第十八話 白衣の姉御は攻められる

 バーンズに盛大なデコピンを喰らわせて満足感に包まれた夜が明けた。窓の隙間から差し込む朝日の中、ライラは衝立の向こうの気配を察しながら着替えていた。家での気楽な格好から軍医として働く姿に変身するのだ。

 着ている服が変わると心もしゃっきりする。折り襟を着込んだライラは、気分も顔つきも引き締まった。

「さて、今日も一日、頑張るとするかね」

 ライラはパシンと頬を叩いた。


 バーンズはすでに支度を終え、椅子に腰かけ、持ち込んだ長剣を布でふいていた。刃渡りは百三十センチもある直剣。特に凝った意匠もない、シンプルなデザインだ。

 握りやすそうだが使い込んで黒く汚れた柄。相手の剣を受けとめるためなのか分厚い唾。鈍く光を反射する薄い両刃が、ライラの背中をゾクリとさせる。

「ずいぶんと、ごつい剣だね」

 ライラの、初見での感想だ。軍でよく見るのはやや湾曲したサーベル。持ち手に金属のガードをつけた細身の刃で、兵士が帯剣する、斬る剣だ。

 軍人が金属鎧を着ることはまれだ。防御よりも携帯性、軽快性を優先し、群れで行動するためだ。武具は革製が主で、そのために〝斬る〟剣で負傷する。ただし、メインの武器は槍だ。

 ライラにとって普段見ることのない直剣は、サーベルに比べ厳つく見えた。

「名工に鍛えてもらった業物なんですよ」

「へぇ。でも、騎士様が持つにしちゃ、飾りっ気がないね」

 ライラはバーンズの傍により、剣を覗きこんだ。ライラのイメージでは、騎士は華やかであり、その手に持つ剣も煌びやかだと思っていたのだ。だが、にこやかな顔のバーンズが「僕の分身でもあるので、派手さはいりません」と返してくる。

 カッコいいこと言っちゃって、と心で皮肉るライラだが、刃物には興味がある。自分も手術で執刀する場合もあるのだ。切れ味を保つために、刃の研磨は欠かせない。派手さよりも機能優先は、ライラも理解できた。

「持ってみます?」

「重そうだけど」

「振りまわさなければ、大丈夫ですよ」

 なにやら嬉しそうに言われてしまっては断りにくい。軽々と持ち上げ差し出してきたバーンズの剣の柄を、ライラは両手で掴む。バーンズが力を抜いた瞬間に、両手にドンと重さがかかった。

「オ、オモイ……」

 最初は剣を上に掲げようとしたライラだったが、予想をはるかに上回る重さに耐えきれず、刃を下に向け、かろうじて持ち上げた。腕をプルプル振るわせ、大きく息を吐いたライラの額からつーっと汗が流れた。

 この剣はバーンズにとって大事な剣だ。床に打ちつけないで済んでよかった、と背中に冷汗もかいていた。

「バーンズ君は、こんなに重い剣を振り回すのかい?」

「えぇ。頼もしい重さではありますが、それにも増して、ライラさんみたいに芯の強い剣で、僕好みなんです」

 バーンズが歯を光らせての会心の微笑みを向けてきた。その笑みと歯の浮きそうな台詞は、何とか持ち上げていた無防備なライラの心臓をドキッと跳ねあげた。ぽかんと見惚れて力が抜けた瞬間に、ライラは剣を落としてしまった。

 長剣はガスッと木を裂き、床に突き刺さる。思わずライラは「あっ」と声をあげてしまう。

「ご、ごめん。大事な剣を――」

「ライラさんにけがはないですか?」

 謝るライラを遮り、バーンズが立ち上がった。彼は即座にライラの手を取り、切り傷がないかをチェックしだした。

 怪我がないことを確認できたのか、バーンズがふぅと小さく安堵の息を吐く。

「大丈夫、どこにも怪我はないよ」

「切れ味抜群。まるで僕みたいでしょ?」

 ライラがすまなそうにバーンズを見上げると、そんな言葉が返ってきた。ライラの申し訳なさ度合いが、一気に下降する。むしろ地面に潜ってしまう勢いだ。

「バーンズ君が切れるとは思えないけど、この剣はよく切れるみたいだね」

「厳しいなぁ。でも貴女を守るためには必要なんです。剣も、それを振るう僕も」

 バーンズはライラの両手首を掴んだまま顔を寄せ、そのまま彼女の頬に唇を落とした。抵抗する間も与えられなかったライラは、ちゅっと音を立てて離れたバーンズの唇を、唖然として見つめていた。

「これは、貴女を守るご褒美の前借で」

 嬉しそうに細まる青い瞳を見たライラの顔はグラグラと煮えたぎる。口はだらしなく開き、眼鏡の向こうがぐにゃりと歪んだ。

「あれ、そんな顔されると、もっと欲しくなってしまいますが」

 ライラの両手を解放したバーンズが、その手をそっと彼女の頬に忍ばせる。余裕そうな笑みのバーンズに、ライラの額からちぎれる音がした。

「こんのぉ……突然、やるなぁぁぁ!」

 ライラ渾身の平手が、バーンズの頬に炸裂した。


 ライラとバーンズはふたり揃って診療所に到着した。既にけケイシーが来ており、診療の準備をしていた。彼女は二人が揃ってきたことに、笑みを浮かべたが、頬に赤い手形をつけたままのバ-ンズを見て、その笑みに意味深さを加えた。

「あらあら、仲のいいことで。ライラちゃん、おはよう。騎士様、いらっしゃいませ。ライラちゃんの護衛、ありがとうございます」

「騎士として当然の行いです」

「頼もしいです!」

 微笑むバーンズに対し、満面の笑みで応えるケイシー。ライラを置き去りにふたりの会話が進んでいた。勝手に進めていくふたりのやり取りを、眉を歪めて眺めるライラが口を開く。

「で、バーンズ君は一日ここにいるつもりかな?」

 ご機嫌斜めな声色だ。

「あら、ごめんなさい。ライラちゃんから騎士様を奪っちゃダメよね」

「違う」

「そんなに怒らなくっても」

「そうじゃない」

 ライラはケイシーに噛みついた。分かっていてからかっているケイシーはくすくすと笑う。その声が余計にライラを苛つかせる。

「今日は、あの薬職人のところへ行ってみます。本当は、ずっとここでライラさんをお守りしたいところですが。あ、無用の外出は控えてくださいね」

 割って入ってきたバーンズがライラに向かって言った。爽やかスマイルでライラの機嫌を直そうとしている努力が垣間見える。

「ここにいる限りは大丈夫だよ」

 ライラがブスッと答える。実際はそこまで怒っていないのだが、素に戻るとバーンズに勘違いされると思っているのだ。

「心配です」

「医師は貴重だ。簡単に殺すようじゃ、レゲンダが困るだろ」

「それもそうですね」

 眉を下げて困り顔のバーンズが、ライラをぎゅーする。ライラの顔がバーンズの筋肉質な胸に押し付けられ、その頭は優しく抱きかかえられた。

 ライラの顔が火を噴き、耳が燃えるように熱くなる。

「な、なにを!」

「ライラさんが無事でいられるおまじないです」

「こんなおまじないなんてありゃしないって、離しなさいって」

 暴れようともバーンズの力には勝てず、ライラはされるがままにぎゅーされていた。

「では、行ってきます」

 ライラが解放されると同時に、ささっと部屋から逃げるバーンズ。まぁまぁとわざと驚くケイシー。

 赤い顔でぐぬぬと唸るライラは、あらぬ方向を見ているしかなかった。


 そんな騒動があってか、助手たちに冷やかしを受けていた午前も終わり近く。ライラは刃物で左腕を深く切ってしまった男性患者の縫合をし終えた。縫合後、消毒及び布でカバーはケイシーが担当し、ライラは用意された水瓶で手を洗っていた。

「かなり痛むと思う。鎮痛の薬を出すから寝る前にでも飲んで。そうしたら寝ることはできると思う」

「おぅ、すまないな……」

 男がかすれ声で返している。傷が痛むのか顔が歪みっぱなしだ。ライラが血で赤くなった手を綺麗にて布で水分を拭き取っていた時、廊下から足早な音が聞こえてきた。

「ライラいるか?」

 ノックもせずに入り込んできたその声に、ライラは振り返る。ただでさえキツメの顔を険しさでグレードアップさせたミューズがいた。

「おお、無事か」

 ミューズの言っている意味が理解できないライラは首を傾げた。むしろミューズがいることの方が危険だ、とさえライラは思った。

「閣下、何か?」

 まさかここで自分を拉致するってことは、と緊張をするが、ライラは務めて平静に対応する。

 ミューズが、部屋をぐるりと確認する様を見て、ライラはごくっと唾をのんだ。

 ――まさか、何かする気?

 ミューズは大きく息を吐き、少しだけ表情を緩めた。

「バーンズ殿の姿が見えないのだが」

「あ、あぁ、さっき出かけたけど」

「ううむ」

 ミューズ、顎に手を当て、唸るっている。どうもおかしい、と自分の予想が外れたことでライラの眉も波打った。

「バーンズ君が、何か?」

「先日、王都の軍経由で騎士団に問い合わせていたのだが……」

 ライラの伺う声に、ミューズは言い辛そうに言葉を切る。ライラは先を促すように腕を組んだ。

「バーンズという騎士は、昨年退団してお入り、現在はいないそうだ」

 ミューズの真剣なまなざしに、ライラは「はぁ?」と甲高い声を上げた。

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