閑話 白い騎士は悪企みをする
降りしきる雨の中、バーンズはレゲンダの街を走っていた。とうに日は沈み、月明かりもない街は、建物から漏れる光でぼんやりと浮き上がっている。そんな中、剣を片手にバーンズは息を切らせていた。
「っと、うまくまけたかな?」
物陰に隠れ、荒れる肩を押し殺しながら、バーンズは周囲を警戒する。バシャバシャと水跳ねの音は聞こえるが、かなり遠くなのか、小さい。兵士らが叫ぶ声も雨音が消し去っていく。
追っ手から姿をくらませること成功したバーンズはふぅと安堵の息を吐いた。
「ライラさんの家にはいけないから……匿ってもらうか」
バーンズは物陰から頭を出し、兵士らの影がないことを確認すると、雨の中を駆けだした。
彼が向かったのは、こともあろうに砦のすぐ近くの商隊の馬車だった。暗闇の中、馬車から漏れるわずかな光を頼りにバーンズはたどり着いた。
幌をおろしてある馬車に、バーンズは滑り込む。商品は端に寄せられ、大人四人が寝転べるほどの空間を作っており、そこに荷物番であろう若い男が馬車の床に寝そべっている。
「やぁフェーニング。邪魔するよ!」
「うわぁぁぁって、卿!」
驚きの顔で起き上がるフェーニングと呼ばれた若い男に片手で挨拶すると、バーンズは剣を床に置いた。すぐにびしょ濡れの外套から腕を引き抜き、次いで同じく濡れそぼった服を脱いでいく。服が重なる馬車の床には黒いしみがじわじわと広がっていく。
「……ずぶ濡れじゃないっすか」
「僕の身の心配はしてくれないんだ」
「たかが数人の兵士にやられる卿じゃないっすから」
「寂しいなぁ」
軽口をたたき合いながらも、フェーニングはバーンズが脱ぎ散らかした服をまとめている。幌の隙間からにゅっと腕をだし、ぎゅぎゅっと絞ればダバダバと水が滴り落ちる。
下着も脱いだバーンズは裸のまま荷物の中からタオルを探しだし、体を拭きはじめた。
「ライラさんの行方は?」
「砦に連れ込まれたっす」
「見張りは?」
「彼女の家に兵士が張りついてます。砦は平和そうっす」
フェーニングは呑気に言いながら絞った服をバサッと広げた。
「そっか。あの
「兵士の影はなかったすね。もしかしたら奥さんは知らないのかもしれないっす」
「彼も後ろめたさは感じてるんだろうね」
バーンズは探し出した下着を履いて腰に手をあてた。ライラが見たら喜びそうな引き締まった肉体を惜しげもなく披露している。もっとも見ているのはフェーニングだけであるが。
「卿、早いとこ何か着てください。男の裸を見るなんて訓練だけで十分っす」
「はいはい」
そういわれたバーンズはそそくさと荷物の中から服を探し出した。さっと着てしまえば、そこには王子様ではなく、イケメンの平民になったバーンズがいた。
「イケメンはいいっすね。何着てもカッコいい」
「面倒も多いけどね」
「かーーそんな苦労をしてみたいっすね」
呆れながら濡れているバーンズの衣服をたたんでいる彼は、栗毛を刈り込んだイガイガの頭をした、まだそばかすが残る男子だ。年齢は十八歳。面長で、ちょっと馬面だ。残念ながら女子からの優先度合いは低い男子だった。
バーンズはそんなフェーニングを見て微笑んでいる。
「フェーニングにも、そのうち良い出会いがあるって」
「なんすか、惚気っすか? 嫌味っすか? 嫌がらせっすか?」
「そこまで卑下しなくても」
「どうせ俺はモテない男子っすよ」
フェーニングがンベっと舌を出す。そばかすもあってか、幼く見えるところも、彼が女性から敬遠される要因でもあるのだが、本人はどこ吹く風だ。
「僕がライラさんに巡り合ったみたいな運命的な出会いがあるって。心配しなくて大丈夫だよ」
「卿……それほど、ゾッコンすか?」
「僕には責任があるんだよ」
バーンズは少し俯き、悲しそうに笑った。フェーニングは怪訝な顔でバーンズを窺う。
「襲った責任っすか?」
「どっちかっていうと、僕は襲われた方なんだけども」
「城の綺麗どころには手を出さなかった生真面目な卿がソッコーで陥落したって、殿下が愕然としてたらしいっすよ。どんな女なんだか見せろ、いや俺が見に行くとかなんとかって話を聞いたっす」
「ハハハ、殿下に会ったら何を言われるやら。想像したくないなぁ」
バーンズは照れ隠しに頭をがりがりと掻いた。そんな様子を見たフェーニングの表情が呆れに変わる。
「恋は盲目って、ほんとだったんすね。死んだばーちゃんの言うことにも、真実はあったんすねぇ」
フェーニングは腕を組み、ヘラりと笑うバーンズを見ていた。
蝋燭の明かりしかない馬車の中にバーンズとフェーニングの他に男がいた。中年手前だろうという顎髭の厳つい男性で、商隊を率いる隊長のランサーだ。
バーンズはふたりに目配せをし、口を開く。
「はむかう兵士は拘束すること」
「兵士相手に徒手空拳ですか?」
眉を寄せたランサーが顎に手を当て唸る。厳つい顔が迫力を増した。
「怪我人が出たらライラさんが悲しむだろ?」
「難易度高いっすよ……」
しれっと言い切るバーンズに、フェーニングが項垂れた。いまのバーンズに進言しても無駄だとわかっているからだ。
「
ランサーの目が細まる。〝確保〟との言い方は、つまり人質を取るということだ。
「いや、それはやめておこう。そっちに兵力を分散するのは愚策だ。彼ら相手に人質を取っては殿下の威信にも関わる」
「正々堂々と正面突破すか……はぁ、カッコいいっすね」
平手で顔をベシンと叩いたフェーニングが上を向いた。最悪の事態だ、と思っているに違いない。
「フェーニング。ぶつくさ言ってると君の給与評定下げちゃうよ?」
「さらっと悪魔のようなこと言いますよね、卿って」
「ライラさんのためなら、僕は何でもするよ?」
泣きそうな顔のフェーニングに対し、バーンズも容赦ない。爽やかスマイルで慈悲なくぶっ刺す。
「……騎士団の女子どもが黙っちゃねえですな」
胡坐をかいたランサーが、足に肘をつけた掌に顎を乗せてため息をついた。そんな彼の顔を見ても、バーンズは微笑んでいた。
「僕が憧れるのは、苦労を乗り越え、心が強くて、信念を持っている女性。そんなライラさんといるとスゴく楽しいんだ。それに僕は彼女に不幸を背負わせてしまった償いをしなきゃならない。この身が朽ちるまで、ライラさんに尽くすつもりさ」
「殿下が聞かれたらなんとおっしゃるか……」
「忠誠を誓ったのは殿下だけど、僕の身と心を捧げるのは彼女だ」
恍惚の表情でどこか遠くを見ているバーンズに、ふたりはありえないという顔になる。
「城の女性たちの嘆く姿が浮かびますなぁ……」
ひたすら真っ直ぐな目のバーンズを見て、ランサーは呆れとも感嘆ともとれる息を吐いた。
バーンズの意志は変わらない。子を授からずに夫を失い、己の意志とは関係なく巻き込まれたライラを憐れむ気持ちはあるが、それが芯にあるわけではない。
それでも尚生きることに前向きなライラが好きなだけだ。彼女の中に夫であった男性が生きていようと、バーンズの気持ちは揺るがない。
「……ここに来てから卿は変わりましたね」
「女神に逢ったからね」
バーンズは今日一番の、会心の笑顔を見せた。
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