第2話


「はあああ…!」


おはようございます。

ビビアナです。

早速こんな涎が垂れそうな顔をしてしまって申し訳ありません。

状況が状況で、これも仕方がないことなのです。

(なんと美しい表紙でしょう…!)

私の手元には本日入荷したばかりの魔術書。

有名な宮廷魔導士監修の元、製作された新作です。

その証拠に、革の表紙を飾る魔方陣は今まで見たことのない式が描かれています。

(これは何の術?基礎は召喚系統ですが、この部分の式は見たことがな…)


「おい何してやがる。まさかその本を買う訳じゃないだろうな」


さて、至福の時間を乱す粗忽者が現れました。


「…そんなことできません。あなたこそ何をしに」

「買いに来たに決まってんだろ。売れ店員」


くるりと振り向けば、背後に男性が立っていました。

こちらの殿方はセシリオという名のお猿です。

人間どころか動物に売るのは私の矜持が許しませんが、悲しいかな、私はこの村の本屋のいち店員にすぎないのです。

店長の初老の男性を起こし、しぶしぶ愛しい本を袋に入れて、金額を提示します。


「女が魔術本に触れられるのもどうかと思うけどよ。どうせ扱えやしないんだろうが」


セシリオの戯れ言が口火を切りました。

このお猿は私と同い年なのですが、何かと優秀な私を目の敵にし喧嘩を売ってくるのです。

ところが残念ながら私、「こわ~い」と両手で口元を隠し怯えるような演技はできません。

この瞬間、私の中で試合のゴングが鳴りました。


「あら。万年補修尽くしだった貴方がわざわざ新作を買うほど魔術を扱えるとは初耳ですね」


その言葉にセシリオの眉間に皺が寄ります。

私に向かって指をさしながら、下卑た笑いを浮かべてきました。


「忠告だ。陛下に気に入られたきゃ、本を売る前にシモの練習のひとつやふたつしていった方が良いぞ」

「私からも忠告です。貴方、パンツのお尻のところが破けて可愛いクマちゃんの下着が見えてますよ」

「はっ!?」


彼は脱ぐこともできないズボンを一生懸命隠しながら、大慌てで帰っていきました。

その背中を見送りながら、勝利の余韻に浸ることもなく私は深いため息をつくのです。


「練習ですか…」


思い出すのはセシリオの下品な言葉です。

まあ考えるまでもなく性交の練習のことでしょう。


「はあ…」


それができないから困っているのです。






「あーほんっと!腹が立ちます!!」

「……」


狭い洞窟内に私の声は大きく響き渡ります。

不満の内容はもちろん、先ほどの件です。


「何だってあんなお猿が買えて私が買えないのですか!金にものを言わせて新刊を買うは良いものの、結局扱えきれなくてすぐ捨てる癖に!」

「……」

「市販の魔術用の万年筆だって男性用しかないですし…!そのせいで私のか弱い指は今にも折れてしまいそうです!」


そう主張しつつ、手元だけはガリガリと動かします。

無言で聞いていた目の前の男性が、静かに口を開きました。


「少しも折れそうじゃないぞ…。女が魔術を扱うことは実際に禁忌とされているのだから仕方ないだろう」

「そうは仰いますけどね!なら具体的な理由を教えてください!」

「そんなの、」

「決まりや前例がない以外の理由でお願いしますね」


彼が不服そうに黙りました。

その間に書き終えたばかりの魔方陣をなぞり、きちんと式が噛み合っているか確認します。


「大丈夫そうですね。次は…」


万年筆を置き、魔方陣に手を当て詠唱を始めます。

ぼんやりと輝き、やがてゆっくり収束していきます。


「成功ですね。これなら前よりも広い距離を歩けますよ」

「早いな…!しかも1度も解くことなく…」


顎に手を当てて何事か思案していた彼が、ひとつの結論にたどり着きました。


「まさか…新規に描くのではなく、既存の魔方陣の書き換えを行ったのか…!?」

「ええ」

「そんな高等技術、一体どこで習った!?誰に教わったんだ!」

「…貴方が命を助けられた術に対してそのような物言いをする間は言いたくありません」

「む…」


再び黙りこむ彼を引っ張って、洞窟の外へと出します。

この方は罪人ですし、私の目的を達成していないのに逃がすわけにはいきませんから、魔術で拘束していたのです。

先日目を覚まし、自らご飯を食べられるようになったことで加速度的に回復が進み。

拭くだけだった体を洗いたい、動かしたいとの要望があったことと、危害を加えてくるような人物ではないことを確認しましたから、彼が動ける範囲を広げる為に拘束魔方陣を書き換えていたのです。


「ここは…すごいな…」

「良いでしょう?誰にも秘密ですよ」


外に出た彼から思わず感嘆のため息が漏れました。

私はきっと得意気な表情をしているのでしょう。

彼がいた洞窟は私の秘密基地の一部なのです。

そこから出れば優しい日の光が差し込む広場があり。

草や花が生い茂る場の中心には澄んだ泉。

更に窪地となったこの場所は外界からは見えず、辿り着く唯一の道も私の魔術で目隠しがされていますから、まさに秘密基地には持ってこいなのです。

実際に、隅に小さな小屋も建てました。

製作期間8年の力作ですが、今重要なのはそこではありません。


「さ。こんな美しい景色を見ていたら、性交する気になりませんか?」

「……ならない」

「体を動かしたいのでしょう?ならいちばん良い方法があると思いません?」

「思わない」


その一切寄せ付けない返答に、むうと唇を噛みます。

ああもう、うら若き乙女の悩みは尽きません。

先月拾いましたこちらの男性が、うんともすんとも私と性交してくださらないのです。

勘違いしないでくださいね。

私、別に淫乱な女だとかそういうわけではないのですよ。

むしろ生娘であることが問題なのです。

セシリオの言う通りといえば癪ですが、私ビビアナは国王陛下の元に側室として献上されることが決まっておりまして。

けれども経験がない中では陛下の寵愛を受けることなど不可能だと焦っていたのです。

そんな時に拾ったのが瀕死だったこの男性。

明らかに女性経験が豊富そうな容貌に、これは性技を指導頂ける千載一遇のチャンスだと確信しました。

さらには罪人ですから、己の欲望に弱い方だと勝手に期待したのです。

ところがどっこい、一体どこで道を踏み外したのか知りませんがこの方は好色家の真逆をいきます。

その堅物加減ときたら男色の気があるのではないかと疑うほどです。


「言い続ければそのうち押し負けると思ったのに、全然その気配も見えません…」


これでは何のために助けたのかわかりません。

私、性行為に関してはとんと経験がないので、お相手に任せるしかないと思っておりましたが、この方に任せていては、いつまで経っても私の太志には辿り着けないと判断いたしました。


「なので今回は一計を案じます」


男性が目的の場所に踏み入ったことを確認し、小さな声で詠唱し足で魔方陣を発動させます。


「は…?わっ!?」


彼の足元が光り輝くと同時に、その大きな体が草むらに沈みました。

近寄ると草や花にまみれた男性と目が合います。


「おい!なんだこれは!」

「先ほど魔方陣をこっそり追加しておきました。捕縛用の重力操作術式なので安心してくださいね」

「あっ安心できるかーっ!今すぐ解け!」


現在、彼の身には通常の3倍近い重力がかかっていることになります。

腕を上げることさえ辛いでしょう。

その大きな体の上に馬乗りになると、怪我に響いたのか、男性が呻き声をあげました。

申し訳ないですが、背に腹はかえられないと見なして無視します。


「とりあえず挿入までたどり着けば、あとは欲望に負けた男性が自然と腰を振ってくださるとカミラから聞きました!そうして成金のロベルトのことも手に入れたと!」

「誰だそれは!何をしてるんだその女もっ!やっ、やめろ!」

「どうせしこたま女性の股ぐらに突っ込んできたわけですから、今さらその数がほんのいちほど増えようが差し支えないと考えます!」

「ち、違う!とにかく話を聞け!」


まずは服を脱がそうとしますが、筋肉質な腕に抑えられてズボンが下がりません。

致し方ないので隙間からずるんと手を差し入れます。


「ん?」

「っ!!」


突っ込んだまま一体どれが本命の目標物か迷っていると、突然両手を抱えられ高々と上げられました。


「ぐっ…この…!」

「んっ…!魔術がかかっているというのに…馬鹿力ですね!ですが長くは持ちませんよ!」


ぐぐぐと少しずつ手を下げます。

ところが私の手が目標へと辿り着く前に、彼は意を決したように叫びました。


「俺はっ!童貞だ!!」


その重大告白は反響しあたりに響き渡ります。

先日の彼よろしく私も目をぱちぱち瞬きさせて、木霊が消えていく音に思わず聞き入ってしまいました。


「…それは」


腕の隙間から見える男性の顔は、茹でたタコよりも真っ赤です。


「それは…申し訳ないことをしました…」


何と言うことでしょう。

どうやら私、人選を誤ったようです。

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