第十九話 ちょっと待って聞いてない
「バーンズ君が、騎士団にいない?」
腕を組んだまま、ライラは首を捻った。
「うむ。調査に騎士が来るとは聞いていたが、事前に名前までは教えてくれなかったのだ。彼が来てから、その人物の評価を兼ね、王都の軍部に問い合わせをしていたんだ。先ほどその返事が来て……」
「バーンズ君は騎士団にはいない、と?」
「在籍はしていた。ただし昨年退団して現在はいない。その後どうなったかまでは把握していない、との答えだった」
ミューズの額に皺が寄る。気の弱い子供なら泣き出してしまいそうな深刻さだ。
ライラは傍らのケイシーを見た。彼女は信じられない、という顔で、口を開けていた。
「ライラ、彼には何もされていないか?」
「……特には」
心配の混ざった眼差しを向けられ、ライラは答えに窮した。いまライラには、それについて断定するだけの情報はないのだ。
「そうか……今朝、彼を迎えに宿へ行かせた部下から、すでに引き払っている旨の報告があってな。王都からの報告と合わせて急ぎ
ミューズの表情は曇りっぱなしだ。ライラの心は困惑の色を深めていくが、それを表面に出だぬよう、口もとに力をこめた。
「お前に何もなくて、一安心だ。だが、彼を探さねばならん。身元のはっきりしない人物を、騎士だと身分を偽る輩を放置することはできん。レゲンダの治安は我々が守っているのだ」
――まぁ、正論だけど……
ライラ、今までのことを振り返る。最初の夜こそライラが押しかけたあげくに押し倒したが、その後は――付きまとわれて、何かを盛られた時には口移しで薬を飲ませて、商隊では煙管を買ってもらって、一緒にご飯食べて、脅されて、胸で泣いて、家に押しかけられて、頬にキスされて抱きしめられて。
――何もってことはないけど。
だからと言って、ライラは「はいそうですか」とミューズに従うつもりもなかった。バーンズの言葉もミューズの言葉も、それが正確なのか、ライラには判断がつかない。ただひとつ、事実がある。バーンズは力でライラを従わせてはいないということだ。
仮に彼が騎士でなく、何か別の目的があったとしても、彼はライラには危害を加えていない。逆に守ると言って付きまとっているほどだ。
刃物で脅されたことは事実だが、結局はその後、理由を聞いたあげく、ライラは自分の意志で彼への協力を決めたのだ。
バーンズからすれば、ライラを暴行して従わせることもできたはずだが、暴力を振るってはいない。むしろライラからデコピンを喰らい、平手打ちを浴びている。それでも仕返しをしては来なかった。もちろん、自分のしたことが原因で罰としてされたことだと理解しているからだろうが。
――薬職人のところへ行ったってことは黙ってないと。
今できるライラの最善の策が、これだった。自分に嫌疑がかかることを避け、かつバーンズの行方もすっとぼける。すぐに他の案は浮かばなかった。
「どこに行ったかまでは聞いてないけど」
「うむ、そうか……」
「閣下こそ、知らないの?」
ミューズの探るような視線を真っ向受け、ライラは言い切る。
「見当がつかん。ここ数日は、お前と一緒の時間が多かったくらいで我々とは接点がなかった」
「あたしだって分かんないさ」
ミューズは、あからさまに疑う視線ではないが、それとなく匂わせ見てくる。肩を竦めてとぼけるも、心臓の音が耳にうるさくなっているのをライラは感じていた。
「彼を見かけたら距離をとって、我々に教えるように」
ミューズは踵を返し、部屋から出て行った。
昼を告げる鐘が鳴り響いたが、バーンズは戻ってこない。ライラは椅子に座ったまま腕を上げ、うーんと伸びをした。
「ライラちゃん」
「ん?」
昼になったが部屋を出ていかないケイシーが声をかけてきた。ライラは生返事で応える。
「さっきの――」
「バーンズ君のこと?」
ケイシーは小さく頷いた。その顔は、明らかにライラを心配しているものだ。
「ぶっちゃけ、あたしも良くわからないんだよね」
ライラは背伸びのまま立ち上がった。
「彼の正体? それとも彼に対する気持ち?」
「あー、んー、両方?」
「あら、ライラちゃんにしては正直ね」
「ま、色々あったのさ」
ライラは苦笑いを浮かべた。ここで顛末を話すわけにはいかないが、近い将来のことは話さなければならい、とライラは思った。
「あたしね、ここからいなくなるかも」
「え? なんでって、もしかして?」
「ケイシーが考えたこととは違うんと思うんだけどね」
「あら、お嫁さんじゃないの?」
「まー、ほぼ違うかな」
「じゃあなんでいなくなるの?」
昼食のために帰る支度のままのケイシーが眉を顰めた。何も知らないケイシーでは分からないだろう。
ただ、急にライラがいなくなると困るのが彼女たちだ。少しでも匂わせたほうがいいと思っての言葉だ。
「あたしもよくわかんないんだけどね」
「なのよ、それ」
呆れるケイシーに、ライラは苦笑いで肩をすくめることしかできなかった。
夕方、その日の終わりを告げる鐘の音は、降りしきる雨に遮られ、診療所には届かなかった。代わりに終わりを告げに来たのは、ミューズだった。ポンチョのような雨用の外套をかぶり、床に染みを作りながら診療所にやってきたのだ。
ミューズの姿を見たライラは助手たちに帰宅するように促した。
「おや参謀閣下、水も滴るいい男っぷりだね」
「急な雨だ。いつもなら西の山に雲がかかってから降るんだが、今日は突然降り出した」
ちょうどそのとき雷鳴が轟き、ケイシーらが悲鳴を上げた。
「あぁ、雷までなってる。急いで帰った方が良い」
「ごめんね、ライラちゃん」
「ぬかるみには気を付けるんだよ」
「わかった、ライラちゃんも早く帰るのよ」
ケイシーらはミューズのしかめっ面を一瞥して、そそくさと診察室から出て行った。雨に濡れて風邪ひかなきゃいいな、とライラはのんきに構え、これからのことを考えないようにしていた。
「どうせ雨具もないだろうと持ってきた」
ミューズは着ている外套の中から別なポンチョを取り出した。彼が着ているのと同じものだろう。
――ここにくる口実にはちょうどいい。
ライラは警戒心を悟られないよう、表情を緩めた。ちょうど、バーンズがするように。
「わざわざ閣下が持ってきてくれなくっても、部下の誰かに頼めばいいじゃないか」
「その部下はみなバーンズ殿を探しに出払っている」
鋭い目つきで見てくるミューズに、ライラはしまったと舌打ちをした。話題をそっちに持ていかないようにと思った矢先だった。
「……危ないから送っていこう」
何に危ないのかむしろあんたといる方が余程身の危険だ、という返しはぐっと飲み込んで、ライラはおとなしく帰り支度を始めた。
――反論すると、そこからボロが出かねないね。
相手は参謀だ。考えることはミューズの方が上である。ライラが小賢しく考えたことなど、即座に見抜かれるのがオチだ。
ミューズの監視するような視線を背中に感じ、ライラはブルッと身震いする。
――まさか、このままあたしを拉致るってことは……雨で大声を出してもかき消されるだろうし。もしかしたら診療所の外には兵士たちが……
そんな試行を振り払うように、ライラは頭を振った。家の鍵をいつもとは違う内ポケットに隠し、ミューズが机に置いたポンチョを頭からかぶった。
――さーて、無事にベッドで寝られりゃいいけど。
フードに隠されたライラの顔には、諦めの笑みが浮かんでいた。
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