第6話
「ビビ!衛生用品と毛布!持ってきたよ!」
「カロリーナ!ありがとうございます。危ないですから口は塞いで!もし怪我している場所があればそこも覆うように!」
指示を出しながら手を動かします。
目の前には傷口から止まらない血を流し続ける男性の姿。
弱々しい目でこちらを見つめる彼に、力強く微笑みかけました。
「大丈夫です。必ず助けます」
書き換えた術式を前に、放り投げるよう万年筆を置いて詠唱を始めます。
私の魔力に反応し魔方陣がぼんやりと光り、術の主導権が移ったことが確認できました。
傷口を巻き戻していた時間が今度は進むように書き換えられて、みるみるうちに癒えて塞がっていきます。
(いける…!)
「終わりました!この方を移動させて!」
「早い…!」
次へ取りかかる私の背後で、ヘルマン騎士団長が息を飲みました。
「…誰かから教えてもらうことができなかったので、既存の魔方陣を自分で解析して学ぶしかありませんでしたの。お陰で習得に何倍も時間はかかりましたけど、人の術を書き換えることが得意になったのです」
背中を向けたままそれだけ答えると、彼は静かになりました。
私と言えば新しく書き換えた魔方陣に手を触れて、詠唱を始めます。
「次!」
夢中で事を進めて、被術者の数が半分を切った時のことでしょうか。
カロリーナに止められて、私は我に返りました。
「ビビ!指が…」
「…魔術用万年筆というのは、どうして…男性用しかないのでしょうね」
血が出ている手のひらを見ながら、ぼんやりと呟きます。
女の私の手に対しては無骨すぎる万年筆が原因でしょう。
タコができてはそれが潰れるまでペンを握ることを繰り返してきたので指の皮は人一倍厚くなっている筈ですが、状況が状況ですから無駄に力が入っていたようですね。
カロリーナが包帯を巻いてくださるのを、じっと待ちます。
「大丈夫?」
「大丈夫です。手が使えなくなったら口ででも足ででも、這ってでも描きますから、っ!?」
「ふざけるな!」
腕を掴まれ、食い込んだ爪の痛みに眉を潜めます。
いつの間に現れたのか、すぐ背後には初老の男性。
「何故女が魔術を扱っている!」
身なりからして恐らく魔術師でしょう。
民間の術師に召集をかけたとの話でしたから、遅蒔きながら現れたのだと思います。
「今は余計な時間を割いている暇はありませんから、放してください!」
「これは由々しき事態だぞ!おい!誰か来てくれ!」
「っ…!まだ助けなければならない人がいるのです!放して!」
「女の癖に魔術を使いおって!不吉な魔女、がっ!?」
私の背後から伸びてきた手が、挟むように彼の頬を掴みました。
男性は驚きつつも目だけをぎょろぎょろと動かして、犯人を睨みます。
「きっ、きさま!無礼も、」
「団長命令だ。その口を閉じて与えられた務めを果たせ。それができねえのなら俺が殺してやる」
全ての雑音を掻き消すような重低音に、肉食獣のような眼光。
手を離され尻餅をついた後、魔術師は先程までの威厳など嘘のように転がるように逃げていきました。
「ヘルマン騎士団長…」
そうして私を助けてくれた彼は、気まずそうに咳払いをします。
「貴方…。育ちの良い方だと思っていたので…意外ですね」
「私の出自は貧民だ。前騎士団長に拾われてから、相応しい部下になれるよう必死に直しただけだ」
「…それは、さぞや素敵な上司様だったのでしょうね」
「ああ。第一に国民のことを、次に部下のことを考える人だった。…私の手本だ」
そこで言葉を切って、ヘルマン騎士団長は私をまっすぐに見据えました。
「側室、お前に賭ける。部下を助けてくれ」
「っ…!」
ぎゅうと胸が熱くなるのがわかります。
私の努力は無駄ではなかったと証明された気がして、もちろん力強く答えるのです。
「はい!」
「全員…終わった…」
最後の一人を救護室へと送り出して、私は壁に背をつけへたりこみます。
書き換えとは言えこれほど連続して魔術を使ったことはなかったので、さすがに疲れました。
隣で私の手を治療していたカロリーナが、嬉しそうに呟きます。
「お医者様によれば全員助かるだろうって。ビビのお陰だね」
「そうですか…」
それに心底安心すると同時に、私の心にずっと首をもたげていた懸念が大きくなるのです。
そんな心情を見透かしたかのように、眉間に皺を寄せたヘルマン騎士団長が近付いてきます。
「側室。王の間からお呼びがかかった」
その言葉にカロリーナが反応し、心配そうな表情で私の服を掴みました。
「陛下から…!ビビ…」
「…大丈夫です。陛下に謁見するのならば着替えたいのですけれど」
「いや、緊急だ。今すぐ来いとのお達しだ」
「…わかりました」
立ち上がると、ヘルマン騎士団長が声を低くします。
「マクシミリアノ陛下に魔女への理解を求めるのは無理だ」
「…ええ」
「何も話すな。聞かれても知らぬ存ぜぬを通すんだ。ただ治療を手伝っただけだと…そう答えろ。後から調べられれば露見するだろうが、ここを乗りきれれば逃げる手筈は何とでもなる」
「…わかりました」
騎士団本部の外には私を連行するのであろう兵士が立っていました。
その太い腕と鈍く光を放つ甲冑を見て、ふと数ヶ月前に男性に襲われかけたことを思い出してどきりとします。
あんな腕に捕まっては、私などひとたまりもないのでしょう。
(…大丈夫。そうならなければ良いだけの話です)
ここに助けてくれる貴方はいないのだから。
「此度は内乱の鎮圧、及び魔術を受けた兵士達の救助活動、ご苦労だった」
背後で巨大な鉄の扉が音をたてて閉まります。
荘厳な建物は恐ろしいほど天井が高く、その音さえも厳かに響き渡りました。
深紅の絨毯をじっと見つめ頭を垂れていると、ふと先程とは別の、高くも重厚な声が落ちます。
「さて…本題だ。先に行われた救助活動について、そこの女が魔術を使ったという証言を聞いたのだが…本当か?」
「陛下。私が報告致します」
「ヘルマン。私は女に聞いているのだよ」
どくんと心臓が鳴りました。
会話の内容からしてこれは恐らく陛下直々のご質問なのでしょう。
けれど打ち合わせはしましたから、顔を伏せたまま思い描いた通りの言葉を紡ぎます。
「いえ…そのような事実は…」
私の声が止まります。
ええ、これが最良の手だと言うことは重々理解しているのです。
このまま嘘を突き通して、逃げて、普通の生活を送るのがいちばん平和に終わる。
(けれど…私、またあの生活に戻るの…?)
人知れず魔術を盗み見て、悪事を働いているかのようにコソコソして、魔術師になるどころか宮廷魔導士など夢のまた夢。
「わたくしが…」
これを逃したら、次いつ陛下にお会いできるかわからない。
もしかしたら一生、私はこのままかもしれない。
あの人の手を振り払ってまで選んだこの道で、何もなく、
「わたくしが、魔術を使用致しました」
私の口からは真実が漏れ、広間にどよめきが走りました。
ヘルマン騎士団長が驚いてこちらを振り返ったことがわかりますが、そのまま口を開きます。
「このビビアナ、幼少より宮廷魔導士を夢見て魔術に励んで参りました…。それが禁忌であることは百も承知でございます!」
顔を上げると、陛下の見開かれた瞳と視線がかち合いました。
無礼だとは頭の隅で理解しながらも、その目を真っ直ぐに見つめて先を続けます。
「夢を捨てられずここまで辿り着きました!僭越ながらお願いがございます!どうか私を…わたくしを!魔術師として認めてはくださいませんか!?」
その場をしんと静寂が支配します。
私と言えば、初めて拝見する陛下のお姿に驚き息を飲みました。
噂通りまだ若く、いえ実年齢よりも幼く見えますが、何より目を引くのはその白さ。
華奢な手足と象牙のように白い肌、髪だけではなく睫毛までも純白で、それを見ているとまるで天使と相対しているような錯覚に囚われます。
陛下はその白く無機質な瞳を向けて、たった一言、呟きました。
「穢らわしい魔女め」
一瞬何を言われたのか理解ができず、けれど脳には正しく伝わったのか直接揺さぶられたかのような衝撃が走ります。
陛下は続けました。
「両の腕でも斬り落としてやれ。さすれば魔方陣も描けなくなるだろう」
身の毛がよだつほど冷たい瞳。
その時、この人は私を、人を、虫程にも思っていないのだと察したのです。
「女の癖に魔術を扱うなどと身の程知らずなその夢も、捨てるしかなくなる筈だ」
「お言葉ですが!」
呆然とする私の前に、人影が立ちはだかりました。
「…ヘルマン騎士団長」
「この女は陛下の側室と見受けます!主の持ち物…とりわけ賞翫目的でその座についている者の容姿を、私達一介の兵士が損ねるわけには参りません!」
「…ヘルマン。発言には気を付けろ。私は未だに疑っているのだよ。先代の犬を逃がしたのはお前ではないのか?お前、随分懐いていたらしいじゃないか」
何のことかは私には理解できませんでしたが、彼の立場が危ういことだけは察しました。
それでもヘルマン騎士団長はその質問に返答することなく、私を見て先を続けます。
「彼女がいなければ大量の死者が出ておりました。部下の命を救われた身として、恩情を求めます」
「結果なぞどうでも良い。私の国で女が魔術を使ったことが問題だ。その罰は下さなければ」
(そう…理由なんてない…)
魔術用品に女性用が無いことに、理由なんてないのです。
ただ、女だから魔術を使ってはいけないのです。
ヘルマン騎士団長は目を閉じて、迷いながら口を開きました。
「…罪を犯した魔術師に投与する薬があるはずです。喉の一部を焼き生涯に渡り詠唱を不可能にする薬剤。それならば見目も損ねることはなく、刑の執行後も余計な感染症や後遺症が発生しません。それが…最適かと」
「ふん。今は未だお前しか務められる者がいないから任せているが…覚えておけよ。あいつもお前も、代わりなどいくらでもいるのだから」
そうして陛下はするりと私に凍りつくような視線を向けて、冷たく微笑むのです。
「魔女。良かったな。ヘルマンの犠牲に感謝しろ」
奥から器を持った使用人が出てきました。
厚みのある陶器の中には、無色透明の液体。
それ手渡される寸前、ヘルマン騎士団長が私にしか聞こえないぐらいの声量で小さく呟きました。
「この薬…詠唱はできなくなるが、日常生活においては問題なく発話できる。すまない…。部下を助けて貰ったのに、こんなことぐらいしか…私はできない」
続いてぎしりと歯を噛み締める音。
ああ。
この方は、私を助けようとしてくださっているのですね。
両腕を失くした後の私の将来を気にして、自分の立場を顧みないで。
(この人の助言を無視してやったことなのに…優しい人…)
呆然とした頭で渡された陶器を見つめます。
水面の上に波紋が立って、幻覚でしょう、そこに美しい金髪が映りました。
『叶わない夢は、持っていても辛いだけだ』
結局、貴方の言った通りになってしまいました。
私の夢はここまでのようです。
もともと身分不相応な夢だったのでしょう。
けれど最後に魔術師の真似事もできて、嫌と言うほど禁忌を侵した代償としては、安いものかもしれませんね。
五体満足で、2度と魔術を使えなくなるだけで済むなんて、
「おい。何の真似だ」
陛下がそう仰るのも道理。
薬の入った器は私の手からぽろりと落ちました。
陶器が割れて、あたりに破片と薬剤が飛び散ります。
「おい」
「…飲め、ません…」
もちろんこの状況で何のお咎めも無しで済むなんて、そんな都合の良いことは有り得ないのです。
世界はいつだって理不尽で厳しくて、ちっぽけな私の夢なぞ見向きもされないのだから。
だから、震えて震えて仕方がない両手を、私は差し出します。
「代わりに…腕を、斬り落としてください…」
蚊の鳴くような声を何とか絞り出して。
「ほお」
「っなぜ…!」
ヘルマン騎士団長の声が聞こえます。
ああ、せっかく選択肢を用意してくださったのにごめんなさい。
でも、詠唱ができなくなったら魔術は使えなくなるけれど、手が無くとも魔術は使えるって私、気付いてしまったんですよ。
手がないのなら足ででも口ででも魔方陣は描ける。
まだ夢を追える。
「っふ…」
(怖い、)
多数の人に見られているというのに、あまりの恐怖に大量の涙が零れ落ち、口からは嗚咽が漏れました。
それでも一生魔術を使えなくなる道だけは選べない。
例えどれほど非難されても何を失くしても、例え好きな人と生きる道を手放したって、この夢だけは捨てられない。
初めて魔術を目にした時の光景はいつだって鮮明で、残酷なまでに輝いているのです。
魔術師になりたい。
女だろうが手がなかろうが、私やっぱり魔術師になりたいんです。
必死で追いかけてきた夢の続きを、どうか。
「叶わない夢は、持っていても辛いだけだな」
私の浅はかな思慮など何もかも把握したのでしょう。
陛下は心底憐れむような表情で、罪深い魔女に審判を下すのです。
「両腕を落として喉を潰せ」
目の前が真っ暗になって、闇に沈むような感覚。
「待ってください!」
「この場からヘルマンを摘まみ出せ」
放心状態でいる私に、上から痛いほどの圧力がかかりました。
見れば甲冑を着込んだ兵士にねじ伏せられています。
それをどこか他人事のように見つめていましたが、目の前に斧と新しい薬剤が掲げられて、その残酷な光に我に返ります。
「いや…!」
抵抗しようにも恐ろしいほど強い力で押さえ付けられて、身動きさえできない。
「いやっ!いや!やめて!!」
暴れる度にあちこちの骨が軋む音がして、まるでこのまま潰されてしまうかのような錯覚に陥ります。
いえ、実際に押し潰されてしまうのでしょう。
私の身体も、今までの努力も夢も何もかも。
「そこまでだ」
一筋の光明が射し込むと同時に、声が響き渡りました。
巨大な鉄の扉がゆっくりと開いていきます。
日の光が眩しくて一瞬何も見えませんが、立っていたのは複数の人影。
「前、騎士団長…」
ヘルマン騎士団長が信じられないものを見るような目で、呆然と呟きます。
彼につられて視線を移し、私の息が止まりました。
「貴様…!」
そして私達と同じものを見た陛下の表情に、明らかな動揺が走りました。
「奴を捕まえろ!先代を殺した大罪人だ!」
「捕まるのはあなただ。彼女から手を放せ。傷付けることは許さん」
凛然と落ち着き払った声。
その一声で、私を押さえ付ける兵士の力が緩みました。
「前国王陛下の死への関与、その隠匿と犯人の捏造及び今日までの悪政を鑑みた上で、あなたの進退に対し貴族院にて採決が取られた」
発言する男性の隣にいた、身なりの良い紳士が一歩前に進み、書面を突きつけました。
よく通る声でゆっくりと口を開きます。
「我ら貴族院はマクシミリアノ、あなたの解任を命ずる」
ああ。
何ということでしょう。
天地を揺るがす一大事が、今目の前で起こっているのです。
けれど私の目はただ一点に釘付けで。
陛下は立ち上がり、ひどく動揺した様子で声を荒らげました。
「そんな…そんな馬鹿な話があるか!私は王だ!貴族ども!大人しくしていれば悪いようにはしなかったものを!」
「我らとて直ぐに行動を起こすつもりはなかったが…何より友好国にて先代陛下の遺書が見つかったことは大きいと捉えた。中には自分の身に何かあれば、制度と王を変えろとの進言があった。マクシミリアノには継がせるなとの一筆と共に」
彼らは手を上げ、その場にいた全ての人間に聞こえるよう高らかに宣言しました。
「これよりこの国は専制君主制から立憲君主制へと王政を再編成し、次期国王については我ら貴族院の裁量で決め直す」
「ふっふざけるな!私を差し置いてどこの馬の骨とも知れぬ輩が格式ある王位を継ぐなど有り得ない!先代は頭がおかしくなったのだ!だから殺してやったというのに!」
(嘘、嘘、嘘)
重要な話が飛び交っているとは理解しながらも、私の視線はずっと、たったひとりに集中していました。
彼らの中央、こちらに向かって真っ直ぐ走ってくる大きな人影、あの輝く金糸は。
「ビビアナ!」
緊張が解けて、力が抜けていくのがわかります。
この人の傍ならば安心しても大丈夫だと、私の身体は覚えているのでしょう。
(だって貴方は、強いから)
「貴方…」
彼は名前で呼んでくれたのに、私は返せません。
私、貴方のお名前を知らないのですもの。
けれどずっとお会いしたかったのですよと、珍しく素直にお伝えしようとして、私の意識は沈んでいきました。
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