第7話


「うーん…」


ベッドから上半身を出して、目の前の手鏡をこれでもかと見つめます。

横にずらりと並ぶのは、カロリーナからお借りした化粧品の数々。

手先は器用な方ですが、いかんせん慣れていないので本当にこれで良いのか不安です。

それでもコンコンと扉をノックする音に大慌てで仕上げ、その場の化粧品を片付けました。


「どっ、どうぞ!」

「失礼する…ビビアナ、元気そうだな」


扉を開けて入ってきた彼に、どきりと心臓が鳴ります。


「貴方は少し…痩せましたね。私が山で拾ったときより痩せてるんじゃありません?」

「なにぶん忙しくてな。…あれからずっと心配していた」


そう言って、彼はベッドの横にあった椅子に座りました。

あの政変後、私は倒れるように気絶しました。

意識が戻ったのは2日後。

現在は押さえ付けられた際の身体中の痣やボロボロの手先の治療の為、王宮の一室で療養しているのです。

気にしてくれていたとの彼の言葉に浮わつきそうな心をそっと抑えて、冷静に口を開きます。


「ヘルマン騎士団長から全て聞きました。貴方、騎士団長だったのですってね」

「ああ。先代の…国王陛下に仕えていた」

「道理で憎らしいほど清廉潔白な人だと思いましたわ。本当は罪人なんかでは無かったのだから」

「…マクシミリアノが自供した。父の…先代陛下の殺人を実行しその罪を俺に着せたと。彼には相応しい罰が下されるだろう」

「…そうですか」


今となっては何の恨みもありませんが、あの方の思考は最後まで理解できませんでした。

きちんと処罰が下されることに、少しほっとします。


「貴方を逃がしたのはヘルマン騎士団長だそうで。逃がして捜して…あの人も忙しいですね」

「ああ。マクシミリアノに疑われていた上、彼の回し者を下に付けられて思うように動けなかったようだな」


小屋の中に目的の人物は居たのですよと言った時のヘルマン騎士団長は複雑な顔をしていました。

あのパンティー事件の時、いちばんハラハラしていたのは彼かもしれませんね。


「先代陛下の死は…実際、護りきれなかった俺の責でもある。逃げるつもりはなかったんだが…ヘルマンがあなたが死ぬなら俺も死ぬと騒ぎ出して…」

「まあ…熱烈ですね」


これは予想だにしていない場所からライバルが出てきました。

眉間に皺を寄せて頭を抱える彼に、くすりと笑います。


「思い返すと、ヘルマン騎士団長を見るたびにどこか貴方を思い出してしまったのは、尊敬する人物の言動を倣っていたからなのでしょう」

「アイツは変わり者なんだ…俺は尊敬されるような人間ではないよ」

「あらご謙遜を。こうして私のことも助けてくださいましたし、聞きましたよ?今回の無血革命は貴方の功績に依るところが大きいと」


私と別れてからの数ヶ月間、彼はマクシミリアノ前国王の失権のために駆けずり回っていたそうです。

友好国を訪問し貴族院を説得し、天下の大罪人として追われながらそれをやり遂げたと言うのですから、やっぱりこの人は化け物じみています。


「決め手となった先代陛下の遺書についても、貴方が見つけ交渉し持ち帰ってきたのだとか」

「それに関しては前国王陛下の大功だ。この国にあればマクシミリアノに握り潰されてしまうと判断した上で、別の国に預けたんだろう。…俺ひとりでは何もできなかった」

「まあ。それでも、皆さんが貴方の功績と認めているから、この度の選任が決まったのでしょう?」


そこで言葉を切り、改めて背筋を伸ばします。

ベッドの上からで申し訳ないのですけれど、できるだけ深々と頭を下げます。


「おめでとうございます。国王陛下」


山奥で拾った時はそれはもう汚ない身なりをしていたのに、今となってはたくさんの飾りが付いた上質な服を纏い、整えられた金髪は一層輝いていて。

本人は少し窮屈そうではありますが、本当に良く似合っています。

(貴方の変化に比べれば、私の化粧なぞ然したるものでは無く少し悲しい気持ちになりますけど)

情報公開されなかったとは言え犯罪者から一転、国王にまで上り詰めたのは貴方が初めてでしょうね。


「…その呼び方は止めてくれ。俺は臨時だ。次の王が見つかるまでの繋ぎに過ぎない。世襲制も無くして、投票による君主制度も考えているところだしな」


(少しぐらい調子に乗ってくださっても良いのに)

どこまでいっても謙虚な、そういうところが選ばれた大きな理由なのだろうと思います。


「あと彼女に…側室だった令嬢だ。礼を言っておくと良い。君の友人だろう?」

「…カロリーナのことでしょうか?」

「恐らくは。彼女は貴族院の中でも最有力者の娘だった。彼女が現れなければ説得は長引いていたし…君を助けることも、間に合わなかっただろう」

「そうなのですか?」


名のある貴族の娘だとは知っておりましたが、まさかそんな重要人物だったとは。

彼によればあの時書面を翳し王権交代を宣言した男性こそが、彼女の父君だったそうです。


「父君を捜して議会に飛び込んできたんだ。友人をどうか救ってくれと、警備の静止を振り切って」

「カロリーナが…」


何回もお見舞いに来てくれたのに、そんなこと少しも言ってくださらないから。

(お礼をしなければなりませんね…)

大切な友人を思い起こして、ふと彼女の台詞を思い出します。


「そういえば…カロリーナによれば側室は解散となったとの話でしたが…」

「ああ。王も代わり、制度がいちから変わるからな。今はとにかく法整備に追われている。後宮もそれに伴い解体されたよ。マクシミリアノには子は居なかったこともあって、すんなり事は進んだ」

「そうですか…。私、無職になってしまいましたね。適当に仕事を見つけて…またひとり楽しく魔術研究でもします」


その言葉に、彼は少し驚いた顔でこちらを見ました。


「…宮廷魔導士は目指さなくて良いのか?」

「意地悪なことを仰いますね。今回のことで、私の夢はまだまだ実現不可能だと気付かされましたから」


むうと唇を尖らせながらも、大人しい返事をします。

さすがに懲りたのです私も。

それにせっかく貴方に助けてもらった身ですからね。

大切にします。しますが!


「でもこのビビアナの辞書に諦めなんて言葉はありません!その時がくるまで、私は腕を磨いて待つだけです!」

「そうか。あんな目にあったのに…君は強いな」


彼は微笑んで、背後から小さな箱を取り出しました。


「俺の命を助けてくれた礼だ」

「もう…お金もお礼も要らないと言いましたのに、私」


それでも貴方からの贈り物だということが嬉しくて、受け取り掛かっていたリボンを外します。

私のその様子を見ながら、彼は静かに口を開きました。


「…法改正をしていく中で滑り込ませ…通った法案がある。幸か不幸か、マクシミリアノのせいで王宮は慢性的な人手不足だ」

「…?はい」

「その法案成立に関しては君の功績も大きい。主に騎士団から賛成の声が高かった。慎重な検討の末に、1箇所の学校で導入することが決まった」

「何を…」


発言の真意を疑問に思いながら蓋を開けて、ぴたりと止まります。

一瞬分かりませんでしたが、箱の中に綺麗におさまったこれは、魔術用の万年筆。

何故分からなかったのかと問われれば、無骨で大きな男性用の市販品と違って、華奢で細身な可愛らしいデザインだから。

まるで、


「まだ試作段階だが、女性用の魔術用万年筆だ」


震える手で箱から取り出して、信じられない気持ちで触れます。

男性用のそれより軽くて細い万年筆は私の手に優しく乗って。

これだけでも何も言えなくなるほど驚いたのに、彼はさらに続けるのです。


「通った法案は女性宮廷魔導士の雇用に関する案だ」


ぴたりと息が止まります。

目を見開いて視線を移すと、彼は優しく微笑んでいました。


「初の女性魔術師を受け入れるのは王都の学校だ。君がそこの1期生となれ」

「っ…!」


ええ、ええ、信じがたいことです。

喉がきゅうと締まって苦しい中、嘘ではないことを確認するように必死で声を出しました。


「わ、わたし、なれるんですか…?お、女なのに、魔女に、」


やっぱり嘘だと言われることも覚悟しておりました。

だってそんなこと有り得ないのです。

世界はいつだって理不尽で厳しくて、ちっぽけな私の夢など見向きもされないのだと、ずっと。

けれど彼は曇りのない真剣な眼差しで、力強く口を開くのです。


「魔女じゃない。魔術師だ。そうだろう?」

「っ…!」


化粧をしたばかりだと言うのに、ぼろぼろと抑えられない涙が頬を伝っていきます。

ああ。

貴方の前では私、泣いてばかりですね。


「な、何にも、要らないって言ったのにっ…貴方は…本当…っ!」


その固くて大きな胸にごつんと頭を当てても、やっぱりほんの少しもびくともしません。

それに言葉にならない安心感を感じて、私はまるで赤子のようにしゃくりあげます。


「ふっ、うぅっ」

「…俺は、主人を護りきれなかった愚鈍な騎士だ」


目の前の大きな喉仏がこくりと動き、静かな室内に声が響きました。


「もう野垂れ死んでも良いと思っていたのに…君に命を救われて、理不尽の中でも夢に向かって懸命に走る姿を前にして、まだ諦めるわけにはいかないと気付いた」

「ええ…。ええっ…!」


瞳から溢れた涙が万年筆に落ちて、まるで宝石のようにきらきらと輝いています。

ああ、そうですね。

叶わない夢を持つことはどうしようもないほど苦しかったけれど、同時にこんなに幸せなことは他に無かった。


「途中で何度も挫折しかけたよ。殺されそうになった時もあった。それでも…ビビアナ。君を思い出せたから俺はここまで来れた」


視界の隅に彼の手が映りました。

一瞬、その大きな手のひらは空中を彷徨ってーーーー今度はぎゅうと、私を抱き締めてくれたのです。


「…君の夢の続きを、俺も見たいんだ」

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