第二十三話 囚われの姉御は闇に怯える

 階段を足音が昇ってくる。ガツガツと床を鳴らし、イエレンと兵士ふたりが牢の前に立った。

 厳しい顔のイエレンに見下ろされ、ライラは悪寒を感じたがぎゅっと拳を握りしめ、耐えた。

「彼には逃げられてしまいました」

「……それはご苦労様」

 冷たい目のイエレンに対し、ライラは精一杯の嫌味を送った。手を縛っている縄がないことに気がついたのか、イエレンの目が鋭く細まる。

「いつのまに」

「女は隠す場所が多いんだ」

 それでも無感情に話すイエレンに、ライラは強がる。バーンズが来る可能性も捨てきれないのもあるが、何より、今は弱みを見せてはダメな気がしたからだ。

「……そういうことですか。さてライラには一緒に来てもらいますよ」

 そう言うと、イエレン無表情に牢の鍵を開けた。ライラを人質にするつもりなのか、牢から出すつもりらしい。今のライラに拒否する権限はない。従うのみだ。

「待て、どこに連れて行く気だ」

「閣下はそこでおとなしくしていただけると、大変助かります」

「くっ!」

 イエレンは表面上は慇懃に対応している。ただ言葉の端には棘が見えることから、ふたりの仲が窺い知れる。

「ずぶ濡れで気持ち悪いんだ。せめて着替えとかないのかい?」

 牢から出ながらライラが愚痴る。本当は怖くて震えそうだが、何か話していないと崩れてしまいそうだった。

 姉御っぽい性格だが、ライラは女性だ。弱者である彼女はされるがままの状況に置かれ、不安だった。

 ――バーンズ君が無事に逃げおおせたのは、僥倖かな。さてあたしはどうなっちゃうんだかね。

 前にイエレン、後方を兵士に挟まれたライラは、牢に取り残されるミューズを一瞥して踵を返した。


 手すりを頼りに階段を下りるライラの耳にはガヤついた男たちの声が入ってくる。おそらく兵士の声だろうが、数は多くないとライラは感じた。

  ――軍の兵士全てが関わっているわけじゃなさそうだね。

 根拠はないが、ライラはそう直感した。レゲンダの軍属すべてが関わっていれば自ずと話が漏れるだろうが、ライラは知らなかったのだから秘密を守れる人数だったはずだ。

「ライラには着替えてもらおう。濡れた服では気持ちが悪いだろう」

 階段を降りるイエレンが振り向いた。その表情は変わらない。

ここにあたしの着替えはないよ」

「大丈夫だ。ライラにおあつらえ向きを用意してある」

「……死に装束でも誂えたのかい?」

「期待していい」

 イエレンがにやりと笑った。無表情だったイエレンの笑みに、ライラは不吉な予感を覚えた。

 階下の部屋では兵士たちが椅子に座り、くつろいでいた。広くはない部屋に、テーブルがふたつ置かれ、そこに兵士が五人。雨で冷えた体を温めるように酒も入っているようで、少し頬が赤くなっている。

「おう先生、愛しの彼に捨てられちまったか?」

 ライラは赤ら顔の兵士に声をかけられた。他の兵士もニヤニヤと顔を歪めている。ライラはムッとした。

 ――良く考えりゃバーンズ君に拾われたわけじゃなしいね

 寂しい考えだが、そう思えば怒りも静かに冷えていく。

「もっと胸がありゃなぁ」

「あと愛想な」

「ははは、違いない」

 兵士の言いたい放題もライラの耳から抜けていく。事実だけにむかつきもするものの、ライラは彼らを一瞥し、記憶をたどった。

 ――あー、王都との連絡部隊か。なるほどね。

 軍医であるライラは兵士の顔を良く知ってい今いまいるのが軍では伝令部に所属する兵士たちで、王都から情報を持ち帰ったのも彼らだ。イエレンが王都との連絡係として使っているのだろう、とライラでもわかった。

「お前たち、ほどほどにしないといざという時に命を落とすぞ」

「うへぇ」

「おー怖い怖い」

「まったく、お医様は愛想のない人間ばっかりだ」

 イエレンの一喝に兵士らは肩をすくめた。彼らが堪えていないところから、これは日常なのだろうとライラは察した。

 兵士も全てが志高く行動しているのではないと窺え、ミューズのことも考慮すれば、彼らは一枚岩ではないと推測もできた。

 ――だからといって、あたしが何かできるわけじゃないけど。

 イエレンの背中を漫然と眺めながら、ライラはそう思った。

 兵士の部屋を出ていくつかの廊下の角を曲がった先の扉の前でイエレンが止まった。夜間ということもあってか、廊下で誰かとすれ違うこともなかった。ランプに照らされた廊下もどこかうすら寒く、そのことがライラをより不安にさせる。

「ここに入ってください」

 イエレンが目だけで指示をしてきた。

 ――人質として扱うんだったら、殺されるってことはないと思いたいなぁ。

 拒否する権限はないと知っているライラはじっとその扉を見てつばを飲み込んだ。息を吸い目を閉じ、腹に力をこめ、弱気な考えを頭から追い出す。静かに目を開き取っ手を握ると、扉はギギと錆びついた音を立て、開いた。

「……真っ暗じゃないか」

「明かりをつけてませんからね」

「……あたしに何をする気?」

「取って食うわけではありません。ライラにおとなしくしていてもらうための、合理的な方策です」

 暗い部屋を前にし、イエレンは「合理的」という単語を殊更強調した。

 ――押し倒されて犯されるとか、痛い目は嫌だなぁ。

 入れ込んだはずの気合は闇に吸い取られ、ライラは不安で押しつぶされそうだった。

 密室に男三人と詰め込まれる。廊下には人影はなかった。考え付くのは、悍かおぞましい想像ばかり。

 ライラとてまだ三十路前だ。女としてもまだ若いと言える。としても、十分な年齢だった。

 背筋に嫌な汗が流れる。

「さっさと入ってください」

 イエレンに背中を押され、ライラはたたらを踏みながら部屋へを入ってしまった。

 背後ではボウッと蝋燭に火が点された音がする。その音がするたびに部屋が明るくなっていく。

 部屋には執務机と思われる大きめな机。来客用なのか、長いソファと低いテーブルのセット。カーテンがあるからそこは窓だと想像できた。残りの空間は本棚だった。

 扉は入ってきたものしかなく、逃げるとすれば窓しかない。

「ライラ」

「うひぃ!」

 抑揚のないイエレンが呼ぶ声に、ライラは情けない悲鳴を上げてしまう。後ずさりながら振り返った。

「……とって食うわけではありません」

 イエレンが呆れたという視線を刺してきた。背後の兵士は廊下に残っているのか、部屋には彼の姿しかない。

 ライラの恐怖は少しだけ減った。が、危険が去ったわけではない。この部屋に連れてきた目的が分からない以上、気は抜けない。

 彼は、そんなライラの心情を知ってか知らずか、部屋の隅にずかずかと歩いていく。

――今のうちに扉から逃げる……ってわけにもいかないか……

 扉を開けても兵士がいる。すぐに捕まるだろう。そうなれば最悪の想像通りになってしまいそうで、ライラはブルリと震えた。

「貴女にはこれを着てもらう」

 イエレンが服を差し出してきた。丁寧にたたまれている、青い布だ。結構な大きさで、おそらくはスカートだろうと予想できた。

 ライラは想いきり怪しみながら、その服を受け取る。そしてばさっと広げた。

「……なんか立派そうなワンピースだけど、これを着ろって?」

「えぇ。貴女を大人しくさせるのは、それが一番でしょう。普段身に着けることはないスカートでは、派手に動き回牢と思わないでしょう?」

 抑揚のないイエレンの言葉よりも、いま手にしているワンピースの方が、ライラにとってはよほど憎らしかった。

 ――あたしにはスカートは似合わないんだよ。

 顔が中世的であり髪も短く胸も薄いライラは男と間違えられる。そんな彼女がスカートをはくと、男がはいているようにも見えるのだ。

 幼いころこそはいていたが、大人になってからは身に着けることはなかった。ある種トラウマと言える。

 それを分かった上で、イエレンは着せようとしているのだ。もちろん、ライラの行動を阻害する目的もあるのだが。

「以前、閣下が貴女のために買っておいたもの、だそうです」

「は?」

「真偽はともかく、さっさと着替えてください」

 言い捨てるとイエレンは扉に向かって歩いて、そのまま出てしまった。ひとり残されたライラは真新しい青いワンピースを抱え立ち尽くす。

 ――ミューズが?

 ライラはその青いワンピースを、じっと見つめた。

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