぎるだろっ!? なくなるのは分かったから、年内は……いやっ、せめてあと三ヶ月だけは……!」

「無理よ、もう決まったんだもの。それにレグは独り身だし、特に贅沢な暮らしもしてないでしょう? これまでの貯蓄でも数年くらいは持つはずよ」

「…………蓄えなんてない。というか、今月に金が入らないと……借金生活になる」

「ハァ? 何それ、どういう……って、まさかレグ、またガラクタ買ったの?!」

「が、ガラクタじゃねぇよ! 今度のは推定で二百年は昔に東の国で作られた剣だぞ!? しかも研がれて実用も可能な美品なんだ! 銘も刻まれているし、こんなの滅多に市場に流れて来ないんだからな?!」


 素晴らしい宝物を誤解されてはたまらないとレグは声を張り上げる。

 だがフランベルの視線は冷えるばかりで、そればかりか頭痛でも疼いているかのようにこめかみに手を当て、重いため息を吐いた。


「…………ハァ……いつからこんな骨董蒐集家ガラクタフェチになったのかしら。昔はこんな子じゃなかったのに……教育を間違えたわね……」

「うっせぇ。あんたに育てられた覚えはねぇよ」

「あら、誰が貴方に大陸の歴史と算術を教えてあげたか、覚えてないの? 私が作った問題にちっとも正解出来なくて半泣きになっていた頃は可愛かったのに……」

「だあぁっ、いつまでも大昔のネタを引っ張ってんじゃねぇ! そんなネチっこい性格だから、適齢期だってのに男が寄って来ないんだろーが!」

「お子様は分かっていないわね。高嶺の花には近付き難いのよ」


 一歩間違えば激怒してもおかしくない暴言だったが、フランベルは余裕の笑みで返す。

 そんな姿に、レグは苦い顔で黙るしかない。美人だってことには文句をつけようがないし、昔からフランベルには口論で勝てた例しがないからだ。

 頭が良くて機転も利いて、その上で騎士エストとしても強かった。『紫剣の氷姫アイスダガー・プリンセス』の呼び名は伊達じゃない。

 勉強で鍛錬で試合でと、やり込められた回数は百や二百じゃ利かなかった。今でも苦手意識が残っていて、払拭出来ないのがまた苦々しい。

 ふて腐れたようにレグが舌打ちをしていると、ふっ……と力を抜いて微笑んだフランベルが立ち上がる。


「まあいいわ。支払うお金がないのなら、貴方の大事なガラクタ達を差し押さえるしかないわね。不必要な物をいくつか売り払えば少しはまとまった額になるでしょうし」

「なっ……?! おい待てっ、本気で待て! オレの大切なコレクションに要らない物なんて一つもねぇぞ!? だから頼むから持っていくのは無しに……!」

「ふぅん? じゃあ、代わりに売れる物でもあるっていうの? 昔は必要最低限の家具と調理器具くらいしか無かったわね?」

「それは…………もしかしたら……」

「無いものは無いんでしょう? 言っておくけれど、借金なんて絶対に許さないわよ。食べる物にも困ってのことなら仕方ないと目を瞑ることがあっても、生活には不必要な蒐集品を買っての借金なんて……ね」

「だからっ、それは入るはずの金が急になくなったからだろ?! オレだってこんな事態になると知っていたら…………あー……もう少し交渉をしてだな……」


 買わなかった、とは言えないのが、レグ自身も情けなく思う。しかし本気で欲しいと感じた物をそう簡単に諦められない。周りには馬鹿だと思われそうだし、自分でもそう思う。事実、フランベルもそんな感じの目で見ていた。


「全く、いつまで経ってもどうしようもない子ね。交渉なんて言い出すのなら、もっと相手を選びなさい」

「……あん? どういう意味だ?」

「少しは自分で考えなさいよ……まあいいわ。時間も無いから簡潔に言うと、中止になる特例報奨金ボーナスの代わりに、同額を支給する仕事を紹介してあげる」

「っ、マジか!? 大体何でもやるぞ! 山奥を駆け回って剛魔獣ヴィストでも狩り倒してくればいいか?!」


 予想外の提案に、レグは飛び付かんばかりの勢いで身を乗り出す。

 無くなってしまうと諦めかけていた固定額の支給を貰えて、大事な大事なコレクションを手放さなくて済むなら、これが罠でも構わない。

 それに、仕事なんて久し振りだ。狩りをして肉や毛皮を売ったり、知り合いに頼まれて安全確保の見回りをしたりと、地味で小さな仕事はやっていたが、あれはあくまでも小銭が稼げる程度。

 人並みの給与が貰えるちゃんとした仕事は、もう二年以上やっていない。好きで無職を貫いていた訳じゃ無いので、テンションも上がる。

 希望の光が見えたのとは別の意味で意気を高めるレグに対し、氷の女王代行は意味ありげに目を細めて微笑んだ。


「今年もあと三ヶ月で虹星練武祭アーヴェスト・サークルが開かれるわ。今回の参加国は七ヶ国の予定で、うちも参戦するのだけれど……問題が一つあるの」

「何だよ。雑魚チームしかエントリーしてないのか?」

「違うけれど、大外れではないわね。参戦予定のチームが三つしかないの。レグ、貴方に頼むのは、その内の一チームの教導員コーチよ」


 既に書類も出来ているらしく、一枚の羊紙皮をつまんでこちらへと見せてくる。下の方に署名をするところが空欄になっていて、後はそこにサインをするだけ……という運びだ。

 準備のいいフランベルが突きつける書面をちゃんと見る前に、一つ訊いておくことがある。


「何だよ、その教導員コーチって?」


 聞き慣れない単語に眉を顰めるが、フランベルはその反応を予想していたらしくスラスラと説明する。


「貴方は知らないかもしれないけれど、三年前から教官兼監督役の人員を付けることになったの。それが教導員コーチよ。大体は退役騎士エストにお願いしていて、他の二チームには一ヶ月以上前から就いて貰っているわ。でも、貴方に任せるチームには事情があって教導員コーチがいなかったの」

「…………何だか焦臭い話だな。参加するチームも少なすぎるし」

「気分が悪くなるから多くを説明するつもりはないけれど、色々あったの。当初は会議で代表チームを決めてしまうという意見が優勢だったのよ。競うことでより成長を促せるからと覆すのは一苦労だったわ。最終的には三チームによる決定戦を行うことに決められたけど」


 怜悧でクールなフランベルが珍しくうんざりした表情をする辺り、本当に面倒な出来事だったらしい。

 だが、レグの興味はそんなところにない。大事なのは、虹星練武祭アーヴェスト・サークルに参加するチームを鍛えろということだ。しかも明らかに問題がありそうなチームを。


「………………あー……なるほどなー…………うん、嫌だ。断るわ、それ」

「却下。駄目。やりなさい」

「嫌だっつってんだろ! つーか完全に強制じゃねぇか!?」

「当然でしょう。これを認めさせるのに、この私がどれだけ苦労したと思ってるの?」

「いや知らねぇよ! 大体な、訓練の指導をしろって……それでオレは、前に――」

「ええ、失敗したわね。将来有望な未来の騎士エストが、日の目も見ずに落第したわ。この国にとって大きな損失よ」


 当然フランベルなら覚えているだろう。何故なら、あの時その仕事を持って来てくれたのが他ならぬ彼女だからだ。

 つまり、失敗の煽りで散々責められた経験がある。


「なら、なんで今更……」


 本気で意味が分からずレグが訊ねると、不意にフランベルが豪華な椅子から立ち上がった。

 そして、ずいっと鼻先がくっつきそうなくらい、顔を寄せる。こちらを覗き込む瞳は、優しさよりも厳しさを感じさせる、真摯な目をしていた。


「いい、レグ? 私は貴方の保護者ではないわ。でも、今でも仲間ではあるつもり。だから貴方が埋もれたまま腐っていくのは、見ていられないのよ」

「…………誰も腐ったりなんかしてねぇよ」

「そう? でも、似たようなものよ。我が道を行くといえば聞こえはいいけれど、世の中から逃げているだけ――認めたくない現実から顔を背けて」


 フランベルの言葉に迷いはなく、容赦もない。

 ザクザクと遠慮無く突き刺さるそれに、レグは顰め面で黙るしかなかった。否定出来る要素が一つも無くて、怒りすら湧いてこない。

 ただ、それでもゆっくりと込み上げて来るこれは……苛立ちだ。

 フランベルにではなく、こんなことを言わせてしまっている自分に対する、苛立ち。

 世間でどんなに陰口を叩かれようが、どれだけ国のお偉方や騎士エスト連中から侮蔑と畏怖の視線を浴びようが、レグは全く気にならない。あんまり近くで喚かれたら殴りたくもなるが、その程度だ。

 ……けど、やっぱり互いに仲間だと認め合っている相手からの言葉は、のし掛かるように重いし、ひび割れから水が染み込むように心に浸透する。

 しかも女王に代わって国の未来を左右する多忙な彼女が、自分の為に時間を割いて動いてくれたのだから……これで何も感じないっていう方が無理だ。

 ……ただ。


「それで、どんな裏があるんだ?」

「あら? 何のことかしら?」

「惚けんなよ。オレがその仕事を受けることで、あんたにどれだけのメリットがあるのか、って訊いてんだ」


 えらい言い方だとは思うが、フランベル=ヒアクートという怜悧な美人が自分への善意だけで動いてくれたと自惚れる程、浅い付き合いじゃない。

 レグが疑念の目で睨むも、厚顔を通り越していくらでも塗り替えられる仮面の持ち主はまるで気にせず、僅かに口端を上げて微笑む。


「素直じゃなくて可愛くないけれど、正解よ。私は虹星練武祭アーヴェスト・サークルに、勝てるチームを送り出したいの。その為に、レグに鍛えて貰おうって寸法ね」

「……それだけか? つーか、有望な二チームはとっくに教導員コーチが付いてるってことは、単なる出遅れじゃないんだろ?」

「ええ、勿論。貴方に任せるチームはまともにチームを組めなかった寄せ集めで出来ていて、誰も期待していないでしょうね――私以外は」

「何だよ、随分そいつ等を買ってやがるな? 他の騎士エスト候補生には見向きもされなかった連中なんだろ?」

「実力以外にも色々と理由が有るのよ。色々と、ね。レグもきっと、あの子達を気に入ると思うわ」


 意味ありげに言うフランベルだが、その言葉に含まれた響きに、レグは微かに眉を顰める。

 訳ありチームなのは間違いないみたいだが……それ以外にも、何かある。濃密な付き合いをした仲間だから分かる直感みたいなものだ。

 ろくなことにならないんだろうな、とレグは大きくため息を吐いて……


「……あー……もういい、やってやる。気に入らなかったらすぐに辞める前提だけどな」


 フランベルが何か隠しているのはほぼ間違いないし、それが何なのかまでは分からない。

 だが、ただの悪巧みの嫌がらせということはないと思えるくらいの信頼はある。それに現実として、支払いの為に金は必要な訳だし。

 半ば諦めの境地で、レグはフランベルの差し出した書面にサインをし……

 かなり不本意ではあるが、教導員コーチとして働くことになった。

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