第二十話 ちょっと意味が分からない
降りやまない雨で沼と化した道を、ライラとミューズは並んで歩いていた。厚い雲に遮られて、あたりはいつもより薄暗い。
ライラは右を歩くミューズの挙動を警戒しながら、外套を打つ雨を潜るように歩いている。
「雨も久しぶりだな」
外套越しにミューズの声が聞こえた。
「最近は良く晴れてたからね。これで野菜も一息つけるんじゃないかな」
「例年並みの収穫が期待できそうだな」
「そうだね」
歳の離れている二人に共通の話題はない。しかもライラは彼を警戒している。雨で湿った空気よりも重い気配が、ふたりを包んでいた。
「閣下はさ」
「む?」
沈黙を破ったライラに、ミューズの鋭い視線が刺さる。フード越しではあるが、重圧を感じてしまう。
「王都って行ったことある?」
「……年に数回ほど訪れてはいる」
「どんなとこなの?」
「どんな、か」
答えあぐねているているようにミューズのフードが上を向いた。雨粒が当たるのを気にしないのか、彼の頬はすぐに濡れそぼった。
「華やかな都ではあるが、そこには影もある。裕福と貧困が混在している街、というところか」
「貧困?」
「王都に憧れてきたものの、生活の基盤を作れずに住む場所さえも無くなった者達がいる。華やかなれどよそ者を受け入れるほど、庶民に余裕はない。富めるのは一握りだ」
雨に濡れた苦々しい顔で、ミューズは語る。
「王様とかは、何もしないのかい?」
「王家は
吐き捨てるようなミューズに、普段の冷静さは見られない。熱くなるなんて珍しい、とライラが驚くほどだ。
「地方都市の犠牲の上に成り立つ砂上の楼閣で偽りの繁栄を謳歌している王族や貴族など、あてにはならない」
「ふーん、ひどいもんだねぇ」
ライラは相槌を打ちながらも、頭の中では違うことを考えていた。ミューズの言っていることは正しく感じるが、それが正しい話なのかを疑問に思っていた。王都のことなど全く知らないライラには、ミューズの言っていることの真偽が分からないのだ。
――それが王様には伝わってないってこと?
バーンズは、女子供が売られていく現状を語った。現在、バーンズが騎士団にいるかいないかは脇に置いたとして、彼は虐げられる人々の存在を知っていたのだ。犠牲は王都の中にもあるのではないか。
バーンズは悪魔の薬が王都の治安を悪化させていると語った。そのために麻薬捜査と偽ってレゲンダに来たのだ。
――うーん、つじつまが合わないねぇ。
ライラは首を捻った。
「だからこそ……」
ポンチョで隠れているミューズの身体が強張った。ライラの肩もビクリと跳ねる。
「この状況を何とかせねば、と思うのだ」
ギリと音が聞こえそうなほど拳を握りしめたミューズが呻いた。ライラは横目でそれを見ている。
「……まぁ、わからなくもない話だけど、だれがそんな大それたことをするのさ?」
「唯一、ノインバック殿下はこの状況を嘆いておられる」
「……誰?」
「王国の第二王子だ。あの方は、苦労するならば国民は等しく苦労すべき、との考えをお持ちだ、身分を隔てることなく、貴族も平民も等しくその労働で汗を流せ、と」
歩きながらだが、ミューズが熱く語りだした。だがライラの頭は逆に冷えている。
――貴族の労働って、なに? 等しくって言ってても、その階級は崩すつもりはないんだ。そんなの、口だけじゃないか。
ライラはそう結論付けた。
王都が地方の犠牲に成り立っているというならば、貴族の繁栄も平民の犠牲の上に立っているのではないだろうか。等しく苦労しろというならば、その区別している階級とやらを壊せばいい。
レゲンダでは、楽をして生きている人間はほとんどいない。みな苦労している。それは、目の前のミューズも例外ではない。
軍属ではあるが、ミューズはレゲンダを統治している階層にいる。だからと言って住民に対して高圧的に接してはいない。孤児院で遭遇した時も、子供らは警戒も邪険にも扱っていない。
子供は悪意に敏感だ。特に親を失った彼らは。
その彼らはミューズの接近に対し、身構えることはしていなかった。
――ミューズ的には、正しいと思ってやってるんだろうな。もしかしたら、コトリネが悪用されていることも知らないのかもしれない。
ライラは口を固く結ぶミューズの横顔を見て、そう感じていた。
バーンズを敵対視するのも、騎士階級というのもあるだろうが、正しいことをしている自分たちの邪魔をしに来たと認識した結果なのかもしれない、と。
「ふーん、みんなが苦労すると国はよくなるのかい?」
「なる。必ずな」
ミューズの鋭い視線は、降りしきる雨の向こうを見ているようだった。
止むことのない雨の中、ライラとミューズは歩き続けた。そしてライラの家の前にまで来た。雨のせいで人影もない。それでも傍らに立つミューズはあたりを睥睨し、危険がないかを探っているようだ。
「ふむ、彼がいる様子はないな」
「彼って、バーンズ君のこと?」
「バーンズ
ミューズの眉がうっとうしげに歪んだ。良い印象はないのだろうが、本人もいないところでさえ〝殿〟をつけるのがミューズらしくて、ライラはぷっと噴出した。
「何がおかしい?」
「いや、閣下は真面目だなと」
「……それが私の取り柄だ」
照れ隠しなのか、ふんと鼻を鳴らすミューズに、ライラは目を細めた。柄にもなく可愛いな、などと思ってしまう。
真面目なのは生来の性格なのだろうか。だからこそ、正義感に駆られているのかも。そう考えたライラは、ふと聞きたくなってしまった。
「ねぇ閣下。バーンズ君は麻薬を調べに見たって言ってたけど、レゲンダにそんなものがあるとは思えないんだよね」
「……レゲンダに麻薬などない。あれは人を堕落させるものだ。
親の仇の如く吐き捨てるミューズに、ライラは目をぱちくりさせた。バーンズの言うところの〝悪魔の薬〟のことを知ったら、ミューズはどう反応するのだろう。
そもそも、悪魔の薬を知っているのだろうか? もしかすると、バーンズの言う悪魔の薬自体が、存在しない物ではないのか?
――ちょっと、どーゆーこと?
ライラの頭は混乱し始めた。
何を信じてよいのか。バーンズのあの目は、嘘をついている感じではなかった。ミューズの堅物さを考えれば、さらっと嘘はつけないだろう。
どちらも本当のことを話しているとすれば、この齟齬の原因はなんなのだろうか。
「閣下、悪魔の薬って、知ってる?」
ライラは恐る恐る声をかけた。
「悪魔の、薬?」
ミューズの眉間にしわが寄る。どう見ても〝聞いたことがない〟という顔だ。
「バーンズ君が言うには、王都で流行ってるもので、麻薬よりもやばいものだ――」
「――それがここから王都に流れているというのか?」
怖い顔のミューズがズイと一歩踏み込んできた。思わず後ずさったライラの背中に、扉が当たる。
「彼はそれを調べに来たと?」
「な、なんでもコトリネを蒸留して濃度を高めて、そこに麻薬を混ぜたものだとかで、常習性が高いものだって」
「コトリネだと!?」
「ひゃいっ」
コトリネに反応したミューズが眦をあげ叫ぶと、ライラは可愛らし悲鳴を上げてしまった。
「コトリネ……王都でも売り出すことになったと医療部からの伝達は、確かに聞いた……」
「医療部って、王都の?」
「うむ、先日王都から手紙が来て、先日薬商人のところに相談にいったところだ」
「あ、で、エルダーの店にいたのか」
「何故それを? お前もいたのか? まさか彼と一緒だったのか?」
「え、いや、まぁ」
がしっと両肩に手を乗せられ、鋭い視線で睨まれたライラは首を縮めた。黙って恋人と出かけたことがばれて父親に怒られる娘のようだった。
「その手を離してください」
ミューズの背後から、雨を裂くようなバーンズの叫びが耳に入った。
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