第二十一話 翻弄される二人の男

 バーンズは青い瞳に殺意を湛え、雨の中、剣を握り佇んでいた。滴る水滴が目に入っても、瞬きもしないままだ。背後から肩が強く掴まれ、ライラは「痛い」と悲鳴を上げた。

「今すぐライラさんから離れれば命は助けましょう」

 低くかすれた声のバーンズが一歩踏み込み、バシャリと地面にたまった水を撥ねた。普段のバーンズからは想像できない、仮面のような無表情さだった。

 ミューズが肩から手を外したが、彼はライラの肩に腕を回した。まるでバーンズからライラを守るかのようだ。

 怒りからか表情をなくしたバーンズの顔に、ライラの背筋が凍りだす。整っているからこそ、怜悧だった。

 へらっとした笑みがそこにあったとは信じがたかった。

「彼を捕えろ!」

 ミューズが叫ぶと、雑多な水跳ねの音が響く。簡易的な革の胸当てや腕をカバーする防具の兵士らが槍を携えて現れた。彼らはミューズの命でライラの家の周囲に隠れていた兵士だ。

 彼らは槍を腰だめにし、バーンズと相対した。狭い路地ゆえに、三人並べば道を封鎖できる。ライラは兵士の背中越しに、剣を構えるバーンズを見ていた。

「バーンズ君!」

「薬職人の家には、誰もいませんでした」

 心配するライラの声にこたえるためか、バーンズが叫びだした。

「しかも突然いなくなったかのように、食器や道具もそのままに。夕刻まで待ち構えていましたが、帰ってきませんでした」

「いない?」

「勝手に人の家に忍び込んだとは、騎士の風上にも置けぬな」

 ライラの声を遮るように、ミューズも叫びだす。槍を向けられて尚無表情でいられるバーンズに安心と不安の両方を抱えるが、ライラには何もできない。周囲に立ち込めはじめた泥の匂いを、荒くなった呼吸で感じ取るだけだった。

「貴方は何をしているかわかっているのですか!」

「騎士と名乗る、誰ともしれん若者に、レゲンダが勝手に荒らされることを見過ごすことはできん」

「騎士でない……あぁ、なるほど」

 バーンズの口角が、ほんの僅かだがあがった。雨に濡れた妙に色気のあるその顔に、ライラの胸がざわつく。

「王都の軍の諜報もその程度ですか」

「負け惜しみをッ」

 バーンズに似合わない台詞に不穏を感じたのか、ミューズの声勢が荒れた。

 降りやまぬ雨の中、睨み合うふたりの男。聞き漏らすまいと、ライラはじっと耳を傾けていた。

「その辺にしておいてもらえますかね」

 雨音に紛れたバーンズでもミューズでもない男の声に、ライラはハッと我に返った。続く水を踏みつける多数の音。声の方に振り返ったライラが見たのは、ずぶ濡れの男、イエレンだった。

 茶色の髪を首の後ろでくくっただけだが、雨でその髪も首にへばりついている。細身の体には軍の外套を羽織り、厳しい目つきで立っていた。

 いつからいたのだろうか。背後に武装した兵士を連れ、怖い顔で佇んでいた。

「……イエレン?」

 予想外の人物の登場に、ライラの緊張は増した。

「ライラさん!」

「おっと、大人しくしていただきたいですなバーンズ殿。迂闊に動くとライラの首が飛びますよ?」

「ひっ」

 イエレンの合図でライラとミューズの首もとに兵士の剣が向けられる。濡れた剣先が歪に光るとライラはビクと震え、言葉をなくした。

「イエレン、お前ッ!」

「閣下、あなたもですよ」

「ぬうッ」

 突きつけられた剣を睨むミューズの顔が歪む。参謀であるミューズは基本武装をしない。年齢もあり訓練よりも政が多いミューズは民間人と変わらない。兵士に突きつけられた剣を跳ね返すことはできなかった。

 ライラも茫然として向けられた剣を眺めていた。背筋をはい回る悪寒は雨の濡れたせいだけではない。視線をずらすことができず、身体も恐怖で固まっているのだ。

「ふたりは預かります。妙なことはしないでさっさと王都へ帰った方がよろしいかと」

「ライラさん!」

 イエレンの冷たい声に続いてバーンズの叫びが耳に入る。ライラがぎこちなく振り返ると、バーンズの青い瞳と交差した。彼の視線が強くなる。

「必ず、助けに行きます! だから大丈夫です!」

 バーンズの姿は兵士の体に隠れて見えなくなった。ライラの腕が掴まれ、ぐっと引かれる。だがライラは兵士と睨み合うバーンズを見続けた。

 彼がどれほど強いのか、ライラは知らない。いまも槍で武装した兵士と相対し、しかも雨で視界も足元も悪い。長剣を持っていることが幸いだったが、形勢は不利だろう。

「バーンズ君。こそ大丈夫なの!?」

 叫ぶライラはバーンズに顔を向けたまま、引きずられるようにその場から連れ去られた。激しく水を撥ねる音だけが、ライラの耳に入った。


 ライラは兵士に囲まれたまま砦へと連れ込まれた。砦と仰々しい名前がついているが、実のところ行政のための庁舎に見張り用の塔をくっつけただけの建物だ。

 だがその塔は建物の真ん中に建造され、元あった庁舎のデザインを亡き者にし、明らかに異様な風体を醸し出していた。石造り二階建ての、なかなか趣のあった四角い庁舎に、力任せに作り上げた無骨な塔が、国境の街にはお似合いではあった。

 その塔は見張りと牢屋も兼ねており、ライラはそこに拉致された。

 塔の内部の螺旋階段を、ずぶ濡れのまま縄で手を縛られ、ライラは一歩一歩昇っていく。螺旋階段には手すりがあるが縛られた状態では掴むこともできない。滴る水とぐちゃぐちゃのブーツで足元が滑りやすくなっていて、自然と慎重な足運びになっていた。

 前には同じく手を縛られたミューズが歩いている。こころなしか彼の肩が下がって見えた。

 ミューズとイエレン。

 仲間ではあるが、なにか齟齬があるのだろう、とライラは感じたが、だからと言ってどうすることもできない現状に、思考を止めた。代わりにバーンズの安否が気遣われる。

 武装した兵士と睨み合っていたバーンズは無事だろうか。自分という人質がいなくなったら、自由に動けるから逃げることも可能だ。

 脳裏にバーンズのへらっとした笑顔が浮かび上がる。

 ――あたしのことはいいから、ともかく無事で。

 縛られた手を額に当て、祈るようにバーンズを案じた。

 明かりは前後を歩く兵士が持っている松明のみ。窓などない薄暗い階段はライラの気持ちを底冷えさせていった。

「さて、ここでおとなしくしていてください」

 ライラは太い木材で作られた牢に案内された。同じ牢が真ん中の通路を挟んで二つずつ、計四つある。その二つに、ライラとミューズは別々に閉じ込められた。

 松明が備え付けられた格子は頑丈に見え、ライラが体当たりしたくらいではびくともしないだろう。もっともその程度で壊れてしまえば牢としての意味はないだろうが。

 ガチャリと入口が閉められ、鍵がかけられた。格子の向こうからイエレンの冷えた瞳に見据えられ、ライラの肌が粟立つ。

「イエレン! 何のつもりだ!」

 隣の牢からミューズの怒声が響いた。イエレンは彼を一瞥し、またライラへと視線を戻した。

「見張りをつけておいてよかった」

「なんだと!?」

「閣下を焚き付ければ彼が動くと睨んだまではよかったのですが、まさかライラにそこまでの情報がいってるのは誤算でした」

 ミューズの語気にイエレンの目が細まる。

「ライラが彼に脅されているというのは、嘘なのか!」

「くくっ。閣下ともあろうお方が、疑いもせずに信じきっておられて。そこまで心配だったのですか?」

 イエレンは拳を口に当て、小馬鹿にするように小さく笑った。 

「ライラの言ったことは。まことなのか!」

「えぇ、遠からず、といったところでしょうか」

「では、軍からの資金は、どこから来ていたのだ!」

「汚い金ではありませんよ? 殿下から賜ったありがたい金です。疑うなど、不敬にあたりますよ?」

 イエレンは背に手を回し胸を反らしている。まるでその殿下の代わりに下々に語っているかのようだ。濡れた衣服が纏わりつく苛つきもあり、ライラは激しい嫌悪感を覚えた。

「まさか、あんたが関わってたってこと?」

 その感情が言葉の棘として出てしまう。

「何をするにも金は必要です」

「だからって!」

 あくまでも冷静なイエレンに、ライラはかっとなってしまう。

「王都の貴族たちが苦しもうと、我々はなさねばなりませんので」

「苦しんでるのは貴族だけじゃないんだろ? 小さな子供が売買されてるって聞いた!」

「その情報の確かさは? 彼が語っただけであって、貴女がその目で見たわけではないでしょう?」

「ぐ」

 痛いところを突かれ、ライラは言葉を失った。バーンズが語ってくれただけでライラが実際に見たわけではない。伝聞でしかないのだ。

「殿下は約束してくださった。王位を継いだ暁には、貴族を駆逐する、と。あなた方の処遇は追って決定いたします。そこでおとなしくしていてください」

 言い捨てると、イエレンは兵士を連れ、階段を下りて行った。

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