第5話


「はあ…予想外です…」


双眼鏡片手に深い深いため息をつきます。

城下町を一望できる塔の最上階からの景色は、当初は耽溺するほどの美しさでした。

いえいえ、過去形にはしましたが相変わらず綺麗は綺麗なのですよ。

王都をいちばん良く見渡せる場所ですし、整然と並んだ建物に煉瓦が敷き詰められた道、その上で様々な色に彩られているわけですから、まるで宝石箱のような景色と言っても過言ではないのです。


「現陛下は歴代随一と噂されるほど妾が多いと聞きましたので覚悟はしておりましたが…まさか未だに一度も褥に呼ばれないなんて…」


強いて言うならば、私の心が景色を楽しむどころではないのが問題です。

私が王宮付きの側室となり3ヶ月が経ちました。

が、一向に陛下にお会いできません。

吃驚するほどそれはもうさっぱり、一度たりともです。

そうなった理由のひとつとして、側室があまりにも多すぎるという事情が関係しております。

もちろん陛下はおひとり、おひとりなのですよ、それなのになんと数百人の妾がいるのです。

(確かにわざわざ貴族でもないこんな村娘を引っ張ってくる時点でおかしいとは思っていましたけど!)

更には夜伽の選定がちっとも平等ではありません。

気に入った寵姫は繰り返し呼ばれますし、後から入ってくる側室は増える一方、私が呼ばれる兆しさえ見えません。

こんな意気消沈した気持ちで見ているのですから、いくら美しい景色と言えど色褪せて見えてしまうのも仕方がないと思いませんか?

すでに見飽きた光景を前に、歯痒い思いで唇を噛みます。


「仕方ないよ。ビビより長い間ここにいる私だって、ご寝所には呼ばれたことがないし。陛下の姿だってお見かけしたのは一度きりだもの」


そう私を慰めてくださるのはカロリーナ。

私と同じく側室の女性です。

出自は名のある貴族とのことですが、関係なく庶民の私とも会話してくださる稀有な友人です。

カロリーナは手を合わせ、そのふわふわとした栗色の髪の毛と同じくらいふわふわの声を発しました。


「陛下のご寝所に呼ばれたら…きっと天にも昇る気持ちになるんだろうね。呼ばれたことのある女の子達は陛下の神器は花のような甘い香りがするって言ってたし…」


神器とはまあ男性器のことでしょうが。

私と言えばカロリーナの発言に耳が象のようです。

なんと興味深い証言。


「花の香り…!?やはり王室の方と言うのは…庶民とは違うのですね」

「ビビは…殿方の…その、見たことあるの?」

「ええ。私の場合甘い香りは無かったですね。どちらかというと魚のような生ぐさ、」

「や、やだあ!ビビったら!」


カロリーナが恥ずかしそうに手で顔を覆いました。

ですが指の間からはちらりと、栗色の瞳が興味津々といった様子で覗いています。


「…触感はどうだったの?」

「新種の貝のような独特の質感でしたね。けれど陛下の場合はまた違うのでしょうか…?」

「良くわかんないけど、みんなは焼けた鉄の棒のようだったって」

「なんと…!?甘い香りのする熱い鉄棒…!?高貴な方の股間は摩訶不思議ですね」


興味は尽きませんが、そんな花も恥じらうガールズトークは終了させ双眼鏡を覗きます。


「さて、今日の魔術訓練はどこでされているのやら…」


愛妾になる目的も果たせず、本命の魔術の研究もこっそりと自室で行うという、村にいた頃よりも肩身の狭い日々を送る私ではありますが、良いこともありました。

それが宮廷魔導士の存在です。

宮廷と付くだけあって、彼らは王宮が抱えている魔術師です。

もちろん側室も王のそばにおりますから、私も彼らも棟は違えど同じ敷地内にいるのです。

特に今の時期は研修生に対し実演を見せていることも多く、遠目からでもその素晴らしい魔方陣は大変参考になります。

私の大切な時間なのですが。


「なのに…今日もどこにもいらっしゃらない…」


ふたつのレンズであちこち探しますが、どこを見ても彼らの影も形もありません。


「ビビったら、また魔導士の方のおっかけ?」


カロリーナがくすりと笑いました。

友人といえども本当のことを言うわけには参りませんから、魔導士の男性に美男がいると適当なことを言って誤魔化しているのです。

(本当はあんな華奢な男性方は好みではないのですけれど…)

私はもっと筋骨隆々な男らしい男性の方が好きなのです。

例えば捕縛魔術を力業で破れるような、


「そんなに好きな方がいるのね」


彼女の発言に我に返りました。

(また…私ときたら…)

何も知らないカロリーナの言葉は、宮廷魔導士の中にいる架空の人物のことを指しているのだと自分に言い聞かせ平静を装います。


「え、ええ。ですが今日はどなたも居ないようですね。また外に出られているのでしょうか?」

「そうだね…。最近は各地で内乱が起こってるらしいから…。その鎮圧に向かっているのかも」


そこで言葉を切って、ここには誰も居ないとはわかりつつも彼女は音量を下げました。


「マクシミリアノ陛下はその…厳しい方だから…」


カロリーナはそう控えめな表現をしますが、現国王陛下は暴君としても有名なのです。

暴虐の限りを尽くし、気に入らなければ長年国に尽くした忠臣でも極刑、他国との戦争が頻繁に勃発しているのは彼のせいだという話もあります。

それなのに妾を大量に侍らせるような余裕はあるのですから、民の不満が溜まるのも仕方がないことだとは思います。


「前国王陛下の遺業のお陰で国はまだ豊かですが…それも時間の問題かもしれませんね…」

「…既に犯人は逮捕されているけれど、その先代陛下の死もマクシミリアノ陛下の目論見だったって話もあるの。本当は前国王陛下はマクシミリアノ陛下に王位を継承する気は無かったとも言われていたから、王位欲しさに父君を殺したんじゃないかって」

「……」

「そういう噂が回るぐらいだから、王宮勤めの方も辞める人が後を絶たないし…宮廷魔導士の数もどんどん減ってるんだって」

「それは…勿体無い話ですね」


ここに成りたくとも成れない者がいるのに。

まあ暴君だろうが悪王だろうが股間から甘い香りがしようが関係ありません。

(私の夢の為に役立ってもらいます!)

まずは寝所に呼んで頂くために何かしらの策を講じなくては。


「あれ、何かあったのかな?」


そう意気込む私の前で、カロリーナが塀に手をついて眼下を覗き込みました。

見れば下の王国騎士団本部近くで軽い騒ぎが起こっています。


「あら?」


状況を知ろうと双眼鏡を覗いた私の目に、知った顔が映りました。






「ヘルマン騎士団長!」


慌ただしい本部前に到着します。

忙しそうに動き回る彼に声をかけると、そのきりりとしたお顔立ちは一転、苦虫を噛み潰したような表情になりました。


「ゲッ…貴様は、淫乱下着側室!」

「まあ失礼な!下着の名称を連呼したぐらいでそんな呼び名を付けて!私はれっきとした生娘です!殿方の陽物など受け入れたことのない正真正銘の未通女ですからほら!訂正してください!私は処女です!」

「わ、わかったからやめろ!」


真っ赤になって彼が手を翳します。

その動作で血が視界に映り、どきりとしました。


「怪我を…?」

「…かすり傷だ。任務も無事に遂行した。だが他の場所に派遣していた部下がまずいことになったらしい…」

「ヘルマン騎士団長!」


私のすぐ横を担架に乗せられた兵士が運ばれていきました。

(これは…!)

見れば本部の扉は開け放たれ、大量の怪我人が治療を受けています。


「君!すまないが手伝ってくれないか!?」

「え、ええ…」


医師らしき男性に呼ばれて、倒れ込むひとりの男性に駆け寄りました。

怪我人の腕の傷口を布で抑えると、真新しい布地に直ぐにじんわりと紅が広がります。

(そんなに大きな傷ではないのに…血が止まらない…?)

その様子を呆然と眺める中、部下らしき男性が駆け寄りヘルマン騎士団長の前に跪きました。


「報告しろ!」

「はい!王政に不満を持つ反抗勢力と戦った際の損傷です!すでに鎮圧は済んだのですが、魔術を施した剣で斬り付けられその傷口から血が止まりません!」

「回復魔術は効かないのか!?それぐらいなら出来る人間がいるだろう!」

「無理です!人数が人数ですし回復するよりも衰弱の方が早いのです。相手の魔術が強く上書きもできません!このままでは失血死します…!」


(出血を促進させる魔術…)

確かによく見れば、傷口のまわりに光る魔方陣が浮いています。

その間にも血は出続けていますしまだまだ効果が切れる様子はなく、私の頭にちかりと警鐘が鳴りました。


「へ、ヘルマン騎士団長…!上書きができないのなら、彼らにかかっている魔術を早く解除しなくては…」

「ああ!だが今宮廷魔導士も鎮圧で全員出払っている!あっちも余裕がない。民の命が優先だ。一般の魔術師に召集をかけたが…この混乱だ。いつ来られるか…」

「そんな…!」


ヘルマン騎士団長が必死で指示を出していますが、まだまだ運ばれ続けてくる怪我人に溜まる一方の血塗れの包帯、時間がないことは一目瞭然。

この男性もすでに意識がありません。


「ゆ、悠長にしていたら死んでしまいます!」

「わかっている!だがどうしろと言うのだ!他人の作った魔方陣の書き換えや解析は新規に描くよりも難しい!半端な魔術師には頼めん!」

「っ…!」


ばたばたと周りの喧騒が大きくなる中、必死で心を落ち着かせて魔方陣を目を見開いて観察します。

(これは時間操作の術式…)

傷口の組織のみ時間を戻して、永遠に新鮮な切り口に保つように計算されています。

だからいつまで経っても血が固まらない。

(解除の方法は…いえ、時間を戻す循環式を書き換えて時間を進める術式にすれば…!血が止まるどころか傷口が癒える!)


「…っ」


口を開きかけて、すぐにぱたんと閉じます。

今ここで魔女だと露呈してしまったら、私はどうなるのか。

先を考え迷うそんな自分勝手な私の指に、温かい感触がありました。

怪我人の男性が玉のような汗を浮かべて、朧気な意識の中で、私の手を掴んでいるのです。

まるで縋るように。

だんだん冷たくなりずるりと滑り落ちていくその手をーーーー力を込めて握り返しました。


「側室!もう良い!ここから離れろ!」

「私に…やらせてください」


あちこちに指示を出すヘルマン騎士団長を、覚悟を決めて見上げます。


「は…?」

「魔方陣の書き換え!私にやらせてください!」

「な、何を言っている…!?まさか…!貴様魔女か…!?」

「お借りしますね!」


回復魔術をかけていた魔術師から、数本魔術用の万年筆を引ったくります。

何だ何だと辺りは騒然としますがそれを無視して魔方陣に向かおうとして、ヘルマン騎士団長に肩を掴まれました。


「やめろ!女に魔術を使わせるなど…それを認めることなどできるはずがないだろう!」

「お言葉ですがッ!!」


怒号を掻き消すほどの私の大声に驚いたのか、彼の見開かれた瞳と空中でかち合いました。

その中に宿る清廉な光が、ほんの少しだけあの人に重なります。

けれどあの人と違って、彼に言われたところで何とも胸は痛まないのです。

だから自分でも驚くほど冷静に、私はヘルマン騎士団長を見据えました。


「人命と何の根拠も生産性もないその思想。どちらが本当に大切ですか」


(…私ときたら)

こんな状況なのに、いえこんな非日常な状況だからこそなのか、一瞬私の心はここには無く。

ああまた貴方を思い出してしまった、なんて頭の隅で思うのです。

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