第二十二話 囚われの姉御は胸を痛める

「すっかり騙されてたっぽいね」

「私は……」

 ライラの言葉にミューズが項垂れる。そしてそのまま床にべしゃりと座り込んでしまった。ライラも壁に背を預け腰を落とした。

「バーンズ君が言うには、そっちの殿下の背後にも貴族はいるっていうじゃないか。なのに貴族を追放なんてできるのかい?」

「……できぬな。彼らがさせまい」

「ま、バーンズ君の話も合ってるかって保証はないけどね」

 ライラは胡坐をかき、縛られた手足にのせた。ミューズが顔をあげ眉を顰める。

「彼とは親しくしているのか?」

「まぁ、頼られてる感はあるよね。バーンズ君にとっちゃここは敵地な上に土地勘はなし。協力者が欲しい気持ちは分かるよ」

「それだけか?」

「まぁ、今のところ」

「今のところ、か」

 ミューズが大きく息を吐いた。ライラは怪訝な顔で彼を窺う。

「なーに閣下、あたしのこと本気で狙ってたの?」

「娘程度にしか思っておらん。彼からどれほどのことを聞いてしまったかが気になっているだけだ」

「妹でもないんだ」

 ミューズにぴしゃりと言われてライラは少し落胆した。ミューズの娘の年齢ならば十は年下だ。そこまで幼く見られていたなど、ショック以外の何物でもない。

「妹と思ってほしければ、もっと女性らしい行動をすべきだな」

「はっ、不良娘で申し訳ないね」

 ライラは壁に後頭部をつけた。壁の冷気が頭に忍び寄ってくる。煙管が欲しくなったがあいにくの雨で濡らしたくないばっかりに診療所に置いたままだ。

「……貰い手が現れなければ引き取るつもりではいたがな」

「閣下、どっちなのよ」

 ミューズの物言いにライラはブハッと呆れの空気を吐き出した。こんな状況でも笑い声が出るものだと、ライラも不思議に思う。

 だがミューズの眉はあからさまな不機嫌さを示していた。

「で、彼はお前をどう思っているのだ?」

「さぁてね。仕事先で女を作るなんて、騎士らしくないよね」

 ライラは自嘲的な笑みを浮かべた。

「彼は遊びなのか?」

「まぁ、バーンズ君は王都に帰る身だしねー」

 はぁぁぁぁ、とライラは天井を見上げた。

 ――バーンズ君は無事に逃げられたかねぇ。

 松明に照らされた天井は、とても汚れていた。バーンズに対する自分にも思えて、ライラは肩を落とした。

「王都にいたバーンズ君からは、あたしはどう見えてたのかね」

「……お前でも恋する乙女みたいなことを言うんだな」

「乙女心なんて物置にしまいっぱなしだよ」

「この騒ぎで気もそぞろに物置から出てきたのかもな」

「なにそれ?」

 牢に入れられ、気でも触れたのかと思ったライラは隣のミューズに顔を向けた。ミューズはいつの間にか壁に背をつけ、同じように胡坐をかき天井を見上げ、難しい顔をしていた。

「……私もお前も、期待を裏切られたというところか」

「ま、そんなとこかねぇ」

 ライラの胸がチクリと痛んだ。

 ――助けにくるって言ってたけど、その前にあんたが無事に逃げないとそれすらもおぼつかないって。

 びしょ濡れで冷えた衣服がずっしりと身体にのしかかっていた。その重みが心まで冷やし、一段と下げていく。ライラはそれを追い払うように頭をブンブンと振った。

 このままここにいても好転するなんてことはない。バーンズの助けもあてにはできないとなればここから脱出するしかない。ライラはそう考えた。

「閣下、ここからに逃げる手立てとか」

「手がこれではな」

 ミューズが縛られている手をゆっくりと持ち上げた。


 ライラは座り込み、壁を背にし、目の前の格子を眺めていた。牢の前に見張りの兵士はいない。この塔への入り口は一つしかなく、そこに見張りの兵士がいるからだ。

 ライラは縛られている手を腰の横に回しズボンのポケットを探った。そこには念のために隠し持っていた、手術用の刃物がある。戦うことはできないが何かの役に立つかも、と思い持っていたのだ。

 取り出した刃物を器用に指で逆手に持ち、手首の縄に刃を当てる。一気に切ることはできないが、力をこめればザクザクと縄に食い込んでいく。

「よし、切れた」

 縄はぽとりと床に落ちた。ライラは縛られて赤くなってしまった手首をさすり「まったく、あたしも一応女性のくくりなんだけどねえ」と愚痴た。

「どうせ牢から出られやしないんだから」

 ライラは縄を切って濡れた外套を脱ぎ、牢の壁際にぽいっと投げた。隣の牢ではミューズが鋭いはずの目をカット見開いている。

「……ライラ、何をした?」

「あぁ、これさ」

 ライラはニヤッと笑い、手術用の刃物を見せた。

「ほら、閣下のも切ってあげるよ」

 ライラがミューズの牢に近づけば、彼も立ち上がり寄ってくる。差し出された両腕の縄を慎重に切っていく。はらりと縄が落ち、ミューズが大きく息を吐いた。

「身体が冷えると風邪ひくよ」

 ライラが濡れそぼった上着を脱ぎ、ぎゅっと絞っている様子を、ミューズが眉間に青筋を立てて見ている。肌着姿とはいえライラは女性だ。男に間違われるほど胸が寂しくとも女性だ。

 真面目で、ライラを妹のように考えていたミューズは一言申したかったろうが、ここで大きな声を上げると兵士が来てしまう。お前は女の慎みというものを物置にしまいこんだままなのか、と言いたいのだろうが、ぐぬぬと唇をかみ、耐えていた。

 怒りを通り過ぎ呆れに変わったころ、肩を落としたミューズはため息を吐きながら外套を脱いだ。

「これからどうしよう」

 水気を絞って少しはましになった上着を羽織ったライラがミューズに問うた。

「牢なら秘密の外し方がある」

「それって牢の意味が……」

 冷静に答えてきたミューズに、ライラは呆れ顔だ。閉じ込めておくべき牢が外せては中の人物が逃げてしまう。

「ここは牢でもあるが隠し場所でもある。兵士がいる場所を介してしかこれぬ場所だ。匿うにはうってつけだ」

「……牢だけどね」

 ライラ頑丈そうな格子に触れた。ライラが掴めるギリギリの太さで、これが外れるなど考えられない。ライラの呆れ顔など気にもしないミューズは話を続けた。

「カモフラージュは必要だ」

「つーかさ、イエレンはそれを知ってるの?」

「知らぬだろうな。これを知っているのは……私くらいなものだ」

 ミューズは腕を組み、記憶を反芻しているようだ。

「まーイエレンは軍医だしね」

「だが、ここから抜け出したとしても、どうにもならんな」

 ミューズが顎に手を当て額に皺を造った。ライラもミューズも戦闘力という点では一般人にも劣る。しかも武器らしいものもない。力技で出そうすることは明らかに困難だった。

「バーンズ君が来てくれると良いんだけど」

「彼が来ると思うか?」

「任務で来てるって言ってたし、何より王都で女子供が犠牲になっていることを悲しんでる感じではあった。色々辛い状況を見てきたんだろうから解決のために頑張るとは思うけど」

「だが、一旦引き揚げて態勢を整えるかもしれんな」

 ミューズの表情が一際厳しくなる。情報を得たこと、形勢が不利な事を踏まえての、軍人らしい判断だった

「……それじゃあたしたちはこのまま?」

「人質としての価値はあるからな」

 ミューズとライラの視線がぶつかる。その価値があるのはお前だ、との無言の指摘だ。

「バーンズ君にとって、あたしはからかい相手でしかないって」

 ライラ胸の痛みを誤魔化すよう視線を逃がす。本当はそうではないことを祈る心には蓋をした。

「遊びであそこまで肩入れするものか」

「遊びじゃなくって任務だよ。バーンズ君だってとは別な殿下に忠誠を誓ってるんだろうし。使える者は使ってでも達成したいんじゃないかな」

「であるならば、お前が協力者なのだから、当然助けに来るだろう」

 ライラは苦い顔になった。脳裏にバーンズの言葉が蘇ったからである。

「任務達成には犠牲もいとわないって言ってた」

 ――犠牲は小さくするって。その犠牲が本当にあたしになっちゃったね。

 胸の軋みが絶叫へと変わっていくことに、ライラのただただ気がつかないふりをするのだった。

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